黒ラブ ロックが行く

生まれつき肝臓が普通の犬の4分の1しかない、小さい黒ラブと、家族のお話です。

平成18年12月31日

2006年12月31日 | 黒ラブ
今年もあと少しで終わろうとしています。
思えば僕がこのお家に来てから早3年になろうとしています。

1年目は、靴下を食べて、4時間半にわたる大手術をして、お父さんとお母さんに心配をかけた。

2年目は、生まれつきの肝臓病がわかって、薬を3ヶ月ものみ続け、そしてご飯が治療食になってしまった。

でも3年目の今年は、何事も無く無事に過ごせたと思う。
あっ!狼詰めを折ってしまい、またまた心配をかけてしまった。

でも、お父さんとお母さん、お姉ちゃんやお兄ちゃんが僕のことを好きでいてくれるように、僕もみんなが大好きです。

だけど拾い食いの癖だけはどうしてもやめることができません。
誰か教えてください。

昨日も変なものを食べてお父さんに心配をかけてしまいました。

こんな僕のブログを見てくださっている方がいると思うと、話題の提供は必要だと思うので、ほどほどに頑張ろうと思います。

来年もよろしくお願いいたします。
     

後6分で新しい年が来ます。
世界中のワンたちが幸せでいられますように。

byロック

平成18年12月30日

2006年12月30日 | Weblog
今年も後24時間と30分。
いろいろなことがあったなあ。

今朝の散歩のとき見つけたのは、大好きなサッカーボール。
     

くわえて散歩。
一生懸命歩く、歩く。
     

こんな時だって離しません。
      

ところが一度飽きてしまうと絶対にもちません。
しらんぷりぷりです。
      

今朝は一段と寒かったので氷は張っていました。
いたずら心で、氷の上でリードを強く引いたら
つるつる滑っていました。
爪も何の役にも立たず、カリカリと氷の上を引っかく程度でした。
明日も寒いのかな。
      

今だに掃除も終わらず、新年の花を生けただけ。

あっそうだ。
お餅もついたんだ。機械が。

明日は台所を掃除して最後のおトイレ掃除をして、
ロックを洗って、、、、。
ふ~~~~。まだまだ沢山あるなあ。

でも、御節は作らなくてもいいから大丈夫だな。
いつもはお正月が来ると2日目から疲労で寝込んでいたけれど、
去年から友人の勤め先の御節をお付き合いで買うようになったので
少しは体が楽になった。

最初は御節を作らないことに対して少し後ろめたかったけれど、
美味しいし、体も楽だしみんなもいいといってくれたのでそうしています。

お正月まで後24時間と27分。
明日のために寝ようっと。

あっ!有馬記念が、、、、、、。

2006年12月25日 | 黒ラブ
娘の彼氏は競馬が趣味とか。
で、大枚1万円のへそくりをを有馬記念の為に彼氏に託した。

昨日の5時ころ娘からのメールが、

@全然だめだったって。お詫びにいっぱい買ってもらっちゃった。@

って、お詫びしてもらうのは、お母さんでしょうが。
お母さんに買ってくれなきゃ!





お兄ちゃん。
遊んでくれるのはうれしいんですが、
僕、苦しいです。

    

迷子犬

2006年12月22日 | 黒ラブ
日曜日の夕方娘が、迷子犬がいるといって駆け込んできた。
どこにいるのと聞くと、裏のお宅の駐車場にいると。
行ってみると、そのお宅の周りに入り込んでいた。
駐車場の扉を閉め、お宅にお話をして、いよいよ捕獲。

裏のほうから出てきたところをロックのリードにつないだ。
かすかに”ウー”とうなってはいたが、おとなしくしてくれていた。
何度かお座りを言ったが、言うことを聞かなかった。
きっと、シットでしつけられていたのだろう。

散歩のときにもあまりあったことの無い犬だったので、
この後は警察へ迷子犬として届けることにした。

娘と、彼氏が仲良く警察へ行った。
帰ってきて話を聞くと、1週間は保護してくれるけれど
その後は保健所で処分されるとのこと。
早く見つかると良いな。もう見つかったかしら。

   

もしロックが迷子になったらお母さんは何日でも会社なんか休んで探すからね。
もうすぐ3歳になるけれど、なんだかフケ顔になってきたね。

朝はだめよ。

2006年12月19日 | 黒ラブ
いつもは”行ってきます”をした後は遊ばないのだけれど、
ちょっと用事があって庭に下りたのが運のつき。

お母さん遊んでくれるんですね。

違うって。ちょっと御用が、、、、、、、。

助走をつけて、、、

アタック!!
ダンス!!
パンチ!!

