近所のCafeで音楽学校の先生たちが中心となったJazzのライブがあるというので、夕食がてらのぞきに行ってみた。
Jazzというのは、Rockとは全く違う楽しみ方がある。Rockは攻撃的だったり、叙情的だったり、いろいろな表情を見せるけれど、それはどこかでアーティスト個人の感情と結びつき、それがストレートに表現される。だからこそオーディエンスの多くが熱狂し、共感する。
その一方で、どんなに攻撃的・破壊的であったとしても、メロディーの上で成り立っている。
ジャニス・ジョプリンがどんなに破滅的に歌い上げたとしてもやっぱりそれは「Summer Time」だし、ジム・モリソンがどんなに挑発的に歌ったとしても、やはり「Break on through (to the other side)」は「Break on through」だ。Rockは皆を煽り、共感し、一体化するかもしれないが、根本的なところでその曲を裏切ることはない。
その曲の中で、どのように自らの「魂」を輝かせるか、「感情」を注ぎ込むか、そういったものが問われているのだ。
しかしそのことはRockの有り様を難しくもする。果たして「Rock」と「JPOP」の境界線を明確に引くことはできるだろうか?アーティストの魂を感じるような楽曲やLIVEと「(何となく)みんな一緒だよね」的な、馴れ合いにも似た楽曲との違いを明確に区別することは可能だろうか。観客を真の感動、魂を揺さぶるようなLIVEとただ一緒に楽しんだというだけのLIVEの違いを語ることはできるだろうか。
もちろんできる。しかしその一方で、多くの人にとっては後者の方が居心地がいいというのも事実なのだ。そうした「馴れ合い」や「凡庸さ」、あるいは「商業主義」との境界は、今どきのアーティスト自身にとっても曖昧になりつつあるのかもしれない。否、そんなことを気にもしていないのかもしれない。
そしてその結果が、どこかで聴いたことのあるフレーズ、何となく慣れた感じのメロディが繰り返され、90年代~0年代のアーティストの曲がもてはやされ、そうした曲のカバーが乱発される。新しい魅力のない世界が繰り返される。
しかしJAZZは違う。JAZZはそうした「馴れ合い」を拒否する。繰り返されるリズム、繰り返されるメロディ、そうした「コード」の重力からの逃れようとする。ちょっとした間のとり方でリズムを崩し、アドリブを歌い上げ、楽譜を無視して進行する。
それは常に僕らを取り込もうとする「メロディ」との対立であり、それは「予定調和」や「凡庸さ」「馴れ合い」あるいは「日常」の根底に存在する「安心」や「平穏」というものから、どのように「精神の自由」を維持するかという問題だ。JAZZはそうしたものたち(=「コード」)からすり抜け、自由を求めようとする。そうした重力の裂け目へ抜け出す瞬間こそがJAZZの魅力だといえる。
もちろんこのライブでそこまでの大仰なことは期待できないわけだけれど、それでもやはりJAZZはいい。SAX、トランペット、ギター、キーボード、ベース、ドラムの6人編成。革新的といわないまでも、SAXは感情を爆発させ、その重力からの脱出を図ろうとしていたし、ペースも「自分の時間は楽しませてもらいます」って感じで自由に弾いていた。キーボードも軽やかにさりげなく遊んでいたし、それぞれが「遊び」と「セッション」をうまくつなげていた。
JAZZには「共感」というものは少ない。それはJAZZが「個」を中心とした集まりであり、観客もその「個」の演奏や技術に対しての「敬意」によって成り立つからだ。
まぁ、個人的には「枯葉」はもう少ししっとり気味に入って欲しかったけど…
4曲ほど楽器だけでやり終えたあと、女性ボーカルが入って3曲を演奏。女性ボーカルはしっとりといかにもJAZZ風に歌い上げ、周りでは拍手喝采。ただ個人的にはやすり日本のJAZZボーカル、特に女性JAZZボーカルというのはどうも好きになれない。
日本のJAZZの女性ボーカルというのは、何だろう、さっきのバンドマンたちが「自由」を求めていたのに対し、どうしても「JAZZボーカル」という「型」に囚われている気がする。軽やかにムードを作り出す。それはそれでいい。しかしそれ以上の何ものでもない。
女性ボーカルというと、UAやEGO-WRAPPIN'の中納良恵なんかの方がずっと魅力的だし、絢香や吉田美和、Misiaなんかの方がうまく歌い上げそうな気がする。否、上手い下手といった問題ではなく、そのスタイルが「型」を超えて存在しそうな気がするのだ。
JAZZの醍醐味はやはり「予定調和」な世界を超える瞬間にこそあるのだ。
Janis Joplin - Cry Baby (live in toronto 1970)
The Doors - Break On Through (To the Other Side)
UA 雲がちぎれる時
Ego-Wrappin' くちばしにチェリー
EGO-WRAPPIN' かつて
