東日本大震災は日本に未曾有の危機をもたらし、それは福島原発事故は未だに予断を許さない状態が続く。震災直後にはリーダーシップを発揮できるかにみえた菅首相も、原発への対応やその後の震災への対応では「顔」が見えず、国内外からリーダーシップの不在が指摘される。
今回の件では、確かに次から次に新たなる問題が巻き起こり、全てに適切に対処するというのは難しかったかもしれない。しかしそうした中でもこうした「危機的状況」に対処するための資質や思考法はあったはずだ。それは企業でもそう。何らかの問題が起こった時にそれに対応できる人とできない人がある。そうした物の考え方のプロセスについて考えてみた。
様々な問題が同時多発的に、複合的に起こっている時、その問題解決に対処するためには、目の前の問題だけに対処していては全体をうまくハンドリングすることはできない。こうしたことに対処するためには、以下のような能力が必要だろう。
1)個別事象との全体像との関係性を把握する能力
2)重要度の判断
3)時間軸に基づき整理する能力
4)何が起こりうるか、その事象の影響に対する想像力
複合的に問題が生じている時、目の前の問題だけに対処していても、問題全体の解決に結びつくとは限らない。個別の問題に対処しつつ、全体との関係・位置付けを整理できなければならないだろう。
そしてその上で、2)の「重要度」と3)の「時間軸」による整理が必要となる。
例えば今回の福島原発の場合、大津波により電源を喪失、原子炉格納容器の破損を防ぐために1号機・2号機の弁開放、海水の注入という措置を行うわけだけれど、この時点で「海水」が必ずしもベストな解決だと皆が思っていたわけではないだろう。真水と違い不純物が多いわけだし、(「廃炉」の有無とは別に)それが炉の損傷につながる可能性もあるのだから。
しかしあの時点で最善の対処として「海水注入」を選択するわけだけれど、ここでその「重要度」とともに「時間軸」としての整理ができていれば、どのタイミングまで「海水」とするのか(「真水」に切り替えるのか)といったことも考慮されていただろう。
こうした複合的な問題の場合、常に最善の対処ができるとは限らない。「重要度」に応じて「まずできる」対処を行いつつ、「時間軸」を見ながら「最適」なやり方に切り替えていかねばならないのだ。
4)は結局は想像力の問題。点と点をみるだけでなく、そこから線を読み取らねばならない。そして次に起こりうる問題に少しでも早く対処/準備を行わないといけない。
こうした1)~4)までのことに考えるにあたっては、
5)構造的に問題を整理する能力
6)適切に人員を差配する能力
が必要だろう。「構造的に問題を整理する能力」というのは、1)の「全体像」として把握することとも絡むのだけれど、(そしてある意味、矛盾するのだけれど)複合的な問題を1つの「全体」的な問題として対処することは実質的に不可能に近い。「全体」を把握しつつ「部分」的な対処を実行せねばならない。
そうした時に、どの「部分」とどの「部分」がつながるのか/関連するのか、そうしたことを適切に把握し整理する能力が求められる。そうすることで、6)の人材配置が可能となる。
こうした整理の仕方は、線形的に物事を理解する傾向の強い人には難しいことかもしれない。線形的に物事を理解するとは、単純に言えば、説明文として物事を理解することだ。つまりA→B→C→Dという風に関係性が1方向的なのだ。
「AがあってBがあってCがあってDになります」と書けば簡単に理解できるかもしれないが、多くの場合、物事はこのように直線的ではない。AはBとCに関連するかもしれないし、BとCは相互にやりとりをしているかもしれない。設計図面だろうが、構成図だろうが、概念図だろうが、そのように構造的に全体を捉えなければならないのだ。
その上で、それぞれの「部分」の解決を適切な人に任せる、情報の共有はしつつも「部分」が自律的に判断・行動できるようにすること。また全体としての適切な方向間を維持すること。こうした「差配」「役割分担」「組織化」の能力が必要なのだろう。
今回の原発事故に対しては、東電のいい加減さと枝野官房長官の頑張りが非常に目につく。100時間以上にわたる枝野さんの不眠不休の頑張りには敬意を払いつつ、しかし全てが枝野さん任せに見えてしまう状況は、こうした役割分担がうまくいっていないからでもあるのだろう。
