黒ラブ ロックが行く

生まれつき肝臓が普通の犬の4分の1しかない、小さい黒ラブと、家族のお話です。

同じころのロックとティート

2020年06月19日 | 思い出
家に来て26日目のティート。

同じころのロックとティート。
悪いが、ロックの方がかわいく見える。
ティートも可愛いが、、、、、、、。

ロック


ティート

後ろのトイレシーツはご愛敬!

ティートの方がずいぶん大きいと思う。

青い目のロック、黒い眼のティート、今日雨でなければワクチンを打って、お散歩デビューに備えるつもりだったけれど、大雨で無理。

明日以降だな。

さよなら エスティマ

2018年08月28日 | 思い出

2018年8月26日とうとうエスティマとお別れをした。
2010年5月に購入。

8年と3カ月、ロックと色々なところへ行った。

北海道へは3回、秋田、能登半島等々、時にはドッグホテルがなくて、一緒にエスティマの中で寝たことも。

岩手県平泉の中尊寺が世界遺産になった時、車で寝て朝一番に中尊寺へ行ったっけ。

秋田へ行った時は、俳優の藤岡弘さんと、一緒に写真を撮っていただいて、この犬はお利口なんだよねえ。
と言っていただいた。

犬生13年4カ月の間の半分はこの車にお世話になったのだっけ。

長男も大阪へ転勤し、車もひと月に一度乗るか乗らないかだし、あちこちに不具合が出てき、まあ、もういいかなと、売ることにした。


売ると決めたら善は急げ、車買取にネットに載せ、駐車場解約。2日ですべて終了。
譲渡するまでの1週間、名残惜しんで乗りました。

さよならエスティマ。


さよなら。


さよなら、さよなら、さよーーーーーーーーならぁーーーーーーー!!




拾ったテニスボール

2018年08月02日 | 思い出
8月2日  極暑の中なんとか生きている。

自転車の前かごに入っているテニスボール。


ロックが拾った最後のボール。

いなくなって1年以上過ぎても、捨てられないでいる。

どうしようかな?このブログも。

月に一度しか更新しないのに有料なんだから。

いろいろ迷いが生じる、もうすぐ古希。びっくりしちゃう


  ばばあなんだ!   あたし!!

キューバへ行ってきた  vol  7

2018年05月23日 | 思い出
4月16日。
いよいよ明日帰国。アッと言う間のハバナ。
朝食も生バンド付き。


キューバへ来たら、葉巻買わなければ。友人は、弟さんや義理の兄弟や甥御君に。
私は息子に葉巻いる?と、メールしたのにも関わらず返事が来ないので、一番小さなのを一本だけ買って帰ることにした。

ホテルからタクシーに乗り料金交渉をし、パルタガスに向かった。

ここでも、タクシーから降りると建物の入り口に人が沢山いて中に入れない。
スペイン語でかんばを指さし、ここはやっていないので近くに店がある。と言っているらしく反対側に連れて行こうとする。

大丈夫かなと思いながらついていくと、他の観光客らしき人も同じ方向に来るので、違う建物に行った。

何かあやしげなので、入口だ躊躇していると、太ったおじさんが英語で、”キューバにはマフィアはいない”などという。で、ついていった建物の3階で、取り壊し中か建てている途中か、しかもボロボロでいかにも怪しい売り方をしていた。

違う!!きっぱりと言って、元の建物の中に、入口をふさいでいる人を押しのけて入っていったら、そこに正式なお店があった。

さっきの怪しげ人は次のターゲット確保のために、そこに張り付いていた。

それぞれ葉巻を購入。

私は”コイーバ”という一番有名な、一番小さな葉巻を一本、長男のために買った。およそ700円位。

友人は、コイーバのほかにモンテクリスト、ロミオとジュリエットというのを買っていた。

お店を出ると先ほどの輩は一人もいなくて、警察官が、ガードマンに注意していた。たぶんガードマンは輩どもから袖の下をもらって見逃していたのではなかろうかと思われる。あくまでも個人の感想です。


セントラル公園を歩きながら、旧国会議事堂、アメリカの国会議事堂がモデルだとか。


こんなところにバス停が、どうやら主要観光地バス巡りらしい。
しかも中国のバス。


オープンカーだし、お天気良いし。今日の目的は果たしたし。(葉巻を買うこと)乗るしきゃ無い!!
2時間のバスツアーに急きょ参加。10CUC。


此処にも、観光客町のクラシックカーが。走っているのより客待ちしている方が多いくらい。


とにかく風が強くて、海岸線を走るときは波しぶきの洗礼を受けながら走る。


きゃーーーーーーっ!!