違うって、ロック!! お母さんお仕事だから。

あっ!! 今日着たばかりのおニューに足型が。

ええいっ!!
最後の手段にボールを蹴って
”ボール持ってこい!!

”了解” 走っていった隙に家に入った。

泥だらけ。

”お母さんボール持ってきたよ。”

”ごめんお母さんお仕事だから”

”ちぇっ!! つまらん”(そんなような顔をしたように思えた。)
と言いながら(行ったような気がした。)外家に入っていった。

セーターを急いでタオルで拭いて自転車ふる漕ぎで駅へ。

もう洗濯するのか。昨日買ったばかりなのに。

トホホデシタ。

色は関係ないです。

2006年12月18日 | 黒ラブ
どうやら、色は一切関係ないみたい。

日曜日の夕方、ロックの散歩の用意をしている夫。

あれロックは?

玄関のほうにいるぞ。

やばっ!!絶対悪い事しているから。


やっぱり。お見事です。
色は一切関係なく、口に入りさえすれば良いんですね。

せっかく綺麗にしたのに。
もう、この花は買わない!!

今度は花です。

2006年12月17日 | 黒ラブ
お散歩のしたくをしているちょっとの間に、
また食われちゃいました。

あっという間に一個をたいらげ、二個目に挑戦中に
現行犯逮捕。
きれいに食べています。外側の硬い部分を除いて。
最近ご飯のときに、レタスやキャベツ、白菜を食べさせているので
味を覚えてしまったのかな。

いやいやそんなことは無い。
口に入れば何でもいいのだから。

   

と思いきや、紫のほうもなにやら食べたような後が。
こっちはどうやら味が気に入らなかったようだ。
好みはやっぱりあるらしい。
   

あ~あ。また買いなおしだ。

晩秋それとも、もう初冬?

2006年12月13日 | 黒ラブ
お散歩。お散歩うれしいな。

お母さん、写真なんか取ってないで
早くリードしてください。
真剣です。目が一点に集中して怖いって。


晩秋ですね。
ロックは落ち葉のカサコソする音が大好きで
わざわざ枯葉の中を歩き回ります。

うん。
その遠い目はなかなか渋いよロック。


後はひたすら匂いを嗅ぎまくるのみ。
誰のだ、この匂いは?
メイちゃんかな?夕鶴ちゃんかな?椿ちゃんかな?
それともシオンちゃん?
ひたすらクンクン嗅ぎまくるだけ。


今年も残すところ後半月。
年が明けると3歳になるね。
来年こそは病気も、怪我も、いやしい食い意地の手術も
ないようにね。

イタリア旅行番外編 パスタ

2006年12月11日 | 日記
イタリアへ行ったならばお土産はパスタ。
買ってきましたよ色々と。
ところがいつも行くお店にある。
ガアーーーーン!!
値段もほとんど変わりない。
ショック!!

その中で唯一無かったのはこれ。

全長1m。
太い。
ハンドメイド。湯で時間7分とかいてあったらしい。
(イタリア語はわからないが雰囲気で)
ところが15分くらいゆでないと硬くてダメだった。
湯であがりにはうどんみたいで失敗したかなと思ったけれど
これが意に反しておいしい。
しっとりとして、噛み応えがあり、例えて言うならば
讃岐うどんのような噛み応えがあったのです。
やっぱり本場もんはおいしい。

アドリア海の女王 ヴェネツィア

2006年12月07日 | 旅行
11月22日。いい夫婦の日。
ユーロスターにてヴェネツィアヘ。
   

およそ4時間で到着。あいにくの雨模様が一変して日がさして来た。
  

なんと美しい夕焼けが
”サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会”
を金色にそめて、まるで映画の一シーンのような
信じられない美しさでした。
   

そして、サンマルコ広場の鐘楼も夕焼けに染まり、
美しい虹までもがかかっていた。
こんなにきれいな虹を見るのも久しぶり。
   

泊まったホテルは、なんとん十年前に泊まった事のある
コンコルディア。なぜ思い出したかというと、エレベーターが
狭くて、ボーイさんが乗れず階段を走ってあがっていくのを見たとき、
あのときのホテルだ!!と確信したのです。

