黒ラブ ロックが行く

生まれつき肝臓が普通の犬の4分の1しかない、小さい黒ラブと、家族のお話です。

モロッコへ行ってきた・

2019年12月17日 | 旅行
早いものであれから一月が過ぎた。

なぜモロッコへ?

春にスカンジナビア半島に行った時の旅行会社から、パンフレットが送られてきていて、何気なくめくっていたらモロッコがあった。

しかもおひとり様参加と、普通な2人参加で一人参加分として3~5万以上追加しないとできない旅行。

試しに夫にモロッコ行ってみない?と聞いたら、忙しくて休めないとのこと。

じゃあ、一人で行ってくるよ!

いけばは?

かくて決定!

11月11日から18日までの、おひとり様限定モロッコ周遊8日間。

パンフレットには書いていないが、私が言うところの”弾丸ツアー。”

モロッコ何しに行ってきたの?と聞かれたら、もれなく、駱駝とバスに乗りに行って来たのと胸を張って答えられる。

玄関にひと月近くも放置されている、フェズの皮組合で買った、夫土産のスリッパ!


ウッドデッキにひと月近くも放置されている、フェズの皮組合で買った、私用のスリッパ!


この謎は、おいおい解き明かされていくでしょう。

もう一度登りたかったアポイ岳

2019年11月10日 | 旅行
10月16日
今度北海道に行ったら絶対アポ岳に登ろうと決め、このために、なんと準備期間3カ月を要した。
一日1万歩を目標にウオーキング、さらにはリュックに500mlのペットボトル2本を入れてトレッキングシューズで一万歩、小高い丘を登ったり下りたりを三往復、準備万端の上登頂目標時間2時間30分、下山含めて5時間の予定で出発した。

随分来ていないが、知らない間に世界ジオパークに認定されていたのね。
中学や高校の時は遠足でよく登っていたけれど、さてさてどんな結末になるやら。


最後に来たのは母が60歳の時一緒に来て、母は5合目まで何とか登ったけれどその先は断念。それを越えなければならない。母の年はずいぶん前に越えたけれど。


予定通り8時出発、わたしの前には、6時と7時に入山届が出ていた。


蝦夷鹿がお出迎えしてくれたがカメラが間に合わず、でも、すぐにエゾシマリスがお出迎えしてくれた。目の前で5分ほども木の実を食べていた。鳥さんも来てくれたがカメラアングルを調整しているうちに飛び去ってしまった。


こんなとこやあんなとこを登り5合目に40分くらいで到着ほぼ予定通り。


バックには太平洋。トイレ設備がないと言うので水分は最小限に抑え、チョコ、アメをエネルギー源にして、まだまだ余裕。


良い眺めだなあ!


さて気を取り直して再び頂上へ向かってGO! クマよけの鐘をカアアアアアン!!!


毒蛇にどうやって注意すればよい?


ごつごつとした岩山を登り、アップダウンの馬の背を乗り切り、


さてこれからが大変なところ。こんな岩にしがみつきながら頂上を目指す。


ここも大変なところ足場を確認しながらよじ登っていく。ロープがあれども、つかまってはいけないロープ。ここから踏み出てはいけないと言うロープなのです。昔はなかったような?


登ること2時間40分やっと頂上に到着!! 5,7キロ、140階、8477歩


ああ、疲れた!!って違う写真。たぶん中学生くらいの時だと思う。


やったーーーーー!! まだまだ余裕あるよーーーーーー!!


頂上でっす!!


さて下山は花を眺めるなどの余裕も出てきて、


花には詳しくないが特定高山植物だと思う。


日高山脈に連なるアポイ岳は日高山脈襟裳国定公園にずいぶん前からなっていて、子供のころから植物は取ってはいけないと言われていたから、見るだけで十分なのだけれど盗掘する人がずいぶんいるんだね。


ここで咲いている植物はここでいろいろ変化して生きているのだから、他へ持っていっても環境が違うとかれちゃうと思うけれど、取る人いるんだ。


下りにさっきの岩ごろごろを降りるにはちょっと厳しく思われ、お花畑を回っていこうと思った。


やっとここまで下りてこれた。


こんな看板が至る所にあります。

下りは2時間の予定だったが、危機回避のため遠回りしたので、ちょっと余計に時間がかかり5時間30分トータルでかかった。
19189歩 155階 スマホの万歩計ではこうなっていた。




お懐かしい親子岩さんを眺めつつ、従妹を訪ね友人と会うため再び浦河町へ。


友人夫婦のお宅で2時間ほどお喋りをして、夕食を誘われたけれど病気の友人が辛そうだったので、お暇することに。
じゃあ、これホテルで食べてと、サンマのお刺身をくれた。彼女のお兄さんはお魚屋さんで
お刺身作ってくれたんだって。これが美味しく、とろけるくらい甘かった。もう、こんなおいしいさんまの刺身にはお目にかかることができないだろう。


その後ホテルの近くのお店で、ばばがれいの煮つけ。


まつぶ貝の煮物。地場産いろいろ食べました。


次の予定は苫小牧から八戸へフェリーで行、その後ずーっと8年半、気になっていたことを自分で確かめるために東北エリアを走ります。


今日はこれからモロッコへ行くので、続きは書けるかしら。又、ハワイの二の舞になったりして。

では、行ってくるなり!








