米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

おススメの本~子育てについて、コンクールについて

2019-02-03 04:54:37 | 本の話
「スタンフォード大に3人の息子を合格させた50の教育法」
「究極の家庭教育 メソッド48」
「子育てで絶対やってはいけない35のこと」~東大はもはや滑り止め~~なんとも強い印象の言葉です。


内容よりいくつか
・子供を他人と比べてはいけない
・子供の代わりに選択してはいけない
・結果だけを重視してはいけない
・子供に依存してはいけない
・国際交流の場で必要な文化・教養を身に付ける
・周りに流されず自分の意見が言える子に
・思春期の子供から悩みを聞き出すには
・家事は「お手伝い」ではなく「責任」と意識させる


とても信頼できる知り合いの方から紹介して頂いた本ですが、タイトルは本を手に取って頂くために付けられたもので、本来はもっとシンプルな家庭教育や子育てのお話。
アグネス・チャンがTVでアイドルとして歌っていたのは私が中学生の頃。
クラスメイトにはファンもいましたが、その後の活動も素晴らしいですね。
カナダのトロント大学で児童心理を学び、その後アメリカのスタンフォード大学で教育の博士号をとったアグネス・チャンさんはユニセフのお仕事もしておられるとお聞きしています。




コンクールについて
自分の力で感じ、考える人を育成したいと考えています。
目先の結果に捕らわれることなく、落ち着いて長期的な視点に立って大人が見守ることが大切ですね。
音大その他の先生方とも連携をとりながら、じっくりと先を見据えた取り組みをしてゆきたいと思います。
そのようなお考えの御父兄も多くいらっしゃり、人としてどう成長して欲しいかということを一緒に考えて下されば幸いです。また、多くの人の前で弾くこと、同じ年代の子供たちが演奏することを聴くのはとても勉強になりますが、結果につては偶然性もあります。「喜び過ぎず悲しみ過ぎず」と生徒さんにはお伝えしています。
必ずしもコンクールで結果を出している子の演奏が専門家からの評価と一致する訳ではありません。
また、評価される、人と比べられる、ということは精神面でとてもストレスになるという一面もあります。
ここ数年、長年お断りし続けた審査員を引き受けて思うところは、実体験に基づいた子供たちの意志が反映された演奏こそが美しく力強いということ。そのために多くの遊びや学び、生活の中の体験が必要です。できるだけコンサートなど生の音楽を聴いたり、他の方とのアンサンブルを大事にして下さい。How-toを学んで結果を出してゆくやり方には必ず限界がやってきます。じっくり子供たちの成長を見守ってあげて頂ければ嬉く思います。

今の時代、もうすでにコンクールを受けて育ってきた人たちが親御さんになっているという世代。
音楽のお仕事についている方や、かなりの音楽性やテクニックをお持ちの方も結構いらっしゃいます。
でもちょっと辛かったかなぁ・・という声も。。
卒業生に聞いても、個人的に受賞したことより、お友達とアンサンブルした事の方が思い出に残っているようですね。
コンクールとは程よい距離を保ちながらお付き合い下さることをおススメします。



Artist who has something to say.
Artist=Person

この言葉は菅野恵理子著「ハーバードは音楽で人を育てる」からの引用です。



「蜜蜂と遠雷」恩田陸 
直木賞、本屋大賞ダブル受賞の内容にこれからの示唆が読み取れますね。



これからの子供を巡る新しい方向・教育的視点に立って育んでゆければ嬉しく思います



:in addition
*子ども時代に夢中で歌った思い出をもっている人は、大人になってからも歌い方が違うのです。そして、自分からやる気になってするのでなければ、何も生まれないということを、子どもたちは気づいています。(ゾルタン・コダーイ)

*速くできる、手が抜ける、思い通りにできる。……ありがたいことですが、困ったことに、これはいずれも生きものには合いません。(中村桂子) 

:for your information
コダーイ・ゾルターン(Kodály Zoltán, 1882年12月16日 - 1967年3月6日)は、ハンガリーの作曲家、民俗音楽学者、教育家、言語学者、哲学者。 コダーイの研究、「コダーイ・メソッド」は音楽教育やリトミック等に多大な影響を与えた。

中村 桂子(なかむら けいこ、1936年(昭和11年)1月1日 - )は、生命誌研究者、JT生命誌研究館館長。理学博士(東京大学、1964年)。文部科学省中央教育審議会委員(第1期~第2期)同 国立大学法人評価委員会委員(第1期) 日本学術振興会21世紀COEプログラムプログラム委員会委員(平成18年度)
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本の話・・・『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』 『アートは資本主義の行方を予言する』

2016-01-14 00:57:19 | 本の話
最近の読書・・・いつものように乱読です


ほしい本が何冊かあったので、いつも行く錦町の今井書店ではなくケヤキ通りにある本の学校(これも今井書店ですが…)に行ってみました。
2冊ほど買う予定だったのですが、ついつい買い込んでしまい、またまた予算オーバー
年末年始にかけてこれを3度もやってしまいました


今日はその中より2冊ほどご紹介したいと思います 


『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』菅野恵理子

『アートは資本主義の行方を予言する』山本豊津(ほづ)


どうしても音楽やアートはエンターテイメント・娯楽・嗜好品のようなもの・・と思われがちですが、ある意味学問でもあるわけです。
ピアノを弾く人はみなピアニストですが、プロのピアニストになる人は一握り。
もちろんそういう方々をとても尊敬していますが、皆が皆なる必要はありませんよね。
それぞれの分野でそれぞれの道を極めれば良いわけですから。。

ただ、聴衆としては、鋭く研ぎ澄まされた感覚を持っていたいものですよね      


               

 
『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』菅野恵理子――の中からすこーしだけ抜粋したもの  

~音楽院でも高まるリベラル・アーツ教育の需要~
     ―――ジュリアード音楽院副学長の言葉
音楽院なのでやはりパフォーマンス(オーケストラ・室内楽・ソロ・作曲など)が、カリキュラムの主要な部分を占めています。
ただそれだけではなく「アーティストの人格を形成すること」というのがモットーであり、音楽史、音楽理論、ソルフェージュ、ハーモニーなどの音楽科目以外にもリベラル・アーツの学びを広げてほしいと考えています。他の音楽院と比べると、少し多いかも知れませんね。音楽博士号を取得する為には、例えばシェイクスピア、ローマ史、中国史、日本史、文学、哲学、心理学…と言った勉強が必要になります。こうしたリベラル・アーツは演奏家としての芸術性を高め、思想を深めてくれます。これまで受け継がれてきた偉大な歴史遺産の解釈者となり、想像力を働かせてそれを新しい方向へ導くこと、それが“主張ある音楽家(Artist who has something to say)”なのです。


~違う視点から音楽を見るリベラル・アーツの学び~
      ―――諏訪内晶子(ヴァイオリニスト)
私の場合は江藤俊哉先生がいらしたおかげで、日本にいながらにして世界と同等に競うレベルにいられたと思います。ソルフェージュ、ピアノを幼少から訓練しておりましたので、ヴァイオリンのパートだけでなく全体を見ながら、苦労なく現代曲にも取り組むことが出来ました。ソルフェージュ、テクニック、ピアノ、読譜力…総合的な力を初期の段階でまんべんなく身に付けておくことが大事ですね。――略――哲学、文学、宗教などの一般的な教養は、ジュリアード音楽院本科では人文科学という教科が必須科目としてあり、その他、美学の授業もありました。しかし、政治思想史の授業は、ジュリアード音楽院にはありませんでした。
エリザベート(コンクール)を受けた時、ソ連(現在ロシア)の参加者がペレストロイカの話をしていました。ロストロポーヴィチなどがショスタコーヴィチやプロコフィエフの話をするときも、必ずそこには政治の話が関わってきます。音楽も美術も政治も、人間社会が必ず反映されています。ですから政治思想史ではまず歴史を学び、その中で政治家たちがどういう哲学を持って国家を治めてきたのかという勉強をします。たとえばバッハの時代背景を全く違った視点から見ることで、より深い理解につながってゆくと思います。



~音楽と多科目を繋げる―――新しい学際的教育プログラム~

「音楽学ぶ」は、音楽そのものを如何に学ぶかという考え方である。いっぽう、「音楽学ぶ」とは、音楽を通して人間や世界をどう学ぶかという考え方である。従来主流だった前者に加え、後者の研究は21世紀という現代社会の中で、音楽を見つめ直し、新しいフレームワークの中で再構築する試みである。それは音楽の持つ文化的資源をより幅広く生かす、ということに他ならない。音楽はそれだけ、社会に多様性をもたらすものとして期待されているのだ。―――



アメリカでは「音楽や芸術の潜在的価値とは何か」という問題提起や、それに基づく研究調査や政策提言が活発に行われているそうです。
音楽を軸として、言語・算数・科学・社会学・人文学を組み合わせたアクティヴィティーが提言され、人間のさまざまなスキルや能力を高めるための手段として芸術を活用している学校もあるようです。


まだまだご紹介したいことはありますが…
目次よりほんの一部分だけ示しておきます。
かなり興味深いですね。

目次より――
☆音楽で「多様な価値観を理解する力」を育む―――ハーバード大学
☆音楽で「人間の思想力」を学ぶ―――コロンビア大学では全員必須?
☆音楽で「歴史を捉える力」を学ぶ―――ニューヨーク大学
☆音楽で「創造的な思考力」を高める―――マサチューセッツ工科大学
☆音楽で「心理に迫る質問力」を高める―――スタンフォード大学
☆大学入試にも重視される芸術活動    etc.


                 
 
『アートは資本主義の行方を予言する』山本豊津(ほづ)――

目次より――
☆権力や体制が芸術家を恐れる理由
☆有用性ばかり求めると男性は力を失う
☆近代で断絶している日本の文化
☆室町時代と様変わりした日本の埴生
☆美しかった江戸時代へもう一度還ってみる
☆芸術が神やイデオロギーにとって代わる
☆美は「距離感」から生まれる
☆自然との関係を再び見直す時代に
☆アートの力が新しい時代の価値を生み出す

これもほんの一部ですが…。

文章の中の一部を載せておきます。
これからの社会、これからの子供たちのことに関心がおありの方は読んで頂ければと思います。


―――(本文より)これからの日本、これからの世界を考えた時、アートの力が大きな意味を持つのではないかと考えています。激動の時代、閉塞した時代だからこそ、これまでの価値に捕らわれない自由な視点が大切なのです。
その意味で私は芸術教育、美術教育にもっと力を入れてほしいと思います。ところが国はなかなかそれをしないでしょう。何故なら権力や体制がもっとも恐れるのは、自由に「感じ」「考え」そして「表現する」人間が増えることだからです。
彼らが推奨する教育とはどんな教育か?要は全員が同じような考え方をするようになる教育です。答えが決まっていて、皆がその正解を導くように指導される教育では、新しい時代を切り開くのは不可能です。明治開闢以来日本の教育の目的は一貫しています。それは画一的な人間を作り出し、そのヒエラルキーの中で最も優秀な人間を国家が独占することで、体制強化を図ろうとすることです。
ところが芸術や美術教育は違います。人と同じようなことをやってもダメなのです。自分なりの感性や物の見方を身に付け、自分なりの表現をすることが芸術の世界です。そこでは他者と同じになることでは無く、違いを作り出すことが求められます。そしてその違いをお互いが認め合うことに価値を置くのです。
芸術のこの価値観があれば、今学校で起きているような陰湿ないじめはなくなるのではないかと思います。いじめの本質は、他者の違いを認めない、異質なものを排除するという偏狭さからきているからです。ついでに美術教育で言うならば、現在の教育は絵画にしても何にしても、作ることに主眼が置かれています。しかし私に言わせれば、もっと作品を見ること、鑑賞することに力を入れてほしい。

 
                  

本文中の・・・作品を見ること鑑賞すること・・・というのは音楽ではそのまま「演奏を聴くこと味わうこと」と言えると思います。
質の良いインプットが出来る機会を与えてあげて下さい。
必ず良いものがアウトプットされる時が来ます。
じっくり時間をかけて見守ってあげてほしいと思います。



引用が長くなってしまいました~

ふ~む・・・と思うことばかりで。。
著者の山本豊津さんは、日本で初めて現代アートを扱う画廊の家の方ですが、美大出身でありながら、はじめは大蔵省の秘書・・と言う政治の世界に身を置いていた方です。
ですから政治的な側面からの洞察も鋭く、考えさせられることだらけです。

そして芸術の価値について最後に語られています。

それは「品格」だ・・と。

―――「品格」とは、何事にもおもねらず、はったりを利かせたり、ごまかそうとしたりすることが全くなく、それにより利益を上げたりことさらよく見せようという気持ちもないものだ、と書かれています。
おもねったり、取り入ったりしようとしない。その態度を維持するためには、自由であること。自分の価値と感覚で「自立していること」が必要です。何かの価値や権威に依存していたり頼っていたりするうちは、その自立性は生まれて来ないのです。品とか品格というのは、そういうところからおのずとにおいたってくるものなのではないかと思います。

                  

たまたま音楽ということに関わることになった自分のライフスタイルですが、とても意味深いものを感じます
殊に最近、考えれば考えるほど、やはり音楽をすることには大きな意味があるなぁ~と思ってしまいます    


より豊かで才気溢れる人材を育成する為にも、音楽を始めとする芸術は重要です。
これからの人たちは、激動の現代社会、世界的な視野を持たなければならないと感じます。
情勢の変化は加速度化しています。
良い方向へ舵を切るのは、大人たちの考え方にかかっているのではないでしょうか?
私の世代はおろか、若いご両親の受けた教育と同じ・・と言う視点を打ち破っていく必要がありそうです。
そして、学びは「喜び」と「感動」が必要です。
愛や喜びや感動のない学びは、本当の力になりません。


アート=「自由」「品格」
物事に捕らわれず、Artist(=Person) who has something to say・・・語るべきことを持っている人、そういう人が世界と繋がれるのだと思います。


親子で楽しむというスタンスで、音楽やアートとともに自由に日常を豊かにお過ごしくださいませ   

今日の語り口はちょっと熱かったかなぁ~~       



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ケストナー作「飛ぶ教室」

2013-12-23 23:58:03 | 本の話

昨晩から今日にかけて、立命館大学の100円朝食についてコメント頂き、ありがたく思っています



私・・ずいぶんシンラツなことを書いていますが、まったくもって本心、本音です~



大量のコメント数です



             



さて、先週の読書は、またまた河合隼雄先生の著作の数々・・・いろいろな著者の本を何冊も並行して読むんですが、面白くてつい読みふけってしまうのが河合先生の著作なんです。



きっと私の心に栄養を与えてくれる「心の師」なのかもしれません。。



勝手な片思いですので・・・・もう故人ですし・・生きていらっしゃれば今年で85歳くらいでしょうか?



「泣き虫ハァちゃん」 河合隼雄・著  岡田知子・絵



とても興味深く読みました。



物語としても優れていて、楽しく面白く読めると思います



心理学者、河合隼雄先生の遺作となってしまった、切なく温かな自伝的小説・・途中倒れられてしまったので、まだまだお書きになりたいことがあったのかも知れません。



恐らく河合先生は、もう少し成長するところまでかかれる構想があったのではないかと思うのですが。。



大変読みやすく、子供たちにも充分読みこなせます。



子供の世界の細やかな心の機微が描かれており、おススメです。



子供たちだけでなく、是非お父さんお母さんもお読みいただければと思うのです。





今江祥智さんの「ぼんぼん」をはじめ、子供の世界を細やかな視線で(もちろんそれはご自身が良く子供の頃の心の内を記憶していらっしゃるからこそ)描かれている児童文学は多く、魂の奥深くに問いかけるような、細やかかつ広がりのある世界を描き出してあるのが児童文学ともいえます。



井上陽水さんの歌で有名な「少年時代」



この映画をご覧になったことがありますか?



