黒ラブ ロックが行く

生まれつき肝臓が普通の犬の4分の1しかない、小さい黒ラブと、家族のお話です。

黒ラブは順調に成長していますが、、、、、、!

2020年09月09日 | ぼやき
毎日33度などという恐ろしい暑さの中で、エアコン20時間活動中でございます。
産まれて初めてのことです。こんなにエアコン点けているのが。

ティートも我が家に来て早3カ月と15日、トイレトレーニングも完璧にこなし(時々は失敗もありますが)順調に育っていると思われるのですが、夜泣きがすごい。
早朝3時、泣く。早く収まってほしいものだ。

乳歯も抜け、


まあ、こんな格好も嫌がりながら受け入れてくれて


綺麗に永久歯が生えてきています。


このために犠牲を払ってくれた四角い板が角なしに。


台所進入禁止の板がボロボロに、先代犬のロックだってこんなにかまなかったのに。


食器棚の角が無残な形に。


今はもっと角が無くなっていますが。


黒ラブと言えばいたずらっ子、仕方がないかしら。

早く涼しくなってお散歩いっぱいしてあげたいな。

日々大きくなっていきます。

2020年07月17日 | 黒ラブ
産まれて111日目。
家に来て55日目。
どんどん大きくなっている。
こんなに小さかったのに、今はここからあふれ出ている。


まだお散歩ができないので、孫のベビーカーに乗り、落ちたら困るのでちょうどあった袋の入れて。


こんな塩梅です。俺イケてるか?


家の中ではやんちゃ満載!カーテンがもうボロボロです。


椅子だってかわいそうなことになっています。


こんな格好で寝て誰かに襲われたらどうするの!   孫にはちんちん丸出しと指摘されていますのだ!!

同じころのロックとティート

2020年06月19日 | 思い出
家に来て26日目のティート。

同じころのロックとティート。
悪いが、ロックの方がかわいく見える。
ティートも可愛いが、、、、、、、。

ロック


ティート

後ろのトイレシーツはご愛敬!

ティートの方がずいぶん大きいと思う。

青い目のロック、黒い眼のティート、今日雨でなければワクチンを打って、お散歩デビューに備えるつもりだったけれど、大雨で無理。

明日以降だな。

今日は6月9日 ロックの日

2020年06月09日 | 黒ラブ
今日はロックの日!
ロックはもういない!

ティートがいる!




度々ロックと呼びかけると、孫が怒る!

ロックじゃないもん!!
カップボードの隙間が大好き。






そんな6月9日。家へ来て15日目産まれて71日目、。孫家のティートではあるが、育てる楽しみ再び味わっています。








昨日、アベのマスクが届いた。山谷事務局に寄付する予定。困っている人に。

テレワークでマスク使わないから全然減らないし、50枚1000円位まで値段下がってるし。
だれも住んでいない空家でも、郵便ポストさえあれば入れているらしい。
雑居ビルの夫の会社のポストにも入っていた。
株式会社〇〇と書いてあるポストに2枚。

大丈夫か?アベ政権!

新しい家族が来ました。

2020年05月24日 | 黒ラブ
ロックが逝って3年。
孫がずーっとロックに会いたいと言い続け、娘も黒ラブが欲しいと言い続け、とうとう、今日新しい家族を迎えました。

俺の名前はティート。よろしくな!!


早速始めたおいた。今日はここまでにしてやるぜ!!


16年前を思い出しながら、楽しんで子育てしていきたいな。

2020賀正

2020年01月01日 | 日記
2020新年明けましておめでとうございます。
今年はちびっとな、生け花で。


その代わりではないけれど、今年は豪華なおせちになりました。(うそ)ぼんやりしていたら、頼むの遅くなって、でも美味しかったから。


孫は相変わらずマイペース(でって、誰の孫?私の)


今年初の日本酒は、南部杜氏熟練純米酒 あさ開     美味し!


あたしの今年の目標は、ドフトエスキーの”罪と罰”を完読すること!!