生まれ故郷の浦河町へ。

2019年11月10日 | 旅行
10月15日
朝、帰る夫と北大の構内を散策。
有名なポプラ並木はまだまだ紅葉には遠かったが、見事。懐かしかった。観るのは40年以上ぶり?


ちらほらと色が赤くなってはいるが。


ナナカマドだけが、少し赤く色づいていた。


通用門の美しい並木、たくさんの観光客がいたし、札幌駅からほんの5分。すてきなところです。


夫を千歳でリリースし、生まれ故郷の浦河町へ。

もう一つの目的でもある、中学時代の友人渡辺一馬の牧場寄ってみる事。。
一馬と呼び、〇〇埼と呼び合う中で、中学時代はテストの点数なども比べ合う位だったが、彼は牧場の跡継ぎになるべく、東京の駒場高校で蹄鉄の勉強するため、地元を離れその後は何度か会うこともあったが、この新聞記事を見るまで思い出すこともなかった。
今から5年前の読売新聞の夕刊紙に載っていた記事。

天寿を全う養老牧場

12歳年下の奥さんと結婚するにあたり、犯罪だとみんなにやきもちを焼かれたそうだ。


10年ほど位前に生産をやめ、今は引退した馬を預託で預かっていると話してくれた一馬は、中学校時代とほとんど変わらない純粋は表情で、話してくれた。誰だかわかる?と聞いたら、一瞬考えていたが5秒ほどで、〇〇埼さん?とわかってくれた。私も変わりなく純粋な表情だったらしい。(大うそ!!滅茶苦茶ばばあになってるのに、(笑))


秋の夕暮れの北海道の牧場。リタイヤした馬が草を食むっている。


穏やかな夕暮れ。小一時間ほど昔話や牧場、奥さんの話をしてお別れ。


夕刻、ホテルの近くを散歩しながら懐かしさに浸っていると50mほど先に何かがいる。
よくよく目を凝らすとぼんやり見えたのは蝦夷鹿、向こうもじっとこちらを見ていた。ので銅像かなにかと思っていたら、耳がぴくっと動いた。街の真ん中ですけど。


懐かしい夕焼けを、ホテルの窓から。


夕食は、夢にまで見っていたまつかわ(かれいの一種)のお刺身、ボタンエビ(赤エビではない)のお刺身いただきました。


タコの唐揚げにジンギスカンの竜田揚げ。昔憧れていた高校の先輩のお店で食べました。

先輩は、今やただのくたびれたお爺ちゃんになっていた。


ジンギスカンは北海道人のソウルフード!
ジンギスカン鍋、買っちゃいました。重かったけれど車だから。


美味しいものたらふく食べて、明日の為に英気を養いました。
明日はこの旅行の第一目的、
アポイ岳登山に臨みます。

昔は陸の孤島と呼ばれていた。雄冬。

2019年11月07日 | 旅行
10月13日
5時半にフェリーは小樽港へ入港。
どこか朝食、食べられそうなところを探すも、なし!
石狩郡厚田の両親のお墓参りをし、今回の旅行の目的の一つ、雄冬へ。

今でこそ立派な道路ができているが今から40年以上前に来たときは、増毛から船に乗らなければ来られないような偏狭の地で、陸の孤島と呼ばれていたのだ。

そして、その道路を作るのに莫大な費用が掛かり、この道路を襟裳岬の黄金道路に習いダイヤモンド道路と、呼ぶらしい。


今ではすっかり良くなったつり橋を渡り、途中の見晴らし台へと向かった。
美しい海と、青い空。


注意しろと言われても吊り橋の間から出てきたらどうやって逃げればよいのか?


さらにこの上に灯台があるのだけれど、吊り橋が壊れていて行く事が出来なかった。


40年以上も前は、吊り橋もなく山道を分け入って、灯台で飯ごう炊飯。(うそ、お湯沸かしてカップ麺食べただけ)

若っ!