1990年公開のこの映画、この20数年で、一番泣いた映画です。



子供の世界も切実で辛辣で、そして深く豊かで、大人以上に厳しさも持っている。



以下、Wikipediaから引用しました。



*****************************************



作家柏原兵三の小説『長い道』を漫画化した作品である。



漫画版の舞台は、藤子不二雄Aが戦時中に疎開した富山県朝日町山崎をモデルにしている[1]



『少年マガジン』連載当初は、読者からの反響がまったく無く、作者(藤子?)自身戸惑っていた。しかし連載終了後、読者からの手紙が殺到したという逸話がある。



1990年、東宝系にて篠田正浩監督で映画化され、日本アカデミー賞を受賞する。また井上陽水の大ヒット曲「少年時代」はこの映画の主題歌である。原作者である藤子不二雄?が、友人である井上陽水に曲を依頼した、という。



*****************************************



何が言いたいかと言いますと・・ここまで深く描かれた作品が、国内外問わず多数存在するということです。。



あれ・・??



ちょっとカタかったですかね~



さて、やっとこさ本題の、ケストナー「飛ぶ教室」



河合先生のお子さんたちが子供の頃(思春期くらいだったと思います)学校の先生に読んでほしい本の筆頭にあがったものだそうです。



とても思い入れがあったのだと思います。



子どもの本の作家と大人の本の作家が自由に交流できる場を提供し、従来の児童文学の枠組みを広げることを趣旨とする。。。として、1981年~1995年の間「児童文学の冒険」という副題で、「飛ぶ教室」という雑誌も刊行していました。(その後、復刊しているようです)



そのもとになった、ケストナーの「飛ぶ教室」の“まえがき”が素晴らしいので、これを引用したいと思います。



ぜひぜひお読みください



*****************************************



(略)私は、ある著者からおくられた子供の本を取り上げて、読み始めましたが、間もなく脇へおきました。ひどく腹が立ったのです! なぜだか、いいましょう。その著者は、自分の本を読む子供たちをだまして、はじめからおわりまでおもしろがらせ、楽しさで夢中にさせようとします。このずるい作者は、子どもというものが、極上のお菓子のこね粉でできているようにやるのです。



どうしておとなはそんなにじぶんの子どものころをすっかり忘れることができるのでしょう? そして、子どもは時にはずいぶん悲しく不幸になるものだということが、どうして全然わからなくなってしまうのでしょう?(略)



なんで悲しむかということはけっして問題ではなく、どんなに悲しむかということだけ問題です。(略) 私はただ、つらい時でも、正直でなければならないということです。骨のずいまで正直で。



(略)昨晩、ホテルの部屋で私が読んだ子供の本を書いたずるい作者は、子どもはいつも元気で、ただもう楽しくて無我夢中だと言いますから、(略)  ただ、何ごともごまかしてはいけません。またごまかされてはなりません。不運にあっても、それをまともに見つめるようにしてください。何かうまくいかないことがあっても、恐れてはいけません。(略)



あの二つのたいせつな性質、つまり勇気とかしこさをあらわすことができます。



かしこさを伴わない勇気は、不法です。勇気のともなわないかしこさは、くだらんものです!



世界史には、ばかな人々が勇ましかったり、かしこい人々が臆病だったりした時がいくらでもあります。



それは正しいことではありませんでした。



*****************************************



内容は、ご興味ある方はお読みいただければと思います。



ただ。。



これが発表されたのは、ナチスが台頭し始め、不穏な空気が立ち込めたドイツでのことです。



反骨の作家、非常に厳しい状況下で、、しかもユーモアを失わない。





児童文学は、もはや子供だけのものではなく、むしろ大人が読むべきものなのだと言えます。



是非お手に取ってみて下さい。



では今日はこの辺で~






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読みたい本だらけで~

2013-12-09 12:16:39 | 本の話

先日、若いご父兄の方とお話ししていて、お話しくださったのですが、blogの本の紹介を読むだけでも、内容をちょこっとかいつまんだ感じで、お役に立っているようで、私のつたない文でも、まぁ書かせていただいている甲斐があったんだな~と思った次第です~

皆さん、育児に家事に仕事に、本当に忙しく一生懸命日々過ごしていらっしゃるので、手短に情報をお伝えし、興味あれば手に取って読んでみられてもいいし・・・という感じでしょうか?

なので、今日も書かせていただきます

あまりに読み散らしているので、最近の読書なんだっけ??と、一週間前に読んでいた本すら、遠い過去の出来事のようにさえ感じるのですが・・・

先日、岩宮恵子さんの新刊が出たので(昨日12/4新刊出たので~とご本人から教えていただきました)早速買い求め、読んでおります。

本のタイトルは「好きなものにはワケがある・・・宮崎アニメと思春期のこころ」ちくまプリマー新書

これは、子供たちが読んでも読みやすいように、語り口をかなり柔らかくしてあります。

皆さんもこう感じたことありませんか?・・・のような感じで、中高生目線でとらえてあるようです。

2009年発行の、「フツーの子の思春期」も、興味深く読みました。

こちらは、語り口はややハードですが、いっとき「ビミョー」とか「フツー」といった言葉で表現されていた子供たちを取り巻く世界を、非常に深い考察と鋭い目線で読み解いています。

思春期の難しい子供たちの世界を知る手がかりとしては、おススメの書・・・といえます。

大人がまず深く思考しなければと思うのです。

ということで、今日は最近読んだ本を列挙して終わります。

内容についてはまた・・・

商品の詳細商品の詳細

思春期をめぐる冒険―心理療法と村上春樹の世界 (新潮文庫)

生きにくい子どもたち―カウンセリング日誌から (岩波現代文庫)

フツーの子の思春期―心理療法の現場から

好きなのにはワケがある: 宮崎アニメと思春期のこころ (ちくまプリマー新書)

佐野洋子さん、宮沢賢治、ミヒャエル・エンデ、シュタイナー教育・・・それから何十冊も読みふけった河合隼雄先生

それで今、中高同級生の岩宮恵子さんの本を読みつつ、ご本人からもお話を伺えるという幸せ・・・

そして、もう一つ情報・・・

2014年9月労音のコンサート

黒田先生とイタリアイケメンのカルテットのプロメテオ決定したそうです!

片田舎の米子にいても、色々情報が入ってくる時代ですね~

新しい年に向かって、もうワクワクしてきました。

まだまだ年末に向けて、たくさんのデートのお約束や、子供たちやOBOGとの楽しみなクリスマス会やら~

まだまだ長生きせにゃぁ~~

ではまた――

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体験するということ

2013-11-28 08:35:17 | 本の話

前回のblogで読書について書きました。



何人かの子に聞くと、低学年では「エルマーの冒険」「ニルスの不思議な旅」等も出てきて、懐かしいなぁ、と思いました。



私の知らないものも当然出てきますよね。



それも楽しそうでした。



「ないたあかおに」「てぶくろをかいに」「ごんぎつね」・・・そのほか、宮沢賢治も素晴らしいものを多く残しています。



アンデルセンも美しいものを残していますね。



今どきは、ディズニー映画で見てしまうんでしょうか?



ディズニーも悪くはないけど、是非自分の手に取って本を読んでほしいなと思います。



中1ぐらいになると「あんまり読まないけど、“博士の愛した数式”とか読んでみました」



「おーいいじゃない。小川洋子さんね」



読書という行為は、圧倒的に「体験」なんです。



悲しくて涙を流したり、はらはらしたり、ほっとしたり。。



何十冊読む・・・というより、この「体験」こそが大事なポイントで、「心を動かす」ことが非常に重要になってきます。



もちろん映画でもこういう体験は出来るのですが、自分の心の中に思い描いている質や量がはるかに上回っています。



同じ作品をゆっくり時間をかけて何度も読むことも、悪くないかもしれませんね。



複雑なものばかりではなく、本質的なものをついた絵本にも大変な力があると思います。



実際、高学年の子にもこういう読み聞かせもなされているとのことで、いいことだなぁと思いました。



なかなか本を手に取って読む時間がない年齢の子や大人も、こういう本は非常にいいのです。



本質が書かれていますもんね。





さて、お手伝い。



これも体験だと思います。



ある8歳の女の子。



お風呂掃除とお料理のお手伝いを、やっているそうです。



お掃除が楽しいのか辛いのかは聞いていません。



工夫して楽しい・・と思う時もあれば、面倒な時もあるでしょう。



ただ、こういう体験をしていれば、どこかでいつもピカピカ磨かれた玄関や台所、あるいは公共の施設を見て、自然にそうなっているのではなく、陰で誰かの手がかかっていることを想像できるでしょうね。



ハッと気付くこともあるかもしれません。



ニンジンやジャガイモを切るのを手伝って、小さな兄弟が美味しそうに食べていたら、うれしかったり、残したり文句を言ったりすれば、あぁ・・と思ったり、そこには何かしらの感情が生まれます。



こういう体験は、非常に重要なのだと思います。



特に手をかけられている現代の子には。。



いつも言いますが、いい子になれって言っているのではありません。



やはり「体験する」ということが、とても尊い事なのです。



文句を言いながらでもいいと思います。



明治時代に「educationエデュケーション」という言葉が入ってきたとき、福沢諭吉が「教育」と訳したのが、よかったのかどうなのか・・・という議論もあるようですね。



「educationエデュケーション」は、本来「引き出す」という意味で、「教え込む」事ではないんです。



ご存知の方も多いとは思いますが・・・



発表会などで、みんなが素晴らしい演奏をしてくれたとして、それは先生が「教え込んだ」のではなく、まぎれもなく子供の中から「引き出した」ものが、そういう演奏につながっているのです。



本来、人は素晴らしい能力を持っています。



先日もご父兄の方とお話しいていて、ご主人が「もう自分の口出しが出来る範疇ではなくなった。環境を整えてやり、自分の力でやってもらうしかない」と。



色々な理由もあったでしょうが、ピアノのことも考え、引っ越ししたんですよ。。とお聞きしてビックリしました。



本当に良い御両親に恵まれ、その子も幸せですよね。



小学校高学年になったその子(10歳か11歳)は、私が良く歴史の話をするので、図書館でしょっちゅう歴史について調べたり勉強したりするようで、「私の子なのに、もうそういいう意味では私を超えています」というような内容のことを、お母さんが言ってらっしゃいました。



先生が厳しく言ってくれているうちが花で、言われなくなったらダメなんだ・・・という私の言葉もしっかり心に留めてくれているようで、真っ直ぐな心で感じてくれていて、嬉しいなぁ・・と思っています。



きっと、しっかりした「目」と「耳」を持った、素晴らしい大人になってゆくんでしょうね。



まぎれもなく「自分の心」や「思考」で、素晴らしい演奏をしてくれる子供たちを目の当たりにすると、本当に感動します。



こういう演奏を聴くと・・・泣ける・・・あれ??トシなのかしら??



では~



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鈴木慎一氏・・・スズキメソッド創始者

2013-11-10 03:43:18 | 本の話

今日はお母さんに「イタイ」言葉が並ぶかもしれません



シンマイ教師だった20代の初め、経験不足を読書で補おうと数々の本を読みあさりました。



その中に、スズキメソッド創始者の鈴木慎一さんの「愛に生きる」という本がありました。



それを、「頭の体操」で有名な心理学者の多湖輝さんが読み解き紹介するような形で、「愛の才能開発」という本を執筆されました。



幼児教育、早期教育、、まかり間違うと、本当に大変な思いをしなければならない子供たちが出てきて、深く考えずにはいられません。



痛い言葉ですが、引用しますので、ガマンして読んでみてください。



    



バイオリンの早期幼児教育で画期的運動を展開しておられる鈴木慎一先生に、私がはじめてお目にかかったのは、かれこれ20年近くも前のことだ。



当時すでに60歳を超えておられた先生は、しかし青年のように若々しく目を輝かせながら、子供たちのすばらしさについて語られた。



「子供たちの潜在能力というのは、計り知れません。親たちのあの“迫害”の中にありながら、なおかつ大人たちには信じられないような能力を発揮します。指導の仕方さえ間違わなければ、どんな子供でもその能力の芽は確実に伸びるのです。子供の能力の芽を摘んでいるのは大人です。」



私は“親たちの迫害”という言葉に、思わず吹き出してしまったが、あれから20年近くたった今日、この時の鈴木氏の言葉がますます当を得たものになってきていることを、つくづくと思い知らされる。



世のお母さんがた、お父さんがたは、誰しも自分の子供の能力を、より高く、より良く育てたいと思われるだろう。



ところがその思いの大部分を、鈴木氏は“親の迫害”と喝破するのだ。「何を失礼なことを」と思われるお母さんがたお父さんがたに捧げたい。



鈴木氏はドイツ留学中の青年時代、あの相対性原理のアインシュタイン博士とも親交を結ばれていた。そして博士の高い人間性に打たれるとともに、物理学の最高峰である博士が、同時に素晴らしいバイオリン奏者であることも、直接に知ったという。



物理学と音楽という、まったく異なる分野でそれだけの優れた才能を持てるということは、一般には博士の天才性を示すエピソードとされているが、鈴木氏は全く逆の受け止め方をしている。



「一つの分野で高い能力を身につけた人は、ほかの分野でも同じぐらいの高さまで、その能力を伸ばすことができる」



というのが、鈴木氏の考えなのだ。



(詳しい内容は、また後ほど・・・)



昭和57年10月  多湖輝



    



昭和57年とは、私23歳・・・そんなころ読みましたね。。



31年前ですから、お父さんお母さんがたは、生まれて間もない??



ヘタすりゃまだ・・ってこともあるかもね。。



少なくとも“親たちの迫害”・・・の被害をこうむっていた世代・・・ということになります。



私、思うんですよ。



自分の子供時代を振り返って、「こんな風に育ててもらいたかったな~」というのを、想像してみるのも良いのかな。。



決して有名人にするとか、有名大学に進学させるとか、大金を稼ぐ人にするとか、そういうことじゃないですよね。



人って、どこかで「痛み」を感じて生きてゆくもの。



そこから真珠のような「美しい」ものが出てくると思う。



ピーカンの晴ればかりの人生なんてあり得ません。



子育ても、そういうことも含めて、ふかーく子供を見つめてゆきたいなって、思うんです。



最後にもう一つ、痛い言葉。。



これは私の最近とみに思っていることです。



「この子に“生”を与えたと同時に“死”も与えたのだ」



という重みです。。



Img_4774



奈良ホテルにあるアインシュタインが弾いたピアノ・・・写真も飾ってある。



写真



アインシュタインの従弟は有名な音楽学者



写真: 昨日仕入れてきた本 これはちょっと時間かかるだろうな。。。  でも楽しみ~



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おススメ著書

2013-10-17 07:33:21 | 本の話

最近blog、ちょっとさぼり気味ですみません

書きたいことは山ほどあるし、体調も万全なんですが・・・

こういう時は、たいてい他のことに夢中になっていて、気になりつつもblogが書けない・・と言う状況です。

体調不良ではないので、ご心配なく!

あ~今日もなんも書いてないな~

と思われた方がいらっしゃいましたらスミマセン

今読みたい本が並列で10冊以上並んでいて、ちょこちょこ読み散らしています。

Sちゃんが、貸してくれたので、今までほとんど読んでいなかった村上春樹さんも読み始めました。

書店のお祭り騒ぎのような売り方は好きではありませんが、内容を読んでみると、心の深層を旅しているような感覚になりました。

      

岩宮恵子著

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とても読みやすく分かり易い本でした!

本当に自然体で人として素晴らしいし、素敵だなと思います。

今、よみかけているのは、一番初めにご紹介している、

「思春期をめぐる冒険」 心理療法と村上春樹の世界

Img_4642

私の手持ちの本の、「オビ」

ご父兄の方が、「良さそうな本ですね」

と仰るので、

「小澤征良(おざわせいら)さんの推薦もありますね」

「。。。」

「小澤征爾さんの娘さんですよ。小澤征悦(ゆきよし)さんの姉ですよ~」

「えーそうなんですか?!」

エッセイストで作家・・となると、それほど日が当たるわけじゃないですからね・・・

でも征良さんの本の出版サイン会みたいなのに、心配で来ちゃった・・・と、世界の小澤征爾さんが、陰から覗いていて、凄く暖かい感じでいいな~と思ったことがありますよ。

しかも、この本の装丁に使われている絵が、ボッシュの絵そのものみたいな、違うものだったので、おもしろいなぁ・・と思いました。

ボッシュの絵は、スペインのマドリッドにある、プラド美術館に重要なものがあって、凄く興味深いんですよ。

古くて新しい・・・みたいな感じで・・・

フェリペ2世が、こよなく愛し、傍らに置いていたということです。

ヒエロニムス・ボッシュ(ボス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ヒエロニムス・ボッシュ
Hieronymus Bosch
ヒエロニムス・ボスと推察されている肖像(1560年ごろ)
本名Jeroen van Aken
生誕1450年
オランダの旗 オランダスヘルトーヘンボス
死去1516年8月9日
国籍オランダの旗 オランダ
分野絵画
代表作
聖アントニウスの誘惑、快楽の園、最後の審判
テンプレートを表示