1687年?作られ2度ほどの回収を済ませたとか。
お部屋の壁紙とかは、きれいだったけれど、ベッドとか、たんすに
年代を感じさせるものがあった。
でも、お風呂、洗面所等水周りはすべて大理石。きれいだった
   

次の日は快晴。
サンマルコ広場ではとにえさをあげているおじさん。
子供たちもえさや利をするのですが、はとが集まりすぎて終いには
泣き出す子もいた。
   

この鐘楼の展望台へは、エレベーターで2分くらい。   
   

きれーーーいーーー!!
みんなが口々に叫んでいた。
上からサンマルコ広場を一望。
   

サンマルコ寺院を上から。
ヴェネツィアは、アドリア海の女王という別名があるそうです。
   

サンマルコ寺院を正面から。
モデルはいないほうがいいみたい。
   

リアルト橋から運河を見て。
モデルはやっぱり要らない。
  

ペギーグッケンハイム美術館
レトロな町並みの中に、突如出現した現代美術館。
   

リアルト橋から反対側の運河を望む。
モデルについては、コメントしない。
   

溜息の橋
地下牢獄があり、満水時には水牢担ったり、この橋を渡ると
2度とこの世に戻ってこれないといわれ、橋の小窓からこの世に
別れを惜しみ溜息をついたとの逸話がある。
   

ここに2泊して、町中をぶらぶらと歩き、ショウトパスタのお昼を
地元の人のお店で食べたり、ツアー旅行とは一味もふた味も違う
旅をしました。
夜は、バカリ(いっぱい飲み屋さんだけれど、食べ物も
お持ち帰り大丈夫だし)で好きなものを買って、ビールを飲んでと、
自由気ままにすごした。
一泊目はツーリストメニューと書いてあるレストランに入って
ひどい目にあったけれど。

そして最大のイベントは、夫がGマークのバッグを買ってくれたのだ。
日本にいるときは、そんなブランドなんかと言っていたのに、、。

やったーーーー!!

とうとう帰る日が来た。
早朝なので生きやすいところまで徒歩で行きそこからヴァポレット
という乗り合い船に乗って、空港行きのバスターミナルへ行った。

いろいろなお店の中を通っていくと早い時間なのに、結構みんな
働いていた。お店の前を掃除していたり、ウインドウを磨いていたりとか。

バスターミナルへついたら、バスが出たばかりだった。
まあ時間はあると思っていたら、頭にぼんぼりのついた
帽子をかぶっていたおじさんが
”空港行くのか?今バス出たばかりだから、次1時間は来ないぞ”
と、教えてくれた。
”ほかの方法はありますか?と聞くと”5番のバスがあると”
で5番でいくことに。
みんな親切で、すぐに声をかけてくれた。
ちなみに全部英語で、話したのは私。

空港へつき、そろそろなれた夫は、チケットを持ってカウンターへ。
ベラベラベラといわれて、固まってしまった。
何のことはない
"after PARIS"と、聞かれただけ。
なんていってる?
私にバトンタッチ。
”to NARITA”
パスポートとチケットを出して。
荷物は?  1個。  はかりに載せて。
機内持ち込みは? 2個。  見せて? はかりに載せて。
OK NARITAまで。アルデベルチ。
アルデベルチ チャオ。

これだけ。
終わった後に、”お前、感だけでやってるだろ?
”感だけだって通じるのがコミュニケーションなの!!”

ヨーロッパは機内に持ち込む手荷物検査が
非常に厳しくて、100CCを超える水上のものは持ちこめないのです。
乗り換え検査のところでは、500CCのペットボトルが没収
されるためみんなそこでたったまま飲んでいた。

格、夫も没収された。
私がすたすたいくと夫が引っかかっている。
イタリア語、フランス語、英語といわれて固まっていた。
夏は私もそうだった。
すかさず英語でというと、ボトルは捨てるといわれた。
OK。

そして、帰国の途へ。

土曜日11時過ぎに帰宅すると、誰もいない我が家で
ロックが、お帰りなさいの狂喜乱舞。

上から押し倒すは、前足で乗りかかるは、べろべろ攻撃は
するは、いやあ、大変だったのは10分くらい。
大好きな私の太ももに前足とあごを乗せ、クウクウと寝始めた。

娘からメールが来て、さびしい想い沢山させちゃったから
沢山遊んであげてと。

すぐお母さんはロックとお散歩。
お父さんは時差ぼけ解消のため、お昼ね。

また日常が始まった。

期せずして、3ヶ月の間にアドリア海の真珠と、
女王を見ることができた。

あまりにも良いことがありすぎた今年、あと少し自重していよう。

ポンペイ そして ナポリ夢の国

2006年12月05日 | 旅行
スペイン広場のカフェで食べた、昼食ホットサンド。
まあ、大きくて顔くらいはあったね。ビールでおいしくいただきました。
   

あけて、11月21日は、国内で頼んであった”ポンペイ、ナポリ”へ出発。
”みゅう”という旅行会社のバスは、15人のりの小さなバスに11人とこじんまりしたグループだった。
ほかのバスは5~60人くらいで、トイレ順番も大変そうだった。
ガイドさんは、それを見越して早めは早めの出発にしてくれた。