雄冬の築港をバックに。


40数年後。年取ったねえ。


増毛で見つけたのがこの酒屋。 国稀。酒飲みはすぐに入る。


かなり古い酒屋で、建物も充分趣いっぱい。買いましたよ。日本酒2本。


昔使っていた秤。私は使っているのを見たことがある。


クマも飲むらしい日本酒!なぜ、くまもんが。


増毛は何かのフェスティバルをしていたらしく、結構観光客が来ていた。
昼食は、やっぱり港町と言えばお寿司でしょ。

このちらし寿司がすごい。ご飯がなかなか見つからない。
おおとろ、数の子一本、カニ足一本、うに、赤ウニ、いくら、豪華そのもの。美味しかったああああ!!


近くのお店にいた黒ラブ。ロックと呼ぶとこっちを見てくれた。


今夜の宿は、留萌。留萌港にあった光の塔。


ホテルで教えてもらった居酒屋、大将軍。混んでて美味しいもの食べたけれど写真撮り忘れ。お刺身も美味かった。



10月14日
一路札幌へ、途中で見つけた北海道ワイン株式会社。
鶴沼ハーベストスペシャルキュヴェヴァイスブルグンダー2010(白・辛口)ご購入。


午後札幌到着。ラーメンは外せない。姉の施設の近く(隣)竹岡ラーメンみそ味。そこそこ食べやすく私は好き。


姉をお見舞いして、今夜は札幌駅前のホテル泊まり。
ホテルで教えてもらった今夜も居酒屋。


このホッケ、クラシックの中瓶より大きかったので比べてみました。


ジンギスカンに日本酒合うんだなあ、これが。


お酒も美味かった。











北海道へ行ってきた。

2019年11月06日 | 旅行
北海道へ3年ぶりに車で行ってきた。ロックがいなくなってから車で行く事はもうないと思っていたけれど、新しい車にも北海道を見せてあげようと言うことになり、夫と出掛けることにした。

ただ出かけるのもつまらないし、今年は新潟からフェリーで行こうと。ついでに新潟で温泉でも入ろうかと計画したのは9月の始め。
そして10月11日、休みを取った夫と出発。が、大型の台風が近づいてきていて、フェリーも金曜日の昼頃でないと出港できるか判らないとのこと。

ままよ!最悪新潟で温泉につかっていればいいし!フェリーも宿も支払い済んでるし!!

新潟へ行きながらニュースを見ていると、次々に悪いニュースが飛び込んでくるし。

高速道路が通行禁止になり、新幹線も止まるし、でもフェリーは予定どうり出港とのこと。

災害にあっている人には申し訳ないが、ひと月も前に申し込んだフェリーだし。
家のことも心配だったけれど、犬友に点検をお願いしてあったので、それはそれなりに。

2時過ぎにホテル近くに着いたところ、まだ早いねと言いながらホテル方面に向かっていると、道路わきに”市島家”の看板があり、時間もあるしちょっと寄っていこうかとなり、フラット入ってみた。


市島家は丹波に発する家系であり、慶長3年(1598年)、溝口候の新発田移封に伴い、移封に伴い、加賀大聖寺より随従して以来、次第に栄華を極めた。宗家は居を五十公野(現新発田市)、水原と移すが、水原時代は福島潟の干拓を中心に蒲原平野の開発に努め、ついには北越有数の1,000町歩余りを有する大地主、豪農となった。
その後、戊辰の役に水原の邸宅は兵火により焼失したため、十世七代徳次郎(静月)は、現在の地に新たな市島家本邸を造営した。
建物は、明治初期の代表的住宅建築として簡素優雅の作風を示し、これを囲む回遊式の庭園は、自然の風致に富み、広い池を取り巻く樹木はそれぞれの四季を映している。
昭和37年(1962年)3月、市島邸の十二棟一構が新潟県文化財に指定された。

敷地8000坪には、広いお屋敷が渡り廊下でつながれており、なんとお茶室が3つもありました。


家族の部屋。とにかく広い。パンフレットなくして何畳間か。


勘定部屋。


ご主人様の書斎。


この先にはお茶室。


見事な庭園。紅葉になったらどんなに素晴らしいのか。




今夜の宿は、風鈴屋。お好みの浴衣で管内を歩けると言うはやりの温泉でした。
ネットでリニューアルと書いてあったので選んだ。
お風呂は良かったし綺麗だった。部屋はそれなりに。でもネット申し込みのお部屋よりはこちらの方が良いのでと言って、同じ料金で少々高めのお部屋に変えてくれました。ラッキー!!

食事もセットではなくアラカルトで選べるのを選んだので、(宿にある居酒屋)好きなものを少しづついろいろ食べられた。特に姫牛の食べ比べ。美味し!