ヒエロニムス・ボッシュ(Hieronymus Bosch/本名:Jeroen van Aken、1450年頃- 1516年8月9日)は、ルネサンス期のネーデルラントフランドル)の画家初期フランドル派に分類される。「ヒエロニムス」は本名であるイェルーン(Jeroen)のラテン語読み、「ボス」は街の名前から。オランダ語でイェロニムス・ボス、ドイツ語でヒエローニュムス・ボシュと発音するが、日本では「ヒエロニムス・ボッシュ」と表記されることもある。

本当にそっくりに描かれているんですが、日本人の画家、綿引明浩さんによるカバー装画となっています。

何でこの絵なのか、また本人に聞いてみたいところです。

ちなみに、ボッシュの絵は当時から人気だったようで、あちこちにあり、ウイーンの美術史美術館にもあるらしいです。

本と違うところになってしまいました・・・

こんな感じで、日々楽しく暮らしております~

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ひといき・ひとはき・・「モモ」より

2013-08-29 07:58:12 | 本の話

このblogに時々出てくる、ミヒャエル・エンデ



ドイツの児童文学者ですが、私にとても大切なことを教えてくれた(もちろん本を通して)一人です。



宮沢賢治は生涯、少年のような純粋な心と理想を心に秘めて生きた人・・・賢治も大好きな人ですが、エンデは深く深く物事も思考し、まるで哲学者のようでした。。



エンデの書いた児童文学の中でも、特に「モモ」は代表作で、多くの子供たちばかりか、文化人知識人にも深く読み込まれ、「モモを読む」のような本も何冊か出ているぐらいです。



エンデの父は、シュルレアリズムの画家で、ナチスが台頭していた時代、退廃画家の烙印を押され生活が困窮します。



ヒトラーは画家を目指していた人物で、現代的な手法や作風に対してそうとうな嫌悪感を持っていたようです。。自分がそれを理解する能力がなかったからでしょう。



退廃芸術家の中にはゴッホなど多くの芸術家が含まれ、たくさんの素晴らしい芸術作品が焼かれてしまいました。



この当時、まだ10代の多感な少年であったエンデは、反ナチスのレジスタンス運動にも参加していたようです。



その後、シュタイナー学校を経て、演劇学校でしばらく勉強したのち俳優業もしていましたが、この事は作家としてのエンデの、ある意味、素地となったと言えるのではないかと思います。



さて、このエンデの代表作「モモ」



 



この内容は、是非お読みいただければと思います。



私も何度も何度も読み返した本ですが、また近いうちに読みたいなと思っています。



この中で、多くの人が印象に残ったという、モモの友達の一人、掃除夫のベッポの言葉。。。



早く、仕事や勉強などを終わらせてしまおうと、焦ってがむしゃらにやってもやっても片付かない・・そんな時に、思い出してみてください。



ベッポの言葉



・・・(略)・・・



「なあ、モモ」と彼はたとえばこんな風に始めます。「とても長い道路を受け持つことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃあとてもやりきれない、こう思ってしまう。」



彼はしばらく口をつぐんで、じっと前の方を見ていますが、やがてまたつづけます。



「そこでせかせかと働き出す。どんどんスピードを上げてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はへっていない。だからもっとすごい勢いで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやり方はいかんのだ。」



「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、次のひと呼吸(ひといき)のことだけ、つぎのひとはきのことだけ考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」



・・・(略)・・・



ひょっと気が付いたときには、一歩一歩進んできた道路が、全部終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。」彼は一人うなずいて、こうむすびます。



「これがだいじなんだ」



  



そうして、目の前の一歩ずつをやっていると、楽しくなってくる。



この事が大事だと、エンデはベッポに語らせています。



登場人物の「モモ」「ベッポ」「ジジ」「灰色の男たち」・・・皆、象徴的に描かれていると考えられます。



時間泥棒である「灰色の男たち」・・今の世の中は、もう彼らに支配されているのかも知れませんが。。



では、今日はこの辺で~~



コメント (2)
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モーツァルト及びモオツァルト・無常という事

2013-08-06 07:56:41 | 本の話

ここのところ、吉田秀和さんの「モーツァルト」を読んでいました。

3週間ぐらいかかったかな・・・?

とても面白く興味深い本でした。

時々、中高生の生徒さんには朗読して聞かせてしまったり・・

あとで、あそこもう一度読み返したい・・という印象的な個所に付箋を貼っていたら、こーんな事になってしまいました~

Img_4379


本に線を引くのはちょっと抵抗あったので、この付箋はおススメです!

小林秀雄さんの「モオツァルト」についてもすこし・・・

小林秀雄さんは、ちょうど没後30年・・・書店には数多くの著作が並んでいます。

吉田秀和、小林秀雄、これに加え・・・って言っては失礼なのですが・・斎藤秀雄(小澤征爾さんをはじめ多くの超一流音楽家を育てた指揮者、音楽家・・亡くなられて久しいが、愛弟子たちによって結成されているサイトウ記念オーケストラは有名)、、、この御三方は、昭和の知識の巨人「三人の秀ちゃん」と、私の中では認識されています。。。。

しかもみんなよくある苗字と名前であって、しかも印象深い!

Img_4381斎藤秀雄 講義録

印象的だったところからの抜き出し(ほんの一部ですが)・・・

まず小林氏「モオツァルト」の冒頭。

。。。

エッケルマンによれば、ゲエテは、モオツァルに就いて一風変わった考え方をしていたそうである。いかにも美しく、親しみやすく、誰でも真似したがるが、一人として成功しなかった。いつか誰かが成功するかもしれぬというようなことさえ考えられぬ。元来がそういう仕組みに出来上がっている音楽だからだ。はっきり言ってしまえば、人間をからかう為に、悪魔が発明した音楽だというのである。ゲエテは決して冗談を言う積りではなかった。その証拠には、こういう考え方は、青年時代には出来ぬものだ、と断っている。(エッケルマン「ゲエテとの対話」―1829年)

。。。

そして吉田氏の「モーツァルト」

。。。

ヘンデルはプリマドンナたちの気まぐれに一生悩まされ通した。しかしグルックは歌手の専横を抑えて、作曲家の至上権を彼らに押し付けることを知っていた。ベートーヴェンはもう歌手のためにはかかなかった。その間に、モーツァルトは、歌手たちを「誂え仕立ての服みたいに」旋律の衣装で包んでやった。

。。。

彼(モーツァルト)の見事な解答に満ちた傑作たちを聴くと、この人こそ天才と呼ぶほかない異常な人間だったと感ぜずにはいられません。・・・(略)ここには、音楽が音楽に踏みとどまる限りでの本質的なすべてのものがある。音楽とは何か? それを知りたかったら、モーツァルトをきけばよい。。。。ところが恐ろしいことが起こりました。「真実を言うためには、冒してはならない美の法則など一つもない。」・・・(略)・・・音楽は哲学より高い人間の知恵を伝える芸術だ」とも、彼は言いました・・(略)・・「私が真実を表現しようというとき、どうして君たちの貧弱な楽器のことにかかずらわっていられようか」これは、彼の音楽が弾きにくい、楽器の性質に会わないと演奏家から非難されたとき、彼が答えた言葉です。

音楽はベートーヴェンをもって技術から意識の音楽に転換した。。

。。。

バックハウスの演奏を通してのモーツァルトのピアノ曲の音楽について・・・

未聞の烈しい情熱のダイナミックな劇の演じられる舞台となるよう運命づけられてもいれば、またこれまでの作曲家が手にしえたものをはるかに超えて彼らしい音楽の組み合わせと色彩の反乱を呼び起こす魔力でもっと大勢の聴衆を呪縛したり魅了したりすることもできれば、逆に激しい人間嫌いと孤独に閉じ込められ、理想主義的な憧れに身を苛まれた人間の告白の唯一の利き手になりうる素質にもめぐまれている、そういう楽器としての未来を予感している、そういう天才としてのモーツァルトである。