と、あーちゃまが言ってましたとさ!!

2020元旦



モロッコへ行ってきた・

2019年12月17日 | 旅行
早いものであれから一月が過ぎた。

なぜモロッコへ?

春にスカンジナビア半島に行った時の旅行会社から、パンフレットが送られてきていて、何気なくめくっていたらモロッコがあった。

しかもおひとり様参加と、普通な2人参加で一人参加分として3~5万以上追加しないとできない旅行。

試しに夫にモロッコ行ってみない?と聞いたら、忙しくて休めないとのこと。

じゃあ、一人で行ってくるよ!

いけばは?

かくて決定!

11月11日から18日までの、おひとり様限定モロッコ周遊8日間。

パンフレットには書いていないが、私が言うところの”弾丸ツアー。”

モロッコ何しに行ってきたの?と聞かれたら、もれなく、駱駝とバスに乗りに行って来たのと胸を張って答えられる。

玄関にひと月近くも放置されている、フェズの皮組合で買った、夫土産のスリッパ!


ウッドデッキにひと月近くも放置されている、フェズの皮組合で買った、私用のスリッパ!


この謎は、おいおい解き明かされていくでしょう。

友人がまた一人鬼籍に入った。

2019年12月13日 | 日記
あれから2カ月近くたつわけだけれど、10月に会ってきた友人が7年間の癌闘病の末、12月1日に亡くなった。

元気な時はこれでもかっと言う位痩せていたのに、10月に会った時はまるで別人のように浮腫んでいた。

彼女のお兄さんが、見たらきっとビックるするぞ!と言う位浮腫んでいた。

高校の同級生同士で結婚して、とっても仲良しだった。

電話がかかってきて、色々な話をした中で、彼が、俺の名前ミツハルとフルネームで呼ぶの、サチコだけなんだよね。ほかの友達は、みっちとか、みっちゃんって呼ぶのに。
と、私が帰った後に話をしていたんだよと。

気丈な彼女は笑いながら話してくれた。私も笑いながら話をした。

高校の同じクラスでで鬼籍に入ったのは、知っているだけで4人。

結構仲良かったから、、、、。クラスメート。

まだそんな年でもないのに。と。

夫も会ったことある友人だったので、、訃報を聞いた夜は、二人で静かに献杯をした。


最後の夜は仙台で、牛タン!!

2019年12月13日 | 東北エリア
10月19日旅行最終日。本当は10月22日に帰ろうと思っていたのだけれど、大嘗祭があって、首都高も車制限されると言うし、少々お疲れもあったので、20日に帰ることにした。

仙台は3回目。

ホテルを取って、牛タンの美味しいお店を聞いたら、牛タン店のマップをくれた。

マップに載っていない美味しいお店近くにありませんか?と聞いたら、善次郎さんならマップに載っていないけれど美味しいですよ。と、教えてくれた。行かないと言う選択肢はない。

なんと並んでいる。地元の人が多かったような気が。

何はなくとも牛タン焼き!


次は牛タンのつくね!


そして生かまぼこ自分焼き!


ビールの後は日本酒3種飲み比べ!

食べたいと思ったものを自在に頼んだら、あら食べきれるのかしらん。
隣に座っていたお兄さんに、よかったらつくねとかまぼこ食べてもらえません?と聞いたら、良いんですか?良いんですよ!

年恰好も長男と似ているし、地元の方?と聞くと、秋田から仕事で来ていて、今日帰るので牛タンを食べにに来たとのことでした。
しばし、袖振り合うも他生の縁の境地でお兄さんは帰っていきました。

お次はお土産自分と家族の為に!

仙台駅で買いましたよ。遠くへ行くのもめんどくさかったし、駅なら何でもあると思ったので。

牛タン!牛タン!牛タン!


北海道の土産!!


兎に角酒!!
留萌の国稀、仙台の浦霞、萩の鶴、ひやおろし、そして、従妹の麗ちゃんがくれた美苫
お酒の好きな私の為に買っておいてくれたんです。

美味しかったよー!! ありがとうねー!  また会おうねー!


