スマートフォンの電子書籍で新書を読んでみた。ビジネス書や新書の場合、まだまだ対応している書籍も少ないということもあって、なかなかいいPFが見つからない。スマホつながりということで、docomoと組んでDNPが提供している「honto(http://hon-to.jp/)」で野中郁次郎/遠藤功の「日本企業にいま大切なこと」を購入。
![](http://www.php.co.jp/atch/books/ISBN978-4-569-79713-7.gif)
日本企業にいま大切なこと (PHP新書) / 野中郁次郎, 遠藤功
もともとWEBをやってきた人間からすると、HTML上の「文字(TEXT)」と画像化された「文字」は全く別物。片方は脳も「文字」として認識するから頭でも「理解」しやすいが、片方はあくまで「画像」であって左脳での認識は弱くなる。それは例えばPDF化された書類を打ち出して印刷物として見るときと、PCの画面上で眺めた場合の違いといってもいい。
そういうこともあって、タブレットやスマートフォンのディスプレイで眺める「電子書籍」が書籍のかわりになるとは思っていなかった。ただMACや最近のスマートフォンの「美しい」フォントは、HTML上の「文字」さえもそれまでのように「文字」とも「画像」とも区別のつかない感覚に陥らせる。いや、それは事実そうだろう。マクルーハンではないけれど、こうした新しい状況は僕らの感覚器官を変化させ、新しいテクノロジーに適合させていくのだ。
あらためて「電子書籍」を読むことで、「本」を読むということの特性やそこでもたらされている感覚ということが意識される。
例えば「今どの程度読んでいるか」という感覚。もちろん電子書籍でもどの程度「進捗」したかを表示する仕組みはある。しかし「本」の場合、手の上で広げただけでどこまで読み進んでいるかは無意識のうちでもわかる。そしてこの感覚は意外と重要だ。読み終わること自体が目的なわけではないけれど、GOALが見えているというのは読み進むためのモチベーションになる。
また「本」を持ち歩くといいうこと自体が「読む」ことのモチベーションやある意味、強制力となる。電子書籍の場合、いつでも読めるという利点があるけれど同時にスマートフォン上の他のアプリケーションと等価になってしまう。つまりメールをしたり、WEBサイトを眺めたりすることと、電子書籍を読むことのどれを選択するかという問題になってしまうのだ。サボろうと思えばいくらでもサボれてしまう。
他にも、ページをめくるという感覚。本を読む上では当たり前のことなんだけど、電子書籍でこれをされてももう1つ感覚が違う。ちょうど僕が読んだ電子書籍では、「縦書き」と「横書き」を変更できるのだけど、スマホということもあって、WEBサイトと同じように「横書き」で読んでいた。すると、今ひとつ「ページをめくる」という感覚がなじまない。どちらかというと、スクロールしたくなる。
眼の疲れ方も違ってくる。あくまで本は周囲の光によってそのページの明るさも決まってくる。だから「目が疲れる」という場合も集中して文字を読んでいることからくる疲れだ。しかし電子書籍の場合はやはりモニターを眺めていることからくる疲れだ。特にスマートフォンの場合、消費電力を抑えるためにモニターの光量が変化する。そうしたことが目の疲れにつながってくる。
そして何よりも「本を読む」ということはそれに対する対価(書籍代)を払うことに疑問を感じないけれど、電子書籍の場合、どうしてもWEBサイトを眺めるということとの違いが曖昧になってくる。そしてWEBサイトのほとんどは「無料」なのだ。電子書籍に「対価を払う」という感覚はなじむのだろうか。
漫画のようにWEB上に無料で公開されているものがほとんど無いようであれば、電子書籍でも有料で購入するということがなじむのかもしれない。事実、ケータイサイトではマンガ配信は大きなビジネスになっている。
しかし新書のような、時代性に対応した書籍の場合、WEBサイト上で無料で公開されているニュース解説やコラムとの差をどこまで作り出せるだろう。もしかしたら電子書籍の成否はジャンルによって異なってくるのかもしれない。
あ、ちなみに本の内容は面白かったです。アメリカ型ではなく、日本はやはり「現場力」によるイノベーションが必要なのだ、と。
日本企業にいま大切なこと (PHP新書) / 野中郁次郎, 遠藤功
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マクルーハン / W.テレンス ゴードン:我々の身体感覚はどう変化するのか - ビールを飲みながら考えてみた…