。。。

彼は、人生でも、決して後戻りをする人間ではなかった。神は、その道を坦々たる安易な道としては与えなかったが、彼は、それに忠実に服従しながら、まっすぐ歩いていった。そのような彼の音楽も、自然な紡ぎ方の点で抜群である。ただ、その中で、彼は異常な、方向転換の不意打ちをいくつも用意している。一転への凝縮と、おびただしい不意打ちの共存は、彼の音楽に、たいへん独自の風貌を与える。

。。。

1791年、ついにモーツァルトが貧困と過労に中に斃死した折、帝室付の音楽家サリエリは言っている。「天才が死んだ。だが俺たちは皆悦んでいる。あの男がいたら、おれたち作曲家には誰も一片のパンもくれなくなるところだったのだからなあ。」

(サリエリの独特のモーツァルトに対する敬意と、とっておきましょう。名誉のために言えば、ベートーヴェンもシューベルトも多くの作曲家がこのサリエリにも学んでいるのです。。)

。。。

「おそらく人生は賭けであり、戦いだろう。だがその賭けも戦いも戯れなのだ。諸君、忍耐とユーモアを忘れ給うな。苦悩は深いが、喜びは永遠に過ぎることはないのだ。」彼の生涯は、結局、こういっているかのように見える。

この本は、ある小さな逸話で締めくくられています。

・・・(略)・・・実に何とも滑稽な、しかも深い――ほとんど崇高な喜劇的な効果を持った曲が生まれてきた。これをきいて、みんなと同じようにひどく感動したらしかったモーツァルトは、歌が終わると、大声で「じゃ皆さん、さようなら」といって飛び出して行ってしまった。

。。。

涙がとまりません。

では~

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昔話

2013-08-02 07:08:27 | 本の話

「昔話の深層」

という本が、あります。

河合隼雄先生が書かれたもので、これは専門書で、かなり読みにくいものだったと記憶しています。

「物語と科学の対話」「物語をものがたる」・・・その他、このような題材を扱ったものも多くあります。

私は心理学の専門ではないし、読んだのもそうとう昔で、20年以上は経っているので、記憶もほとんどない・・・と言ってもいいのですが、ちょっとだけ思うことがあるので書いてみます。

グリムやイソップなどで、親しまれているお話や、世界各地の民話など、深く読み込み研究して、それについて解釈されていた中で、印象に残ったのが、継母(ままはは)などとして描かれている悪い魔女、、、それに対し、救ってくれる王女などは、全て母親の持つ側面を象徴的に表現しているのだと書かれていたということです。

他にも、救ってくれる猟師などは、父親の良い側面、悪い魔女などを火にくべて焼き殺してしまうのは、悪いものや事柄を、心の中から排除する行為だから、決して殺すなんてひどいから最後に仲直りさせよう、などと解釈してはいけない。。

。。。そのようなことが書かれていたと思います。

よく、新しいことを構築するためには、一度壊してたて直す行為が必要だと言われますが、心の中でも、「死と再生」と言う行為を人は何度も行うもののようです。

これが心の中で、上手く行われないと、本当に自殺や殺人事件・・親殺し子殺しのようなことや、通り魔無差別殺傷事件等、悲劇的な方向へ行くのだと思います。

もちろん、このような悲劇的なことにまで発展しなかったとしても、大なり小なり、いろいろな問題を抱えながら人は生きてゆくもので、何でも手放しにハッピーで、心配も悩みもないなんてありえません。

象徴的に何かを壊し、また新たに立て直す・・・再生するという行為を行っているのでしょう。

ちょっとずつ、親子や夫婦、友人、仕事の仲間・・・いろいろな場面で、軋み(きしみ)を感じ、修正して歩いてゆくのが人生なのかな・・・なんて思わなくもないです。

その中での、気付きのようなことは、常にあるのではないでしょうか?

母(父)の愛・・・これも、甘ったるいだけのものではないと思います。

当然ですがね。。

多くの画家によって描かれた、聖母マリアと子供・・・もちろんイエスキリストではありますが、人々の営みの象徴でもあり、赤子であるイエスキリストのこれから降りかかるであろう悲劇が、その掌の十字架によって磔(はりつけ)られるときにできる傷(聖痕・・・せいこん)なども、象徴的に描きこまれているものもあります。

ラファエロなどの絵は、それはもう慈愛に満ちた美しい絵です。

多くの画家が、身近な人・・・自分の妻と子などをモデルにしたとされますが、その母子の姿に聖母の姿を重ね合わせたのも、うなずける話です。

ただ、この反面、、、これは、母ではありませんが、ギリシャ・ローマ神話の神であるサトゥルヌスを題材にした、グロテスクな絵も存在します。

ご存知かもしれませんが、ゴヤの絵で「わが子を食らうサトゥルヌス」・・・スペインのマドリッドにあるプラド美術館で実際に観てきましたが、友人が「なに!この絵!いやだわ!」と、思わず言ったぐらい、グロテスクな絵です。

ルーベンスもこの題材で書いているようです。

こういうことを解釈するには、専門的な知識もいるとは思いますが、昔話やギリシャ・ローマ神話などの中の神として、何かが象徴的に描かれていることも確かなのだと思います。

すみません。。

読み辛かったですよね。。

シュタイナーのワークショップの中で、何度も「オイリュトミー」というものをしたことがあります。

ある時、友人であるオイリュトミストの人が、動きをつけながら、我が子を優しく包み込むように・・・と言って、ふんわりと両手を包み込む動きをした後、、しかし抱え込みすぎてはいけません。。それは腐らせることになります。。と言うようなことを言っていましたが、そういうことなんでしょうね。。

ちなみに、オイリュトミーは、そんなにペラペラしゃべりながらするものでも教訓的なものでもありません。。このときたまたまです。

子供にも一人ひとり個性があり、親子での相性、第一子から始まる、家庭での位置関係や役割で、心の成長の性質や度合いも異なります。

非常にデリケートなものだと思うんです。

だからと言って、恐る恐る・・と言うのも困りますが、心の営みに非常に注意深く目をやらなければならないとも思っています。

どっぷりと甘え、愛情を感じ、安心してその懐に飛び込めるような存在であり、また、もう少したてば友人のようでもあり、乗り越えなければならない壁であったり。。。

安心してさらけ出せるからこそ、力強く羽ばたいてゆけるのでしょう。

学校や幼稚園では、とてもしっかりしてると言われるけど、家では・・・

それは当然ですよ。

ずっとしっかりしていたら、疲れ果てて、心がポキッと折れてしまいますからね。

安息の場所も必要なのです。

それを受け止めること。。

だけど、何でも言うことを聞いて、甘やかすのともちょっと違いますよね。

しっかりとその子を一人の「人」として見つめ、深く理解しているのは私だよ。。と、確信をもって受け止めてあげられたら、子供としてはどんなに心強いでしょうか。。

甘ったるいだけでは済まされない親子関係・・・でも、やはりこんな素敵な関係は他にはないでしょ!。。と言えるほどのものだと思います。

親子関係は、死ぬまで続きますが、あくせくと悩みながら子育てするのも、考えてみればそんなに長い期間ではありません。

子供の時、ふと、学校で過ごす時間、眠っている時間を考えれば、こうして親子で触れ合えるのも、そんなに長い時間ではないのだな・・・と思って、ちょっぴりさみしい気がしたことがあります。

かけがえのない、大切な時間なのですね。。

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サンタクロースの部屋――子どもと本をめぐって――

2013-07-21 06:06:45 | 本の話

この本のお話がしたくて、ひさーしぶりに本の中をチラチラと読み返してみました。



『サンタクロースの部屋』を読んだ20年前以上に、私の実感に訴えてくるもので、非常に非常に共感して、うなってしまっているところです。



もちろん20年前に読んだ時も、とても共感して読んではいましたが、さらに・・と言う感覚を持ちました。。





サンタクロースの部屋・・・とは、見えないものを信じる心の空間、あるいは能力・・・を示すもので、この能力には、「キャパシティー」という言葉が使われているそうです。



心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中にサンタクロースを収容する空間を作り上げている。



それがサンタクロースでなくても、魔法使いでも、妖精でも、打ち出の小槌でも、鬼でも仙人でも、おまじないでもよい。これらの不思議の住める空間をたっぷりととってやりたい。。この空間、この収容能力、つまり目に見えないものを信じるという心の働きが、人間の精神生活のあらゆる面で、どんなに重要かは言うまでもない。。近ごろの子供は、こざかしく、小さい時から科学的な知識をふりかざして、容易に不思議を信じないという。。子供は本来不思議を信じたがっているのだと思う。。。と、作者の松岡享子さんはおっしゃっています。



