黒ラブ ロックが行く

生まれつき肝臓が普通の犬の4分の1しかない、小さい黒ラブと、家族のお話です。

黒ラブの近況

2011年06月29日 | 黒ラブ

気がつけば夏至もとっくに過ぎており、空梅雨なんだか猛暑が続いてみたり、
九州、東北では大雨だったりと変な天気。

黒ラブロックも年のせいか、最近はトンとおとなしくなってしまった。

土曜日。
お疲れの三人衆。
向かって左から

Friday night fever で all してきた長男。
暑かったり、寒かったりでお疲れの次男。
ただ単に疲れているロートル(ふっ古い言葉)の家長。


日曜日。
母はボランティアをしている耳の聞こえない人が主催のフリマへ行ってきた。
山のようにコップ買って。


僕にはこれを買ってくれた。

スヌーピーとプーさんのぬいぐるみ。

お留守番で寂しかったけれど許してやろう。

明日から10日間ほど北海道。

まあ、大型犬同伴の旅はほんと宿が大変。
新しい旅日記は7月中旬です。

おまけ、お土産編

2011年06月24日 | 旅行

6月の暑くてたまらない時に、2月の寒そうな旅行日記を書いているmajoです。

出かける時の、三つ葉。


帰ってきた時の三つ葉。

別にどうってこと無いんですが、、、、。



旅行の醍醐味はお土産に有り。
今回は自分のためにはチェコのボヘミアングラス、フレグランス、バスグッズ。
ロックにはチェコの首輪。
長男にはビジネスバッグ。
夫には帰国の次の日が誕生日だったので、フェラガモのお財布とキーケース。
お友達にはチェコのチョコレート。


このだっしゅ村の村長さんもどきのコスプレアヒル。
実は世界中のヒルトンホテルで売っていて、
コンセプトは
アヒルはあなたの適切は助けによって不利益な子供たちの生活を変えられます。

利益は途上国の子供たちに予防注射や、ワクチンのために使われるそうです。

5ユーロです。もし見かけたら買ってください。

さあ、旅行記かきおわった。ほっ!

来週の今頃は、ロックと一社に函館だああ!!


世界奇想遺産

2011年06月24日 | 旅行


憧れのウイーン市庁舎
5年越しの想いが遂げられた。
ここは絶対はずせない場所。
これを見るためにウイーンに来たのだから。

前回の時は曜日が会わなくて見学することが出来なかった。

見学できるのは、月、水、金の1時からと3時から。
議会の無い日。

無料。翻訳機も無料(借りる時にパスポートを預ける。)トイレもただ。(ほとんどは有料)

中庭から見るシンボル塔。

1時ちょっと前に行くと各国の人が結構待っていた。
日本人2人。
こんな立派な大理石の柱。


大広間、ここでコンサートや市長の演説などをする。
舞踏会もここで開かれる。
夕方から何かのイベントがあるようで、スタッフが音響などの調整をしていた。


上にあるモニュメントに意味があるとかいっていたけれど、忘れちゃった。


ここが演奏する場所。


市長の部屋。
歴代の市長さんの肖像画がかかっていてそのうち一人だけ在任中に亡くなったので
ちょっとちがう展開の絵になっていた。


これがすごい、100万ユーロのシャンデリア。
何でも500からのクリスタルで出来ている。


紋章の部屋。
格貴族の紋章旗がズラーっと並び、100万ユーロのシャンデリアがそれを輝かしている。



ここは市議会場。


ガイドの東欧系と思われる女性のドイツ語での案内。
undだけが良くわかった。そして、、、、。

座っているデスクは格議員さんの。
鍵をかけている人もいれば、いない人も。
そっと触ってみたらあいていた。
中には鉛筆と、資料らしきものと、キャンディが。

開けてはいけません!!