こうした状況に対処できる人材は政界といえどもなかなか見つからないのかもしれない。
今回の件では、確かに次から次に新たなる問題が巻き起こり、全てに適切に対処するというのは難しかったかもしれない。しかしそうした中でもこうした「危機的状況」に対処するための資質や思考法はあったはずだ。それは企業でもそう。何らかの問題が起こった時にそれに対応できる人とできない人がある。そうした物の考え方のプロセスについて考えてみた。
様々な問題が同時多発的に、複合的に起こっている時、その問題解決に対処するためには、目の前の問題だけに対処していては全体をうまくハンドリングすることはできない。こうしたことに対処するためには、以下のような能力が必要だろう。
1)個別事象との全体像との関係性を把握する能力
2)重要度の判断
3)時間軸に基づき整理する能力
4)何が起こりうるか、その事象の影響に対する想像力
複合的に問題が生じている時、目の前の問題だけに対処していても、問題全体の解決に結びつくとは限らない。個別の問題に対処しつつ、全体との関係・位置付けを整理できなければならないだろう。
そしてその上で、2)の「重要度」と3)の「時間軸」による整理が必要となる。
例えば今回の福島原発の場合、大津波により電源を喪失、原子炉格納容器の破損を防ぐために1号機・2号機の弁開放、海水の注入という措置を行うわけだけれど、この時点で「海水」が必ずしもベストな解決だと皆が思っていたわけではないだろう。真水と違い不純物が多いわけだし、(「廃炉」の有無とは別に)それが炉の損傷につながる可能性もあるのだから。
しかしあの時点で最善の対処として「海水注入」を選択するわけだけれど、ここでその「重要度」とともに「時間軸」としての整理ができていれば、どのタイミングまで「海水」とするのか(「真水」に切り替えるのか)といったことも考慮されていただろう。
こうした複合的な問題の場合、常に最善の対処ができるとは限らない。「重要度」に応じて「まずできる」対処を行いつつ、「時間軸」を見ながら「最適」なやり方に切り替えていかねばならないのだ。
4)は結局は想像力の問題。点と点をみるだけでなく、そこから線を読み取らねばならない。そして次に起こりうる問題に少しでも早く対処/準備を行わないといけない。
こうした1)~4)までのことに考えるにあたっては、
5)構造的に問題を整理する能力
6)適切に人員を差配する能力
が必要だろう。「構造的に問題を整理する能力」というのは、1)の「全体像」として把握することとも絡むのだけれど、(そしてある意味、矛盾するのだけれど)複合的な問題を1つの「全体」的な問題として対処することは実質的に不可能に近い。「全体」を把握しつつ「部分」的な対処を実行せねばならない。
そうした時に、どの「部分」とどの「部分」がつながるのか/関連するのか、そうしたことを適切に把握し整理する能力が求められる。そうすることで、6)の人材配置が可能となる。
こうした整理の仕方は、線形的に物事を理解する傾向の強い人には難しいことかもしれない。線形的に物事を理解するとは、単純に言えば、説明文として物事を理解することだ。つまりA→B→C→Dという風に関係性が1方向的なのだ。
「AがあってBがあってCがあってDになります」と書けば簡単に理解できるかもしれないが、多くの場合、物事はこのように直線的ではない。AはBとCに関連するかもしれないし、BとCは相互にやりとりをしているかもしれない。設計図面だろうが、構成図だろうが、概念図だろうが、そのように構造的に全体を捉えなければならないのだ。
その上で、それぞれの「部分」の解決を適切な人に任せる、情報の共有はしつつも「部分」が自律的に判断・行動できるようにすること。また全体としての適切な方向間を維持すること。こうした「差配」「役割分担」「組織化」の能力が必要なのだろう。
今回の原発事故に対しては、東電のいい加減さと枝野官房長官の頑張りが非常に目につく。100時間以上にわたる枝野さんの不眠不休の頑張りには敬意を払いつつ、しかし全てが枝野さん任せに見えてしまう状況は、こうした役割分担がうまくいっていないからでもあるのだろう。
こうした状況に対処できる人材は政界といえどもなかなか見つからないのかもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます