私の憧れる画家の中に、スペインの宮廷画家ベラスケスがいます。
ラスメニーナス(宮廷の侍女たち)で有名な画家ベラスケスは、スペイン南部アンダルシア地方の中心地セビリアで、
貧しい下級貴族の子として1599年に生まれました。
ベラスケスは11歳の時、画家フランシス・パチェーコの弟子になります。
パチェーコは彼の性格と才能に期待し、娘ファナと結婚させました。
ベラスケス19歳の時でした。
セビリアの現実的、楽天的な気風の中で画家としての地位を築いたベラスケスは23歳の時
宮廷画家を目指して首都マドリードに乗り込んで来ました。
その頃宮廷で働いていた人々は、1500人にも及ぶと言われていましたが、その中の宮廷画家は4人だけ。
ベラスケスはある有力者の口添えで宮廷画家になるチャンスを得ました。
その1度だけのチャンスを逃さず宮廷画家の地位を得ました。
中でも国王を目の前にして描くことは最高の栄誉でした。
ベラスケスは国王フェリーぺ4世の強い推薦で先輩の画家たちを退け、この栄誉を得たのでした。
しかし当時の画家の地位はまだ低く、俸給は国王付きの理髪師と同じ額でした。
こうした中で宮廷画家としては異例の抜擢で、王の取次係に任命されました。
17世紀初めスペインはヨーロッパの中でも超大国で、各国の大使や外交官の訪問が絶えませんでした。
1628年スペイン領ネーデルランドから、外交官としてルーベンスがやって来ました。
彼は6ヶ国語に通じ、画家としてだけでなく外交官としても活躍していたのでした。
この時ルーベンス51歳、ベラスケス29歳。
宮廷画家ルーベンスは、イタリアへの留学と人間の永遠のテーマである神話を題材として描くことを勧めました。
こうしてルーベンスとの親交を深めたベラスケスは、宮廷人として生きながら、
画家として人間の真実を描くことを確認したのでした。
かつて優美な作品を求められた時「私は粗野と平凡さで1位になりたい」と言ったそうです。
絵画におけるリアリズムの宣言でした。
国王につかえて10年、ベラスケスは王の取次係から警備係、国王付衣裳係へと昇進しました。
衣裳係は王の側近の事で、常に王に随行し常に王と行動を共にしました。
作品は当然少なくはなりましたが、非常に多彩な作品を残しています。
ベラスケスの時代、ヨーロッパでは宗教対立から始まる30年戦争が続き、スペインは各地で
泥沼のような戦争が起こっていました。
すでにスペインは没落の一途をたどっていたのでした。
そのような時国王になったのがフェリーぺ4世で、彼は出来るだけ政治から逃避し、
狩りや美術品の収集に明け暮れました。
1644年王妃イザベルが病死、その二年後カルロス皇太子も17歳で病死します。
かつて日の沈むところがないと言われたスペインに暗雲が立ち込めたのです。
ろのころ侍従代理に昇進したベラスケスはなすすべもなく、傷心し年老いていく国王を描き続けました。
1652年53歳のベラスケスは、王宮輩出長に任命されました。
王宮の全ての鍵を預かり事細かな指示を出さなければならない、重要な役割で、これも異例の抜擢でした。
1660年4月初め、スペインでは久々の喜びに包まれていました。
王女マリア・テレーサとフランス国王ルイ14世が結婚することになったのです。
しかし王宮輩出長としての激務から、6月体調不良を訴え8月61歳で亡くなりました。
最高傑作とされる「ラス・メニーナス」
近くから見ると、素早いタッチで輪郭がはっきりしないのに、遠ざかってみるとその全貌がはっきりしてくる・・・
印象派を先取りしたとも言われ、多くの画家から称賛を浴びるベラスケス。
画家としてだけでなく、人間としても素晴らしい生き方を貫いた人だと尊敬の念を持って愛する画家の一人です。