およそ1時間半の見学。



十字架のモニュメントでしょう。


ぼけていますがウイーンの地図です。


3階から見た中庭。


歩くのがもったいないくらいのモザイク廊下。


この先に会ったトイレのぺーパー

本当はピンクの色で印刷されてありました。(だから、目の付け所が、、。)


中庭沿いにある長ーい廊下を抜けてお仕舞いです。
もし、これからウイーンに行こうと思っているならば、是非ここを見学ルートに入れてください。
絶対後悔しないと思います。


そして娘最後のお楽しみ、ホテルザッハーの、ザッハートルテ。
おいしゅうございました。


ケルントナー通りで娘の好きなようにあそこここと引き回され、
有名なチョコレートや三では日本語で”触らないでください”との張り紙があった。
歩きつかれ最後のポーズでウイーンにお別れ。


翌2月17日、帰国。


まあ、世の中の進歩と言うのはすばらしく、今はICチケット。
なんとパスポートをかざすだけでチケットが出てくる。。

最初はわからずえっとーなんて見ていたら、イケメンのお兄さんが
ほかの人のパスポートを預かってなにやらしていたので、すかさずお願いした。

まあ、お兄さんいい人なんだか、パリからの座席が娘とは離れ離れだったけれど
1列貸切状態。

私は左側の窓側から1列、娘は右側の窓側から1列。

お兄さんなんと思ってしてくれたのかしら。

でもこのチケットが曲者で、ぺらぺらしているからどこかへ行っちゃうみたい。

ドゴール空港で、お父さんチケットが無いの。と言う団体旅行のおばさん。
ミエコ何やってるんだ!!怒るお父さん。

どうなるのかと思っていたけれど、同じ飛行機に乗っていたから大丈夫だった見たい。


一つ最大悔しいことが。

乗り換えの時間が少なくてタックスフリーのリファウンドが出来なかったこと。

明らかに中東系と思われる二人連れが、ピンポンピンポンなり続け。

靴を脱いでも、ベルトをはずしても、何をしてもなり続け、そこで20分くらい費やしてしまい、とうとうだめだった。

これだけが今回のダメージ!!

でも、前回行った時よりユーロが35円ほど安かったので良しとすることにした。






女傑マリアテレジア、majo、娘みかん。

2011年06月22日 | Weblog

2月16日
娘が行きたかったところ Sisi museum。
内部は一切写真撮影禁止。
当時の食器、衣装 最後に刺殺された時の洋服までもが展示されている。

16人子供生んで、ウエスト50cm 体重50kg
叶いませんやな。

ミュージアム前のホール。


世界に冠たるプチポアン マリアシュトランスキーのお店。Sisi museumの前。
気がつかないほどの小さなお店。
そしてマリア。御年8?さい。今でも仕事をするとか。
めったにお店に居ることは無く、ほんとたまたま。
いつもはお弟子さんが居るだけ。


いろいろ進めてくるのはちっちゃなブローチとか、チャちぃいものばかり。
まあ、日本人はみんなそのくらいのものを買っているのでしょうが。
どうしようか迷う娘に、本物は二度とはめぐり合えないんだから好きなものを買えば!
お金はお母さんが貸してあげるから。
そして買ったのがこれ。

マリア、えっこれ買うの。
そんな感じで結構いい値段でした。

母も35年前に買った、マリアのではないプチポアン、今でも大切に使っているので
買っちゃえ!!



王宮の中からのマリアテレジア。


ブルグ劇場。


国会議事堂。


そして憧れ続けた市庁舎の前。冬はスケートが。
流れていた曲はウイナーワルツかどうかは覚えていないが。


春はカーニバルなんですよ。


いよいよ恋焦がれて5年。
ウイーン市庁舎内の見学。


ちょっとその前に軽く咽を潤しまして。


いやあ、あまり日本人は行かないようですが、世界奇想遺産。
前回は曜日が会わなくて見学が出来なかったけれど、今回はばっちり。

乞うご期待。


ウイーンも寒かった。

2011年06月21日 | 旅行

まあ、世界のヒルトンは部屋が違う。
我が家の居間の2倍はある。
ベッドも広々。
デスクだってすぐ仕事できそうなくらい広くて大きい。
そこに広がっているのは、化粧品会社に勤めている娘のコスメではあるが。


