米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

おススメ著書

2013-10-17 07:33:21 | 本の話

最近blog、ちょっとさぼり気味ですみません

書きたいことは山ほどあるし、体調も万全なんですが・・・

こういう時は、たいてい他のことに夢中になっていて、気になりつつもblogが書けない・・と言う状況です。

体調不良ではないので、ご心配なく!

あ~今日もなんも書いてないな~

と思われた方がいらっしゃいましたらスミマセン

今読みたい本が並列で10冊以上並んでいて、ちょこちょこ読み散らしています。

Sちゃんが、貸してくれたので、今までほとんど読んでいなかった村上春樹さんも読み始めました。

書店のお祭り騒ぎのような売り方は好きではありませんが、内容を読んでみると、心の深層を旅しているような感覚になりました。

      

岩宮恵子著

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とても読みやすく分かり易い本でした!

本当に自然体で人として素晴らしいし、素敵だなと思います。

今、よみかけているのは、一番初めにご紹介している、

「思春期をめぐる冒険」 心理療法と村上春樹の世界

Img_4642

私の手持ちの本の、「オビ」

ご父兄の方が、「良さそうな本ですね」

と仰るので、

「小澤征良(おざわせいら)さんの推薦もありますね」

「。。。」

「小澤征爾さんの娘さんですよ。小澤征悦(ゆきよし)さんの姉ですよ~」

「えーそうなんですか?!」

エッセイストで作家・・となると、それほど日が当たるわけじゃないですからね・・・

でも征良さんの本の出版サイン会みたいなのに、心配で来ちゃった・・・と、世界の小澤征爾さんが、陰から覗いていて、凄く暖かい感じでいいな~と思ったことがありますよ。

しかも、この本の装丁に使われている絵が、ボッシュの絵そのものみたいな、違うものだったので、おもしろいなぁ・・と思いました。

ボッシュの絵は、スペインのマドリッドにある、プラド美術館に重要なものがあって、凄く興味深いんですよ。

古くて新しい・・・みたいな感じで・・・

フェリペ2世が、こよなく愛し、傍らに置いていたということです。

ヒエロニムス・ボッシュ(ボス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ヒエロニムス・ボッシュ
Hieronymus Bosch
ヒエロニムス・ボスと推察されている肖像(1560年ごろ)
本名Jeroen van Aken
生誕1450年
オランダの旗 オランダスヘルトーヘンボス
死去1516年8月9日
国籍オランダの旗 オランダ
分野絵画
代表作
聖アントニウスの誘惑、快楽の園、最後の審判
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ヒエロニムス・ボッシュ(Hieronymus Bosch/本名:Jeroen van Aken、1450年頃- 1516年8月9日)は、ルネサンス期のネーデルラントフランドル)の画家初期フランドル派に分類される。「ヒエロニムス」は本名であるイェルーン(Jeroen)のラテン語読み、「ボス」は街の名前から。オランダ語でイェロニムス・ボス、ドイツ語でヒエローニュムス・ボシュと発音するが、日本では「ヒエロニムス・ボッシュ」と表記されることもある。

本当にそっくりに描かれているんですが、日本人の画家、綿引明浩さんによるカバー装画となっています。

何でこの絵なのか、また本人に聞いてみたいところです。

ちなみに、ボッシュの絵は当時から人気だったようで、あちこちにあり、ウイーンの美術史美術館にもあるらしいです。

本と違うところになってしまいました・・・

こんな感じで、日々楽しく暮らしております~

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女性としての生き方

2013-10-10 07:14:35 | おもうこと

ひところ・・・そう40歳前後だったかな・・・



いろいろ思うところがあり、色々な女性の生き方を知りたいと思って読んだ本がいくつかあります。



その中から、何冊か・・・




「千住家の教育白書」千住文子

あの天才3人の母として、学者の妻としての生き方、3人の天才児に「母が一番才能があった」と言わせる母の存在の大きさを感じます。




「世界がお前たちの舞台だ」李元淑

世界的指揮者チョン・ミュンフン、ヴァイオリニストのチョン・キョンファ(米子コンベンションセンターこけら落しで情熱的な演奏をされたのをお聴きになった方もあるでしょうか?)、チェリストのチョン・ミュンファをはじめとして、7人の子供達を立派に育てた陰には、並々ならぬ苦労や秘話もあります。ここに書かれたことが全てではないのでしょう。すごい人です。




「一人では生きられない」養老静江

女性として女医として、これだけのことを経験したら、人の何倍もの人生を生き抜いたという感覚さえ持ちます。置き去りにした悲しみもお持ちだったのではないかと思います。もちろん、あの!養老孟司さんの母です!




「チョッちゃんが行くわよ」黒柳朝

ヴァイオリニストの夫を支え、たくましく生きた人。戦時下で我が子を失う苦しみにも直面しました。徹子さんの弟さんもヴァイオリニストなのですよね。朝さんの弟さんが出版された「弟が見たホントの『チョッちゃん』」と言う著作もあり、秘話もあるようです。もちろん徹子さんの「トットちゃん」も!




