黒ラブ ロックが行く

生まれつき肝臓が普通の犬の4分の1しかない、小さい黒ラブと、家族のお話です。

狼爪が復活

2006年09月29日 | 黒ラブ

8月16日お盆のお墓参りに行こうとしていた時に折った
狼爪が復活していた。。

車に乗るのがうれしすぎて、運転席に飛び乗ってしまったロックが
どこかで引っ掛けて、狼爪を折ってしまったときは本当にびっくりした。
血がだらだら流れ、もうこっちのほうが痛くて気持ち悪くなったのだけれど
4~5日したら痛みはなくなったみたいだった。

流石は犬。まるで道明寺みたい。(わかる人はわかる)

折れた爪がずっとついていたが、おとといそれが取れていて
新しい爪が生えてきていた。よかったよかった。

ガールフレンドのメイちゃんです。

2006年09月24日 | 黒ラブ
朝一番のおしっこは長いんです。


ガールフレンドの一人メイちゃんと、久しぶりにあいました。


公園で楽しくボール投げです。


メイちゃんのお母さんはとても背が高いので、僕は電信柱と間違えて
おしっこをかけてしまいました。
”ごめんなさい。”








メイちゃん3才と3ヶ月。32kg
僕。2才と9ヶ月。24kg
仲良しです。

ドッグランへ行ってきた

2006年09月20日 | 黒ラブ
3ヶ月ぶりにドッグランすいらんリゾートへ行ってきた。
ちょっと暑かったけれど。
地元のお友達はいなかったけれど、東京からきたという、カイト君となかよしになった?
性格が似ているのかお互いに遠慮しながら、一個のボールを取り合う。


ロックがボールを置くと、カイト君はそれを、そろりそろりと取りに来て、お母さんに投げてもらうのだけど、気がついたロックがイッキ走りでとってきてしまう。

カイト君はそれを見ているだけ。ロックがボールを置くとまた同じことをする。
何回となく同じことを繰り返していておかしくておかしくてたまらなかった。

カイト君の飼い主さんもけんかするわけでもなし、無理にとるわけでもなし、とられても怒るわけでもなく。本当に気があっているのねえという。

こんなこと初めてだった。2時間楽しく遊んだが私は日に焼けて、腕がひりひりする。

東欧トラブル編 フランクフルトでカードを盗まれた。

2006年09月19日 | Weblog
帰国の朝、荷物の整理をしていてカードがないのに気がついた友人は、すぐ日本のカード会社に連絡をし、カードをストップしてもらった。その時点では使われた形跡はないとのこと。

取られたのはいつ。

あの時だ!!

ザクセンハウゼンを探しているときに、一人のイラン系と見られる男が、写真をとってほしいと近づいてきた。
まあ写真くらいならとカメラを友人がうけとると、ここ、ここと、少しずつ通から離れていく。

この時点で、”おや”

でも彼はモスクを入れて取って欲しいと言うし、それも通から5mくらいしか離れてなかったので、いいやと思っていたら突然男2人が飛び出してきて、身分証明証のような物を見せながら、こんな通に入ってきては行けない。首を切られて殺されてしまうと言いながら、パスポートを見せろと言う。警察?と聞くとそうだという。
コピーしか持ってなかったのでおこられるかなとおもったら、コピーならいらないという。

ここでも”えっ”

カードを見せろ、現金を見せろと言う。日本のやくざは偽札や麻薬や薬をやっているから危ないと、カードや現金を調べていた。(真っ赤な嘘で調べる振りだった。)
最後にカードの番号を言えという。私は番号知らなかったので、ないというとそんなはずがない。シークレットナンバー、暗証番号。

暗証番号って日本語なのに?警察が?????

友人は教えてしまったのだ。

で、帰りに、”さよなら、ありがとう”だって。えっ!

この時点ではまだカードが盗まれたのに気がつかなかったし、その後の食事は現金で払ったので全然気がつかなかった。

帰国の朝なので、カードを止めるだけにした。警察に届ける暇もなかったし。

その後カード会社から、どうやら現金を引き出そうとしたらしい。彼女はキャッシングを0円にしていたので被害に遭わなかったのだ。
ざまあみろ!!泥棒め。日本人だと思って馬鹿にして。

その後ネットでトラブルを検索してみたら、同じような被害が3件ほど他の国で出ていた。トラブル編調べていったのだけど、、、。
現実はこんな物だ。でも被害0で吉!!