飲み物も充実。チェコでは何にも無かったから。


アメニティも、チェコにはリンスインシャンプーと、石鹸だけ。


ドイツ系のホテルはバスタブに、こういう間仕切りがガラスのところが多い。
チェコでは、汚らしいカーテン。

比べると同じ4星クラスなのにこんなにも違うのかなと思った。



自転車は平日(月~金)は、9時から3時まで、そして土曜日とに日祭日は18時30分
まで大丈夫。
注意!!(足挟むな)

だから目の付け所が、、、、。


娘のウイーンで行きたかったところその1
シェーンブルン宮殿。
大学の卒業旅行の時、ウィーンで40度の熱を出し何処へもいけなかったと言うので。


一番乗り。8時56分入場。
日本の大学生と見られるバックパッカー。
学生はこうじゃなくてはいけない。
親に内緒でカップルで来ているような男女も数多く見られたが、親御さん知ってますか?

宮殿の中は写真撮影禁止。
およそ1時間半くらいで全前40室が見学できるグランドツアーがお勧め。

中国人オグループと一緒になったが、うるさくでガイドホーンも聞こえないくらい。
中は3分の一くらいが修繕中。

モニターテレビはやっぱりサムソン。

三度め。


1度目は姉と、2度目は夫と、3度目は娘と、4度目長男とあるかしら?


グロリエッテの Tea roomでホットチョコレート。
だって、雪降って寒くて寒くて。


宮廷の庭にいたリスと思われる。



次も娘の行きたかったところ。
ベートーベンの散歩道を散歩し、ベートーベンの下宿咲きのホイリゲでワインを飲むこと。
出発。


こんなところにワンコのぶつ入れが、、、。
だからあ、、、、、、、、。

そばにいた工事のおじさん笑ってるし。

30分くらいも迷ってやっとたどり着いたベートーベンの散歩道。


誰も散歩していない、私達だけの世界。
ベートーベンさまあ。
私はモーツワルトよりベートーベンのほうが好きなの。


ここがベートーベンの下宿先。


ベートーベンが毎晩ワインを飲んだホリイゲ。
開店まであと1時間。

もう疲れてあと1時間も時間すごせないのでまたの機会とスル。

ベートーベンの散歩道でであったワンコたち。






お母さんと二人ずれのお嬢さん。日本人と思われる。
散歩道探していたみたい。

ふう、疲れた。

駅近のスーパーで食事を買ってお休みなさい。

ウィーンは治安がよくないので夜女同士で歩くのは危険と思われ、
しかもホテルが繁華街から遠くて、駅からも団地の中を抜けていくので
なるべく危険は回避するために、5時頃にはホテルに帰りスーパーで食事を買うことが多かった。

この日のお昼は、
市役所の近くのレストランで、ウイナーシェニッツェルをハイネケンと一緒に食す。







お昼は待望のチェコ料理。

2011年06月19日 | 旅行

お昼は先輩の後輩が教えてくれた、レギー橋の袂にある、”SLAVIA(cafe)
ガイドブックには載っていないところでした。

娘はこれを。


私はこれを。

もれなくビールつき。
ビールも、ヴァドバイザーがお勧めといわれたけれど、それってアメリカのビールでは?
と言うと、いえいえ、これはチェコの生ビールが本家ですといわれたような気がした。

なんて可愛いカフェオレ。


別バラメニューのケーキもハーってため息が出るくらい美味しかった。

レストランで写真を取る時は一応 ”picture OK?”ってお店の人に聞いてから撮ります。

王朝文化が繁栄していた国は、本当に食べ物が美味しい。
チェコはハプルスブルグ家の庇護を受けていたらしい。

スメタナ博物館へ行く途中のこれ。
ワンコのぶつ入れ。

スメタナといえば、♪♪ボヘミアの流れヴルタヴァよ~~♪♪を作曲したのだけれど
これしか知らない。
習ったのは中学校のときかなぁ。


川を挟んでのプラハ城。何で外国の人はこんな格好をしても似合っちゃうんだろうな。
日本人これやったら後ろからどついてるんだけど。


いよいよカレル橋。入り口昼バージョン。
14世紀のボヘミアンゴシックの傑作と言われる休止がイガの橋塔。
この橋の両側には30の聖像彫刻がある。


門番のお兄さんに、”picture OK with you?”と聞いたら
”sure”と言って、剣を持たせてくれた。

ええ、おのぼりさんですから。

聖ヤン・ネポムツキーの台座のレリーフに触ると幸福になるとの言い伝えがある。
で、右に触ると恋が叶うとか、日本人が行ってるのがまれ聞こえたので
娘に触らせ、後は我が家のロックのために、左のワンコにも触った。