![](http://ec2.images-amazon.com/images/I/41016FK2GJL._AA240_.jpg)
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日本企業にいま大切なこと (PHP新書) / 野中郁次郎, 遠藤功
もともとWEBをやってきた人間からすると、HTML上の「文字(TEXT)」と画像化された「文字」は全く別物。片方は脳も「文字」として認識するから頭でも「理解」しやすいが、片方はあくまで「画像」であって左脳での認識は弱くなる。それは例えばPDF化された書類を打ち出して印刷物として見るときと、PCの画面上で眺めた場合の違いといってもいい。
そういうこともあって、タブレットやスマートフォンのディスプレイで眺める「電子書籍」が書籍のかわりになるとは思っていなかった。ただMACや最近のスマートフォンの「美しい」フォントは、HTML上の「文字」さえもそれまでのように「文字」とも「画像」とも区別のつかない感覚に陥らせる。いや、それは事実そうだろう。マクルーハンではないけれど、こうした新しい状況は僕らの感覚器官を変化させ、新しいテクノロジーに適合させていくのだ。
あらためて「電子書籍」を読むことで、「本」を読むということの特性やそこでもたらされている感覚ということが意識される。
例えば「今どの程度読んでいるか」という感覚。もちろん電子書籍でもどの程度「進捗」したかを表示する仕組みはある。しかし「本」の場合、手の上で広げただけでどこまで読み進んでいるかは無意識のうちでもわかる。そしてこの感覚は意外と重要だ。読み終わること自体が目的なわけではないけれど、GOALが見えているというのは読み進むためのモチベーションになる。
また「本」を持ち歩くといいうこと自体が「読む」ことのモチベーションやある意味、強制力となる。電子書籍の場合、いつでも読めるという利点があるけれど同時にスマートフォン上の他のアプリケーションと等価になってしまう。つまりメールをしたり、WEBサイトを眺めたりすることと、電子書籍を読むことのどれを選択するかという問題になってしまうのだ。サボろうと思えばいくらでもサボれてしまう。
他にも、ページをめくるという感覚。本を読む上では当たり前のことなんだけど、電子書籍でこれをされてももう1つ感覚が違う。ちょうど僕が読んだ電子書籍では、「縦書き」と「横書き」を変更できるのだけど、スマホということもあって、WEBサイトと同じように「横書き」で読んでいた。すると、今ひとつ「ページをめくる」という感覚がなじまない。どちらかというと、スクロールしたくなる。
眼の疲れ方も違ってくる。あくまで本は周囲の光によってそのページの明るさも決まってくる。だから「目が疲れる」という場合も集中して文字を読んでいることからくる疲れだ。しかし電子書籍の場合はやはりモニターを眺めていることからくる疲れだ。特にスマートフォンの場合、消費電力を抑えるためにモニターの光量が変化する。そうしたことが目の疲れにつながってくる。
そして何よりも「本を読む」ということはそれに対する対価(書籍代)を払うことに疑問を感じないけれど、電子書籍の場合、どうしてもWEBサイトを眺めるということとの違いが曖昧になってくる。そしてWEBサイトのほとんどは「無料」なのだ。電子書籍に「対価を払う」という感覚はなじむのだろうか。
漫画のようにWEB上に無料で公開されているものがほとんど無いようであれば、電子書籍でも有料で購入するということがなじむのかもしれない。事実、ケータイサイトではマンガ配信は大きなビジネスになっている。
しかし新書のような、時代性に対応した書籍の場合、WEBサイト上で無料で公開されているニュース解説やコラムとの差をどこまで作り出せるだろう。もしかしたら電子書籍の成否はジャンルによって異なってくるのかもしれない。
あ、ちなみに本の内容は面白かったです。アメリカ型ではなく、日本はやはり「現場力」によるイノベーションが必要なのだ、と。
日本企業にいま大切なこと (PHP新書) / 野中郁次郎, 遠藤功
![](http://www.php.co.jp/atch/books/ISBN978-4-569-79713-7.gif)
マクルーハン / W.テレンス ゴードン:我々の身体感覚はどう変化するのか - ビールを飲みながら考えてみた…
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