今回の旅行は友人の英語力と携帯電話のおかげで、バスのチケット片道無いトラブルも、解決できたし、団体旅行の煩わしさも無く、のんびりと楽しむことが出来た。

ありがとう。M。又よろしくね。
来年はトルコかな?

最後までこのブログ読んでくださった方へ。

ありがとうございました。



フランクフルトは 一生忘れない

2006年09月17日 | 日記
8月30日。
とうとう帰る日が。
オーシャンビューの素敵なホテルにも別れをつげ
     

体重制限で箒にのれなかった魔女たちは、
クロアチアを後にしたのです。
   

フランクフルトの空港へついたとたん周りが黒っぽく見える。
イスラム系の女性の黒いチャドルが、目に付いた。

空港からはタクシーに乗りたいという友人を、絶対電車がいいと
説得し、15分ほどで、中央駅へ。
非常に乗り方は解かりやすいし、そばにボランティアだと思うけれど
教えてくれる人がいた。

サボイホテルは駅から歩いても、5分とかからないくらいで
日本人にもとまりやすいのか沢山とまっていた。

さあ。今日の予定は、ゲーテハウスと、フランクフルトソーセージと
ビール!!
早速行かなくては!!
フランクフルトも路面電車が走っていた。
そしてどこも工事中。
   

まずはゲーテ広場。
   

ゲーテハウス。付属の建物はゲーテの時代に合わせた絵画や、
友人やその時代背景とかが陳列してあり、写真オーk-。
ミニコンサートができるホールもある。
   

昔の家をそのまま建て直して、ボランティアの人が説明をしたり、
質問に答えてくれていた。
   

そしてこの本はすべて当時のもの。
ゲーテ直筆のノートや手紙なども沢山展示してあった。
   

ロックの首輪を買い、来る前にネットで調べてあった
ザクゼンハウゼン通りに繰り出すことに。
ここでまあ少し変なことがあった。
これは跡で特別にトラブル変で書こうと思う。

この通りは広くてなかなかわかりにくく、マイン川を越えて
と地図を見ながらそれらしいところについた。
コジャレタお店に入ると、ここはワインバーで、食事もない。
   

軽くいっぱい飲んで、ビーフとソーセージを求めて
歩く。とうとう沢山の地元の人でにぎわっている店に
入った。が、ビールがない。
ここの人は食事は、りんご酒を炭酸で割って飲むらしい。
ソーセージは食べたけれど、ビールがまだ。
ホテルの近くで飲もうと思ったが、注文をとりに着てくれない。
ホテルのバーでいっぱいだけ飲んで、疲れちゃった。

お風呂に入っていた友人が、風呂水を流したら洗面所の排水溝
から逆流してきたと。
確かにサボイホテルは、ネット上でも古いから色々不都合、
不具合があるとは書いてあった。

でも、入るのに不都合はなかったので、明日の準備をして
休むことに。
そして忘れられない出来事は、次の日にやってきたのです。

帰りの支度をしていた友人が、”カードがない。”
まさか。もしかしたら、あの時?

そうなんです。前日、変なことに巻き込まれていたんです。

続く

 

コルチュラ、ボスニアヘルツェゴビナのモスタル橋へ

2006年09月15日 | 日記
8月28日 晴天。
ホテル内のエレベーターは、ケーブルカーみたい。
海を見ながら降りたり上ったり。
   

ドブログニクは5年前までクロアチア本島とは陸続きで
行くことが出来なかった。一度ボスニアヘルツェゴビナを経由して
行っていたのだという。
5年前にこの橋が出来てからは、隣国を通ることなく行けるようになったとか。
橋の名前はクロアチアの初代大統領の名前が付いている。
   

マルコポーロの生家があるというコルチュラへ行く事に。
アドリア海の島々はこれも宮崎アニメの”紅の豚”の背景モデルになった
所と言われている。息子と最後に見に行った映画だ。
お天気なので海といい山といい、美しいの一言。
   

