米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

敢えてやってあげない愛情…小さな教育改革

2021-09-04 05:56:32 | 教育
9月に入り秋の気配を感じる頃となりましたね。
新学期、子供たちは元気に学校へ通っていることと思います


さて、本日のお題…小さな教育改革(ちょっと大げさ?)

ここのところ、敢えてやってあげない…ということをしています
やってあげれば優しくて愛情があるように感じますし、時間も手間も省かれます。
でもどうでしょうか?

本当にその子の幸せにつながる?
自立して自ら考えられる人になれる?
気づく人になれる?

やはり自分でやってみることが大切で、自分で経験することが想像力を育み、人の痛みが分かる人になれるのではないかと思います。
動物や植物のお世話をする、本を読む、お手伝いをする、そんな体験も大切ですね。
大きくなったら勝手にできるものではなく、小さい時から徐々に身につけてゆくこと…。
ほんの小さなこと…足台を自分でセッティングする、椅子の高さを調整する、レッスンバッグは自分で持つ、聴音などの作業の時、自分たちでテーブルセッティングし、終わったらきれいに拭いて片付ける…。
もちろん楽譜も自分で読みます。
能力を超えたところで結果を出しても後が続きませんよね

当たり前のようですが…。
年齢によってはちょっと難しこともあります。
はじめは少し手伝いますが、小さくてもみんなやります。
次第に自信と自覚ができます。
目が輝いて生き生きとしてきます。
人にやらされているのではなく、自分自身がやっているんだという自立心が芽生えます。
小さな一歩ですが、大きな変化です。
みんな率先して「私がやる!」と、どんどんやってくれるようになります。


待っていたら誰かがやってくれる…そんな風に無意識に感じていたとしたら、ピアノに限らず全てにおいてそうなりがち。
それは“認知”の問題で、脳の躾と思ってくださったら良いです。
そうした取り組みが、誰にも分る目に見える形となって表れるのには、相当年数がかかります。


結果がすぐに表れないようでも、その子の人間としての核となる部分が育っていることがとても重要
目先の出来事に翻弄されず、遠い遠い先に思いを馳せて育ててあげたいですね。


長い年月、子供たちと関わってくることで、その子たちの成長の目標や目的が、人生のずっとずっと先にあるのだと考えるようになりました。
そのとき上手くいかなかったり失敗したように思えても、そこに気付きがあったり学びがあったりします。
また時間が経つと違う側面も見えてくる。
その時その時をじっくり感じ、味わい、考えながら一歩ずつ愚直に歩む。
私にとっても難しことは山積で、反省の連続ですが。。

子供たちは(大人も…)指示されて動く…指示されて動く…を繰り返すうちに心が萎えてくる…とある著名な精神科医の方が語っておられたことです。
結果的にそうなることも…。


近年、親御さん自身が子供の頃からコンクールを受けてこられた世代に代わり、様々な経験をもとに其々考えをもって接して下さっています。
ご自身が経験されると、どれだけ大変なことか、どれほど自分自身に向き合わなければならないか、又どれほど素晴らしいか…身をもって体験されていることは大きいと感じています。
そして、お母様だけでなくお父様も一緒に考えたり楽しんだり、積極的にご参加くださっています。

新しい風を感じています
厳しい時代ですが、希望もたくさんありますね


少しの擦り傷はあっても「自分の人生を自分の足で立って歩いて行ける人」
こういう人の演奏には、説得力があると思います。

その子の人生はその子自身のもの。

演奏は人そのものなんですね
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これからの教育

2019-08-16 09:52:13 | 教育
最近、若いお父さん達がとても積極的にレッスンについて関心を持ち、協力して下さいます。

社会的な背景を持って物事を見て下さるという、お父さん的視点。
細やかな視線で子どもを見守るお母さん的視点。
どちらの視点も必要なのですね


画像は数年前のものです。

ごく自然に参加下さって、とてもいい感じです。
たまたまお父さんがお二人とお祖父ちゃん(お洒落)もご参加の回。


こうして積極的に子供の育ちに関わって下さることも増えてきましたね

2020年からの教育改革は、大きく視点が変わっていくようです。
今までの偏差値偏重の教育から、自ら考え行動できる人を育てるように…という流れになると思います。

ここのところ注目している、千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長先生の書かれた本も興味深く読みました。
また、大学でラボを主宰し(…その上筑波大学長補佐!)、メディアアーティストであり経営者である??・・という落合陽一さんの仰ってることも興味深く読んでいます。


「想像力」と「創造力」はこれからの人には本当に必要なことですね。
アートの力、お母さんだけでなくこれからの若いお父さんたちの力にも期待しています
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英語で遊ぼう&英語の楽典~スピルバーグ監督に認められた森崎ウイン君の話♫

2018-06-26 11:45:25 | 教育
おしらせ

English Rhythmic & English Theory

7月15日(日)
2:00~「English Rhythmic」英語で遊ぼう(うた・ゲームetc.)    
3:00~「English Theory」簡単な楽典問題を英語で解いてみます。



もともと7/1(日)に予定していたのですが、諸事情により急きょ変更となりました


単純に英語で歌ってみる…という趣旨ですので、英語の塾で学んでしらっしゃることはそれはそれで大切にされるとよいかと思います。
ですから、文法について語ることはありません。


さて、森崎ウイン君のお話って??

スピルバーグ監督に大抜擢されたことで、超有名人になっている“森崎ウイン”君
もともと日本でも芸能活動はしていたらしいのですが(ファンの方すみません💧💧)、海外の映画のオーディションを受けることになり、良く知らされないまま、現地入りしたのだそうです。

ところがそこにいらしたのは、あの“スピルバーグ監督”!


英語のセリフを言わされたけど、そんなにネイティブじゃない。


「ぜったい落ちた・・・」



そう思っていたそうです。ところが・・・

「こんなに発音のいい日本人は初めてだ!」と、スピルバーグ監督


実は彼はミャンマー人で、10歳の時に日本に来たそうです。

ミャンマーでは、当然英語ではなかったのですが、おばあちゃんが英語のスクールをやっていて、そこで無理やり英語の歌を歌わされていた

10歳当時の英語力は、日本人と同じ程度。

ところが、英語の歌を歌う事で、音声やリズムを会得していたのだと思います。


恐るべし子供の記憶力。
英語はリズム言語。
リズムが身体に入っていたのですね。


以前にもたびたびご紹介しましたが、音楽は各国の言語と強い結びつきがあります。

それは会話や民謡などの歌からの影響を強く受けているから・・・。


「ドイツ語を話せなくて、どうしてベートーヴェンが弾けるんだ」・・・と言われてしまいます。

もちろん、プーランク、フォーレ、ドビュッシーはフランス語。

チェンバロの音楽もフランスの作品なら、フランス語のような響き・・・・
フランス的に言えば“クラブサン”と言いますね


ロシア音楽なら、やはりロシア語独特のイントネーションが声楽ばかりか器楽曲にも影響があります。

日本人の演奏は、几帳面に練習していて、きちんとしているけど「ちょっとっ機械的だね」と言われてしまう事も・・・。

言語のリズミックな流れを子供の時に体験していることは、とても良い影響を期待できます。


それで、そんなことをして将来何の役に立つの?


音楽の本来持っている流れをつかむ、言語習得の一助、等ありますが、もっと深い意味では、他の国の文化を学びリスペクトすることが、お互いの文化的背景の理解に繋がり、世界の平和・・・世界の人達とお友達になれる!と、思います



一先ず楽しい気持ちで英語の歌詞、歌ってみてくださいね



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英語で遊ぼう(うた・ゲームetc.)

2018-05-16 04:39:51 | 教育
おしらせ

English Rhythmic & English Theory

5月20日(日)
2:00~「English Rhythmic」英語で遊ぼう(うた・ゲームetc.)    
3:00~「English Theory」簡単な楽典問題を英語で解いてみます。




単純に英語で歌ってみる…という趣旨ですので、英語の塾で学んでしらっしゃることはそれはそれで大切にされるとよいかと思います。
ですから、文法について語ることはありません。

久石譲さん曰く、メロディーは記憶装置。
失語症の治療にも、メロディーイントネーション療法というものがあります。
それに、子供の時に使った懐かしいテキストの歌を歌ってみるのはとても楽しいですよ。
今月はMei Lian先生もお忙しく、レッスンのご参加は6月までおあずけになってしまいますが、やっとこの日程がとれましたので、英語の歌とEnglish Theoryレッスン・・・いや遊びですね・・を子供たちと楽しみたいと思います

今回は無料のレッスンですのでご気楽に~
尚、EnglishTheoryに使用しているテキストは“英国王立音楽検定”公認で使用されているテキストです。


バスティンテキストに載っている「僕の好きな自転車」「調律師のおじさん」「かわいい犬」etc.
懐かしい歌を、英語で歌うと、また違う世界が見えてきますね!

「メリーさんのひつじ」も意外に歌ってみると後半歌いにくいですね~

1. Mary had a little lamb
Little lamb, little lamb,
Mary had a little lamb
Its fleece was white as snow,

2.Ev'rywhere that Mary went,
Mary went, Mary went,
Ev'rywhere that Mary went,
The Lamb was sure to go.

「いたずらねずみ」も歌ってみると楽しいし、日本語とは違うニュアンスが感じ取れます。

Hickory Dickory Dock
The mouse ran up the clock
The clock struck one
The mouse ran down
Hickory Dickory Dock


本来であれば・・・ベートーヴェンならドイツ語を勉強していると、やはりその音楽の中に言葉からの影響をも感じるはず。。チャイコフスキーならロシア語、ドビュッシーならフランス語、モーツアルトはザルツブルグ出身ウイーンで活躍しヨーロッパ中旅してまわりましたから、多言語を操っていました。後年の作品はドイツ語ですが、オペラブッファ(陽気で楽しい内容)では、やはりイタリア語の方が音楽的に感じやすい気がします。

音楽の中に、その土地ならではの“うた”が息づいているからでしょうか?

イタリア人の名教授が「イタリア語はとても音楽的だから、イタリア人でラッキーだったよ」と語られていたそうです。

確かに言語と音楽は大変結びつきがありますね。
各国のわらべ歌など、言葉の源泉がそこに詰まっていると思われますし、音楽そのものに大きく影響していると思います。


あら~長くなってしまいました

きらくに楽しまれるにはちょうど良いと思います。
そして、“EnglishTheory”は、小中学生に人気です。
たとえば・・・

Complete the time name.Copy the noto.

Fill in the table.

Circle the longest note and write its time name.

Fill in the missing letter names and notes as semibreves(whole notes).

etc.

ほんの一例ですが、音楽の問題そのものは難しくないので、逆に「英語ではそんな風に質問するのか~」という興味も手伝い、知的好奇心を刺激するようです。

但し、これは小学生以上の話で、幼い頃は聴感覚が優れていますから、意味づけはあまり気にせず、音声に触れ歌を歌ったりゲームを楽しむことで養って頂くのが一番近道です。

日本人の“マジメさ”が、かえって邪魔して、間違えることを恐れてしまいがち・・・下手でも良いからコミュニケーションをとってみたい!という意欲が一番大切。

そんなこんなもあって、レッスンの初めは、“ICE BREAK TIME” という時間を設けます。

ICE BREAK・・・とは、字のごとく氷を砕く??固まった心や空気を打破して、リラックスして楽しめる雰囲気を作ります。

ちっちゃい子は、脳の可塑性が優れており、吸収率も高いです。


本当は親御さんも一緒に楽しめれば良いのですが、本当に子供の遊びの世界に入り込んでもらうために、今は子供たちだけで楽しんでもらっています。

脳科学的??には、遊びで夢中になっている状態が一番記憶力をアップさせますので

ではではお持ちしています         


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過去のブログより…フィンランドの教育

2018-02-25 03:32:06 | 教育
2015年12月のブログから

一見、遊んでばかりいるように見えるフィンランドの教育・・・でも、成長した時、世界最高水準の学力なのです。
地頭を作るのは、こういう育て方…

幼い時から左脳的な学習をすることは、長期的に見ると発想力・想像力を抑圧してしまい優れた人材を育てることに繋がらないようです。
手近で分かり易い“教科”・・・の枠を超えて、良く見聞きし分かり行動することが出来る人を育てる・・・今どきの脳科学的な発想にもぴったりとあてはまる様です。

「手っ取り早く答えを得ようとするのは現代人の病気である」・・・とは尊敬する小林秀雄の言葉。
大変厳しい指摘ですが、同時に大きな人間愛に基づく言葉なのですね。。


シェアした記事です。

是非お読み頂きたいです


そろそろ古い考えの教育法から脱却する時期なのだと感じています。





                     

ここで紹介するのは、フィンランドに住むアメリカ人教師のティム・ウォーカー氏が、同国の幼稚園を訪問して気付いたこと。
そこで採用されていた教育方針は、アメリカとはまったく違っていたそうです。2015年10月1日、The Atlanticに掲載された記事を紹介します。




01.
フィンランドの教育方針
「遊ぶ=学ぶ」



同国は教育分野で注目されている国です。その理由は、15歳を対象にした国際テスト「PISA(学習到達度調査)」の成績が一貫して好調だからでしょう。しかし、もっと小さな子供たちに注目した方がいいかもしれません。

私はフィンランドで2年間、小学5・6年生の指導をしてきました。その際に、ほとんどの子どもたちが義務教育で「Preschool」と呼ばれる幼稚園に通うと聞きました。

「Preschool」の教師である義母から直接聞いた話ですが、そこではアメリカの園児のようにワークシートを使うことなんてなく、ほとんどの時間を遊びに費やすと聞いています。

私はフィンランドの公立幼稚園を実際に訪ねてみることにしました。子供たちが幼稚園で過ごす時間は1日にわずか4時間ほどでした。

02.
子供達は遊びに夢中
“勉強中”とは思ってない



8月の朝、学校へと足を運ぶと5〜6歳の男の子たちが霧雨の中幼稚園をジグザグにパトロールしていました。私はスチール製の玄関をくぐりましたが、地面を見つめる子供たちは誰も目をこちらに向けようとしません。みんなシャベルで泥遊びするのに夢中です。

午前9時30分、男の子たちは「Morning Circle」と呼ばれる日課のために列を作って並び始めます(女の子たちはすでに屋内にいて、ボードゲームで遊んでいました)。
男の子たちはすでに外で1時間遊んだあと。まだ遊び足りないと先生に嘆いています。

何をして遊んでたの?と聞いてみると「ダムを作ってたんだよ」と3人の子供たちが口を揃えて言います。
先生は「他には?」と質問しました。すると「他には何もしてないよ」と答える子供たち。

「Preschool」の先生として7年間勤めているアンナ先生はこう話していました。
「子どもたちは1日を通して『遊ぶ』ことから多くのことを学びます。みんな自分のしていることにとても興味を持っているので、それが学習だということにも気付かないんですよ」

03.
お買い物遊びは
算数の勉強



シャベルを使って泥で遊ぶ男の子たちがいる一方で、レジ係の女の子は価格のリストをじーっと眺めていました。しばらくして先生が助けを差し伸べます。

彼女は私の注文の金額と、彼女に渡した10ユーロ(約1,300円)の価格の差を計算していました。つまり、お釣りの計算です。私がプラスチックコインのお釣りを手にしてアイスクリームを食べる真似をしたら、クスクスと笑っていました。

04.
学習のモチベーションが
遊ぶことでレベルアップ!



子供たちは遊びの中で、言語、数学、社会的相互作用のスキルを学んでいます」と話すオセイ先生。The Power of Playにも「短期的・長期的に関わらず、子供たちが遊びを楽しんでいる時には、認知的、社会的、感情的、および身体的にも、学習に対するモチベーションが高まる」との見解が書いてあります。

オセイ先生の「遊び」をベースにした教育方針には、同僚だけでなく校長先生も含めて賛同しています。

05.
2種類の遊びを
使い分ける

フィンランドの幼稚園では紙と鉛筆を使う授業がめったにないそうです。1日に幾つかアクティビティがあるだけ。たとえば、月曜日は、遠足や球技にかけっこ。金曜日には、歌を歌ったりパズルをしたり。

さらに、幼稚園児たちを見ていくと「遊び」には2種類あるようでした。1つは自由に遊ぶ方法(ダムを作る)。もう一方は、教育方針にのっとって指導を受ける方法(お買い物遊びをする女の子たち)。校長先生もうこう話していました。
「"この鉛筆を取り、座ってください"と、幼稚園児に言うのは自然な方法ではありません。幼稚園の教育では、園児が机に座り、文字を書いたりする勉強は、週1日で十分です」

教育委員会のアリヤ先生も、「遊び」は最新のカリキュラムの中でも特に注目するべき項目だと強調しています。
「『遊び』は、子どもたちの学習にとても効果的です。子供たちが"喜び"を感じながら学べる方法として、教育に活用できます」

06.
“喜び”のない学びは
すぐに忘れてしまう



「喜び」という言葉が印象的です。私はアメリカの教育シーンでは、そんな言葉を聞いたことはありませんでした。しかし、同国の学習のコンセプトには遊びの項目がはっきりと書かれています。
さらに、アリヤ先生の話ではフィンランドにはこんな古いことわざもあるそうです。
"喜び"もなく学んだことは、すぐに忘れてしまう

07.
「私たちは強要しません」

フィンランドの幼稚園を訪問した日、読み書きをする子どもはいませんでした。が、読み書きの指導がちりばめられているさまざまな言葉を聞きました。たとえば「Morning Circle」で手を叩きながらリズムをとって韻を踏むアクティビティです。

Children singing with their teacher.

私は教育学科の博士課程で学んだことを思い出しました。音韻認識による言語構築です。書かれた文字ではなく、音から言葉を認識する能力で、言語能力発達の基礎として考えられています。

昼食前、幼稚園の先生は、バスケットに子ども用の本をたくさん入れて持ってきます。しかし、5〜6歳の幼稚園児はまるで赤ちゃんのように本へと向かいます。部屋の隅に別々に座って、ページをめくり絵をじっくりと見ます。文字はほとんど認識していません。

オセイ先生の話では、15人いる彼女のクラスの生徒でちゃんと文字を読むことができるのは1人だけだそう。ただし、1年後にはほとんどの子供たちが読めるようになります。
「私たちは強要しません。子どもたちの準備が自然とできて、学べるようになるのを待ちます。もし子どもたちが興味を示すようであれば、助けるようにしています」

08.
読み書きを教えることが
禁止されていた過去も!?



もちろん、子どもたちが興味を示し学びたいと意思表示さえすれば、読み書きを教えることができます。が、過去には許されていない時代もあったのだとか。
読み書きはもともと小学校1年生を担当する先生の仕事でした。しかし、アメリカと同じく教育は変化しています。

フィンランドでは、幼稚園の先生と両親が子どもの興味や読み書きのレベルに合わせた学習計画を立てるミーティングをします。もちろんその目標が「読み書きができること」という場合もあります。

が、早期学習がいい結果を及ぼすという長期的な事例は見つかっていません。ニュージーランド・オタゴ大学のセバスチャン・スゲイト教育心理学博士は、5歳と7歳それぞれの年齢から読み書きを始めた子供たちを調査。11歳時点で行ったテスト結果を比較しましたが、両者にスキルの差は見られなかったそうです。

09.
6歳の誕生日パーティで
気付いたこと



フィンランドの幼稚園訪問も終わりに近づいた金曜日、私は22人の幼稚園児と2人の教師と一緒に、誕生日を祝うイベントに参加しました。

誕生日の子は、同級生と先生の前に座ります。幼稚園児は円になり、ロウソク立てを足元に置きます。ロウソクに火を灯して『ハッピーバースデートゥーユー』の歌が始まるのかと思ったんですが、見当違いでした。

同級生の1人がベレー帽のような帽子をかぶり、手紙を入れるカバンを肩に下げていました。そして誕生日の子どもの手を取り、ダンスを踊りながらフィンランドの子どもの歌『Little Boy Postman』を歌い始めます。

歌が終わると、小さな郵便配達員がカードを取り出し、誕生日の子どもに手渡します。先生はこう語りかけます。
先生「カードを読む手助けをしてほしい?」
子供「助けて!」

彼の読み書きのスキルはまだまだこれから。私は彼の顔をゆっくり見てみましたが、恥ずかしがっている様子はまったくありませんでした。恥ずかしがる必要なんてそもそもないんですよね。

きらめく6本のろうそくの炎を眺めて、改めてこんなことを思いました。この子はまだ”小さな子ども”なんだ。ってね。
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体験こそ・・・大切なこと♡

2018-02-13 07:38:58 | 教育
少し以前に生徒さんがテレビ番組で紹介されました
今日はそのことについて。。ちょこっとオマケのウラ話



しばらく前(1月上旬だったかな…?)に、テレビ番組制作の方からご連絡ありまして、海外のコンクールに参加したKちゃんについて、取材依頼ということでした。
おうちの方やKちゃん本人に確認したところ、「はい大丈夫です」というお返事。
地元の高校生以下の子供たちの中から、頑張っている子供さんについて取材する…という趣旨の番組なのだそうです。

普段はスポーツ等で頑張っている子供さんの取材が多いそうです。


他にもピアノがお上手な方はたくさんいらっしゃいますので、「このようなコンクールもあります」というご紹介にもなればと思い、ご家族やKちゃん本人とも相談してお受けすることにしました

・・・が、頑張っている子供さんの番組なので、そのようなことは趣旨と違うらしく、詳しくお話し出来なかったので、ちょこっとご紹介


10月にアップした『海外のコンクール』(もし宜しければ併せてご覧下さい)でも、少し書いていますので、重複しているところはなるべく避けて…。

皆さんも良くご存じの、全日本ピアノ指導者協会(通称PTNA)には、提携コンクールというのがたくさんあります。
その中でも“ミラノタレンツ”という、イタリアでのコンクールへのビデオ審査(YouTubeでアップする形態)での参加をしてみませんか?と、ご関係の方から紹介して頂きました。

そのビデオ撮影を振り返ると、ちょうど1年前の2017年2月くらい?
イタリアへ行ったのが2017年6月後半から7月頭にかけて…。

今、取材を受けて「何の曲弾く??」みたいに(半年一年の)タイムラグがありまして、どの様に取材にご協力できるやら、ちょこっと悩みましたが…


2015,2016年、ちょうど夏のコンペ真っ最中の時期だったのですが、ここのところコンクール参加も少し控えるようにしていたので、子供たちは自由曲で催し物に参加し演奏していました。
その演奏を素敵なピアニストさんが聴いて下さり、海外のコンクール参加というのもありますよ…とご紹介下さり決心した…のような経緯…。
きっと与えられた課題曲でなく、好きな曲を一生懸命心を込めて弾いていたのが伝わったのでしょうか???