橋の上でも親父バンドが、


一人マリオネット演者や、お姉さん一人バンドとかいろいろなパフォーマンスが
あった。

中には、beggarと思われる人も、寒そうなかっこして手をすり合わせながら
寄ってきたりもしたけれど、パス。
とにかく寒かったのこの日は、雪は降るし、雨は降るしで。
でも、日本からしっかりと暖房を(ホッカイロだの貼る温パックスだの)持ってきたので
何とかしのぐことが出来た。


日本大使館昼バージョン。
先輩の後輩、さようなら。チェコは楽しかったですよ。


3日間お世話になったアーケード。
最後に娘はレジのお姉さんと顔見知りになり、なんか会釈交わしたりしていた。


最終日に見つけた不気味な日本人。
芸者と言う名前のチョコレート。買う気はしなかったなあ。



2月14日、いよいよチェコともお別れです。
本当はチェスキークロムフにも行きたかったのだけれど、冬はお城がしまっていると言うので
次回にすることに。

プラハ中央駅。


中も由緒ありそう。
2階にテラスがある。


ヨーロッパの駅は大体同じつくりでこんな風。


そしてきました、オーストリア国営鉄道QBB。チーズではありません。
(知っている人だけ知っている)


さよならプラハ。今度は暖かい時に来たいな。


車窓から。
あの木の上にある固まっているものはたぶんからすの巣では?

お母さんうける~~~。
目の付け所が違うよね。

5時間のたびの間、ずーっ世界の車窓からのBGMを口ずさんでいた。

昔は列車の中でも国境を越えるとパスポートの検閲に来たのだけれどEUになってからは
無いみたい。チェコはEUではないけれど隣の国だからなのかな。

3時半、ウイーン到着。
なんだか様子が変。こんなとこに着く予定ではないのに。

雨は降ってるし、でもそこは若いナビ、なんか南駅が工事中なので臨時の駅らしいよ。

ほっ! しかし、地下鉄の無い駅のそばがホテル?

良く見ると2010年開通だって。良かった良かった。

が、駅についてもホテルが見えない。

見えるのは団地ばかり。

思い切って花屋のおばちゃんに聞くと、”go straight”

まっすぐ何も無いじゃん。

疲れもたまってきた娘とは険悪状態。

何とか行きましたよ。 団地の陰に隠れていた”ヒルトンダニューブ”

しかも工事中。

大丈夫かなあ。中へ入ったら大丈夫だった。

もう、流石に世界のヒルトンホテル。

welcomeもばっちり。


駅のそばのスーパーで買ってきたビールでお疲れさん。
明日のために。



プラハの春は寒かった。

2011年06月17日 | 旅行

2月13日は早起きをしてプラハ城、カレル橋等々行く予定。
昨日のお天気のよさに浮かれて、プラハ寒くないジャンと思ったら、寒い。

7時からの朝食に行ったら、そこここにでっかい男供が山盛りのパンやらハムやら
ガッツリ食べていた。

背中にはチェコなんとか.comと書いたナイキのジャージ姿。
あれきっとチェコのサッカーチームだよね。なんて娘と話していた。
食堂には3組の日本人。みんな個人で来ているようだった。