この城壁は、ドブログニクを守るためとか。
世界3大城壁の一つ。(万里の長城、イギリスの・・・英語が聞こえなかった)
   

バスで2時間半。船で30分。コルチェラ島も又、白壁とオレンジの瓦屋根。
青い空と海によく映える。
   

そして、クルーズ船。
   

そして、大きな船。
   

この島は先の内線で唯一巻き込まれなかったところで、
ドブログニクの市民を守ったところとか。
教会の中には聖者がドブログニクの旧市街を手に守っている
像があった。

この入り口の両横にはアダムとイブがいて、その上にはマングースが
掘ってある。この辺の山には沢山の毒蛇が居て、マングースが蛇を
やっつけるために、守り神としてあるらしい。
   

島の見所は25分くらいもあれば全部廻ることが出来る。
いろいろな宝物殿が普通にあり、世界中のコインがあった。
その中には日本の天保寛宝(?)もあった。
   


食事は美味しいシーフード。
   

29日はホテルで海に入って遊ぼうとと思ったが風が強く
波が荒く寒いので、部屋でくつろいだ。
   

30日。朝7時5分にホテルをでて、ボスニアヘルツェゴビナへ。
ドブログニクの観光案内では、木曜日しかツアーがないという。
その日は、いろいろな会社の観光バスが何台も連なって出かけることに
なった。木曜日しか行けないみたい。
   

道路は所々隣国を行ったり来たりして、そこでは小さな検問所はあるけれども
さほど検査されるわけでもない。やあみたいな感じで通過。
で、本当の国境でもあらかじめ名簿を提出してあったので、
特に問題もなく、係官が乗り込んできたときにパスポートを提示
しただけだった。
   

こちらにはいると、クロアチアとは全然違い本当に戦争の後がたくさん
残っていて、内戦がどんなにすごかったのかがよくわかる。
世界中から復興のお金が来ても政治家が自分のポッケにいれて
しまうのでなかなか復興が進まないとガイドさんが言っていた。
   
 
ここはトルコ人の家。現在も住んでいるが、見学者に開放している。
玄関にある噴水は東西南北に水が出ていた。   
   

台所。
   

トルコ人は男性と女性の部屋が別で、女性はガラスの入っていない
玄関に近い部屋で暮らし、寝室は子供と一緒でやはり入り口の近く。
男性はその奥に部屋があり、ガラスの入った日当たりの良い部屋で
水パイプをしながらトルココーヒーを飲むという。
   
 
   
モスタル橋のたもとにある資料館には、1992年~19993年の
橋が壊されていく時の状況の写真が飾ってあった。
最終的には危ないので自分たちで落としたそうだ。
新しい橋がなぜ世界遺産なのかという声もあるが、
橋の材料、作り方等全てが当時と同じように作ったので認められたそうだ。
   


    

この橋の右と左では、宗教の違いもはっきりしていて、
右側の方はムスリム人(イスラム教)が多く住み、左側はクロアチア人とか
まあ、キリスト教の人が住んでいるという。
   

橋の向こうでは決してお酒は飲めず、こちら側では大丈夫とのこと。
もちろんこちら側で食事。
私は北海道出身なので羊の肉は大丈夫だけれど、友人はちょっと
苦手と言っていたが、こちら側では、観光客にあわせた調理法で
出してくれていた。
とても美味しかった。
   

お酒の飲めない地域。
  

日本刀が売っていたがとても日本刀と言うには耐えられない
代物。
  

6時半へホテルへ帰ってくる。

ドブログニク最後の晩餐。
   

何処までも美しい夕日。
   



ドブログニクへ到着 魔女の宅急便は?