12日は台風の被害のひどさをニュースで見ながら、新潟港から定刻12時に出発。
新日本海フェリー、あざれあ、ステートA、15,440円。

早速船内探検。
トレーニングマシーン有りの


きれいなお風呂、勿論入りましたよ。揺れる船の中でお湯がジャバーーンと。


露天風呂、勿論入りましたよ。どうか海に投げ出されませんように!!


サウナ、勿論入りましたよ。気持ち良かったーーー!


ビンゴゲーム、勿論参加しましたよ。一つもビンゴなしだったけれど。


色々フェリー乗ったけれど、こんな良い船は初めてだった。犬同伴室もあったし。

台風の前、前と航海していたが、最終的には1時間ほど遅れて、小樽には午前5時半に着いた。






さあ、行こうっと!!

2019年04月02日 | 旅行

新しい元号も 令和 と決まったし、エイプリルフールも過ぎたし。

明日から北欧に行ってきまーす。

45年ぶりのツアー旅行。

お任せなので何がなんで、どこがどうしてどうなるのか全然わからない。

ただ行くだけ

友人二人が行く予定だったのだけれど、そのうちの一人が行け無くなって代わりに行くことになったのです。

だから、事前調べもなく行くだけ

スーツケースもすでに成田入り。明日は身一つで行くだけ


行くだけーーーー!!

スペインは、美味しかったのだ!

2018年12月03日 | 旅行
あっという間に12月。あれから一月もたってしまった。はよせねば、新しい年が来る。




出かけたのは、11月3日。夫と行くのは、16年ぶりの海外旅行。

夫の休みが取れる日を基準に日程を立てるので、まずは、休みの確認から。で、3日から11日まで。

行きたい所はと聞くと、フラメンコと、闘牛という。

私は、サグラダナファミリアと、ガウディの建物と、プラド美術館と、ピカソのゲルニカと、トレドと、セゴビアへ行きたい。

ということで、バルセロナ3日、マドリッド3日、帰りバルセロナもう1泊の日程を組んだ。

ネットで、エアーチケット、ホテル、サグラダファミリアの入場券、マドリッド、トレド、ゼゴビア行きのABEチケット入手。

便利な世の中になったものだ。

かくて、11月3日、午前9時45分、羽田発、ロンドンヒースロー乗換、バルセロナ行きの機上の人となったのです。

およそ18時間、乗り換え2時間含め。

ヒースローでは、ちょこっとバーで、ギネスビールを飲んだりして、バルセロナ19時40分着。

タクシーでへ到着。受付のお兄さんのイケメン度が、半端ない!

兎に角、サグラダファミリアに一番近いところをメインにホテルを取ったので、アパート仕様とは思わなかった。

部屋狭い、冷蔵庫無い、バッグ床に置いたら歩くこと難しい、外の音良く聞こえる、でも、隣の部屋の音聞こえない、アメニティ充実。

荷物をほどき、食事に出かけました。

お兄さんに、夜は危険ではないかと聞いたら、大丈夫ここは国際都市なんだから心配ないと言われました。

宿を出て、ちょっと歩くだけで、あこがれのサグラダファミリアが、、、。OH!


遅めの夕食は、道路挟んで反対側のレストラン。

まずは、スペインのビールで、軽くて美味しかった。


スペインと言えば生ハム。


そしてスペインと言えばパエリア。


生ハムは少しぬか臭いと言うか、まあ、いろんな味があるのだと思うけれど、ここのはそれほどでもなかったような気がする。

パエリアは、いけました。

お店ががら空きなので、シーズンオフだから?と聞いたら、みんな週末は海へ出かけるので人がいないと言っていた。

ひとまず、お腹も一杯になったので、11時過ぎ就寝。


行ってきまーす!!

2018年11月02日 | 旅行
やっとパッキング終わった。

明日から8日間の旅行です。

25年前から行きたかった所。


サグラダファミリアを観に行ってきます。

25年前ん長男が毎月購入していた”たくさんのふしぎ”この本を見ていつか行きたいとずーっと思っていました。


そして本もずーっと取ってありました。

この本をもっていってきまーす!!

スペインは45年ほど前に一度行ったことがあるのだけれども、バルセロナは行ってなかった。

ただ心配なのは、夫が付いてくること。








サグラダファミリアの入場券も、AVEのチケットもすべて自分でネットで購入。

素晴らしい!!


無事に帰ることができますように。

世界文化遺産 韮山反射炉

2018年07月25日 | 旅行
連日連夜の極暑に耐えながら、何とか生きている。

今日はすでに7月25日。風がなんとなく秋風に感じてしまう。

30度?   涼しいやなー!



7月14日、伊豆へ行ってきた。

6月に夫が、伊豆のホテル当たったけど行く?というので行く!!