8時にはホテルを出て、まずは明日の乗る列車の駅を確認。
この国立博物館のそばにあることを確認。


博物館の正面
プラハの春、チェコ事件のヴァーツラフ広場。


広場のとおりにはきちんと高さをそろえられたビル。
YAMAHAなんかも借りてるらしい。


火薬塔と呼ばれている15世紀公判の建物。


チェコ・キュビズム博物館。
道に迷って歩いても、必ずいいものに出会える。

迷って細い小道を歩く。なぜかお土産店には、ボヘミアングラスとマトリィーシカが渾然と並べてあった。


ぷらぷら歩きながらプラハ城を目指していたが、雪が降ってきた。
こりゃトラムに乗るしかない。
小高い山の上にあるプラハ城のふもとから入り口まで10m置きに建っていたのぼりは
なんと、サムソンの広告。


そしてプラハ城の入り口にはヒュンダイの広告。
恐るべし、コリアンパワー。

だからお母さん、目の付け所が、、、、、。


いよいよプラハ城散策。
衛兵さんはイケメンばかり。


この奥には誰が住んでいるのでしょうか。


チケット売り場のお兄さんもイケメンで親切に、丁寧に説明してくれた。
チケットはオールマイティを購入。全部の建物が見られるから。


シュテンベルグ宮殿。


日本語が聞こえたので二人の写真をお願いした。
どうやらトヨタの社員らしい。
愛知から出張で来ていると言っていたから。


大聖堂、ミサがあるので、12時からでなければ入れないとの事。


すごい人でしたさ。


何しろ世界遺産ですし。

一応撮影はフラッシュ禁止なのですが、みんなバシャバシャフラッシュたいていました。

衛兵の交代です。
とにかくかっこいいの。


建物の中はほとんどが撮影禁止なので、ただただ見るしかない。
そういえばお墓や人骨も展示してあったけ。

別の建物ではこんなオチャメも。

背がたりない~~~!



午後の部は明日UPにします。   

プラハの街は晴れだった。

2011年06月16日 | 旅行

プラハ2日目は旧市街探索。

遅い朝食をとり、これが美味しいパン、ケーキetc。
いざ出かけなんとした時。

携帯が壊れてる!!

えっ!

充電がされていない。

前から持っていた変圧器が壊れたので、新しいのを買おうと思ったら
今は各国共通のコンセントだけで大丈夫です。と言うお店の店員さんの言葉を信用して、
変圧器は買わなかった。