2006年09月14日 | 旅行
とうとう憧れの地。
クロアチアはドブログニクへ

ここは、宮崎駿監督のアニメ”魔女の宅急便”のモデルになったと
言われる旧市街地が世界遺産として登録されている。

ここもやはり、内線の被害が膨大で未だに復旧作業をしている。
特にホテルは130件くらい有ったのに、今復活しているのは
30件くらいしかないとのこと。


これはプレジデントホテルのイメージキャラクターみたいで、
絵とかいろんな物にモチーフされていた。
   

welcom Fruit 5日間居たのに食べきれなかった。もったいなかった。
   
   
夕暮れに浮かぶクルーズ。こんなに大きな船が毎日毎日通る。
だれがのっているのだろうかなあ。うらやましい。
   

早速街へ繰り出し、夕食を食べ、ビールを買ってほろ酔いで
ホテルに帰ろうとしたのは良いが、道に迷ってしまい、バスにも乗れず
2時間くらい迷いながら、あちこちで道を聞きながらホテルへ着いたのは
12時ちょっと前。

ふう。明日は、旧市街へ行かなくてはとにかく寝よう。

翌朝バスで旧市街へ、バスは何処まで乗っても8KN(160円)
運転が乱暴で、少々怖かった。

街並みはさながら映画の一シーンみたい。
もちろん私も足のすらりと長い 金髪・碧眼。(嘘、願望)
   

午前中だけ居る門番。
アルバイトらしい。
写真を撮ってもらった後、”Thank you.”というと
小さな声で”You are welcome."と帰ってきた。
本当は口聞いちゃ行けないみたい。   
   

城壁の中は沢山の観光客でいっぱいだった。
日本の団体も来ていた。
   
 
大道芸人が世界中の歌を、ドラム、ハーモニカ、ギターを
操って歌っていた。
上を向いて歩こうを引いていた。
   

   

下の写真の左手の建物には、内線当時の写真が張ってあり、無くなった人の
写真に名前年齢が壁に(1500人以上が無くなった)
ビデオテープが、無音のまま当時の影像を流していた。(心が痛む)

同じ建物の別の場所ではコンサートが出来るようになっており、
五嶋みどりさんも演奏会を開いたことがあるという。
   


ここも又修理中。でも中には入れてもらえる。
犬、アイス、カメラ、ビデオの禁止マークが。
   

   

美しい空、あおい海。アドリア海の真珠という名がぴったり。
   




この建物は水道のような物で廻りからズーと水が出ている。
飲んでも大丈夫と書いてあったのでちょっとだけ飲む。
クロアチアでは、洗面所の水が飲めるのです。

たぶん海水をろ過しているのだと思うけれど、非常に勢いよく
出てくる。
トイレなどは気を付けないとあまりの激しさに飛沫が
かかることがある。
これがすごいのは、観光地なのに何処もトイレが非常にきれいなこと。

トイレの水洗のレバーが、壁に埋め込まれているのもおもしろかった。
壁もしくはタンクに一体になっているので、とても清潔に使えた。
   

旧市街をぐるりと要塞が取り囲んでいて、そこを歩くとまあ
1時間半位かかったのだけれど、カーテンの向こうから聞こえる
子供の笑い声など本当に映画のようだった。
その窓から今にもキキがほうきに乗って飛び出してきそうな気がして。
   

これも被害にあった場所。 
   

このような要塞に旧市街地は守られている。
   

城壁には大砲のもんもあった。
   

遅い昼食兼、早い夕食。
ここではカラスガイを養殖していてしていて非常に安い。
   

良い夢を見ようと早寝をして。





プリトヴィッツェから再びザグレブへ ネクタイ発祥の地

2006年09月12日 | 旅行
早朝よりの激しい雷雨でどうなることかと思ったけれど、
出かける頃には何とかやんでくれた。


湖の区切りの所には必ず水深と、全体との位置関係の立て札があった。
   

咲いている草花は、どれも日本でごく普通に見られるのと、
ほぼ同じ種類だと思われる。
   

   

   

   

   

これは間違いなく片栗の花です。
   

朝になっても旅行社からの電話がない。
仕方がないので自力でホテルに掛け合い、バス停までの車を確保し
11時55分のバスを決めてからやっと旅行社と連絡が付いた。が
もう自力手配したのでそちらはキャンセル。
2日の間に彼女は何回も日本にメールを打ち、電話をかけたのに、
対処が遅すぎる。

元はと言えば、最初に帰りのチケットが無かったのが原因なのに、
旅行社は、キャンセルに対して、あまりよく思わなかったみたいだ。

バスが来ない。
バス停で待つこと小1時間。

そのうち白タクが来て、1台1000KNでどうだという。
その時9人がバス停で待っていた。

地元のお姉ちゃんが、鼻先で笑っている。友人が交渉して
900KNまでに下げたが、最終的に乗りそうな雰囲気になったのは
日本人4人だけ。他の5人はバスを待つというので結局は待つことに。
20分遅れでバスがきた。満員の時は乗せないらしい。
あっぶねえ!!