ローマから約3時間でポンペイに着いた。
あいにくの雨ではあったが、大降りにはならなかったのは幸い。

79年に、ヴェスヴィオス火山の噴火による火山灰で、一瞬のうちに埋もれてしまった都市。
18世紀に発掘されるまで、眠り続けていたのでした。
   

都市機能は非常に発達していて、下水道、上水道、車道(馬車)歩道があり、側溝も完備しているのです。
このトンネルは、向かって左(閉鎖されているほう)が歩道で、現在使われているのは車道側です。
   

歩道にはところどころ白い小さな大理石が埋め込まれていました。
それは月の光に照らされて、街灯のような役割をしていたとか。
   

生贄台でしょうとのこと。
   

非常に灌漑について考えられており、高いところから低いところへとの町並みです。
   


お金持ちはいつの世でも同じで、建物に贅を尽くしていたのでしょう。
非常にたくさんのモザイクが見られました。
   
   
そして家の中に噴水があったり、家の壁を漆喰画で埋め尽くしたりと。
   

青色は当時は珍しい色で、ラビスラベリをつかっています。
相当のお金持ちらしい。
手前の丸いのが噴水跡です。
   

玄関に、猛犬注意のモザイクです。   
   

これはすべて発掘されたもので、現在修理中のもたくさんあるとのこと。
大きな金庫が合ったけれど中身は空っぽ。
逃げるときに持っていったのか、盗掘にあったのかわからず。
中にある人型は、火山灰で埋もれたときの状態の人型に、石膏を入れて作ったものです。
   

ん十年前に来たときのことを思い出しながら、ここ変わらないなあと。感慨もひとしおだった。

およそ2時間の見学中、どこかの高校生くらいの男の子が、”こんにちは、おげんきですか?”
と話しかけてきて、”こんにちは”と返すと、仲間と、通じた通じたといっていたのがおかしかった。
子供は本当にどこの国でも変わらないんだと思った。

昼食を、たぶん日本人御用達のレストランで食べ、まあおいしかったからよかったけれど、ナポリの町並みを見学に出発した。

ナポリは、バスの中からだけだったけれど、要所要所を回ってくれ、ガイドさん曰く、10月からナポリはマフィアの抗争中なので非常に危険なのだそうだ。1日に2~3人は、殺されているらしい。
パトカーが走っていったのを見て、誰かまた死んだのかしらといっていた。

そして、サンタルチア港、卵城、遠くにソレントを望み、後ろには、ヴェスヴィオス火山。
オオソーレミヨ。

ナポリを見てから死ね。
いや!まだまだ死ねない。
  

帰りはお決まりの押し売りコース。
トイレただ。ただより高いものはない。
カメオ工場では、見学だけといいながら、とうとう一人が買った。

次はお土産やさん。きれいなパスタがかわいく置いてある。
つい買っちゃた。でも、ほかの人は円でも大丈夫といわれて払っていたけれど、
私は、日本で換金していったので、手数料入れても1ユーロ、155円だった。
現地では158円とか(手数料なし)。そこではなんと、190円換算の日本円を払っていた。なんとボッタクリ状態だ。
日本人のスタッフもいたのに。
旅行だとつい気が大きくなって、お金に無頓着になってしまうんだなあ。
でも、お母さんはいつでも電卓片手に、値段を見ていた。

夜は、ガイドさんの教えてくれたレストランへ。
ホテルの近くだったのでよかった。
ガレッジセールのゴリに似たウエイターがとてもよくしてくれた。
そして、日本語が一言も通じないところでがんばったよ。
二人でアーダコーダといいながらメニューを選び、本当はあれもこれも食べたかったのだけで、いかんせん量が多すぎる。
このチーズのおおきさは?と聞くと手で10CMの大きさを作り、暑さを4CMくらい作ったので食べられない。
あの、スモークサーモンは大皿に山盛り。無理。
結局、お願いして、トマトとモッツアレチーヅのピザにしたがとてもおいしかった。お決まりのビールと、赤のハウスワインで乾杯。
三日目も無事に終了。