松岡享子さんは、神戸女学院や慶應義塾大学で、英文学や図書館に関することについて学んだ後、渡米しウェスタンミシガン大学大学院で児童図書館学を学び、ボルティモア市の公共図書館に勤めた後、帰国し、図書館に勤務されたり、児童文学の研究や翻訳、そして現在は財団法人東京子ども図書館理事長をなさっている方です。



文字を覚えることについても、早期に教え覚えさせることに対して、警鐘を鳴らしていらっしゃいます。



絵本を大人が読んであげることで・・しかも心を込めて・・幼い子供たちは、文字を拾う作業から解放された分だけ、読書という行為のより本質的な部分、すなわち与えられた言葉を使って、自分の中にあるイメージを作り上げて、心の中で一つの経験をすることに入ることができます。



これは文字・・・を、音符・・に置き換えることもできると思います。



リトミックをしていて、本当に思うのですが、心の体験が、どれほど大切かを痛感します。



心からの体験をし、満足すると、子供の顔、しぐさ、目の輝きが、本当に素晴らしく語るのです。



文字や音符は、記号での約束事なので、心の中の体験がまだ未成熟な時に、こういった抽象的な世界に子供の心をさらしてしまうと、心の中の空間の広がりを実現することが難しくなります。



つまり、内面の世界の非常に乏しい人になってしまう・・のだと、思います。



この本の中で、松岡享子さんが、E君のことを書かれていたことが印象に強く残っていました。



E君は、歩く豆百科事典のような子で、この小さい男の子の口から、触覚だの光年だの、ヒョイヒョイ飛び出すので、初めのうちはびっくりして聞いていたのだそうです。



「ゆきがふってきました」というと、すかさず、「日本で一番降雪量の多い市は新潟だよ。気温の一番低いのは十勝市だけど」。。



「おこったつき」という本を読んで。。と、自分で持ってきたにもかかわらず、読み進めるあいだじゅう、E君は、月と地球の距離だの、月の表面の状態だの、成分だの、月に関する彼の知識を次から次へと披露し続けたそうです。



一方では物語に心ひかれつつも、ありすぎる知識と、それを誇示したいという要求に足を引っ張られ、すっぽりと物語に入り込めないでいるという状況。。。物語を物語として素直に楽しむには彼の博識(?)が邪魔をするというわけで、こんなE君の状態を「不幸」だと思わずにはいられなかった。。。と、ありました。。



これは、私の目の前にいる子供たちにも言えることで、知っている知識や世界観の浅さ、知らないことに対する「恐れ」をあまり感じていない。。



そんなことは知っている。。という風に、すぐに考え、発言してしまう。。





やはり、テレビを代表とする「電子機器」から発せられる、力や魂のない音、知識、に対して、よほど気を配らなければ、ますますこの状況は進んでゆくのだと思います。



知っているつもりの、浅知恵、非常に表層的なものの考え方。。これはもはや幼い子供だけの問題ではないように感じているのは、私だけなのでしょうか?



ただ「知っている」だけでは、子供の心を動かすことはできない。。想像の世界の中で、心を解き放つことができない。。物を知っていることで、心の働きが弱くなっている子は、むしろ成長への道が閉ざされてしまう。。物を知りたいという意欲、知ることの驚きや喜び、知らないものに対する畏れこそが、人として成長するための、大きな力の中心になるのだと。。語られています。





この本の中に引用されていた本の内容を、またまた引用しておきます。



。。。



子供が音の性質や意味の関連を体験できるようになるまでには、ある年数の内的成長が必要である。その成熟を待たずに文字というものを教え込むと、その読み書き能力はただのテクニックになってしまう恐れがある。その種の早期教育でなされている「学習」というプロセスは、単に記号と音を反射的に組み合わせているだけでしかない。子供は、しだいに、内的な理解なしにこの組み合わせ作業を習得することになる。そういう習性は子供の思考・情操面での成長を妨げるから、決して近視眼的な早期教育を行ってはいけない。



。。。



全く音楽にも言えていることで、町のピアノ教師である私たちは、肝に銘じて、このことを伝えなければならないのだと思います。



社会の様々な動きが作用して、子供の心から、子供が本来持っているはずの、生き生きした生命力を失わせようとしているのではないか。。。みなさんのお子さんは、生き生きしているでしょうか。驚いたり、不思議がったりしているでしょうか。自分で動き、さわり、遊び、つくり、じっと見、じっと聞くことをしているでしょうか。心はテレビに預けっぱなしの、ただの物知りになっていないでしょうか。。



このように、語りかけていらっしゃいます。





じっと音に耳を傾け、表層的ではない、その本質を掴みとれる人になってほしい。



そして、人の話を、じっと心を傾けて聴ける(本質まで)人になってほしい。



もちろん、リトミックなどでピアノを弾く時、魂を込めて弾きます。



上手下手とかいうことではないのです。



でも、細心の注意は払いますよ。



そしておおらかに。。



今日は、マジメになりすぎちゃいましたかね~






ブルーナーの絵本の翻訳なども多く手掛けていらっしゃるようですね。



きっと皆さまのお手元の本にも、松岡享子さんのお名前が、知らず知らずのうちにあるかもしれません。





ちなみに最近読んでいる本は、吉田秀和さんの「モーツァルト」「モーツァルトの手紙」…それに加えて、オペラオタクAさんおすすめの「ロシアは今日も荒れ模様」を読みかけていて、ロシア人の混沌とした分厚い底力・・・のようなものを感じ、ロシア人の音楽は、だからこうなんだなと、改めて思っているところです。。ロシア人ピアニストのゴルノスターエヴァ先生が、「ロシア人はカオスを好む」と言ってたけど…でも、似たものを中国人からも感じるときがあるな~などと思っているところです。。。っていう私って、やっぱりオタク??



では~



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世界がおまえたちの舞台だ

2013-07-03 07:55:20 | 本の話

世界がおまえたちの舞台だ―チョン・ファミリー物語

世界的指揮者チョン・ミュンフンを筆頭に、チョン・キョンファ(ヴァイオリン)、チョン・ミュンファ(チェロ)、3人のビッグアーティストを育てた、韓国の肝っ玉母さんの本です。

米子コンベンションセンター・ビッグシップの「こけら落とし」で、チョン・キョンファの素晴らしい情熱的なヴァイオリン演奏を聴いてから15年経つんだな・・・と思うと、感慨深いです。

実は7人きょうだい。。漢字にすると、姉兄妹弟・・どんな組み合わせがいいのか迷ってしまいます。

3人クラッシックアーティスト、医者、事業家、大学教授(おそらく3人)・・様々な分野で活躍しているようです。

歴史的な背景もあり、そうとう苦労されたようですが、揺るがぬ信念を持って教育を施し、成功した人と言えるのでしょう。

人からもらったスカートを穴があくまではいて食堂を経営し、子供たちもそれにこたえて勉強に励んだし、親の手伝いもたくさんしていた。。兄弟が多い分、きれいごとでは済まされないこともあった。。それにどうやって立ち向かったか。。子供たちがコンクールなどで演奏してくると、必ず「よくやった」と心からの褒め言葉で迎えていた(失敗した時も)。。やめたいと思った時、お前自身が一番大切な存在なのだからよく考えて辞めたかったら、その選択もある。やっている楽器などに執着することはない。。

等、印象に残っています。

読んだのは、ビッグシップこけら落とし公演より何年も前だったので、20年近くになるんでしょうかね。。

この示唆に富んだ教育方針や言葉の数々は「聖書」に基づいているようで、敬虔なクリスチャンであるチョン・ファミリーのゴッドマザーは、世界中で多くの講演会もしていらっしゃると聞きました。

事実、米子市でも行われたようですが、私は聞きに行ってはおりません。

。。。

面白かったですよ。

。。。

そうそう、こういう類では「千住家の教育白書」も、大変興味深く読みました。

養老孟司さんのお母様の自伝書「一人では生きられない」も、この母にしてこの子あり、、人の何倍もの濃密な人生を送られた、パワー溢れる女医さんでしたね。

黒柳徹子さんのお母様もすごかった。

もちろんそこには、素晴らしい「父親」という存在もあるわけですが、母は強し!です

今日、書きたかったことの本題ではなかったんですが。。

また長くなってしまいました~~・・・あとちょっとだけ・・

初めにお話ししていた、チョン・ミュンフン、素晴らしいピアニストであり、指揮者でもあるんですが、日本のジュニアオーケストラの指導をする。。という番組がやってたことがあります。

これもそうとう昔の話ですが。。

ベートーヴェンの「運命」・・ゥジャジャジャジャーン!