ホテルナショナルデキューバ。


波がほんと半端ない。


歴史ある建物だし。


革命広場を回り


ハバナ市内を


国際見本市や、大使館の街やら、


コカパバーナや、普通の住宅街も含めて、いいバスツアーだった。


緑がいっぱいで、バスの上をこすっていく。道路が広くてほんとにあずましい。


さてさてお昼は、さっき見つけた中華街が気になる。
大の中華料理好きの彼女は、食べたいと言う。

確かこの辺と言って歩いていくも見つからず。

何やら怪しげな建物、観光客など一人も歩いていない通りをうろうろ。



銀行と思われる所には長い行列が。


やっと見つけた中華街。どこにもお店はなく、ただ門があるだけ。残念。


時刻は2時。
のどが渇いたねえ、あそこのこぎれいなレストランで何か飲もう。
と、偶然に入ったのが、アリシア・アロンソ・ハバナ大劇場のレストラン。


お決まりの生バンドに、お店の外でおばあちゃんが一曲踊って軽く会釈していった。チップ払ったの私たち。このおじさんも朗々と歌い上げるタイプの歌手で、CD売りに来たけれど買わなかった。


ダイキリとほかのカクテルを飲む。


このサーモンボード、安くて美味しくて、キューバで一番おいしかったかもしれない。


帰りのタクシードライバーが上手に英語を話すので、帰りの空港までの予約をした。4時に迎えに来てくれるようにと。






さて、ラストディナーは、どこか行くのも面倒だし疲れたし、”HABANAS21”に決まり!!


実は、ラストナイトのディナーの為に、着物を持参したのです。
ダイキリで乾杯。


豚肉のトマトソース仕立て。


クリームパスタ。



プディング。このレストランで3日間食べた中で、これが一番おいしかった。
お料理も、盛り付けとかすごくきれいなんだけれど、味がいまいちだった。残念!!


最後のしめは、ホテルのガーデンバーで、ダイキリを。








朝3時頃に起きて準備していると、3時半頃フロントからタクシーが来ていると連絡があった。

無事4時には空港へ、これからが、また事件やらなんやら始まったので。









今日は、ロックの命日です。

2018年05月13日 | 思い出
5月13日。
今でもあの時のことが、くっきりと脳裏に浮かぶ。
あれから一年。半年間位は、買い物以外外に出ることができなかった。
犬友に逢うのが苦痛だった。どうしてとかどうだったのとか、何度も何度も話をしなければならないのが辛かった。

ロックのガールフレンドの花が3月に虹の橋を渡った。彼女の家族に会えない。

きっと何度も何度も、その時のことをお友達に話すことが辛いのではないかと思うと、会えない。

ロックは我が家のリビングの一番いい場所に鎮座しております。


ほんと可愛かったり、やんちゃだったり、やらされたり、いっぱい写真取りました。
















ですが、今日は千葉県の白子町玉ねぎ祭り。
お友達の関係で参加し、一袋10キロの所少しおまけして頂きました。


昼食は、近隣で有名らしいし”密漁船”密漁船定食。

それなりの美味しさでしたが、超高い”残念”地元の人は行かないと思う。







あれから一年。一日たりとも忘れたことはない。黒ラブを見かけば想いだし、黒い犬を見れば想いを馳せ、かなわずまでももう一度会いたいと思う。



キューバへ行ってきた  vol  6

2018年05月11日 | 思い出
4月15日。
この日は日本で事前に調べて行った、ハナルの路地へ行くことにした。

ホテルを出たところでこの可愛い猫ちゃんが、気高くしっぽを立てて闊歩していました。



タクシーを頼もうとしたらドアマンが、あそこにいるから自分で交渉して来いと言う。
どうやらタクシーの運転手から小銭を受け取っていて、そのタクシーは読んで客を分けるが、そうでないタクシーは無視しているみたいだった。
客もそう、チップ持たせない客にはうんと愛想が悪い。

タクシーに乗るとき幾らと聞いたら5CUCと言ったのに、着いたら15CUCだと言い張る。
二人で、”5と言った”と言ったら、じゃ10で良いと、まったく油断も隙もない。ここから始まる嫌なこと。