長時間の飛行機での移動、体力的には大変なこともあったと思いますが、幼い時に異文化に触れることは大きな経験になりますね。

本番の会場はホテルの中にあるホールで、各国からの参加者は日本と違って、とても自由に音楽を楽しんでいる感じでした。
国は…記憶している中ですと、ウクライナ、ロシア等ヨーロッパでも遠方の参加者もあり、イタリアも各地から参加されているようでした。

もの凄いテクニシャンもありましたが、総じて自由に音楽そのものを楽しみ、音楽の言葉で語っているように感じました。

Kちゃんの出番の前の子が、とても大柄の(おじさんみたい…と言ったら失礼なのですが…)男の子でしたので、控室として使われていたお部屋で「何歳ですか?」と聞きましたら「12歳」?!!「わぉ~」と思わず言ってしまいました。

その男の子、本番もすごい迫力でショパンのスケルツォ1番を弾いていたので、正直次に出て来る日本人の中でも小柄なKちゃんの演奏は、聞き劣りするのでは…と思ったのです。
ところが、繊細で語りかけるような音は大変心にしみわたり、私自身も涙が出そうになるような演奏でした。
結果はもうどうでも良いな、、こんな素敵な演奏が出来たのだから、遥々日本から来た意味もあった…と思っていました。

驚きの結果でびっくり。。


で、、スケルツォの男の子は受賞できず。。
頑張っていたのに(しかも自信ありそうだったのに)気の毒な気もしましたが、技術も能力もある男の子だったので、きっとまた音楽を深めて来られることでしょう。
他にも、受賞していた子供たちの傾向は、子供らしく自由な発想を持って自然体で弾いている、意外と素朴なものが評価されていたかも知れません。
もちろん、驚くほどのテクニックと音楽性の男の子もいました。

大人(若いピアニスト)の方の国際コンクールもありまして、その審査会議中にも町の大きなTheater(古い立派なオペラハウス)で演奏させていただいたのも、とても良い経験となりました。
ラフマニノフなど凄まじい…と言って良いような…もの凄い迫力の演奏のあと、小さな日本人の女の子がそっと語り掛けるように弾くドビュッシーは、会場の隅々まで染み渡り、大変感動的な演奏会となりました。


ここのところ、チェンバロに触れてみたり、英語で歌おう!とか、オープンクラス、、など色々やってみているのですが、なにが大切かというと、「体験こそ大事!」ということ。。

とにかくやってみよう! 体で感じよう!


忙しいのに面倒だな…と思うこともあるかも知れませんが、やってみると頭ではなく体が感じ覚えてくれる…そのように思います


公共の電波は色々なところで見て下さっている方があったようで、すごーく久しぶりの方からご連絡頂いたりして、それはそれで良かったのかな?
恥ずかしいのでTVは見ていません
Kちゃんのお友達Hちゃんがあまりにも素敵すぎるコメントを語っていたので、大笑いしていた私の声が入っていたようで、大変失礼してしまいました


より強く早く…から、時代はシフトしています。
繊細で語りかけるようなPの響き。
人としてどうあるべきか、子供の時代を大切にしてあげられるように。
十月十日(とつきとか)お母さんのおなかの中にいるように、子供が生まれ出た後も、その時期に合ったアプローチで見守ってあげられるといいですね。
何でも早くできるようにすることは、時として子供の脳の発達に悪い影響も与えかねないそうです。
シュタイナー教育では早産させるようなこと…という表現をしていました。


本当の子供の幸せを願って



~おしらせ~

English Rhythmic & English Theory 2月18日(日)
2:00~3:00「English Rhythmic」英語で遊ぼう(うた・ゲームetc.)
3:00~3:30「English Theory」簡単な楽典問題を英語で解いてみます




単純に英語で歌ってみる…という趣旨ですので、英語の塾で学んでしらっしゃることはそれはそれで大切にされるとよいかと思います。
久石譲さん曰く、メロディーは記憶装置。
失語症の治療にも、メロディーイントネーション療法というものがあります。
それに、子供の時に使った懐かしいテキストの歌を歌ってみるのはとても楽しいですよ。
指導はMei Lian先生、名和先生もサポートに来てくれます
*謝礼について…Mei Lian先生には特別に時間を割いてお越し頂いていますので少額の謝礼をさせて頂きますが、教室としては英語は特に専門ではありませんので私たち講師も一緒に楽しみ学ぶという姿勢で、頂いておりませんのでご了承くださいませ。

宜しければお待ちしています






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「だからピアノを習いなさい」黒川好子著

2017-05-01 04:05:35 | 教育
「だからピアノを習いなさい」

なかなかにキッパリとした本のタイトルですね
サブタイトルには・・・子供の生き方が変わる、正しいピアノの始め方・・・とあります。

本格的に始めたい人も、まだ迷っている人も・・・
ピアノを学ぶことで、子供の心身は大きな成長を遂げます。
本書は、ピアノを習う意義からその効用、習う時期の重要性、右脳と左脳を生かした練習法などまで紹介します。

正しく習えば効果的

                        


上記の言葉は、本の表紙に記してあること。

殆どレッスンで言っていることを代弁して頂いているような内容です

広く皆さんに(指導者、保護者の方々)読んで頂けるよう、できるだけ分かり易く書きました。。と、黒川先生は書かれています。
大変深い内容を、とても分かり易く書かれているので、ピアノ学習に限らず、そもそも学ぶということはどういうことか考えるのにも良い本です