Jazzというのは、Rockとは全く違う楽しみ方がある。Rockは攻撃的だったり、叙情的だったり、いろいろな表情を見せるけれど、それはどこかでアーティスト個人の感情と結びつき、それがストレートに表現される。だからこそオーディエンスの多くが熱狂し、共感する。
その一方で、どんなに攻撃的・破壊的であったとしても、メロディーの上で成り立っている。
ジャニス・ジョプリンがどんなに破滅的に歌い上げたとしてもやっぱりそれは「Summer Time」だし、ジム・モリソンがどんなに挑発的に歌ったとしても、やはり「Break on through (to the other side)」は「Break on through」だ。Rockは皆を煽り、共感し、一体化するかもしれないが、根本的なところでその曲を裏切ることはない。
その曲の中で、どのように自らの「魂」を輝かせるか、「感情」を注ぎ込むか、そういったものが問われているのだ。
しかしそのことはRockの有り様を難しくもする。果たして「Rock」と「JPOP」の境界線を明確に引くことはできるだろうか?アーティストの魂を感じるような楽曲やLIVEと「(何となく)みんな一緒だよね」的な、馴れ合いにも似た楽曲との違いを明確に区別することは可能だろうか。観客を真の感動、魂を揺さぶるようなLIVEとただ一緒に楽しんだというだけのLIVEの違いを語ることはできるだろうか。
もちろんできる。しかしその一方で、多くの人にとっては後者の方が居心地がいいというのも事実なのだ。そうした「馴れ合い」や「凡庸さ」、あるいは「商業主義」との境界は、今どきのアーティスト自身にとっても曖昧になりつつあるのかもしれない。否、そんなことを気にもしていないのかもしれない。
そしてその結果が、どこかで聴いたことのあるフレーズ、何となく慣れた感じのメロディが繰り返され、90年代~0年代のアーティストの曲がもてはやされ、そうした曲のカバーが乱発される。新しい魅力のない世界が繰り返される。
しかしJAZZは違う。JAZZはそうした「馴れ合い」を拒否する。繰り返されるリズム、繰り返されるメロディ、そうした「コード」の重力からの逃れようとする。ちょっとした間のとり方でリズムを崩し、アドリブを歌い上げ、楽譜を無視して進行する。
それは常に僕らを取り込もうとする「メロディ」との対立であり、それは「予定調和」や「凡庸さ」「馴れ合い」あるいは「日常」の根底に存在する「安心」や「平穏」というものから、どのように「精神の自由」を維持するかという問題だ。JAZZはそうしたものたち(=「コード」)からすり抜け、自由を求めようとする。そうした重力の裂け目へ抜け出す瞬間こそがJAZZの魅力だといえる。
もちろんこのライブでそこまでの大仰なことは期待できないわけだけれど、それでもやはりJAZZはいい。SAX、トランペット、ギター、キーボード、ベース、ドラムの6人編成。革新的といわないまでも、SAXは感情を爆発させ、その重力からの脱出を図ろうとしていたし、ペースも「自分の時間は楽しませてもらいます」って感じで自由に弾いていた。キーボードも軽やかにさりげなく遊んでいたし、それぞれが「遊び」と「セッション」をうまくつなげていた。
JAZZには「共感」というものは少ない。それはJAZZが「個」を中心とした集まりであり、観客もその「個」の演奏や技術に対しての「敬意」によって成り立つからだ。
まぁ、個人的には「枯葉」はもう少ししっとり気味に入って欲しかったけど…
4曲ほど楽器だけでやり終えたあと、女性ボーカルが入って3曲を演奏。女性ボーカルはしっとりといかにもJAZZ風に歌い上げ、周りでは拍手喝采。ただ個人的にはやすり日本のJAZZボーカル、特に女性JAZZボーカルというのはどうも好きになれない。
日本のJAZZの女性ボーカルというのは、何だろう、さっきのバンドマンたちが「自由」を求めていたのに対し、どうしても「JAZZボーカル」という「型」に囚われている気がする。軽やかにムードを作り出す。それはそれでいい。しかしそれ以上の何ものでもない。
女性ボーカルというと、UAやEGO-WRAPPIN'の中納良恵なんかの方がずっと魅力的だし、絢香や吉田美和、Misiaなんかの方がうまく歌い上げそうな気がする。否、上手い下手といった問題ではなく、そのスタイルが「型」を超えて存在しそうな気がするのだ。
JAZZの醍醐味はやはり「予定調和」な世界を超える瞬間にこそあるのだ。
Janis Joplin - Cry Baby (live in toronto 1970)
The Doors - Break On Through (To the Other Side)
UA 雲がちぎれる時
Ego-Wrappin' くちばしにチェリー
EGO-WRAPPIN' かつて
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