10日間の新潟、ほか移動東北の旅も20日昼過ぎに無事帰宅、総走行距離2000km大したことなかったね。

いつもだと3000km以上は走るのにと、思いつつ旅は終了。

今回も事故、事件一切なく帰宅でき、めでたし、めでたし。








35年間思い続けてきたこと。

2019年12月12日 | 東北エリア
師走もすでに3分の一を経過。例年なら大掃除に燃え上がるのだが、今年はさっぱりです。


さて、10月19日、35年間思い続けてきた友人のお墓参りをなんとしてでもしなければならない。

35年前、不幸にして子供3人と亡くなった友人のことがずーっと心に引っかかっていたので、今回はなんとしてでも実行したいとの強い思いがあった。

前回2回来たときはロックと一緒で、宿もなかなか取れず、震災のすぐ後だったので、尋ね歩くのもはばかれたので。

おりしもバケツをひっくり返したような大雨の中、昨日の夕方住所を頼りにたどり着いた街に。


前日は、台風19号で道路が崩れたり、土砂崩れで半分道路が埋まっている道を、夕方の薄暗の中を探していった。暗くなったので捜索は無理と思われ、そこにいた人に宿はないか聞いてみると、15分くらい行ったところにホテルがあると教えてもらった。

で、ホテルに行くと予約オンリーなので、泊められないと。向かいの民宿は?と、聞くとあちらも予約だけですので無理だと思います。宿は大船渡市内に行言われ、大船渡まで40分くらいかけて戻ったのでした。


ホテルを8時に出発し、9時前に到着、無くなった方のことを聞くのはお寺が一番と思い、お寺を発見。

土砂降りの中、お墓を見てみるがわからず、思いきってお寺に尋ねてみた。

35年くらい前にお子さんと一緒に亡くなった方のことを探しているのですが、と、するとどういうご関係ですか?と、聞かれた。中学校2年の時に北海道に引っ越してきて、それから高校と同じ学校でとお話をしたら、自分はよく覚えていないので、知っている人に連絡してみますので待ってくださいと。

結構昔のことではあるのに知っている人がいて、住んでいたのはここでしたが、葬儀告別式はここから40分くらいのところでした。と、住所、電話番号、お寺の名前を教えていただいた。

そこから40分位雨は止むことを忘れたかのような土砂降り。あちらこちら赤いコーンで
土砂崩れの場所や、道路陥没の場所を印してあった。

やっとのことで着いたお寺は急な斜面の途中にあり、道路はまるで滝のようになっていて、一度は車で登ったのだけれど、止めるのも恐ろしいくらいの場所だったので、何とか下りてコンビニの駐車場にお願いして止めさせていただいた。

震災の時はどうでしたか?と聞くと、この店まで海が来て流されました。でも、お隣は大丈夫だったのですよ。と、話してくれた。

大雨で傘も今にも折れそうなくらいのヘビーレイン。

何とかしてお寺までたどり着き、距離にして10m位なのだけれど雨がすごくて。

御寺の住職にお話をすると、どんな関係ですか?と、聞かれたので友人でしたとお話しし、突然ですが彼女の為にお経をあげていただきたいのですが?と言うと、突然ですねえ、いいですよ、と、言っていただいた。

本堂でお待ちくださいと言って、暖房点けてくれたり、ご自分の支度をしている間にお墓の場所まで探してくれました。

お経を頂く間彼女とのことを思い出していました。

当時、僕は学生で高野山に行っていたので葬儀の取り扱いはしませんでしたが、聞いたことはありました。と。

当時のご主人は、宗教替えしたので、こちらのお寺にも来ることはないですね。と言ってました。

彼女のお墓参りをしたいと思ったのは、本当に個人的に深い思いが彼女にあったのでいつかは、と思いつつ、やっと35年ぶりにでも実現できて、胸のつかえが下りるました。

中学3年の時、アポイ登山、5合目にて。


やまない土砂降りの中、教えていただいたお墓に行き、お参りをしました。

お寺のお墓も、19号の影響で物置が倒れ、たくさんのお墓が下敷きになっていた。

土砂降りの中、仙台へ向けて出発。

早くも師走3日目。することしなければ!