なんと、夫と二人で旅行するのは15年ぶりなのです。

その間いつも、次男がいたので、3人(?)連れ。

連休なので混むことは覚悟していたがまあ、京葉道路乗った途端渋滞。すぐ降りるも、降りるだけで30分もかかった。

一般道で習志野まで行き、東関道に乗り(ここは空いてた)すいすいと首都高を走り、と、東名に入った途端渋滞。

外は32度とかで、パーキングのワンコたちも、木の下木陰。ああ、この前まで家もああだったとおもいつつ


家を9時に出て、伊豆のホテルに着いたのは16時半。休憩およそ20分。ずーっと渋滞。疲れ満載。
水蒸気でよくは見えないが、白い建物の向こうに伊豆大島が見えていた。なかなかのロケーション。


夕食もまずまずだったけれど、8時間の移動で夜中には胃痛がひどくて一晩中トイレから出られなかった。



どこか行きたいところはないかというので、帰りの時間を見ながら1時間くらいのところなら大丈夫と思い探すと、なんと以前から行きたかった韮山反射炉が、45分くらいで行けるのでした。

なぜなのかというと、2010年に萩へ行った時、萩の反射炉を見、そこに伊豆にもあると書いてあったのでいつかは行きたいと思っていたのでした。

当時の萩反射炉の写真ですが、今でもあまり変わりはないようで。当時は観光客など誰もいず、姉と二人で普通に路線バスに乗って観に行きました。(写真当たり前のが見つからない)


さすがに世界文化遺産ともなると、立派な建物でお出迎えです。地域の雇用にもずいぶん貢献している模様。


韮山反射炉は都合3度補修をしていて、現在の補修は昭和63年にしたそうです。


写真の上の方にある銃剣は、明治41年に使われなくなった銃剣の先の鉄を利用して一度の補修をしたそうです。


お天気次第で反射炉と、富士山が一緒に見ることができるお茶畑の展望台から。真ん中の雲のあたりに富士山が見えるそうです。


地ビール買って4時間で帰宅。

腰痛が今も取れない。あれから10日もたってるのに。


萩反射炉は、当時私が見たままあまり変わっていないようです。




ぼんやりしているうちにー!    キューバ行って帰ってきちゃったー!!

2018年04月26日 | 旅行

友人と、どこか行きたいね?どこ行こうか?キューバ行きたい!

というのりで、キューバへ行ってきたのは、4月の11日から18日まで。

行くまでの手続きもちょっとほかの国とは違って、ツーリーストカード、旅行傷害保険の英語、またはスペイン語の証明書が必要。

さらにカナダでトランジットをするのでカナダの”eta電子渡航認証”が必要だったりとか、

少しめんどくさかったけれど、全部自分でできることばかりだった。

曲者は、代理申請という輩。

ネットで検索すると、すぐに代行会社に行くので、頑張ってカナダ大使館のホームページを探した。

これがなかなか出てこない。

直接申請すると、CADで7ドル。700円。代行頼むと、6100円なるものが出てきた。

ツーリストカードも、直接キューバ領事館へ行くと、2100円。代行はいろいろ。

領事館へ郵送で申し込むと、5600円かかります。ので、お花見がてら、芸術鑑賞がてら、

3月28日にキューバ領事館へ行き、決められた通りの書類をもって行けば割とすんなり取得できました。

私はパスポート忘れて行ったのですが、コピー持って行ったので大丈夫でした。(笑)

4月11日風邪をひくこともなく、体調万全でいざ、未知の世界、キューバへと出発です。

フライトは、エアーカナダ、この会社が一番早く着く。

AC006便、羽田17時40分発。


およそ12時間でカナダトロント、レスターピアソン国際空港着。2時間20分の乗り換え時間。時差は13時間です。


トロントの空港ってきれいでスタイリッシュ。



19時05分トロントを出て、22時30分無事にハバナへ着きました。

ところが荷物が出てこない、1時間位も待った。

トイレに入って思わずびっくり、超汚い!!男女兼用!!  使わないですぐ出てきた。

荷物を待っている間には、麻薬犬がずーっとお仕事をしていました。

空港の職員の女性の方々のストッキングが、全員網タイツなのが非常に斬新でした。

両替もまた一仕事。空港内にあるのは、クレジットカード専用の両替で、現金の両替は空港の外にありました。


タクシーはすべて国営。料金は交渉。大体決まってはいますが、一応確認が必要です。ホテルまで30CUC。


なあーんにもありません。


やっとホテルに着いたのは12時過ぎ。

ホテルナショナルデキューバ。

中庭のバーでモヒート、ビール、サンドイッチで軽く夕食をとり、2時過ぎ就寝。


こうして第一日がちょっとのアクシデントと、ちょっとのいい出会いで終わりました。

                               続く。

ぼんやりしているうちにー! ハワイへ行ってきたの忘れちゃうーーー!