の出だしで、超有名な曲ですよね。

チョン・ミュンフンの指導で印象的だったのが、この出だしの呼吸

その為に、子供たちを体育館に連れてゆき、スタートダッシュの練習をさせるんですよ。

この呼吸だ!と。。

素晴らしかったですね。

そのあと、子供たちの演奏は飛躍的に上達した・・と記憶しています。

感覚を掴んだのでしょう。

よしもとばななさんも、河合先生との対談で、「何か小説を書くときの、よし!と決心して始めるときの感じが、子供の頃に屋根から屋根に飛び移って遊んでた(やっちゃダメですけど)感覚と同じなんです。」と言ってらっしゃったけど、ただ机に向かって勉強してる、とか、部屋でマジメにピアノ練習してるとか、そういう事では得られない感覚というものも、大いにあると思います。

さて、チョン・ミュンフンですが・・・子供たちの別れ際に、一人一人に「スコップ」をプレゼントしていました。

どういうことだと思われますか?

「掘り下げて」

このメッセージを託されたんです。

これは音楽に限ったことではないのかも知れません。

あれから時間がずいぶん経過しました。

きっとこのころの子供たちは、立派に成長していることでしょう。

世界的な指揮者からプレゼントされた「スコップ」

きっと、掘り下げて掘り下げて、「物事の本質」を見極めようと、見るたびごとに思うんでしょうね。

あ――また長くなっちゃいました~

今日も美絵ちゃんのご主人には読んでもらえなさそうだ・・

文字数多くてスミマセンでした~~

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吉田秀和さんのこと

2013-06-03 05:58:05 | 本の話

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昨年5月22日97歳で亡くなられた吉田秀和さん。



昨年の今頃、追悼番組が放送されていたのが記憶に新しいです。



高校生の頃、「世界のピアニスト」という本を買ったのが入門だったかもしれません。



ただ、そのころの私にはまだ深くまで読む力がなかったと言えましょう。



その他、何冊かは持っていましたが、また読みたくなり、先日6冊くらい注文してみました。



本屋さんに1冊、追悼の保存版の雑誌があったので、さっそく読んでいるところです。



吉田氏の生い立ちについて、まったく知らなかったので、非常に興味深く読んでいます。



幼い時から、音楽=母・・・という感覚でいたこと。



高校生の頃、「そんなに好きだったら楽理を習ったら」と勧めてくれたのが、中原中也だったことなど、驚きの連続で、きら星のごとくそうそうたる方々のお名前が、ごく普通・・・といった感じで出てくるので、めちゃくちゃ面白かったです。



本当にすごい人たちが名を連ね出てくるんですが、やはり詩人、中原中也、吉田一穂、長谷川四郎の3人の詩人の生き方は、大きく影響したようで、俗に言う「お金儲け」をしないで、でも確かに「芸術」の世界で生きている・・・そんな生き方を貫いてこられたようです。



ただ、時代が吉田氏を求めていたのでしょうか?・・・こんなに音楽評論家で尊敬され注目され成功した人も珍しいと言えるのかもしれません。



名誉欲もなく、ただ純粋に「面白くてしょうがない」音楽や芸術について考え感じ、語る。



すごいな~



ぁ・・・すいません。



自分の思いに陶酔してたかな



青柳いづみこさんも、恩師安川和子先生のことを書いた「翼のはえた指」で、吉田秀和賞を受賞していて、いろんなところがつながっているのが、おもしろいなぁと感じています。



マネやセザンヌをはじめとする、画家たちについての著作もたくさんあり、興味深いですね。。



「マネの肖像」出版された当初買って読んだのですが、もう一度読み返してみようっと



音楽の何を聞くのか・・・



音楽から何を感じるのか・・・



自分というフィルターを通して・・・



改めて思っているところです




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佐野洋子「死ぬ気まんまん」

2013-04-21 07:03:48 | 本の話

佐野洋子さんの「死ぬ気まんまん」

Img_4012


最近の読書は、ほぼ平野啓一郎さんの「葬送」に時間を取られていたので、ほかの本はつまみ食い程度でしたが、又借りした佐野洋子さんのこの本は、1日で一気に読みました。

やっぱり佐野さん大好きです!

こんなに正直で純粋で欲のない人がいるんだな~~って、、、

あ・・・

でも、天使みたいな人じゃないですよ。

結構毒を吐く辛辣なところのある人で、佐野さんの作品・・・おもに絵本ですが、エッセイでもそれは表現されていると思います。

でも、そこが大好き!

正直で純粋だからこその毒で、たぶん偽善から一番遠い・・・と言っていい人だと思います。

ご興味のある方は、佐野さんの絵本でもエッセイでも、ご一読ください

「100万回生きたねこ」が、代表作でしょうね。

佐野洋子の画像-p3_6死ぬ気まんまん (単行本)

「おぼえていろよ大きな木」「おじさんのかさ」「私が妹だったとき」

「私はそうは思わない」「私の猫たち許してほしい」・・・

「100万回生きたねこ」を手に取った20代前半のころ、本当に衝撃を受けました。

すぐさま妹に伝えると、妹も即自分用の本を購入。

教室の本好きの子たちに伝えると、いまだに大切にしてくれてるようで。。。

先日も、うちのOGで今は子供さんを通わせてくれているNちゃんも、「子供ができて一番最初にこの本買いました」と・・・

その当時の若い友人が、本当に若くして結婚した時もこの本をプレゼントしたんですが、20年たって出会った時も「今でも子供たちが読み継いでるんだよ」と言ってくれた時はうれしかったな~

なんせ、若くして結婚した二人は子だくさんで、大人になったような子から乳飲み子まで抱えて大変幸せそうで、本当に素敵でしたよ。

そして教室の名和先生・・・っていうか美絵ちゃんなんだけどは、同じぐらいファンで、むかーし鳥取市に佐野さんと谷川俊太郎さんがいらっしゃったとき、追っかけで行って、絵本にサインまでしてもらったという思い出があります

その美絵ちゃんがこの本を持ってたので、読んだら貸して~とお願いしたはいいものの、そのまま腸感冒になって丸一日倒れており、翌朝回復してレッスン室に降りたら、pianoの譜面たてに置いてあって、「ありがとう美絵ちゃん!」と感謝しつつ、一気に読んだというわけです。

長々とすみません。

興味ない人には、何の話だか??

ですよね

そのくらい好きだと、伝わればいいです。

で、死ぬ気まんまんの佐野さんは、ついに亡くなられました。

あぁ――佐野洋子さんみたいに死にたいな!

死に方の話ですよ!

もうちょっと先でもいいけど

私はもうちょっと生きるつもりですよ!

たぶん大丈夫

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お勧めの本

2013-03-02 08:04:25 | 本の話

最近皆さんにオススメしている本があります。

ショパンの生涯と作品がかかれた時期と解説が、ギュギュッと凝縮して著されています。

簡潔に書いてはありますが、たとえばサンドとショパンがどのようにして別れるにいたったか・・・

の様な事も書かれていますから、今弾いているショパンの曲は何歳にどんな状況の時に作曲されたのかが

よーくわかりますよ

色んな作曲家でこんなシリーズが欲しい~と言ってる人もありましたが、たしかに!

さらにショパンの人生や心理にぐぐっと迫りたい人は、こんな小説も如何でしょうか?

平野啓一郎 葬送

葬送〈第1部(上)〉 (新潮文庫)

 

 

2013_0224_045038img_3764




とても興味深い本なんですが、なっかなか読み進められず、半年はかかりそう――

まぁヒマな時にちょこちょこしか読んでないからね~

きっと皆さんならもう少し早く読み進められることと思いますよ

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