とある人のブログで見て行こうと思った、ハナルの路地。

普通の路地のワンブロックだけ芸術が花さいて(?)にぎにぎしくエキサイティングな壁画アートで埋まっていた。


アートなんだと思う。


このパフォーマー達がすごかった。息もつかずに3~4曲歌いまくって踊って、ものすごいエネルギッシュで、観光客も結構いて、地元の人もいて、すごい楽しかった。

ほとんどが自分たちのCD売っていた。どこも10CUC。

公園で一休みして、さて次はお土産なぞ買おうと思い、あーでもないこーでもないと道をうろうろしていると、自転車の後ろに乗り物が付いているビシタクシーが近づいてきて、親切そうに”どこへ行くんだ?”と聞いてくれた。”ここ”と地図を指さすと”乗りなよ”という”幾ら?”と聞いたら”5CUC”という。じゃあと言って乗ったら”友達が土産売ってる”と言ってどこか行こうとするので、”いらない!!いらない!!!”と、全力で言ったらしぶしぶ元の方向へ行きなおしてくれた。
あぶない!あぶない!

取り敢えず目的地について、5CUCを払おうとすると、”10CUCだ”と言う。”さっき5っていったじゃない!!”というと”一人5だ”と、いけシャーシャーという。とんでもない奴だ。仕方がないので3CUC出したらそれで良いだって。
この会話全部、英語と、スペイン語と、日本語。


お土産を買うべくオピスポ通りを歩き、民芸品売り場を探すも見つからず、小さな店はあるものの見るからに粗悪品だったりするのは買いたくないし、しかもクレジットカードがほとんどの店が使えない。

事前にクレジットかーどが使える店は少ないとガイドブックで見てはいたがほとんどが使えない。ホテルの中のショップでさえも使えなかった。

疲れたので目についたレストランでビール。
ここでもバンドが入って演奏しており、ダンス付き。ダンスの先生に、プロがサルサ踊ってましたよ!!と、LINEで動画送ったら、これはキューバンチャチャです!!と返事が来た。ガイドブックにも乗っていた、エウロパ。キレッキレのダンス最高!男性の笑顔も最高!!


帰り道に念入りにお店を探していたらどうやら探していた店があった。来るとき此処かな?いや違うでしょ?なんて思っていたところがそうだった。市場というよりも出店?みたいな感じ。

ここで孫のお土産を買う。なんとクレジットカードが使えた。こんな所で?!
しかもおばさんのオリジナル、少しディスカウントしてもらえた。クレジット使える?と聞くと、何やら奥の方へ連れて行かれ、小さな部屋の中に、担当者がいて、初めてクレジットが使えた。


さて夕食はもう面倒なので、同じ店でいいかということでホテルに市場近いレストラン”HABANAS21”自分でお店の人に名前聞いてガイドブックの片隅にに書いてあった。

まずはダイキリ。


と、これは、、、、、、?コロッケ。美味しかったのだけれど蜂蜜をつけて食べるらしく、それがちょっとで、持って行ったケチャップで食べた。


豚の燻製肉のパイナップルソース。

メニューが全部スペイン語で、おまけに店員さんも英語が話せないので意思の疎通ができず、頼んだ食事は出てきてのお楽しみ状態でした。

こうしてハバナの夜は更けてゆきました。
                          続く。







キューバ革命博物館

2018年05月10日 | 思い出
4月14日
ホテルツアーの後、革命博物館に行くことにした。ホテルの前で待っているタクシーにて先ずは値段を聞く。
20CUC。大体決まっているのだけれど、乗る前に確認しないと降りる時にボラれる。
2回ぼられた。
一方通行が多くて、一瞬どこ行くの?と思ったけれど、ちゃんと正面玄関に乗り寄せてくれた。
外国人のご夫婦が笑いかけてくれたけど?
ああ、ピニャーレス渓谷ツアーで一緒だったポーランドのご夫婦。
なんだかとてもお疲れのご様子。


3階建てで、エレベーターもついているが使用禁止になっていた。
1階は受付入場券売り場、ここでは荷物を預けなくてはいけない。
バッグはいいけれど、リュックはだめ。なぜかしらね?テロ対策?かな?
1959年の革命前まで、大統領官邸として使用されていた。とにかく大理石がいっぱい使ってある。


ペトロフさんのピアノ。いいものらしい。ピッカピカに磨かれていた。


この小さな大砲も、当時使われていたもの。


プレスルーム。今でも使われているみたい。何かがあるのかマシーンマン調整していた。


キリストの祭壇。これはレプリカと書いてあったような気がする。


ハバナの芸術大学の学生による作品で、多分グランマ号だと思う。


当時実際に使われていた、タイプライターとナイフ。ゲバラの家にあったのは少し違うよう。


作戦マップですな。


同じくマップに、機関銃の弾?