途中事故が2回有り40分の遅れでザグレブに着いた。

ザグレブはネクタイ発祥の地とか。
夫に、クロワタという本店でネクタイをおみやげにし、
夜はお疲れさん会。コルチュラというレストランで。
ウエイターのおじさんは日本語べらべら。8カ国語が大丈夫だとか。
ここで8年間働きながら、お客さんから教えてもらい覚えたそうだ。

エミリーと2ショット。いかにも賢そう。ロックじゃこうはいかない。
   

次の日は、飛行機の時間まで市内散策。
土曜日なので、市が立ったり、楽しそうだった。
そこで危うくおばさんのひったくりに遭いそうだったが、
警戒モード全開にして難を免れた。
用もないのに、そばへそばへ寄ってくるのは要注意です。

  

可愛いったらありゃしない。
音楽がなっていれば自然に踊りたくなるらしい。
   

   

   

   


   


   

路面電車の軌道の汚れをを、水圧で洗い流していた。
   

ザグレブの空港で見たドングリ。日本の3倍くらいはありそうだった。
   

午後16時45分。ドブロヴニクへ到着。
アドリア海の真珠とご対面です。
空港からのタクシーから眺めた旧市街は、まるで絵のようだった。

クロアチア プリツヴィッツェ 世界遺産

2006年09月11日 | 旅行
8月24日晴れ
無賃乗車の電車にてバスターミナルへ。
8時40分発、旅行会社の手配によるバスで一路プリツヴィッツェへと向かう。
所要時間高速道路に乗っておよそ2時間と15分。

沿道では先の内線の爪痕がそこここに、まだまだ沢山ある。
内戦が終わってから10年が経つというのに風向にはまだまだ遠そうだ。

11時頃、世界遺産プリツヴィッツェに到着。

ホテルは公園の中なので、入園料を払う。100KN
およそ日本円の2000円。だいたい1KNが20円くらい。

大きな荷物はザグレブのホテルに預けてきたので他の荷物を
ホテルに預け、いよいよ公園内に。
まずは腹ごしらえを。

公園内には2時間くらいコースから6時間くらいコース間であり
自分の歩きやすいコースを選べる。

   

園内はトロリーバスが走っている。たぶん電気自動車だとおもう。
しかもベンツ。
   

まずは対岸へ船で。
公園内の禁止事項は全部わかりやすいマークで、リードなしの犬はダメ
たき火、キャンプ、草花を取る、泳ぎ等あった。
   

何処を見ても”きれい”の一言しか出てこない。
   

水には石灰の要素が入っているみたいで、湖の底の方白くなっていた。
透明度もすごく高く、底に沈んでいるのもはっきり見えていた。
   

あるところは奥入瀬に、又違うところは摩周湖に、上高地に、秋芳洞とそして尾瀬と白神山地。
日本の風景と重なるところのあった。 
   

ここは13の小さな湖が形態を無し、底にはニジマスが沢山泳いでいた。
でも取るのは禁止で、ホテルで食べたニジマスは、40キロくらい
離れて川でとれた物といっていた。
   

ニジマスを食べても良いのはカルガモだけ。
   

   

   

ここは、sight seeing pointoと名うってあったので行こうというと、
友人は”嫌だ”という。なだめすかして、急な岩山を200M位
登り、さらに150M位歩き、最後に50M降りてたどり着いた。

行くまでは”ろくな所じゃなかったら承知しないから”というので
”ろくな所じゃなかったらビールおごる”と言って、さあ着きました。
”きれ~~~い””来て良かったでしょ?”
   