ピアノを始める時期

音楽が今こそ大事な理由

何故ピアノを習うと頭が良くなると言われるのか

聴覚のゴールデンエイジ

記憶力のゴールデンエイジ

ソルフェージュとリトミックのちがい

リトミックの落とし穴

良い先生とは


などなど、まだまだ興味深い内容満載ですが、子供の発達段階を追い、脳科学的、心理学的なアプローチもあり、なるほど
という内容です。

殊に、幼い子供さんや思春期前の子供さんをお持ちのお母さま方(もちろんお父さまも)に、これから先、可愛い子供たちがどのように成長し変貌を遂げてゆくのか(決してコワい意味ではないです…ですがサナギの時期は必ず来ます!)、音楽を通してずっと寄り添ってきたものとしては、ちょっと心配に思う事もありますので、とても参考になります


良い先生・・・のところで・・・
生徒が辞めないでいるから、生徒数が多いから、コンクール入賞者が多いから、良い先生ではありません。
と書かれていて、ホンマに~~と思ったり
如何に自分の生徒がコンクールで入賞したか宣伝している先生がいますが・・(略)・・ヨーロッパではそのような宣伝をする先生はいません。
とも・・・。
「自分で音楽を考えていく」生徒を育てようとする先生こそが良い先生。。そして黒川先生の中では、子供たちが持っている能力以上にピアノを弾けるようにさせる先生・・という結論のようです。


私たちは現在、電子機器に囲まれて生活しています。
実は、脳の中で聴覚的・視覚的にも、感度がデジタル化されているおそれがあります。
つまり、複雑なものを感知しにくくなっている。
言葉や表情を表面的にとらえ、情報と物の中で何が本当か分からず、フェイクニュースにあっさりと騙されてしまう。。
現代人は、そんな情けない状態になってきています

子供の自発性が大切と思うなら、何でも早く正解を見つけなければと焦らないで、迷ったり困ったり、色々無駄と思えるような寄り道をさせてあげることも大切かも知れません。

これから弾く曲のCDをすぐに聴いたりするのことで、最近の子供たちの演奏から自発性が消えてしまった(ましてパソコンで聴く音などはもってのほかです)・・・とも語られています。

医学的にみても脳の機能を考えても、地頭を鍛え、本当の賢さを身に付けることが出来る…

長文になってしまうと読みにくいかも知れませんので、今日はこの辺で…。
是非手に取って読んでみてください

また内容に触れてみようと思います



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1年前のblogから~これから音楽を始める方たちへ・・・

2016-02-15 08:50:36 | 教育
これから音楽を始める方たちへ・・・
ピアノを習うことの意義について、最近脳科学者の方たちが、なかなか力強い事を仰っていますね。これは本当に実感として思うことです。今やっていることが色々な能力に繋がる・・・これを...



一年くらい前にこんなブログを書いていたようで、お知らせのサービスがあるのですね~

もしよかったら、ご覧になってみてください
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入試問題の著作(鷲田清一さんの対談など)

2016-01-05 18:36:07 | 教育
入試時期になりましたね

高校入試、大学入試、其々大変だと思いますが、体調万全に臨んでほしいです。


さて、最近私も良く手に取って読む本のうちの一つですが、鷲田清一さん・・・入試問題に多く登場される著作者ナンバーワン、現在トップだそうです。


日本の哲学者(臨床哲学・倫理学)。 京都市立芸術大学理事長・学長、大谷大学客員教授、大阪大学名誉教授。 関西大学 文学部教授、大阪大学総長などを歴任されました。
河合隼雄学芸賞選考委員もなさっています。

何冊かは(かなりの頻度で)、郷土の芸術家、植田正治さんの写真が表紙にも使われていますね。

興味深い対談が載っていましたのでシェアしてみました。
本は標準語で書かれていますが、京都出身なので対談は関西弁。
何だかいい感じです~

余談ですが、阪大から京芸にかわられる時、阪大の学生さんが大変残念がっていたらしいです。
とても人気だったのですね。
本を手に取ってみれば分かる気もします。
シャープな思考を、柔らかな言葉で、しかも的確に綴っていらっしゃいますね。

宜しければ読んでみて下さい。

  

          




第97回 「教育」なんてありません。(鷲田清一さん編)



子どもは勝手に育つもの

―― 『おとなの背中』は、国民皆読書だと思いました。先生、このタイトルはどのような思いでつけられたのですか?

鷲田:「教育」という言葉があんまり好きではないんです。「教え育てる」ってなんかモノ扱ってるのか、植物の栽培でもやってるのか、という気持ちになるので。
 教える、育てるいうよりも、そこに子どもがいたら勝手に育つような場を作る、空間を作る、それが教育やと思ってます。直に「これせえ」「これをしたらいかん」とか、いろいろ教えるんやなしに、ここにいたら子どもが自ずと育っていけるような場を、あるいは空間を作るのが大人の仕事です。

―― 心から共感いたします。

鷲田:昔の学校は、特に京都の場合、地域の人の寄付でできました。ぼくらが子どものときは、学校のほうがたいていのクラスメイトの家より上等やったんです。

―― あぁ~。

鷲田:だって石造りでコンクリートがあって、階段の手すりにも彫りがあるんですよ。そんな家ってあらへん。今は学校のほうが普請が安もんでしょう。それは、どうせ子どもやからすぐ壊すやろう、という感覚。それなら安もんの丈夫なもの、プラスチックでいいやろ、というふうになってくるでしょう。

―― そういうことなんですねぇ。

鷲田:明治の大人は、どうせ子どもやからとは考えなかった。子どもが一日のうち大半の時間を過ごすんやから立派に造ってやらねば、という発想です。まったくフィロソフィーがちがうわけです。