これは作戦マップの、新しいジオラマでした。


手りゅう弾?


当時の無線機。


電話?それとも無線機の送受信機?


これは調理道具の中にピストルと、弾を隠してあった箱。他にもお人形さんの中に隠し持ったりと、いろいろなところに隠し持っていたようだ。


ゲバラがこんな感じで森の中にいましたよ。


当時の洋服。医療器具の一部と思われる。


中庭から眺めた今日大統領府。


隣の建物の周りには当時使われていた戦闘機等が展示してある。


装甲車。


割と簡単にできているがかなり分厚い鉄板で前が覆われている。実際の銃弾の跡もある。


このジープも当時のものだとしたら、ずいぶん手入れが行き届いているねえ。


この銃弾の後は本物でした。


前の写真で撃ち込まれた弾が通り抜けたあとです。


戦闘機。


司令官が乗るのは、どこの国でもメルセデスでした。


どの戦闘機もきれいに手入れが行き届いていた。


タンク。


撃ち落とされた戦闘機の残骸。


ミサイル。


ガラス張りの中にあるボートは、1956年革命蜂起のために、メキシコから、ゲバラと、カストロら82人が密航した時のボートでグランマ号。周りは近くまでは行けるがガラスに反射してほとんど見えないし、兵士が見回っているので見えにくい。


メモリアル版。たぶん、ボートで来て亡くなった若者の名前だと思う。


このともしびは最近のもので当時のの若者への鎮魂。ここでおじさんがそばの階段に座っていたら、ピーーーーーー!!と、兵士が笛を鳴らし、どけ!!すわるな!!の顔をした。

あまりに怖かったので、カメラを兵士に見せてシャッター押す素振りをして、OK?と聞いたら、片頬も緩めず、怖い顔のままで軽くあごを引いた。
ほっ! いいんだ。



およそ1時間半後、本日のメーンイベント、ハバナクラブでラム酒買うぞーーーーー!
この乗り物結構楽しかった。
ハバナクラブまで10CUC。




キューバへ行ってきた。  vol 5 

2018年05月09日 | 思い出
4月14日
ホテルツアーと、革命博物館、ラム酒ハバナ・クラブ博物館。
今日の午前中は、ホテルツアー。午前10時から3時間位。私は途中でお腹の調子が悪くなったので抜けたけれど、結構いいツアーだったようです。ホテルツアーと、革命博物館については別にアップしたいと思います。




キューバには大きなラム酒工場が3つあるそうで、その中で一番有名だそうです。
中にあるラム工場のビデオを見せてくれたり、ミニチュアの工場の説明を、綺麗なお姉さんが説明してくれました。時間が決まっていて、3時30分から英語のガイドが。


その間、中庭で待っている間にお茶目さん。古希近くになれば何でもできる。


ラム酒づくりの絵。


ミニュチュアの工場の中を走る列車。


ちゃんと信号もあって、始発から終点まで走る。


かなり精巧にできていました。


30分くらいでツアー終了。バーで、試飲。


もちろんお買い上げしましたとも。


次の目的地に行こうとしていたら、お兄さんが、なにさがしているの?聞いてきた。ここ行きたいと言うと、連れて行ってくれると言う。でも、なんとなく嫌な予感したので、断ると、鈴木イチロー知ってるとかいろいろ行ってきたけれど振り切った。そこから5分もかからないところにあったのが、目的地。

地ビールが飲める、ファクトリア・セルベサス・イ・マルタス。
なんと売り切れ。残念。


遅めのお昼に、焼き鳥のようなものを注文したけれど、あっという間に食べちゃって、残骸が。そして小豆ごはん。


ホテルへ帰り、ラベチャンお留守番ご苦労様でした。


モヒート飲んで、夕食へ。大体が夜9時くらいから夕食。


ホテルの近くにあるレストランを探していると、一番近くにいた客引きのお兄さんにつかまり、ここはトリップバイザー推薦の店というので入ってみた。

なぜか写真が消えていて(涙)