およそ6時間歩きホテルへ。
ささ、お風呂へ入りましょ。と思ったらシャワーしかない。
食事のおいしさに免じて勘弁してあげよう。

明日のバスの手配がいまいち旨くいってないみたいだ。
友人は国際電話の出来る携帯で、日本の旅行社と連絡を取っているが、
なかなかスムーズに行かない。

続く

世界遺産をたずねて クロアチアへ 東欧犬事情2

2006年09月10日 | 旅行
友人と二人でクロアチアへ行こうと決めたのが、去年の12月の事でした。
子供も20歳を過ぎ、子育てしながらボランティアをし、働いてきた自分へのお疲れさん手当てとして、
家族もロックも(?)快く出してくれた。

そして8月23日一路クロアチアへ!

乗り換えはフランクフルト。あちらこちら空港の中では工事をしていた。

   

そして、空港の中での職員の移動手段は自転車。
   

体の不自由な人や乳幼児連れ、荷物の沢山ある人用には電気自動車が空港内を走っていた。
   

ドイツ銀行のおじさん。両替しようと1万円を出すと、日本語で”おー1万円”
と、自分のポケットに入れようとする。
あまりにもチャーミングだったのでカメラを向けると、急いで沢山のお金を出しこのポーズ。日本ではありえない。
   

朝9時55分に成田を出発し、クロアチアのザグレブに着いたのは、夕方19時。
時差8時間。19時といってもまだまだ明るかった。
ベンツがそこらじゅういっぱい。タクシーも、もちろんベンツ。
   

迎えの車でホテルシェラトンへ。
ここで明日のプリトヴィッツェ行きのバス往復切符をもらう予定だったが、片道しかないという。海外旅行に長けている彼女は、海外使用の携帯電話を持ってきていたので旅行者と連絡をとる事にした。

クロアチアは、E-メールが使えない。ショートメールで彼女の会社を通じて旅行会社に連絡を取ってもらうことにするも時差があるのでなかなか取れない。
が今夜は楽しくせねば、、、、。



近くのレストランで乾杯!!
クロアチアの有名なビール。
   

スカンピというザリガニみたいな感じ。あまりおいしくなかった。が、高かった。
   

帰りに黒ラブにあったら、ベロベロ挨拶をいただいた。
   

次の日は、路面電車でバスターミナルへ行ったがお金の払い方が解からなくて、ただ乗り。ごめんなさい。周りの人に聞いたのだけれどいまいち通じなかった。
でもみんな親切で、降りるところへ来ると口々にここだと教えてくれた。
   

プリトヴィッツェ間ではバスで2時間15分くらい。
黒ラブの2頭散歩みつけ!!
   

沿道は1995年に終わった内戦の後がそこここに沢山あった。この家は銃弾の後がいっぱい。ほかにも沢山の家が穴だらけだった。
その当時打ち落とされた飛行機や、戦車もメモリアルとしてあったがバスの中からではうまく写真が取れなかった。
   

ようやくたどり着いたプリトヴィッツェ。
カレンダーと同じ場所が。(腕前と季節と場所が少し違うが)
   

   

続く

東欧犬事情

2006年09月07日 | 黒ラブ
出発の朝の顔。
”お母さん会社と違う服着て、大きな荷物もって、どこいくの?”  

  

旅行の間何処へ行っても、つい、犬へ目がいってしまう。

日本と外国の犬事情の一番の違いは、なんと言ってもしつけかしら。
フランクフルトの空港で、トイレに犬が入ってきたのです。
それも2頭。吃驚しましたよ。
飼い主がトイレに入って出てくるまで、待ての姿勢で待っている。
他の人も普通にしている。ホントです。
   

   



まあお利口で吃驚です。

3カ国しか行かなかったのですが、他の人に迷惑をかけなければ、
ノーリードでいいみたいです。

クロアチアのプリトヴィッツェで見かけたダルメシアン。
ここには犬マークで、=紐なしはダメ=と絵で表現してました。
いくらこっち向いてと言っても、観光客の落とした食べ物をひろうのに
一生懸命で、とうとうこんなポーズしかとれず。
   


