黒ラブ ロックが行く

生まれつき肝臓が普通の犬の4分の1しかない、小さい黒ラブと、家族のお話です。

もう一度登りたかったアポイ岳

2019年11月10日 | 旅行
10月16日
今度北海道に行ったら絶対アポ岳に登ろうと決め、このために、なんと準備期間3カ月を要した。
一日1万歩を目標にウオーキング、さらにはリュックに500mlのペットボトル2本を入れてトレッキングシューズで一万歩、小高い丘を登ったり下りたりを三往復、準備万端の上登頂目標時間2時間30分、下山含めて5時間の予定で出発した。

随分来ていないが、知らない間に世界ジオパークに認定されていたのね。
中学や高校の時は遠足でよく登っていたけれど、さてさてどんな結末になるやら。


最後に来たのは母が60歳の時一緒に来て、母は5合目まで何とか登ったけれどその先は断念。それを越えなければならない。母の年はずいぶん前に越えたけれど。


予定通り8時出発、わたしの前には、6時と7時に入山届が出ていた。


蝦夷鹿がお出迎えしてくれたがカメラが間に合わず、でも、すぐにエゾシマリスがお出迎えしてくれた。目の前で5分ほども木の実を食べていた。鳥さんも来てくれたがカメラアングルを調整しているうちに飛び去ってしまった。


こんなとこやあんなとこを登り5合目に40分くらいで到着ほぼ予定通り。


バックには太平洋。トイレ設備がないと言うので水分は最小限に抑え、チョコ、アメをエネルギー源にして、まだまだ余裕。


良い眺めだなあ!


さて気を取り直して再び頂上へ向かってGO! クマよけの鐘をカアアアアアン!!!


毒蛇にどうやって注意すればよい?


ごつごつとした岩山を登り、アップダウンの馬の背を乗り切り、


さてこれからが大変なところ。こんな岩にしがみつきながら頂上を目指す。


ここも大変なところ足場を確認しながらよじ登っていく。ロープがあれども、つかまってはいけないロープ。ここから踏み出てはいけないと言うロープなのです。昔はなかったような?


登ること2時間40分やっと頂上に到着!! 5,7キロ、140階、8477歩


ああ、疲れた!!って違う写真。たぶん中学生くらいの時だと思う。


やったーーーーー!! まだまだ余裕あるよーーーーーー!!


頂上でっす!!


さて下山は花を眺めるなどの余裕も出てきて、


花には詳しくないが特定高山植物だと思う。


日高山脈に連なるアポイ岳は日高山脈襟裳国定公園にずいぶん前からなっていて、子供のころから植物は取ってはいけないと言われていたから、見るだけで十分なのだけれど盗掘する人がずいぶんいるんだね。


ここで咲いている植物はここでいろいろ変化して生きているのだから、他へ持っていっても環境が違うとかれちゃうと思うけれど、取る人いるんだ。


下りにさっきの岩ごろごろを降りるにはちょっと厳しく思われ、お花畑を回っていこうと思った。


やっとここまで下りてこれた。


こんな看板が至る所にあります。

下りは2時間の予定だったが、危機回避のため遠回りしたので、ちょっと余計に時間がかかり5時間30分トータルでかかった。
19189歩 155階 スマホの万歩計ではこうなっていた。




お懐かしい親子岩さんを眺めつつ、従妹を訪ね友人と会うため再び浦河町へ。


友人夫婦のお宅で2時間ほどお喋りをして、夕食を誘われたけれど病気の友人が辛そうだったので、お暇することに。
じゃあ、これホテルで食べてと、サンマのお刺身をくれた。彼女のお兄さんはお魚屋さんで
お刺身作ってくれたんだって。これが美味しく、とろけるくらい甘かった。もう、こんなおいしいさんまの刺身にはお目にかかることができないだろう。


その後ホテルの近くのお店で、ばばがれいの煮つけ。


まつぶ貝の煮物。地場産いろいろ食べました。


次の予定は苫小牧から八戸へフェリーで行、その後ずーっと8年半、気になっていたことを自分で確かめるために東北エリアを走ります。


今日はこれからモロッコへ行くので、続きは書けるかしら。又、ハワイの二の舞になったりして。

では、行ってくるなり!








生まれ故郷の浦河町へ。

2019年11月10日 | 旅行
10月15日
朝、帰る夫と北大の構内を散策。
有名なポプラ並木はまだまだ紅葉には遠かったが、見事。懐かしかった。観るのは40年以上ぶり?