2019年12月03日 | 東北エリア
何なんだか、忙しくもないのにぼんやり過ごしていたら、もうあと28日しかない!!
今年!!
10月17日は何十年も会っていなかった幼馴染と再会。その後苫小牧の従妹の家でフェリーの時間まで過ごし11時58分の八戸行に乗船。
翌朝7時無事八戸へ到着。

10月18日。晴天。
三陸リアス式海岸を走って大船渡へ。

ところが宮古市へ入ったら道路わきに災害ゴミと思しき家財道具がいっぱい出されていた。
どうやら台風19号とその後の大雨で浸水に見舞われたみたいで。

その後三陸自動車道に入るとあちこちが通行止め、中にはトンネル崩壊とかもあって、迂回、迂回ばかり。完全開通していないので、料金はタダだったけれど。

道の駅たろう。台風の大雨で川が流木でせき止められ道の駅冠水。従業員総出で椅子を洗ったり、掃除をしていた。それでも来る人の為に、仮設のトイレを用意していてくれた。
営業再開まで2週間くらい掛かりそうだと。
又せっかく開通した三陸鉄道も、至る所で寸断されてしまったとのこと。


途中、父の従妹の家に軽く挨拶をし、地震の後にはこんな巨大な堤防が築かれていて、もう海が見えませんとおばあさんが言っていた。


あまちゃんで有名だった此処も、”じぇじぇじぇ”が流行語大賞になりましたとの石碑が建っていたけれど、季節外れもあるのでしょうが、漁師さんだけでした。
此処もジオパークです。



陸前高田の道の駅、そのままの状態であった。メモリアルとして保存してあった。

隣には立派な道の駅が

そして、今回どうしても行かなければならないと思ったところへ、そこは大船渡。

住所録を頼りに大船渡市内をウロウロ、やっと見つけたときにはすでに薄暗くなっており、その日は大船渡市内に宿泊しました。

ホテルの近くの陸前高田で8年前に被災したと言うお店で夕食頂きました。


10月19日、外は土砂降りの雨。又あの道を通っていかなければならない。


大船渡駅前はは、地震の時壊滅してしまったので、今はきれいに地盤整理がされていて、なんだか違和感さえ覚えてしまいました。

8年前にも来ていたので、よくわかる。


もう一度登りたかったアポイ岳

2019年11月10日 | 旅行
10月16日
今度北海道に行ったら絶対アポ岳に登ろうと決め、このために、なんと準備期間3カ月を要した。
一日1万歩を目標にウオーキング、さらにはリュックに500mlのペットボトル2本を入れてトレッキングシューズで一万歩、小高い丘を登ったり下りたりを三往復、準備万端の上登頂目標時間2時間30分、下山含めて5時間の予定で出発した。

随分来ていないが、知らない間に世界ジオパークに認定されていたのね。
中学や高校の時は遠足でよく登っていたけれど、さてさてどんな結末になるやら。


最後に来たのは母が60歳の時一緒に来て、母は5合目まで何とか登ったけれどその先は断念。それを越えなければならない。母の年はずいぶん前に越えたけれど。


予定通り8時出発、わたしの前には、6時と7時に入山届が出ていた。


蝦夷鹿がお出迎えしてくれたがカメラが間に合わず、でも、すぐにエゾシマリスがお出迎えしてくれた。目の前で5分ほども木の実を食べていた。鳥さんも来てくれたがカメラアングルを調整しているうちに飛び去ってしまった。


こんなとこやあんなとこを登り5合目に40分くらいで到着ほぼ予定通り。


バックには太平洋。トイレ設備がないと言うので水分は最小限に抑え、チョコ、アメをエネルギー源にして、まだまだ余裕。


良い眺めだなあ!


さて気を取り直して再び頂上へ向かってGO! クマよけの鐘をカアアアアアン!!!