「心の子育て」河合隼雄

河合隼雄先生の(また~といわないで~)「こころの子育て」読みやすくしてあります。



内容を少し・・・




人間のこころの発達は、ある程度は段階的だが、もっと自由でジグザグに進行するものだ。子どもにとって親が何かしてくれるというのは、お金を稼ぐことじゃなくて、一緒にいてくれたとか、大事なときに“うん”と言ってくれたとか、そういうことなんです。だいたい“普通でいい”なんて思うのが、ほんとうはけしからんです。子どもがどう思っているのかわからないのに、普通が幸福なんだから普通になれ、だなんて。不安ていうのは、他人を巻き込む力が強いんです。だから、不安の強い人は、なんとなく嫌われることが多い正しいことを立て続けに言うと、人間は動けなくなるんです。世の中には下手な子育てはあっても、どんな子にでもあてはまる“よい子育て”というものはありません。親が子どもをコントロールできる、と思いすぎているんじゃないでしょうか。…相手は子どもで、生きている存在なんです。こちらの思い通りにならないのが生き物というものでしょう。だいたい子どもというものは、“親の目が届かないところ”で育っていくんです。心理療法を受けに来る子どもで、難しいのは“扱いやすい子でした”という場合です。ひょっとしたら、子どもは信号を出していたのに親が気づいていなくて、それで扱いやすいと思っていたのかもしれない。あるいは、親が気づかないので、だんだん出さなくなってきたのかもしれないわけです。子どもが甘えてきたときに、甘えさせるのはいいんです。子どもが甘えたいという気持ちを、受け入れてやっているんだから。ところが甘やかすというのは、甘えさせるのと違って、“なんでもかんでも、親の私にベタベタしてたらよろしい”という姿勢なんです。ほめたらつけあがるなんてことはまずありません。もっと子どもを信用していい。子どもを信用できないのは、つまりは自分を信用していないからなんです。“絆を深める”とぼくが言うときは、絆の糸を長くして、ずっと深めていくのが理想なんです。お互いの関係の深いところを、なるべく遠く、それこそ“無限遠点”にまでもっていく。その点を介してつながっていれば、相手がどこか遠くへ行ったって大丈夫。一番深いところでつながっているわけですから。…その糸を、短くして強めている人は、相手をコントロールしているだけです。依存のない自立は孤立というべきで、それでは関係が切れてしまっているんです。自立というのは親と子の間に新しい関係を作ることです。子どもを“幸福な状態”に置くことによって親が安心しようとするのは、親の勝手というもので、子どもの幸せを中心にしていない。ほんとの幸福とは、その子が“自分の人生を生きられる”ということなんです。    



母として、女性として、人として、、、



どう生きるのか?



思っていらっしゃる方も多くあると思います。



Q&Aの、4ページでまとめられているので、気になるところから読めるし、子供の昼寝中、夜寝る前、、



ちょこっとずつ読み進められます



    



むかしピアノを習いに来ていた女医さん。



7人きょうだい全員医者だそうです。



母は、眼科医をしながら7人きょうだいを育てたと・・・



多くの方の協力もあったのでしょう。



でも、母!たくましいな~!



子育てに現実的な時間を取られるのは、意外と短い。



楽しまれたらいいと思いますし、子供を持った自分。。として、大きく広い心で、自分の生き方も模索されたらよいのではないでしょうか?



   



最近のお気に入りCDは、モーツァルトのコンチェルトK.595



特に第2楽章・・・



孤独の中で、神々しいくらい美しい・・・



もうすぐ天に召される人の、心の歌なのでしょう。



これほどやさしく、しずかに語りかけている音楽があるかというくらいです。



泣けます





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人としてのたたずまい

2013-10-07 08:51:15 | おもうこと

ちょっと固い印象のタイトルになっちゃったかな・・・

先日ご紹介した、「若いピアニストへの手紙」 ジャン・ファシナ著

若いピアニストへの手紙―技術をみがき作品を深く理解するために

この中の一文が、ピアノを弾く人ばかりでなく、人としてどういう佇まいをしているのか・・・

という考えに行きあたるので、その一文をご紹介しておきます。

     

本物の音楽家、本物の芸術家というものは真面目な職人でもある。しかも優れた理解力と再現力を備えた職人なのだ。ピアノの練習をめぐって忍耐力ということに私がこれ程こだわっているのはそのためだ。

毎日、何かしら新しい発見をし、忍耐と情熱、謙譲を持って自分の技を磨き、さらに磨き上げ、自らの務めを成し遂げる勇気を持たなければならない。(略)

ある生徒が初めて私の前で何かを弾いたとする。生徒の問題点は、初めのほんのいくつかの音符を弾いただけで、すぐに分かるものだ。つい先日、全国コンクール審査員のために日本に行き、3日間にわたって相当な数の演奏を聴いた。どの奏者も大変ハイレヴェルだった。けれどもその時も、数小節ほど聞いているうちに、私の意見はこうと定まった。

舞台に姿を現すのを一目見れば、その奏者が気取りをぬぐい去って本当の自分自身を人前に出しているのかそうでないか、すぐにわかるものだ。演奏にとりかかる仕種からは、音の可能性や、フレーズを方向づけ意味を成すようにしっかりと作ってあるかどうか、そしてリズム及びテンポを重んじる姿勢があるかどうかがはっきりと伝わってくる。この時もう、演奏者の人柄はこちらに伝わってくるものだ。

良い音色を出せる奏者もいるが、彼らも私の心に響くスタイルを身につけているわけではない。つまり真摯さ、簡明さ、自然さの事である。その奏者が音楽的効果を狙おうとしていると、さて私は、その解釈の正当性に批判的な視線を注ぎ、解決しなければならない欠点と問題点、そして再検討課題を数え始めることになる。彼がこのように演奏するのは、彼の思考プロセス、つまりその奏者を培ってきたもの、これまで感化されてきたもの、誰かから与えられた忠告、彼の脳裏に刷り込まれた演奏などに導かれてのことだからだ。演奏者個々の美意識は、そうしたもの全てに由来しているのである。

    

少し長くなってしまいましたが、引用してみました。

これは、もしかしたら、ピアノ演奏に限らず、他のあらゆることに言いえているのではないかと思います。

気取りなく、簡明で、真摯で、自然・・・謙虚についても触れてありました。

人としての佇まい。

もちろん私はまるでなっていませんが、こうありたいと願う、本来の人の姿のように思います。

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