ちらほらと色が赤くなってはいるが。


ナナカマドだけが、少し赤く色づいていた。


通用門の美しい並木、たくさんの観光客がいたし、札幌駅からほんの5分。すてきなところです。


夫を千歳でリリースし、生まれ故郷の浦河町へ。

もう一つの目的でもある、中学時代の友人渡辺一馬の牧場寄ってみる事。。
一馬と呼び、〇〇埼と呼び合う中で、中学時代はテストの点数なども比べ合う位だったが、彼は牧場の跡継ぎになるべく、東京の駒場高校で蹄鉄の勉強するため、地元を離れその後は何度か会うこともあったが、この新聞記事を見るまで思い出すこともなかった。
今から5年前の読売新聞の夕刊紙に載っていた記事。

天寿を全う養老牧場

12歳年下の奥さんと結婚するにあたり、犯罪だとみんなにやきもちを焼かれたそうだ。


10年ほど位前に生産をやめ、今は引退した馬を預託で預かっていると話してくれた一馬は、中学校時代とほとんど変わらない純粋は表情で、話してくれた。誰だかわかる?と聞いたら、一瞬考えていたが5秒ほどで、〇〇埼さん?とわかってくれた。私も変わりなく純粋な表情だったらしい。(大うそ!!滅茶苦茶ばばあになってるのに、(笑))


秋の夕暮れの北海道の牧場。リタイヤした馬が草を食むっている。


穏やかな夕暮れ。小一時間ほど昔話や牧場、奥さんの話をしてお別れ。


夕刻、ホテルの近くを散歩しながら懐かしさに浸っていると50mほど先に何かがいる。
よくよく目を凝らすとぼんやり見えたのは蝦夷鹿、向こうもじっとこちらを見ていた。ので銅像かなにかと思っていたら、耳がぴくっと動いた。街の真ん中ですけど。


懐かしい夕焼けを、ホテルの窓から。


夕食は、夢にまで見っていたまつかわ(かれいの一種)のお刺身、ボタンエビ(赤エビではない)のお刺身いただきました。


タコの唐揚げにジンギスカンの竜田揚げ。昔憧れていた高校の先輩のお店で食べました。

先輩は、今やただのくたびれたお爺ちゃんになっていた。


ジンギスカンは北海道人のソウルフード!
ジンギスカン鍋、買っちゃいました。重かったけれど車だから。


美味しいものたらふく食べて、明日の為に英気を養いました。
明日はこの旅行の第一目的、
アポイ岳登山に臨みます。

昔は陸の孤島と呼ばれていた。雄冬。

2019年11月07日 | 旅行
10月13日
5時半にフェリーは小樽港へ入港。
どこか朝食、食べられそうなところを探すも、なし!
石狩郡厚田の両親のお墓参りをし、今回の旅行の目的の一つ、雄冬へ。

今でこそ立派な道路ができているが今から40年以上前に来たときは、増毛から船に乗らなければ来られないような偏狭の地で、陸の孤島と呼ばれていたのだ。

そして、その道路を作るのに莫大な費用が掛かり、この道路を襟裳岬の黄金道路に習いダイヤモンド道路と、呼ぶらしい。


今ではすっかり良くなったつり橋を渡り、途中の見晴らし台へと向かった。
美しい海と、青い空。


注意しろと言われても吊り橋の間から出てきたらどうやって逃げればよいのか?


さらにこの上に灯台があるのだけれど、吊り橋が壊れていて行く事が出来なかった。


40年以上も前は、吊り橋もなく山道を分け入って、灯台で飯ごう炊飯。(うそ、お湯沸かしてカップ麺食べただけ)

若っ!


雄冬の築港をバックに。


40数年後。年取ったねえ。


増毛で見つけたのがこの酒屋。 国稀。酒飲みはすぐに入る。


かなり古い酒屋で、建物も充分趣いっぱい。買いましたよ。日本酒2本。


昔使っていた秤。私は使っているのを見たことがある。


クマも飲むらしい日本酒!なぜ、くまもんが。


増毛は何かのフェスティバルをしていたらしく、結構観光客が来ていた。
昼食は、やっぱり港町と言えばお寿司でしょ。

このちらし寿司がすごい。ご飯がなかなか見つからない。
おおとろ、数の子一本、カニ足一本、うに、赤ウニ、いくら、豪華そのもの。美味しかったああああ!!