――― ホントそうですね。

鷲田:子どものときはわからへんのですよ、そういう贅沢してるいうことが。でもなんとはなしに、大人が大事に作ったもんやから粗末にしたらあかん、傷つけたらあかん、あるいは自分らがそんなふうに大事に思ってもらえてるのやから命は粗末にしたらあかん、っていうような気が、言葉ではわからなくても感じる。それが、そこにいたら勝手に育つということです。

―― ホントにそうですね。子どもは勝手に育つ。わが身をふりかえっても、そう実感します。

鷲田「背中」と言ったのは、子どもはなにも正面から「こうせぇ」とか教えなくても、そこにいたら大人が何してるか勝手にわかるものという意味を込めてです。「うちのお母ちゃん、隣の家の前まで掃いてるわ」「お父ちゃん忙しいのに今年は祭りの当番でえらい大変やなぁ」とか。ふんどし意外とかっこええなあとかね(笑)。子どもはちゃんと見ていて、その大人の姿を見て勝手に覚えるのです。




大人の背中がいっぱい


鷲田:「背中」のもう一つの意味は、いっぱい違う背中があるというのが自ずと教育になるということです。

―― あぁ~。

鷲田:昔は学校というのは、うちの家族にはいないような人、地域にはいないような人に会いに行くもの。だってぼくの周りには大学なんて卒業した人1人もいいひんかったからね。

―― ああ、僕の周りも同じかんじでした。

鷲田:そうでしょ。職人さんと商人ばっかりよ。で学校行ったら大学院を出てる人がいる。だから地域では触れられないような別な大人に会いに行く。しかも大卒の先生でも全然人によって違う。もうそれだけで学びなんですよ。

―― ええ。

鷲田:たとえば将来設計して、自分なりに夢見て、こういう人になるためにこんな学校に行って、と考えます。けど、うまいこといかなくて、ぺしゃんとなったとき、オール・オア・ナッシングにならないこと。こんなおっちゃんでも、こんなええ加減でも生きていけるんやとかね(笑)。
 一つのことをちゃんとやったら、他のことはええ加減にしてても生きていけるんや。

―― そういう学びは、たくさんの「背中」を見てないといけないと。

鷲田:そう。生き方のオルタナティブ、生き方の選択肢をできるだけたくさん見たらそんなにぽきっと折れないものです。ところが、「教育」という考え方をすると、「先生はやっぱり立派でないといかん」となる。こんなんでも先生になれるっていう、大人って意外とええ加減やなぁっていうのも学べないくらいに「先生らしく」行動し、それに評価なんかも入ってきて......。授業のやり方とかシラバスの作り方とか点数の付け方とかみんなワンパターンになって、大人の背中が一種類になっている。
 職住が離れて、直にお父さんお母さんが働いているのを見てないから、働く人っていうイメージはみんな「ひとつ」になってしまう。そういう多様性がホントに学校からなくなってしまっている。

―― そうですよねぇ。それは本当に怖いことです。

鷲田:だからぼくは職住を少しでも近づけてね、せめて15分くらいにすべき。なんかあったらすぐ帰れる、「昼飯今日はちょっと家で食うわ」と言って帰れる。そうしたら、子どもはお父ちゃんの休憩してる姿を見られるし、そこら中に働いている人もいっぱい見れるようになる。それを反対に、鉄の門でばしゃーんと閉めて大人が入ってこない学校にしてしまったら、学びとか育ちなんて、起こらないと心配してしまいます。

―― ホントそうですよねぇ。




消費者としての大人の背中しかなくなった。


鷲田:ぼく10年くらい千里ニュータウンにいたでしょ、単身赴任で。そのときは、働いてる人って、キヨスクのおばちゃんだけやもん。

―― えぇ~!

鷲田:大阪の千里は府営住宅が多いから一階にお店が入れない。レストランもないし、もちろん魚屋もないし。そうすると大人の働いてる姿は、全部非正規の人がやってはるレジで働く人の姿しかない。働いてる人の姿って皆無。帰ってきたらお母さんは時間つぶしにスポーツしたり、エンターテイメントの消費をしたりと、要するに消費活動しかしていない。お父さんは帰ってきたら労働を免除された暮らしばっかりで、ぐうたらと(笑)。

―― 食べて寝るっていう。

鷲田:そう、それとテレビ見るだけ。大人が真剣になってる姿を見るチャンスがない。だからねえ、働く場所と消費する場所がこんなきれいに分かれてしまって、子どもがその消費する場所にいる。
 消費マインドって、大人と子どもの差をなくすでしょ。だって同じ行為やもん。子どもも小遣い持ってるから。親に頼んで買ってもらうってのが昔、今は自分で買うから子どもが生意気になってくる。大人と同じ行為をするですから。で、そうするとお金って、何でも買えるっていう万能感を持ったものになる。

―― なるほど~。もう子どもの頃から万能の消費者になってしまうのですね......

鷲田:何でも買えるっていう万能感を異様に持つから、一度思う通りにならなかったり買えなかったりするとガーンッ! と無能感のほうに揺り動かされる。
 算段するとか相談するとか、懇願する、お願いするとか、いろいろ手を考えてあーだこうだやりながら、すぐには買えなかったけど一カ月後には実現したい、というようなモノの買い方とかがなくなる。あれが買えなかったらうちは貧しい、あるいは、うちは親の愛情が薄い、なんてふうに、急に悲劇の主人公みたいになり、「もうだめだ私は...」と無能感のほうにいってしまう。

―― 極端から極端ですよねぇ。

鷲田:何でもできるか、何にもできない、そのどちらか。昔は大人の姿を見て、小ずるいこととか辛抱とか、いろんなことを覚えていきました。ぼくのとこは職人やったから仕事ないときやったら、やっぱり人に頭を下げて借金に行ったりもしてる。惨めなものを含めてお金のやりくりを見てる。子どもがそういうのを見なかったらね、そんなんたくましくなれないやん。