あしたは、水の都ベネツィアへ。

銀婚旅行はイタリアへ

2006年12月03日 | 旅行
日ごろから海外旅行なんか行きたくもない、とのたまっていた夫である。

10月の中旬くらいに、11月4日何かようじある?と聞く。
無いけど何?と聞くと、結婚記念日だから何かあるかと思ってという。
いまだかって、すべての行事は欠かしたことが無いけれど(お正月、節分、ひな祭り、お彼岸、こどもの日、七夕、お盆のお墓参り、秋のお彼岸、お月見、誕生日、クリスマスetc)結婚記念日だけは一度もしたことが無かったのに。

次の日軽めの冗談で、多分行かないというと思って、
銀婚式オーストラリアにゴルフでもしに行こうか?と聞いたところ
行っても良いよだって。エっ~~~!!

では行こうじゃないの。
次の日からPCに向かって検索の日々が。
あれやこれやこうだこうなんだとなって、かくしてイタリア行きが決まった。
切符の手配旅行日程すべて終え、海外旅行初めての夫を連れて(韓国は一度あるが)イタリアへと出発したのでした。
無謀にも個人旅行。夏に友人とクロアチアへ行ったときの経験を生かしてなのだが。

11月19日晴れ。長男が成田まで送ってくれた。
しょっぱなから飛行機が整備に時間がかかり1時間半も遅れ、乗り継ぎができない状態に。


飛行機は中国、ウクライナ、ロシア、バルカン半島の上空を飛び、パリへついた。
  

エアバス300落ちなくて良かった。
乗り継ぎ前の人のやり取りを見て、何とかクリア。アリタリア空港にて無事にローマのフィウミチーノ空港へ到着した。
   

さらにお母さんの無謀は続き、そこからは電車でローマに入ろうというもの。
空港からテルミニ駅まで直通のレオナルドエクスプレスがあり、11ユーロでいけるのだ。ここでホテルで使うチップを作らねば。高額紙幣しか持っていないので。およそ30分。無事到着。
  

駅から3分くらいのところにある、ホテルマッシモダゼリオ。
4星で落ち着いた雰囲気だった。
HANAZAWA?Yes。ここからは英語ですべてお母さんが対処。
ほら紙出して。サインして。
部屋に荷物を運んでくれたボーイさんに、50セントのチップ。
   

次の日は、ローマ散策。
まずはコロッセオ。
   

外国に来ると恥ずかしさが無くなるのか、二人で真実の口でポーズ。
二人だけだと一緒に写真をとることができない。たまたま日本人がいたのでお互いに取り合ったのです。下手にイタリア人に頼むとどうなるか解からないとのこと。
泥棒天国で、取られるほうがわるいとか、、、、。
   

トレビの泉にも沢山おまわりさんがいて、怪しげな行動の人がいるとすぐに追いかけて行ってました。私は前に来たときにコインを投げ入れていたのでまた来ることができたけれど、今は入れたらいけないみたいだった。よって夫はもう二度と来ることはできない。ちょっと高いところへ登ろうと思ったらすかさず外国の人が手を差し伸べてくれた。夫は全然気がつかず。ここが違うんだな。
   

スペイン広場では英語で写真を取ってくださいと日本人に言われたので、一応OKと返事をしたら、子供が大丈夫だよと小声で言っていた。中国人か何かと思われていたんだと思う。カメラを渡しても大丈夫な人を物色していたらしい。
大丈夫ですよ。日本人だからというと、とってあげますよといってくれた。
   

バチカン市国。世界中のクリスチャンの憧れの場所。
サン・ピエトロ大聖堂は、とても壮大で夫はとても感激していた。中の回廊には歴代の法王様の棺が安置してある。
聖ロンジーノの像は、みなが触っていくので足がほとんどすり減っていた。かく言う私は前回も今回も触ってきた。
   

バチカン市国の衛兵は、イケメンでなければなれないそうだ。カメラを向けるとやっぱり意識していた。
   

帰り道であった黒ラブ。ロックそっくりで、夫はロックロックと呼んでいた。性格も似ていて、カメラを向けるとそっぽ向いてしまう。
   

こうして無事に一日目が終わった。スリにもひったくりにも会わず。

続く