ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

アイデアの本質は本人にしかわからない

2006年04月30日 | 新サービス奮闘記!
ドラゴン桜の作者・三田紀房のもう1つの作品に「スペリオール」に連載中の「マネーの拳」がある。ボクシング元世界チャンプの花岡拳が引退後、居酒屋を始めるがうまくいかない。そんな花岡の前に「経営の神様」と呼ばれる男が現われ、指導を受けながら、「商売」という舞台で戦う姿を描いたものなのだが、これがまぁ、いい/悪い、好き/嫌いはあるにしても的を得ていることも多い。特にこの花岡は自ら起業をしていくわけであるけど、当然、零細・弱小企業なわけで、ここで発せられるメッセージもMBA的・大企業的な経営戦略ではなく、もっと泥臭く実践的で戦術と戦略とが密接に繋がったものだったりする。

で今週号「コロンブスの船」の中に、「アイデアの本質は思いついた本人にしかわからない」という言葉があった。

ちょうど今、新しい企画を進めていることもあってこの言葉に思わずうなずいてしまった。もともと他のメンバーと協調しながら物事を進めていくタイプではなかったのだけれど、まぁ、立場やら組織のしがらみやらがあって、最近では上司に説明し了解を得つつ、メンバー間で協調しながら物事を進めていくことにしている。

これはある程度規定路線の企画であったり、これまでの延長線上のプロジェクトであったりすれば、多少時間はかかりつつも、このやり方はある程度有効かもしれないが、はっきりいって「新しいこと」をするときは全くうまくいかないと思う。まぁ、僕の実力不足は多いにあるかもしれないが。

新しいこと、新しいアイデアをベースにした企画やプロジェクトの場合、「マネーの拳」で書かれているように、どんなに説明したところで「アイデアの本質」を他人が理解できることはまずない。その5割でも理解してくれていれば奇跡的で、1回や2回の説明で理解してもらえることなんて表面上のことくらいだ。

しかも厄介なことに、その表面上の理解でそのアイデアの価値を決めてしまおうとしたりするからこれが辛い。花岡のように社長ででもあれば、自らのアイデアを信じて、考えに共感できない部下に「なら辞めろ」とどなりつけることもできるだろうが、1サラリーマンだったりすると、アイデアを通すためにどうするか、アイデアを潰させないためにどうするかといったことを考えながら進めないといけない。とりあえず一度スタートさせないことにはその本質を理解してもらうまでたどり着かないのだから。

それにしてもこのマンガ、商売の本質を突いた部分が多くて、うちの社員に読ませたくなります。

「マネーの拳」/三田 紀房


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