毒蛇にどうやって注意すればよい?


ごつごつとした岩山を登り、アップダウンの馬の背を乗り切り、


さてこれからが大変なところ。こんな岩にしがみつきながら頂上を目指す。


ここも大変なところ足場を確認しながらよじ登っていく。ロープがあれども、つかまってはいけないロープ。ここから踏み出てはいけないと言うロープなのです。昔はなかったような?


登ること2時間40分やっと頂上に到着!! 5,7キロ、140階、8477歩


ああ、疲れた!!って違う写真。たぶん中学生くらいの時だと思う。


やったーーーーー!! まだまだ余裕あるよーーーーーー!!


頂上でっす!!


さて下山は花を眺めるなどの余裕も出てきて、


花には詳しくないが特定高山植物だと思う。


日高山脈に連なるアポイ岳は日高山脈襟裳国定公園にずいぶん前からなっていて、子供のころから植物は取ってはいけないと言われていたから、見るだけで十分なのだけれど盗掘する人がずいぶんいるんだね。


ここで咲いている植物はここでいろいろ変化して生きているのだから、他へ持っていっても環境が違うとかれちゃうと思うけれど、取る人いるんだ。


下りにさっきの岩ごろごろを降りるにはちょっと厳しく思われ、お花畑を回っていこうと思った。


やっとここまで下りてこれた。


こんな看板が至る所にあります。

下りは2時間の予定だったが、危機回避のため遠回りしたので、ちょっと余計に時間がかかり5時間30分トータルでかかった。
19189歩 155階 スマホの万歩計ではこうなっていた。




お懐かしい親子岩さんを眺めつつ、従妹を訪ね友人と会うため再び浦河町へ。


友人夫婦のお宅で2時間ほどお喋りをして、夕食を誘われたけれど病気の友人が辛そうだったので、お暇することに。
じゃあ、これホテルで食べてと、サンマのお刺身をくれた。彼女のお兄さんはお魚屋さんで
お刺身作ってくれたんだって。これが美味しく、とろけるくらい甘かった。もう、こんなおいしいさんまの刺身にはお目にかかることができないだろう。


その後ホテルの近くのお店で、ばばがれいの煮つけ。


まつぶ貝の煮物。地場産いろいろ食べました。


次の予定は苫小牧から八戸へフェリーで行、その後ずーっと8年半、気になっていたことを自分で確かめるために東北エリアを走ります。


今日はこれからモロッコへ行くので、続きは書けるかしら。又、ハワイの二の舞になったりして。

では、行ってくるなり!








生まれ故郷の浦河町へ。

2019年11月10日 | 旅行
10月15日
朝、帰る夫と北大の構内を散策。
有名なポプラ並木はまだまだ紅葉には遠かったが、見事。懐かしかった。観るのは40年以上ぶり?


ちらほらと色が赤くなってはいるが。


ナナカマドだけが、少し赤く色づいていた。


通用門の美しい並木、たくさんの観光客がいたし、札幌駅からほんの5分。すてきなところです。


夫を千歳でリリースし、生まれ故郷の浦河町へ。

もう一つの目的でもある、中学時代の友人渡辺一馬の牧場寄ってみる事。。
一馬と呼び、〇〇埼と呼び合う中で、中学時代はテストの点数なども比べ合う位だったが、彼は牧場の跡継ぎになるべく、東京の駒場高校で蹄鉄の勉強するため、地元を離れその後は何度か会うこともあったが、この新聞記事を見るまで思い出すこともなかった。
今から5年前の読売新聞の夕刊紙に載っていた記事。

天寿を全う養老牧場

12歳年下の奥さんと結婚するにあたり、犯罪だとみんなにやきもちを焼かれたそうだ。


10年ほど位前に生産をやめ、今は引退した馬を預託で預かっていると話してくれた一馬は、中学校時代とほとんど変わらない純粋は表情で、話してくれた。誰だかわかる?と聞いたら、一瞬考えていたが5秒ほどで、〇〇埼さん?とわかってくれた。私も変わりなく純粋な表情だったらしい。(大うそ!!滅茶苦茶ばばあになってるのに、(笑))