デジタルカメラは先に充電していたので大丈夫だったけれど、何があったか解らず
とりあえずコンセントは使うのをやめることにした。

さすれば困るのがすぐに充電がなくなるデジカメ。

あれだけ新しいの買ってといったのに、旅行に新品はいらんと言っていた夫の悪口を
こんなプラハのホテルですることに、、、、。

しかし、そんなことさえ吹き飛ばすほどの美しい景色。


まずは地下鉄で旧市街へ。

ホテルのそばにあるアーケードの中に地下鉄の駅があり、その中にはスーパーもあった。
そこで見つけたおりこうわんこ。


先輩の後輩が一路線の時は18クロネ、乗り換える時は26クロネのチケットを買うようにと
教えていただいていたので割とスムーズに事は進んだ。

プラハの地下鉄は3路線。赤、緑、黄色の路線なのですごくわかりやすい。

ホテルから旧市街までは乗り換えありで、およそ15分くらい。


まずは、旧市庁舎へ

おやおや、こんなところにトヨタのレクサスが、流石世界のトヨタ。


プラハの街は全部が石畳。ブーツしか持って行かなかった母は大失敗。
娘はちゃんと変え靴を持って着ていた。


旧市庁舎のからくり時計。


エレベーターはガラス張り


途中から階段に変わる。


展望台から見たティーン教会。


旧市街広場ヤンフスの像。


どこかの屋上カフェの、コカコーラ。

お母さんは目の付け所がおかしいといわれる。

市庁舎内の天井。


隅に飾ってあった、キリスト誕生の人形。


ゴルツ・キンスキー教会。

中。

素敵なシャンデリア。


カメラの電池がパカパカしだした。

しょうがないからカメラやさんを探したら旧広場の先にありましたコダック。

お店に入るとイケメンのお兄さんが、Can I help you。

あれやこれや見てCanonのカメラ買うことに。

ところが仕様がチェコ仕様。
娘が日本で使える?と聞くとworld wideだから大丈夫といってくれ
お兄さんあれこれ頑張って日本仕様に変えてくれた。

観光客の多いところは割りと英語が通じるけれど、それ以外は全く通じない。
ここのお兄さんは大丈夫だったけれど、地下鉄の駅員さんでもだめな人が多い。

旧広場でのチェコ版親父バンド。CDも売っていたし、日本の曲もやっていた。


ハベル市場。観光客用と思われ、チェコの人形が沢山売っていたがいまいち欲しいと思えない。






そしてこんなところに、T・黒柳さんが。



お母さん笑える~~~。

ホットワイン。ごめんなさい。チョーまずい。まるでレバーみたいな味。


チェコの伝統菓子トウデルニーク。何の味もしない。ごめんなさい。


フランツ・カフカの生家。

レストランになっている。


マニュファクチュラのキリスト生誕の時。


真夜中に見たカレル橋。昼バージョン。


夜はここでコンサートを聴かねばならぬ。


かえっておめかしをせねば。

ポーズは決まっても、足元の健康サンダルが、、、、、、、。


観光客向けの軽いコンサートだったが、知ってる曲が多くて楽しかった。



本当は国立マリオネット劇場で人形劇を見たかったのだけれど、土曜、日曜は休みなんだと
先輩の後輩が教えてくれた。

ほかでは子供向けのものしかやっていないというので、今回は諦めた。

地下鉄乗り継いでホテルへ帰り着く。
駅直結のスーパーで、ビールと軽い食べ物を買って今日はお仕舞い。
ビール1本60円くらいから高くても150円くらい。
私にとっては天国だよ。


なぜ扇風機があるのかが理解できない。

チェコのホテルは、エアコンではなくスチーム暖房なので咽が痛くなったり、
乾燥しすぎで困ることはまずないと先輩の後輩が行っていた。
そのとおりだった。

そして、暖房が行き届いているのでホテルでもシャワーだけのところが多いと。
バスタブが欲しいばっかりに、見所から結構遠いホテルになってしまった。







あれから4ヶ月も過ぎてしまった。

2011年06月14日 | 旅行

俺はお母さんに言ったんだ。
ぐだらぐだらして居ると、旅行記書けなくなるぞって!

俺だって梅雨の鬱陶しさで男らしさが出ないからな。








チェコへ行ったのは2月。
時差ぼけかなんか解らずグダグダしているうちに、ひと月が過ぎた3月11日。

昼過ぎから旅行記でもブログにUPしようと思って、PCに向かい何行か書いたとき、
あの東北地方の大地震が発生。



こんな時のんきに海外旅行記でもあるまいと思っているうちに
それから3ヶ月が過ぎ、旅行記書かないうちに次の旅行が始まる。

で、忘れないうちに書く!!。





チェコ、&オーストリアに行ってきた。


平成23年2月11日

成田14時55分発アムステルダム経由プラハ。

娘がチェコへ行こうといってきたのは12月のこと。
仕事が忙しいので休みが取れるのは2月だけ。

なんだかんだとやり取りしながらいざ2月11日出発行き。


娘との旅行は長男が生まれて以来、なんと25年ぶりなのだ。

行きの座席は通路を挟んで同じ列。
もう最近は外見るより、トイレへ自由にいける席のほうが嬉しい。

旅のお供はこれ!

14時間も過ごすにはぴったりのお供でしょう。

が、しかし、座席についていたゲームにはまり(テトリス)ほとんど飛行機の中ではしなかった。

現地時間での18時30分。
アムステルダムに到着。
2回目のオランダ。(降りなかったけれど)
とっても綺麗な空港で、そこここにチューリップの花が植えてあった。

娘ナビゲーターがいたので何の問題も無く乗り換え成功。

プラハにはおよそ30分遅れで21時15分頃到着。

チャッチャット両替を済ませ、入国するとそこに待っていたのはなんと

外交官 黒田康作。

よりずーっとかっこいいチェコの日本大使館に勤めているTさん。

長女の高校時代の先輩の後輩。
先輩も日本大使館のチェコ勤務だったのをやめて、今は、昔、長女が勤めていた会社で働いている。

そのご縁で迎えに着ていただいたのだ。

空港から車で30分くらいかかった旧市街まで案内していただき、更に夕食までご馳走になったのだ。

チェコの日本大使館夜バージョン。


日本人観光客などほとんど行かないチェコのパブで、チェコ料理をチェコビールともに頂いた。
ピリゼンビール。このお店の地ビール。
美味しかったのに、娘がお代わりするなと言うから我慢した。