ほとんどの人が英語話せないので、四苦八苦。
でも、何とか生ハムに、牛肉の赤ワイン煮、サラダ、ビール、ワインでハバナの夜は又すぎて行った。
              

                                  続く





キューバへ行ってきた。    vol 4  ピニャーレス渓谷

2018年05月09日 | 思い出
4月13日
この日は、世界遺産のピニャーレス渓谷へ行ってきた。

ホテルで前日申し込むと、明日。何人?1人67CUC。2人で134CUC。7時30分にここのロビーで。と。とりあえずなんとかできた。

このバス会社の社長さんが中国人。しかもキューバの人口の3分の一は中国人ですと、残り3分の一ずつが、スペイン人と黒人から成り立っているそうです。と、ガイドさんが。

その昔、中国はキューバへの移民政策を実行していたらしい。

普通に各ホテルからピックアップして、総勢30人くらいでした。世界中から。


途中休憩のサービスエリアのようなところに牛さんが。
ここのトイレが行けません。普通にチップ待ちのおばさんが、トイレットペーパーをほんの少したたんで持っているのですが、ただそれだけ。トイレは汚いし詰まっているし。キューバのトイレ事情はあまりよくありません。


およそ3時間でインディヘナのCueva del Indioへ到着。バスを降りるとサトウキビジュースをほんと昔の絞り方で絞って売っていた。


インディアンの方との記念撮影もありだったりして。


洞窟の入り口ではミュージシャンが歌を歌っていました。洞窟が狭いのでたくさん入れず順番を待つ間この方の歌を聞いています。結構知っている歌もありでした。ベサメムーチョとか。


洞窟の中は10分くらい歩きその後はボートで中を見学します。


鍾乳石のオブジェは、秋芳洞には勝てないでしょう。


石灰石は面白い。


ボートもおよそ10分くらい乗りました。ガイドがここがドラゴンとかいろいろ説明してくれたのですが、うまく取れず残念。


やがて出口。


出口を外から見たところです。


それほど高い山ではないのですが、岩肌は浸食されて面白い形に。


面白い。


此処もまた面白い。キューバの芸術家たちが描いていると言われたような岩肌の壁画。意味があると聞いたのだけれど思い出せない。


昼食はキューバ料理。豚肉の焼いたのとパン(日本の麩のような感じ)ゆでたポテト、何も味付けをしていない。ポーランド人と、イギリス人。


小豆入りのごはん。果物。美味しいとは言えなかった。ビールだけ飲んだ。


ここでも気になるのは黒犬。元気でようございました。

やはりトイレの前にはおばさんが立っているだけ。お掃除はしなくても良いのかな?

そして葉巻農場見学。社長さん?社会主義国だから工場長?が、いろいろ説明してくれそれをガイドさんが英語で通訳してくれるのだけど、今一。でもはっぱを使って、くるくると舞で葉巻ができていく。お見事。


こんな風にたばこのはっぱを干します。3カ月?くらいだったかな?体験吸いもできるしここの農場で作った葉巻を買うこともできる。


たばこの花。


たばこのはっぱ。


収穫の終わったたばこ畑。ガイドさんいわく、たばこの刈り取りが終わったらトウモロコシを植えるとか言っていたけれど、そんな話はここでは聞かなかった。


お天気に恵まれ18時50分頃ホテルへ帰りついた。


ダイキリを一杯飲んで、クジャクの散歩を楽しんで。


お疲れモード全開のおば様達は、今日はお部屋で食事。ピッザはそこそこだったのだけれど、野菜サラダが行けません。キャベツなんか苦いし。


パスタは全然いけません。結局食べないで残した。


こうしてハバナの夜は今日も更けていくのでした。
大好きなビールとワインを飲んで。

  

