ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

噛み合わない話。ペルソナ。Wantとshould。

2011年09月17日 | Weblog
働いていれば一度くらいは経験したことがある何となく噛み合わない会話。互いに相手の言わんとしていることはわかっているのだけれど、落としどころがないというか、折り合いがつけづらいというか、引っ込みがつかないというか…

職場の上司と話をしているとよく「で、君はどうしたい?」と聞かれる。そんなときの僕の応え方は決まっている。

「こうすべきだと思います」

この答え方にどうも納得しない人がいる。それは内容の是非ではない。答え方そのもの、客観的な感じもしくは本人の意志を感じさせない物言いが納得できないのだ。彼らは「こうすべき」ではなく、「こうしたい」「こうしましょう」を求めている。

何だ単なる言い方の問題かと思う人がいるかもしれないが、そう単純な問題ではない。それは物事に対するスタンスの問題であり、大げさに言うならばアイデンティティの問題でもある。「あなたは何をしたいですか」と聞かれた時の「あなた」とは一体誰を指すのだろう?もといあなたの中のどのペルソナを指すのだろう?

仮に実体としては1つの人間だったとしても、人はその置かれている状況や立場、コミュニケーションをしている相手によっていくつもの人格・キャラクターを作り出す。それを心理学では「ペルソナ」と呼ぶ。部下を前にすれば「しっかり者」であろうとするかもしれないし、彼氏の前では「甘えん坊」になるかもしれない。お客の前だと「低姿勢」だったのが、発注側になったとたん「高圧的」になるかもしれない。

そうした矛盾した複数のペルソナを僕らは1つの肉体の中に閉じこめている。

そうした時、「あなたは何をしたいの」の「あなた」は果たしてどのペルソナに尋ねられており、どのような答えを求められているのだろう。

もし仮に「営業担当」として顧客にどういう戦略をもって進めていこうとしているのかを聞きたいのであれば、「営業担当」というペルソナに「Will」を聞くべきであってそれは「わたし(I)」の「Want」とは限らない。いや、むしろ戦略という観点からは「Will」の方が適切だろう。サイトの「プロデューサー」というペルソナにそのサイトを賑やかにするためにどうしたらいいかを聞きたいのなら、それは方法論についてであって、本人の「Want」とは限らない。Jazzが好きな音楽サイトのプロデューサーがいたとして、個人的にはメジャーなアーティストやAKBを外してJazzの特集を組みたいっといっても、それはサイトを盛り上げることには繋がらない。

少なくとも仕事において「あなた(I)」の「したいこと(WANT)」が対象(IT)に対しての「すべきこと」「戦略」「方法論」(should)と合致することは少ないだろう。

もちろんこうしたものが合致することもある。それはそれだけ「あなた」自身が「仕事」に夢中になっているときであり、仕事における「結果」の実現=「WANT」の場合だ。自分がこうしたケースに当てはまるという人は幸福な人だろう。

そんなこともあって「should」で答えるのだけれど、「WANT」を求める人からはもの足りなさが残る。彼らが求めているのは、結局のところ、「熱さ」だったり「忠誠」だったりするのだ。そこから独立的なもの言いには納得できないのだろう。

もう1つ、部下に対して「Want」を求める人たちの中で、同様に自身の「Want」を語れる人は果たして何人いるのだろうか。

1度、そんな話になったので、「僕に『Want』を求めないでください。むしろあなたの『Want』があれば、それを実現するための『Will』を考えます」と応えたことがある。しかしそのときに返ってきた言葉は、

「君たちが何をしたいかが大事なんだ」

まぁ、それを応援してあげるという意味合いで言われたのだと思うのだけれど、本人が「Vision」を語れないもしくは「部下が働きやすい環境を作る」という間接目的的なVisionは、どこか無責任さを感じさせる。結局のところ「Want」だろうが「Will」であろうが、部下に言わせるだけで自身は安全地帯にいるのでは、と感じさせるのだ。それよりは「一緒にどうするべきか考えよう」と言ってくれた方がよほど一体感が生まれる。

このあたりのもの言いや感じ方は、結局のところ、それぞれの人の性格だったりによるのだろうが、だからこそ合わせにくく、かみ合わないままになってしまうのだ。



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