2018年03月07日 | 旅行

そもそもが、去年の11月頃娘からハワイ行かない?と、提案があった。

まあ、行っても良いかな?位だったのだけれど、夫も行ってもいいと言うし、澄ちゃんにクジラを見せてあげたいとか

言うので、行くことにした。

長男にはハワイ行かない?と聞いたら速攻   ”行かない!!”

すべての手続きは、良ちゃんがやってくれたので楽チン楽チン。

かくして、1月24日、夫、娘家族とともに一路ハワイへと旅立ったのです。が、

1月22日、まさかのどか雪。


夕方から降り続いた雪は、なんと8cmにもなり、こりゃあどうしたもんじゃろ。明後日は行けるのかいなあ。


23日は快晴になり、雪かきがてら、雪だるまなんぞ作って遊んでみましたのさ。



24日、澄ちゃんもワクワクのハワイ行きです。



どうやらこの後、ニュースにもなった中国の方の暴動があったみたいで。

その他にも、確かカナダ行きのフライトが中止になった見たいで、でも暴動は起きませんでした。



全部お任せしていたのでちょー楽々。

”ファミリーにうれしい!ホノルル6”

ただ飛行機が大韓航空だったのでちょっと不安でしたが、オリンピックの前なので大丈夫だろうと

勝手に自己安心。


キャビンアテンダントの方々が、英語も日本語もちょっとわからないのがやや不安でした。

まあ、おおむね良でしたが、トイレットペーパーがないのですがと言ったら、

トイレットペーパーが何ですかと何回も聞かれた上に、最後は切れられました。

こっちが切れたかったくらいなのに。

とは言いながらも、無事にハワイ到着しました。

旅行はJTBのLOOK OLI OLIカードを首からかけておけば、OLI OLIトラムも乗り放題。

まずは、OLI OLIスニーカー オアフ絶景観光コースに出発しました。 


                                        続く。


カンボジア   あれやこれや。

2017年10月11日 | 旅行

昨日は30度越えという天気だったのに、今日は肌寒い。




10月9日、いつものように、市川大野の母さんのところへみんなで遊びに行ってきた。

御年98歳。

お元気ではあるが、記憶の曖昧や、物忘れ等、それなりに98歳のお年寄りでした。

でも、体はとても健康で、好きな食べ物はとんかつ。週に2回はいただいているとのことです。

前回お会いした時から比べると、随分とやせられてしまっていた。









一緒にカンボジアへ行った友人もいて、楽しく語り合い、今度はみんなで行こうという、話も出た。


カンボジア、あれこれを少々。

とにかく1ドル札が沢山必要。

物価の基準が1ドル。

トゥクトゥクの街までの片道料金が、2ドル。

世界遺産の場所で売り子をしている子供たちは、日本語でこういう。

”おねさん えはがきやすいよ。じゅまいでいちどる。いちまいにまいさんまいよんまいごまいろくまいしちまいはちまいきゅまいじゅまい、じゅまいで1ドル。やすいよかって。”

延々と付いてくる。最終的に買わないと、”ちぇっ”と舌を打つ。

トンレサップ湖では、船着き場で写真を撮られ、帰りに、

”おねさん しゃしんかって。やすいよ いちどる。”とずーっとついてきて、いらないと言うと”ちぇ!!”

子供に、学校は?と聞くと、必ず、afternoon と、答える。

アンコールワットの入場券の裏側には、子供からものを買わないようにと注意書きがある。

学校に行かないで物売りをするからと。

観光地で外売りのTシャツやパンツも、ほとんど1ドル2ドル3ドル感。

そこで買ったTシャツ、2回選択したら穴だらけになった。

パンツ1回はいただけなのに破れてしまった。涼しくて良かったのに。



トゥクトゥクのドライバーと仲良くなれば、世界遺産巡りが楽ちん、ちょっと誰も行かないところも教えてくれる。

ビールも安くなるよう交渉してくれ、1ドルで2本買える。

子供の鰐のアルコール漬けがある。



また行きたいな。

おまけ。夫ではありません。(トンレサップ湖の鰐養殖場)


偶然に似たような帽子をかぶっていて、みんなに夫婦と思われた。(笑)