                             続く










キューバへ行ってきた。     vol 3

2018年05月07日 | 思い出
ほとんど英語のわからない白タクのおじさんと、ドキドキしながら値段交渉。

ゲバラの、第一邸宅までいくら?と聞くと10CUC。

お願いいします。

途中のカバーニャ要塞。聞いても、言われてもわからないスペイン語。で説明してくれた。


軍隊の駐屯地のような場所で、当時冷戦中のソ連のミグ戦闘機と、撃墜した機銃だと言われたような気がした。

写真撮影がだめみたいで、そっと近寄り素早く写真撮れと言われたような気がした。


巨大なキリストの像が目印のようなもので、


その向かい側に、cheと書かれた白いきれいな建物、ゲバラの第一邸宅がありました。

入口に入場料を払うボックスがあり、お姉さんがくわえたばこで切符を切ってくれた。肺はその辺へポイポイ。


寝室。


小さな小部屋。


当時使っていた、タイプライターや、ラジオにカメラ。


多分、拷問に使われていたようなもの。中にいたお姉さんは結構親切で、いろいろ説明してくれた。スペイン語交じりの英語で。入場者誰もいず。


この後、ホテル・アンボス・ムンドスへ行きたいと交渉し、10CUC。

此処も見ろと、カテドラルで降ろしてくれた。


中には入らなかったけれど、真ん中に公園があって、子供たちが遠足?見学会?のように、たくさんいた。


馬車も活躍していて。


2連結のバス。乗りたかったけれど、乗れなかった。乗り方がわからない。(笑)

