ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

短期間でPJを進めていくための「舵」

2006年05月27日 | 新サービス奮闘記!
横山秀夫「第三の時効」(集英社文庫)は、最強軍団と評されるF県警刑事部捜査一課を舞台とした短編小説で、犯人を追い詰めていく刑事たちの姿というよりは、三つの強行犯捜査係班の刑事たちの心象風景-刑事という仲間でさえも出世競争の相手として、あるときは相手におののき、畏怖し、疑い、怯え、それでも相手に負けんとする複雑な内面こそが面白い作品だ。ここに登場してくる刑事たちは、特に合理主義的な一班の朽木、公安出身で深慮遠謀に長けた二班の楠木、天才的な「勘」をもった三班の村瀬ら班長らを中心に課内の覇権をえるべく、それぞれが競争関係にある。だからこそ1つの事件に2つの班を投入することは「1+1」が「3」にも「4」にもなる可能性がある一方、「2」にさえならない可能性がある。

こういう話やジレンマというものは決して、この小説だけの話ではないだろう。比較的優秀なメンバーが集まった部署にも関わらず、「掛け算」どころかまともな「足し算」にもならないとか、誰かの優れた結果に対して、それに刺激を受けた他のメンバーもいい結果を出すということを期待しているのに、結果をみれば「ねたみ」や「足の引っ張りあい」になってしまう、とか。

まぁ、僕が他の案件に足を引っ張られ過ぎて進捗が遅れていたるのが悪いのだが、新企画のPJに人が増員され、結果、そんな状況になってしまっている。後から追加されたメンバーからしてみれば、「何かよくわからないけど人が足りないから呼ばれた」、「上司に言われたから(仕方がないけど)やらないと」くらいの意識しかないのは仕方がないし、彼らもそれぞれ自分の仕事があって、他の人間主導のヘルプに関わったところでどれだけのメリットがあるかもわからないし、気分がいいものでもないだろう。とはいえそんな状況だと、まともに先に進みそうもない。さて、どうするか。

案1)PJメンバー間で目的や方向性を徹底的に共有し、自発的に参加してくれるように、モチベーションを高める
案2)PJメンバー間で目的や方向性を共有し、役割分担を行い、その品質管理を徹底する
案3)PJの進行に支障のあるメンバーを外して、その上で役割分担を行い、その品質管理を徹底する

さて、どうしたものか。当然、きれいなのは案1)である。しかし正直、こんな新規企画、インキュベーション的な企画を短期間で遂行する上で、そのようなことは可能かと聞かれると正直厳しい気がする。先の「アイデアの本質は本人にしかわからない」でも書いたけれど、他の人間とそのアイデアの本質を共有することは至難の業だ。目的や方向性を共有するというのは、言葉で書くと簡単だが、実際のところは並大抵のことではない。それを短期間にというのは…正直、お手上げだ。

では案2)か案3)というところだけれど、このためにはまず「この企画についての決定権者は僕だ」ということを彼らに明確にしなければならない。それが先輩だろうが何だろうが、この企画の責任者は僕であり、品質の管理を行うのも僕である。いいアイデアや方法があれば話は聞くが、採用するかどうか決めるのは僕であり、その上で与えられた「役割」を果たしてもらうという風にやらないと、結果、いい企画にはならないのだろう。

そうした態度を「リーダーシップ」と呼ぶのか、「傲慢」「我侭」と呼ぶのかは知らないけれど、短期間で物事を進めていくためには、目的地を明確に理解しそのための「舵」を取る人間が必要なのだ。

そうしたが考えの上でどうしても納得できない・どうしても目的や方向性が理解できないなら、案3のように外れてもらうのも仕方がないのだろう。そもそもこの企画は別に100人がいたら100人を対象にしたサービスではないし、むしろ興味がない人がこの企画に参加したところで、それぞれにとっていい結果にならないのだから。

まぁ、正直、こういうことが面倒くらいからあまり人を増やしてほしくもなかったのだけれど。ま、課長の暖かい心遣いということで文句も言えないのだけれど。

F県警刑事部捜査一課では、例えそれが競争関係であったとしても、「犯人を憎む」という一点では皆が共通している。だからこそ、たとえ内心では憎んでいたとしても、捜査手法が異なったとしても、ぎりぎりのところで足の引っ張りあいにならない関係なのだろう。



アイデアの本質は本人にしかわからない

「第三の時効」横山秀夫
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