秋の夕暮れの北海道の牧場。リタイヤした馬が草を食むっている。


穏やかな夕暮れ。小一時間ほど昔話や牧場、奥さんの話をしてお別れ。


夕刻、ホテルの近くを散歩しながら懐かしさに浸っていると50mほど先に何かがいる。
よくよく目を凝らすとぼんやり見えたのは蝦夷鹿、向こうもじっとこちらを見ていた。ので銅像かなにかと思っていたら、耳がぴくっと動いた。街の真ん中ですけど。


懐かしい夕焼けを、ホテルの窓から。


夕食は、夢にまで見っていたまつかわ(かれいの一種)のお刺身、ボタンエビ(赤エビではない)のお刺身いただきました。


タコの唐揚げにジンギスカンの竜田揚げ。昔憧れていた高校の先輩のお店で食べました。

先輩は、今やただのくたびれたお爺ちゃんになっていた。


ジンギスカンは北海道人のソウルフード!
ジンギスカン鍋、買っちゃいました。重かったけれど車だから。


美味しいものたらふく食べて、明日の為に英気を養いました。
明日はこの旅行の第一目的、
アポイ岳登山に臨みます。

昔は陸の孤島と呼ばれていた。雄冬。

2019年11月07日 | 旅行
10月13日
5時半にフェリーは小樽港へ入港。
どこか朝食、食べられそうなところを探すも、なし!
石狩郡厚田の両親のお墓参りをし、今回の旅行の目的の一つ、雄冬へ。

今でこそ立派な道路ができているが今から40年以上前に来たときは、増毛から船に乗らなければ来られないような偏狭の地で、陸の孤島と呼ばれていたのだ。

そして、その道路を作るのに莫大な費用が掛かり、この道路を襟裳岬の黄金道路に習いダイヤモンド道路と、呼ぶらしい。


今ではすっかり良くなったつり橋を渡り、途中の見晴らし台へと向かった。
美しい海と、青い空。


注意しろと言われても吊り橋の間から出てきたらどうやって逃げればよいのか?


さらにこの上に灯台があるのだけれど、吊り橋が壊れていて行く事が出来なかった。


40年以上も前は、吊り橋もなく山道を分け入って、灯台で飯ごう炊飯。(うそ、お湯沸かしてカップ麺食べただけ)

若っ!


雄冬の築港をバックに。


40数年後。年取ったねえ。


増毛で見つけたのがこの酒屋。 国稀。酒飲みはすぐに入る。


かなり古い酒屋で、建物も充分趣いっぱい。買いましたよ。日本酒2本。


昔使っていた秤。私は使っているのを見たことがある。


クマも飲むらしい日本酒!なぜ、くまもんが。


増毛は何かのフェスティバルをしていたらしく、結構観光客が来ていた。
昼食は、やっぱり港町と言えばお寿司でしょ。

このちらし寿司がすごい。ご飯がなかなか見つからない。
おおとろ、数の子一本、カニ足一本、うに、赤ウニ、いくら、豪華そのもの。美味しかったああああ!!


近くのお店にいた黒ラブ。ロックと呼ぶとこっちを見てくれた。


今夜の宿は、留萌。留萌港にあった光の塔。


ホテルで教えてもらった居酒屋、大将軍。混んでて美味しいもの食べたけれど写真撮り忘れ。お刺身も美味かった。



10月14日
一路札幌へ、途中で見つけた北海道ワイン株式会社。
鶴沼ハーベストスペシャルキュヴェヴァイスブルグンダー2010(白・辛口)ご購入。


午後札幌到着。ラーメンは外せない。姉の施設の近く(隣)竹岡ラーメンみそ味。そこそこ食べやすく私は好き。


姉をお見舞いして、今夜は札幌駅前のホテル泊まり。
ホテルで教えてもらった今夜も居酒屋。


このホッケ、クラシックの中瓶より大きかったので比べてみました。


ジンギスカンに日本酒合うんだなあ、これが。


お酒も美味かった。











北海道へ行ってきた。

2019年11月06日 | 旅行
北海道へ3年ぶりに車で行ってきた。ロックがいなくなってから車で行く事はもうないと思っていたけれど、新しい車にも北海道を見せてあげようと言うことになり、夫と出掛けることにした。