車の場所に戻ってきたらおじさんがいない。探すこと十数分。おじさんが向こうから走ってきた。

キューバは、警察がうるさくて駐車違反撮られるので向こうに止めてきたと言って、友人のリュック持ってきてくれた。

そしてホテルはこの先だから歩いていけると、親切な人だ。


ここが、ホテル・アンボス・ムンドス。ヘミングウェイが、常宿としていたホテルで、有料で部屋を見学させていた。


エレベーターは、当時のままで、エレベーターボーイが横の部屋にいて、乗降客が来るたび一回一回、運転してくれた。


ヘミングウェイが、当時来ていた洋服。行く前にヘミングウェイに関する本を何冊か読んでいったのだけれど、

ロバート・キャパと親交があって、よく一緒に行動していたらしい。。


ベットには当時の雑誌等が置かれていて、彼は腰痛で立ったまま執筆した。

とか言われているが、読んだ本で、娘の話として、痔だったために立ったまま書いていたとのこと。


この階には宿泊できないけれど、普通に宿泊できるホテルです。古いのですが雰囲気は十分。


遅めのお昼をここで。


サンドイッチとビールで。ほとんどのカフェやレストランではこのようなバンドが演奏している。

もちろん、自分たちのCD販売と、チップの請求に来ます各テーブルごとに。CDは、約1000円位です。

通りすがりのおばあさんは、音楽に合わせて踊っちゃいます。


ホテルに帰って一休み、これが7時くらいかな?十分に明るい。


と、ここで結婚式がアメリカ人らしくて、英語で誓いの言葉を言っていた。立会人というか牧師さんは女性で、スペイン語で話していた。


まあ、この子がかわいい。天使の羽をつけていたの。すてきなドレスだけれど、夕方は風が強くて寒そうだった。



結婚式のふるまい酒、ダイキリを頂きました。

この場所にいて、結婚式が始まる前からいた人すべてに、注文を聞いて好きな飲み物をふるまってくれました。


夕食はここで。普通の民家みたいでどうやって行って良いかわからなくて、うろうろしていたら扉が開き、そこはエレベータ。

最上階にレストランが、全くわからなかった。予約制と言われたが席が空いていたので入れてもらえた。


料理の写真も撮ったのだけれど行方不明、スペイン語全然わからないので、ビーフの赤ワインにとサラダ、リゾット、ビールにワイン。

日本のあづき混ぜご飯のようだった。


                                  続く








キューバへ行ってきた。    vol 2

2018年05月01日 | 思い出

4月12日。 行きたいところをチェックして、まずはそこへ行く。

一番は革命広場。 タクシーで25CUC。決まっているらしいけれど、必ず確認が必要です。

確認しないとボラれるから。2回ほどやられた。



有名なクラシックカー。


大体1時間47CUC。日本円にして、5000円位。アメリカ人には人気があるらしいが、それほど乗っている人はいない。

だって、こんなに人待ちなんだもの。乗りませんでした。

ほとんどがオープンカーで、とにかく排気ガスの臭いがすごい。


ゲバラのモニュメントが付いている内務省。


そして、情報通信省にはカミューロ。


ホセ・マルティの像。イタリアの白大理石を使っているとのこと。



そして記念博物館は、イタリアとキューバの大理石で作られているそうです。すごいお金使っているのです。なんか写真撮るのら幾らとか結構お金払った。


エレベーターを使って、塔の上へ行くと東西南北の印があって、世界中の都市の方向が書いてあった。もちろん有料。


博物館の中ですが、写真と年表等があって、ほんの少しの人しかお入りになってはおりませんでした。のでゆっくり見学できました。


こちらの方がホセ・マルティです。そこここに、このお顔がありました。



この後、白タクと交渉し、ゲバラの邸宅と、カバーニャ要塞を10CUCで契約。

ほとんど英語を話せない人だったので少し不安になったけれど、結果とてもいい人だった。

                                                続く。









ロックのお友達が、、、、、、、。

2018年03月18日 | 思い出

昨日、ご主人の仕事で群馬にいる、黒ラブ ハナのお母さんからLINEが来て、ハナが虹の橋を渡りましたと連絡が来た。

ロックのごく親しい彼女で、微妙な感じのお付き合いでしたが、長い間いい関係でした。

平成20年2月初めてのツーショットです。


その後も、微妙な距離の取り方でなかなか良い写真は取れませんでした。


去年平成29年やはり寒い頃です。やっぱり微妙な距離で。

ロックはすでに片方の目が全然見えていなくて、ハナも腰が悪くてとそれ相応に年齢を重ねていました。



ハナ、14歳と9カ月、やさしくて誰にでもフレンドリーな子でした。

お父さんもお母さんもやさしくて、よかったねハナ。

ロックがいなくなってからも、たまにこちらへ帰ってきた時は、会せてもらいに行きました。

今年の1月にも会って、3月22日に、群馬へ会いに行こうと予定を立て、昨日の午前中に宿の検索をし、

午後に予約を入れようと思っていたところの連絡でした。

淋しくなることばかりの今日この頃です。



ロックが逝ったのは、午前10時前、ハナが逝ったのが、午前10時過ぎ。やっぱり微妙。

そちらで微妙な関係のまま仲良くしてね。

さて、ハワイはというと。

2018年03月09日 | 思い出

朝8時半ころ到着。雨が降っていたのか、まずは虹のお出迎えでした。



あたふたと、空港のトイレで真冬の服から、真夏の服の着替えて、バスでアラモアナショッピングセンターへ。

昼食は、ここでまあなんだか食べて


12時45分、オアフ絶景観光コース出発です。

運転手兼ガイドさんは、DJさながらの軽快な口調で、ここがビルゲイツの別荘、

そしてあの山の天辺がにあるピンクの大きなお屋敷がスルベスタ・スタローンの別荘などと教えてくれました。

寝るなよー。時差ボケになるからなーー!と、何度も何度も。

ダイアモンドヘッドを見ながらハナウマ湾、ハロナ潮吹き穴の入り口、サンディ・ビーチ、シーライフパーク、

モアナルア・ガーデンのモンキーポッド 。


そして母はここで、どうしてもしたいことがあったのです。

それがこれだーーーーーーーーー!!


なんでこんなポーズがやりたかったというと、長男が今から10年以上前、大学一年の時に友人ときた此処で、

こんなポーズを取っていたものだから


いいんです。笑ってください。

夕食は、ワイキキ・スターライト・ルアウ。


なんたってサンセット。カメラがよけりゃ、もっときれいなのに。


およそ、2時間ショウ堪能しまくり。


澄ちゃんも思わず立ち上がって拍手していました。

9時頃やっとチェックイン、お疲れさま。






忘れてないのね。

2018年02月25日 | 思い出
2日前、所要があって孫のところへ行ったとき、

ねえ、あーちゃま、ロックみたいにしてくれる?

澄ちゃん、ちゅんたとお散歩行くから、ロックみたいに。

と、水筒のひもを持ってきて、通称”ちゅんた”犬のぬいぐるみを持ってきたのです。

首に着けて、リードみたいに作ると、お散歩行ってきまーーーーす。と。

うんち、ちゃんと持って帰ってくるのよ!!

はーーーーい!!




ただいまーーーー!!。

はい!!    うんち!!

エアーうんちをくれました。


9カ月も前にいなくなったロックのこと、今でも鮮明にお散歩のこととか、うんち持って帰ってくるとか

覚えていることに、うれしかったり、悲しかったり、複雑な気持ちがないまぜでした。