カンボジアへ行ってきた。 vol 5  遺跡巡り大回りコース

2017年08月31日 | 旅行

薄れゆく記憶を何とか呼び戻しながら、7月8日の遺跡巡り大回りコース。

朝8時に、友人ご夫妻がチャリでホテルへ迎えに来てくれる。

カリーのトゥクトゥクで、出発。


まずはプリヤ・カン



ニャック・ポアン ここまで行くには、長い橋を渡らなければならない。お天気も良く、風が気持ちよかった。
橋に行くまでの道端には、地雷でけがをした人たちが楽器を奏で、寄付を集めていた。



タ・ソム 絞め殺しの木なるものもある。



東メボン  四隅に陣取るゾウのお尻がすてきでした。



プレ・ループ



タ・プロム
かの有名な、トゥムレイダーの撮影にも使われたのは、あまりに有名。

寺院を木が取り込み一帯の仏像が
その中に見え隠れしているのが分かりますか。この仏像がいつ見えなくなるのかが今どきの関心事項だそうです。



ここは寺院もなくて、崩れ果てていたのですが、写真スポットとして止まってくれました。


この寺院は、アンコールワットを建てる前に、プレとして建てたようです。





そして必ずガーナがいます。




タ・ケウ 大回りコースに入っていなくても、カリーが連れて行ってくれました。


この後、キリングフィールドは、知っているかと聞かれ、もし生きたいのなら連れて行ってくれると言うので、連れて行ってもらった。

沢山の人骨が塔の中に納められていて、心がつらかった。

シュムリアップのオールドマーケットについたのは18時過ぎ、かなりタフな遺跡巡りでした。

この後は、イエローマンゴーで食事。


9時頃、流しのトゥクトゥクでホテルへ。友人夫妻は自転車で帰宅。




カンボジアへ行ってきた  vol 7  アンコールワット  アンコールトム

2017年08月20日 | 旅行
旅行から帰ってきてすでに1か月以上も過ぎてしまい、だんだんと記憶も薄れていく中なんとか書き上げてしまいた。

7月は空梅雨を思わせるようなお天気だったのに、8月と言えば雨ばかり、まるで梅雨のよう。


最終日は、かねてからのあこがれの地、アンコールワットとアンコールトムに行ってきた。


何年か前に、フランス映画で植民地時代が終わり、遺跡の調査をしていたフランス人が監禁され

命からがら脱走し、やっと帰りの人々と合流できたと言うのを見たが、題名も覚えていない。



7月10日。

いつものように友人夫妻と8時にホテルでまちあわせ、カリーのツクツクでお出かけです。

ガイドブックでは、アンコールワットは午前中に見るのが良いと書いてあたけれど、カリーは何も言わなくても連れてってくれた。

蛇神ナーガのお出迎えを受け、


この先がアンコールワットです。ビューポイント。


四方を環濠に囲まれここを渡る橋は現在修復中で、仮のフローを渡っていきました。修復中の橋。


友人の勧めでまずは、一番人気の第三回廊へ。

順番待ちが15分と書いてあったけれど、もう少し短かったような、みんな入場券を見せ入館証をもらいます。





いるんですよね、こんな輩が。世界遺産ですよ。


日本の東大寺にいたずら書きが、とかニュースになっていたけれど。どこの国にでも、どんな人でも、やっちゃいけないでしょ。




第二回廊、いろいろなレリーフが壁一面を覆うっており、すべて物語を紡いでいるのです。

大体が戦争で、真ん中位に王さまがいて、その真ん中位で兵士の顔や着ているものがが微妙に違っていて非常に面白い。






第一回廊には、東西南北の印が天井にあり、その真ん中にスマホを置き写真を撮るとこの通り。


偶然に重なったヤシの木がハートだって。

疲れた体を、ちょっとだけアンコールビールで冷やして。1ドル。





そして、アンコールトムへ。

南大門からはいり数々のバイヨンとご対面。

中には京唄子さん似のもありとガイドブックに書いてあったが、確かにあった。


此処にも落書きが。


あいにく象のテラスは修復中で歩くことはできなかったけれど。


十分に堪能したアンコール遺跡でした。

最後の昼食も、イエローマンゴーで。


その後オールドマーケットでお土産を買い。


友人夫妻とホテルでお別れ。


お茶目な奥さんは、落ちてた花を髪に飾ってくれ、記念写真をと。落ちてた花だからね。


この後フライトまで時間があったので、ホテルでマッサージを受け、シェムリアップ20時45分の飛行機に乗りました。

飛行場について10分も過ぎたころ、激しいスコールでどうなることかと思ったけれど、何とか無事に帰国できました。





カンボジアへ行ってきた。   vol 6  プレアヴィヒア寺院

2017年08月03日 | 旅行
7月9日。(7月8日のvol 5は、いろいろな所へ行ったので、写真と場所の特定ができず後日)

天空の遺跡、プレアヴィヒア寺院へ行ってきた。

カリーの友人、リーが、休みなのでと言って車を出してくれた。 なぜかタクシー。

しかもカムリ、米国製、給油ランプが、Eのままなので大丈夫と聞くと、大丈夫とのこと。

本当にガソリン入っているの?ときくと、大丈夫!