近くのお店にいた黒ラブ。ロックと呼ぶとこっちを見てくれた。


今夜の宿は、留萌。留萌港にあった光の塔。


ホテルで教えてもらった居酒屋、大将軍。混んでて美味しいもの食べたけれど写真撮り忘れ。お刺身も美味かった。



10月14日
一路札幌へ、途中で見つけた北海道ワイン株式会社。
鶴沼ハーベストスペシャルキュヴェヴァイスブルグンダー2010(白・辛口)ご購入。


午後札幌到着。ラーメンは外せない。姉の施設の近く(隣)竹岡ラーメンみそ味。そこそこ食べやすく私は好き。


姉をお見舞いして、今夜は札幌駅前のホテル泊まり。
ホテルで教えてもらった今夜も居酒屋。


このホッケ、クラシックの中瓶より大きかったので比べてみました。


ジンギスカンに日本酒合うんだなあ、これが。


お酒も美味かった。











北海道へ行ってきた。

2019年11月06日 | 旅行
北海道へ3年ぶりに車で行ってきた。ロックがいなくなってから車で行く事はもうないと思っていたけれど、新しい車にも北海道を見せてあげようと言うことになり、夫と出掛けることにした。

ただ出かけるのもつまらないし、今年は新潟からフェリーで行こうと。ついでに新潟で温泉でも入ろうかと計画したのは9月の始め。
そして10月11日、休みを取った夫と出発。が、大型の台風が近づいてきていて、フェリーも金曜日の昼頃でないと出港できるか判らないとのこと。

ままよ!最悪新潟で温泉につかっていればいいし!フェリーも宿も支払い済んでるし!!

新潟へ行きながらニュースを見ていると、次々に悪いニュースが飛び込んでくるし。

高速道路が通行禁止になり、新幹線も止まるし、でもフェリーは予定どうり出港とのこと。

災害にあっている人には申し訳ないが、ひと月も前に申し込んだフェリーだし。
家のことも心配だったけれど、犬友に点検をお願いしてあったので、それはそれなりに。

2時過ぎにホテル近くに着いたところ、まだ早いねと言いながらホテル方面に向かっていると、道路わきに”市島家”の看板があり、時間もあるしちょっと寄っていこうかとなり、フラット入ってみた。


市島家は丹波に発する家系であり、慶長3年(1598年)、溝口候の新発田移封に伴い、移封に伴い、加賀大聖寺より随従して以来、次第に栄華を極めた。宗家は居を五十公野(現新発田市)、水原と移すが、水原時代は福島潟の干拓を中心に蒲原平野の開発に努め、ついには北越有数の1,000町歩余りを有する大地主、豪農となった。
その後、戊辰の役に水原の邸宅は兵火により焼失したため、十世七代徳次郎(静月)は、現在の地に新たな市島家本邸を造営した。
建物は、明治初期の代表的住宅建築として簡素優雅の作風を示し、これを囲む回遊式の庭園は、自然の風致に富み、広い池を取り巻く樹木はそれぞれの四季を映している。
昭和37年(1962年)3月、市島邸の十二棟一構が新潟県文化財に指定された。

敷地8000坪には、広いお屋敷が渡り廊下でつながれており、なんとお茶室が3つもありました。


家族の部屋。とにかく広い。パンフレットなくして何畳間か。


勘定部屋。


ご主人様の書斎。


この先にはお茶室。


見事な庭園。紅葉になったらどんなに素晴らしいのか。




今夜の宿は、風鈴屋。お好みの浴衣で管内を歩けると言うはやりの温泉でした。
ネットでリニューアルと書いてあったので選んだ。
お風呂は良かったし綺麗だった。部屋はそれなりに。でもネット申し込みのお部屋よりはこちらの方が良いのでと言って、同じ料金で少々高めのお部屋に変えてくれました。ラッキー!!

食事もセットではなくアラカルトで選べるのを選んだので、(宿にある居酒屋)好きなものを少しづついろいろ食べられた。特に姫牛の食べ比べ。美味し!



12日は台風の被害のひどさをニュースで見ながら、新潟港から定刻12時に出発。
新日本海フェリー、あざれあ、ステートA、15,440円。

早速船内探検。
トレーニングマシーン有りの


きれいなお風呂、勿論入りましたよ。揺れる船の中でお湯がジャバーーンと。


露天風呂、勿論入りましたよ。どうか海に投げ出されませんように!!


サウナ、勿論入りましたよ。気持ち良かったーーー!


ビンゴゲーム、勿論参加しましたよ。一つもビンゴなしだったけれど。


色々フェリー乗ったけれど、こんな良い船は初めてだった。犬同伴室もあったし。

台風の前、前と航海していたが、最終的には1時間ほど遅れて、小樽には午前5時半に着いた。