そして、次にあったお利口さんは、ザグレブで名前はエミリー。女性です。
連れていたのは、ナイスミドルと言う言葉がぴったりの人です。
友達が、犬の写真を撮らせてくださいというと、
”ママが知らない人と話をしてはいけないと行った”なんて、
軽い冗談まで言って。是非一緒に写真をとお願いしたのですが、
”僕はいいよ”ああ、今思い出してもかっこいい。

   

ノーリードで普通に散歩して、何かあったときはさっとリードを付ける。
自然なんです。他の犬も。そして、うんち袋を持っていない。
そうなんです。外でうん○しないんです。しっこしているところも
見なかったような気がする。

   
ホテルの向かいの家に、犬の置物が有るなんて見ていたら、動いていた。
絵になるポーズを取って、まるで映画のシーンみたいでした。


そして、ドブログニクでみた、たぶんmixだと思うのだけれど
バスの中からだったので、こんなショット。
残念なことに、40キロくらいは有りそうな黒ラブを何回も見たのだけれど
いずれも移動中で写真に撮ることが出来なかった。
いつもノーリードでフラフラ歩いている。でもちゃんと首輪はついていた。
   

これはmixでたぶん野良だと思うけれどみんながかわいがっていた。
   

ボスニアヘルツェゴビナでは、1匹も犬を見なかった。
ガイドさんに聞いたら、あまりいないと。小さい犬は居るけれど。
でも猫が、そこ、ここ、ここにいっぱいいた。

最後のフランクフルトでは、沢山の犬がいた。
普通に日本のように散歩していた。


   

これは、道路でアコーデオンの小さいのを引きながら犬と一緒に
物乞いをしていたたぶん若い女の子と思われる。大道芸人とは思われなかった。

   

あさ、飼い主と一緒に仕事に出て、自転車のそばできちんと待っているゴールデン。

   


そうそう。ドイツでは、自転車で犬を引くときの道具が有る。
もうそれも写真とれなかった。
後ろにボウのようなものがっていて、トップの方はスプリングになっていてその明きにリードを付けるみたい。

ロックにお土産を買うために入ったグッズやさんは沢山のいろいろな道具があり
選ぶのに大変だった。でも私の犬はラブラドールで体重は25kgと言うと(これだけは自分で英語で言った)そんなに大きくないと普通の体重だと言って選んでくれた。おまけにまけてくれた。見た目はすごそうだったけれど優しかった。ただ算数が出来ないらしい。

帰りのフランクフルトの空港でも普通に犬が空港内を歩いていた。
全体的に犬は何処でもフリーパスで、入ってはいけないところに犬進入禁止のマークが付けてあった。

でも何処の国の犬でも可愛かった。
3年前の私には信じられなかったこと。


お土産はこれです。

2006年09月03日 | Weblog
9月2日午前7時30分。
11日間の旅行を終え無事に帰ってきました。

ロックのお土産はこれです。

ドイツはフランクフルトの動物グッズ専門店で買いました。
日本にもあるかもしれないけれど、記念にと思って買いました。
首輪と、リードで46ユーロだったのですが、ラストワンなので
ディスカウントしてあげると、35ユーロにしてくれました。
(クレジットを使ったので38ユーロになったけれど)
赤と黒のバンダナつきは、椿ちゃんとおそろいです。

帰ってきての歓迎はたったの五分。
頭突き、アタック攻撃、べろべろ攻撃、以上終わり。

その後はずーっと、お父さんのほうを見て、
”お父さん、おやすみでしょ?お散歩は?遊んでよ!!”

悲しい。忘れてしまったのか?お母さんを、、、、、。

私のいない間の散歩は3人で折り合いをつけながら
やってくれたそうな。

息子も、お土産に釣られて頑張って夕方の散歩をしたそうな。
お洗濯も自分でしたそうな。

娘は帰りが遅く、ほとんど散歩はしなかったようだ。
が、今日3日は、彼女の誕生日なので、一番高価なお土産に
なってしまった。

結婚して初めて自分のためだけの長期間の旅行をした。
(2年前に、娘が2泊3日の旅行をプレゼント
してくれたことはあったが)
何も心配することなく楽しい旅行ができたことを家族に感謝。

各国の犬の散歩事情や、写真はおいおいブログに
書いていこうと思います。