ただ出かけるのもつまらないし、今年は新潟からフェリーで行こうと。ついでに新潟で温泉でも入ろうかと計画したのは9月の始め。
そして10月11日、休みを取った夫と出発。が、大型の台風が近づいてきていて、フェリーも金曜日の昼頃でないと出港できるか判らないとのこと。

ままよ!最悪新潟で温泉につかっていればいいし!フェリーも宿も支払い済んでるし!!

新潟へ行きながらニュースを見ていると、次々に悪いニュースが飛び込んでくるし。

高速道路が通行禁止になり、新幹線も止まるし、でもフェリーは予定どうり出港とのこと。

災害にあっている人には申し訳ないが、ひと月も前に申し込んだフェリーだし。
家のことも心配だったけれど、犬友に点検をお願いしてあったので、それはそれなりに。

2時過ぎにホテル近くに着いたところ、まだ早いねと言いながらホテル方面に向かっていると、道路わきに”市島家”の看板があり、時間もあるしちょっと寄っていこうかとなり、フラット入ってみた。


市島家は丹波に発する家系であり、慶長3年(1598年)、溝口候の新発田移封に伴い、移封に伴い、加賀大聖寺より随従して以来、次第に栄華を極めた。宗家は居を五十公野(現新発田市)、水原と移すが、水原時代は福島潟の干拓を中心に蒲原平野の開発に努め、ついには北越有数の1,000町歩余りを有する大地主、豪農となった。
その後、戊辰の役に水原の邸宅は兵火により焼失したため、十世七代徳次郎(静月)は、現在の地に新たな市島家本邸を造営した。
建物は、明治初期の代表的住宅建築として簡素優雅の作風を示し、これを囲む回遊式の庭園は、自然の風致に富み、広い池を取り巻く樹木はそれぞれの四季を映している。
昭和37年(1962年)3月、市島邸の十二棟一構が新潟県文化財に指定された。

敷地8000坪には、広いお屋敷が渡り廊下でつながれており、なんとお茶室が3つもありました。


家族の部屋。とにかく広い。パンフレットなくして何畳間か。


勘定部屋。


ご主人様の書斎。


この先にはお茶室。


見事な庭園。紅葉になったらどんなに素晴らしいのか。




今夜の宿は、風鈴屋。お好みの浴衣で管内を歩けると言うはやりの温泉でした。
ネットでリニューアルと書いてあったので選んだ。
お風呂は良かったし綺麗だった。部屋はそれなりに。でもネット申し込みのお部屋よりはこちらの方が良いのでと言って、同じ料金で少々高めのお部屋に変えてくれました。ラッキー!!

食事もセットではなくアラカルトで選べるのを選んだので、(宿にある居酒屋)好きなものを少しづついろいろ食べられた。特に姫牛の食べ比べ。美味し!



12日は台風の被害のひどさをニュースで見ながら、新潟港から定刻12時に出発。
新日本海フェリー、あざれあ、ステートA、15,440円。

早速船内探検。
トレーニングマシーン有りの


きれいなお風呂、勿論入りましたよ。揺れる船の中でお湯がジャバーーンと。


露天風呂、勿論入りましたよ。どうか海に投げ出されませんように!!


サウナ、勿論入りましたよ。気持ち良かったーーー!


ビンゴゲーム、勿論参加しましたよ。一つもビンゴなしだったけれど。


色々フェリー乗ったけれど、こんな良い船は初めてだった。犬同伴室もあったし。

台風の前、前と航海していたが、最終的には1時間ほど遅れて、小樽には午前5時半に着いた。