私が頼んだペプショベージセック。豚のカツ。good。


娘の頼んだグネドリーキ。悪いがあまり美味しくなかった。


そして先輩の後輩が頼んだチキンのサラダ。


ほかにグリーンサラダを頼んでくれたのだけれどしょっぱくて大変だった。

お店は地下で周りに石がずーっ戸張ってあるので昔からなのかと思っていたが、
昼間そこここで地面を掘っていたのを発見。割と新しいらしい。

チェコ語を聞いていると、まるで日本語を聞いているような心地よさがある。
発音が日本語に良く似ているのだろう。
ドイツ語のように硬くなく、英語のように舌を巻くことも無く、なんとなく聞いていると
時々日本語に聞こえる言葉があった。


有名なカレル橋、真夜中バージョン。
もう12時にならんとするのに、沢山の若者や観光客が歩いていた。
すりとかかっぱらいとかは多いのに、治安は良いと先輩の後輩が行っていた。

ホテルまで送っていただき、お別れでした。

ああ、名残惜しい。

パノラマホテルプラハへご到着。
深夜でした。

ぜーんぶチェコ語で通訳していただき、明日のコンシェルジェの出勤時間まで聞いていただいた。

ありがたや、ありがたや。

明日明後日とお休みでも、当番なので緊急呼び出しのための待機とか行っていた。

美味しいお店、ボヘミアングラスのお店教えていただいて、アウフビターゼン。






キリンカップチェコ戦、引き分けだったけど

2011年06月07日 | 旅行

今日、サッカー日本代表とチェコの試合があり引き分けだったけど、2月にチェコ行ったときのホテル彼らと一緒だったんだよね。

毎朝、怒髪天をつくような男共の集団と朝食が一緒。

みーんな同じジャジー着て、背中にチェコ書いてあった。

娘と二人であれ絶対にチェコ代表だよねと言ってたのに、あまりサッカー興味なかったんで
エレベーターでもなんとも思わなかったけれど。

私達は5階で降り、彼らはビジネス階へと。

残念、あの時サッカーが詳しければ、誰が誰やらとも解らず
もしかしたらキーパーのチェフが同じエレベーターに乗っていたかもしれない。

嗚呼残念。

一期一会、サッカーに詳しければサインの一つでももらって、今日の試合テレビ観戦も
また格別なものになっていたはずなのに。

しゃあないな。

怠惰な俺達

2011年06月06日 | 黒ラブ

気がつけばもう6月。

5月の末に入梅の報道を聞く。

ああ、梅雨のための準備を何もしていない。

体が動かない。

とかとか、お母さんがいろいろ独り言を言っている。

そうさな、7歳の俺様だってなんだかだるくて何もしたくないもの。


最近またピアノの練習を始めたお母さんは、小学校唱歌を弾くたびに泣いている。

”ふるさとを弾いていると何もしなくても涙があふれてくる”だって。

お天気が良くても、被災地では暑くて瓦礫や流れ着いたものの腐敗臭でひどいんだろうとか
雨が降れば、避難所でお洗濯もままならない人たちはどうしているんだろうとか、
いろんなことで悩んでいる。

6月の30日から北海道に行くため東北道を通る。

帰りは被災地をしっかりと見るべく予定を立てている。

俺様も何かお役に立てることはないか思案中だ。

それにしても俺様を止めてくれる宿がない。

これも重大な思案の一つだ。

お母さんの送った絵本、図鑑はそれぞれお役に立った報告は来たけれど
義援金の行方がわからない。

どうなってるんだ!!