リーは英語が話せないので、一々、カリーに今なんて言った?と聞く。

友人は英語が話せないので、わたしに何て言ったの?と聞く。大体解るところで答える、私。

いざ、8時出発。ホテルマンの話では、2時間くらいで着くと言っていたけれど、3時間位掛かった。

また起こる事件。 リーは大丈夫と言ったのに、一方通行で行き止まり。

アリー変だなあ、なんて、いやこっちがとかカンボジア語で話しながらバック。

行き過ぎた道を戻り、たぶんこっちで大丈夫だと、スマートフォンのナビを見ながら、改めて出発。

その道路の傍らには鉄条網がはりめぐらされた場所があり、警察官が警備をしていて、

カリーが言うには地雷の埋まっている場所とのこと。

のどかな田舎道をただ走るだけ、エアコンがきつくて、温度を上げてほしいと頼んでも、どうやら壊れているらしい。

こんな事も。でも、北海道でも、普通にサラブレッド道路横断してるし。


ここでは牛と交通事故を起こしたら車の方が弁償するらしい。それで、死んだ牛は普通に食べるらしい。

日高では絶対に車の方が弁償する。


We need toilet.というと、ちょうどガスを補給するのでと言って、スタンドに入ってくれた。

大変なトイレだったけれど、何とかした。

戻ってみると友人が大騒ぎ、何?と聞くとLPGを、マフラーから入れているのです。

いやはや。

この車トヨタでしょ?ときくと、米国製、だから日本のトヨタ車しか乗ったことがない私には、

un believable!

およそ3時間ほどで、寺院の入り口に到着。ここからは専用のバイクか4WDのトラックでないと入れない。

入場料10ドル、トラック30ドル。バイクにすれば?と言われたけれど、丁重にお断りしました。


ここからは、4WDで、かなりの急な道を上っていきます。横をバイクがすいすいと。でも、、、。


お天気も最高で、景色も最高で、向こうの山にはタイのお寺も見えました。

右端のおじさんは、普通の信者で、大きな声で自然に対してお祈りをしているようでした。


皆、此処で写真撮っているので、年甲斐もなくばんざーーーーい!!


昼食は、私たちには観光客用のレストランに行くようにと、自分たちは、地元のレストランに行くと言われたけれど、

一緒に地元のレストランに行くことにした。

まあ、食堂というのもはばかれるような、ただ間仕切りしてあるだけ。そして、豚小屋臭い。だが、これも経験!!

カンボジア語全然わからないので、お任せし、まずはビール。

熱いの。こちらでは、電気の供給量が少ないので、冷蔵庫に沢山物を入れることができず、ビールは常温で

氷をたくさん作って置き、その中に、塩とビールを入れてぐるぐるかき混ぜると2~3分で冷えるとのこと。


普通に日本でもやっているし、納得。


まずは、コップ、お皿、すべてティッシュで拭く。私は自前のウエットティシュで。

牛肉の炒めのも2種類。お塩と、(多分岩塩。)ライムで食べる。

これがシンプルで美味しかった。


4人で割り勘で、ビール小瓶6本とで、一人17ドル。まあ、妥当だと思います。リーはビール飲まなかったし。

帰りは、カリーは眠気と必死に戦って頑張って運転してくれました。





おりしも、夕方の混む時間。あと30分と何度も言いながら、夕市の中をとろとろと。

おっと、レクサスが、どこ製かな?



この場所は、毎日夕市がたち、たくさんの人がショッピング(洋服、靴、日用品、なんでも)や、食事のために、集まってくるそうです。


ピクニックみたいに、茣蓙を広げてお弁当持ってきている人もいました。


バイクも、2~3人乗りは当たり前。最高5人乗りを見た。



向こうは良く晴れていたけれど、こちらではものすごいスコールだったらしい。道路がぐちゃぐちゃだった。





結局6時過ぎにホテルへ着き、シャワーを浴びてからイエローマンゴーへ。

最後の晩餐には、友人の奥さん、姪御さんと、そのご主人、2人のお子さんも待っていてくれ、にぎにぎしくいただきました。


体調の方も、自己管理のおかげで回復し、美味しいものを美味しくいただきました。


おしゃれなカレーでしょうかね。食べませんでしたが。


これ美味しくて。


いよいよ明日は、最終日。

メインのアンコールワットと、アンコールトムを観に行きます。