―― たくましくなれないですよねぇ。それこそ消費者としての大人の背中しか知らない。

鷲田:そこは器用器用。早くから自分も主体になってるんで、かえって大人よりも上手いかも。

―― そうですね。


鷲田清一「おとなの背中」(角川学芸出版)

                               『本屋さんと私』より

          


入試出題著作に、この様なランキングが掲載されていました。
入試に関わらず、すごく興味深く、好きな傾向の著作や作者ばかりです。

1 鷲田 清一   <ひと>の現象学
2 外山 滋比古  ことわざの論理
3 内田 樹    日本辺境論
4 河合隼雄   日本文化のゆくえ
5 平田オリザ  わかりあえないことから
5 齋藤 孝    コミュニケーション力


また、中学入試問題でも、重松清、池田晶子、養老孟司、内田樹、茂木健一郎、伊集院静、小川洋子・・・

こうしてみると、とても良い著作が並んでいて、入試に関わらずもっと時間を使って読んだらいいのに(というより純粋に読書として)・・・と、思う作品ばかりです。

もちろん小林秀雄の文章も素晴らしく、大学入試なら村上春樹の作品も取り上げられているようですね。

あまり目先の結果に右往左往しないで、ドーンと構えてじっくり本を読んでもらえたらなぁ。。

ちゃんとそれなりの時期に、結果が現れてくるものです。

これは、ピアノも同じなので、そこのところ、大人が考えてあげたいですね。

さてさて長くなってしまいました。

今日はこの辺で~
*今回は多くの著者のお名前を挙げたため全て敬称は略させて頂きましたことご了承くださいませ。。
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フィンランドの教育事情

2015-12-25 02:21:34 | 教育
面白い記事でしたので、シェアしました。
ご興味ある方はどうぞ


                     

ここで紹介するのは、フィンランドに住むアメリカ人教師のティム・ウォーカー氏が、同国の幼稚園を訪問して気付いたこと。
そこで採用されていた教育方針は、アメリカとはまったく違っていたそうです。2015年10月1日、The Atlanticに掲載された記事を紹介します。




01.
フィンランドの教育方針
「遊ぶ=学ぶ」



同国は教育分野で注目されている国です。その理由は、15歳を対象にした国際テスト「PISA(学習到達度調査)」の成績が一貫して好調だからでしょう。しかし、もっと小さな子供たちに注目した方がいいかもしれません。

私はフィンランドで2年間、小学5・6年生の指導をしてきました。その際に、ほとんどの子どもたちが義務教育で「Preschool」と呼ばれる幼稚園に通うと聞きました。

「Preschool」の教師である義母から直接聞いた話ですが、そこではアメリカの園児のようにワークシートを使うことなんてなく、ほとんどの時間を遊びに費やすと聞いています。

私はフィンランドの公立幼稚園を実際に訪ねてみることにしました。子供たちが幼稚園で過ごす時間は1日にわずか4時間ほどでした。

02.
子供達は遊びに夢中
“勉強中”とは思ってない



8月の朝、学校へと足を運ぶと5〜6歳の男の子たちが霧雨の中幼稚園をジグザグにパトロールしていました。私はスチール製の玄関をくぐりましたが、地面を見つめる子供たちは誰も目をこちらに向けようとしません。みんなシャベルで泥遊びするのに夢中です。

午前9時30分、男の子たちは「Morning Circle」と呼ばれる日課のために列を作って並び始めます(女の子たちはすでに屋内にいて、ボードゲームで遊んでいました)。
男の子たちはすでに外で1時間遊んだあと。まだ遊び足りないと先生に嘆いています。

何をして遊んでたの?と聞いてみると「ダムを作ってたんだよ」と3人の子供たちが口を揃えて言います。
先生は「他には?」と質問しました。すると「他には何もしてないよ」と答える子供たち。

「Preschool」の先生として7年間勤めているアンナ先生はこう話していました。
「子どもたちは1日を通して『遊ぶ』ことから多くのことを学びます。みんな自分のしていることにとても興味を持っているので、それが学習だということにも気付かないんですよ」

03.
お買い物遊びは
算数の勉強



シャベルを使って泥で遊ぶ男の子たちがいる一方で、レジ係の女の子は価格のリストをじーっと眺めていました。しばらくして先生が助けを差し伸べます。

彼女は私の注文の金額と、彼女に渡した10ユーロ(約1,300円)の価格の差を計算していました。つまり、お釣りの計算です。私がプラスチックコインのお釣りを手にしてアイスクリームを食べる真似をしたら、クスクスと笑っていました。

04.
学習のモチベーションが
遊ぶことでレベルアップ!



「子供たちは遊びの中で、言語、数学、社会的相互作用のスキルを学んでいます」と話すオセイ先生。The Power of Playにも「短期的・長期的に関わらず、子供たちが遊びを楽しんでいる時には、認知的、社会的、感情的、および身体的にも、学習に対するモチベーションが高まる」との見解が書いてあります。

オセイ先生の「遊び」をベースにした教育方針には、同僚だけでなく校長先生も含めて賛同しています。

05.
2種類の遊びを
使い分ける

フィンランドの幼稚園では紙と鉛筆を使う授業がめったにないそうです。1日に幾つかアクティビティがあるだけ。たとえば、月曜日は、遠足や球技にかけっこ。金曜日には、歌を歌ったりパズルをしたり。

さらに、幼稚園児たちを見ていくと「遊び」には2種類あるようでした。1つは自由に遊ぶ方法(ダムを作る)。もう一方は、教育方針にのっとって指導を受ける方法(お買い物遊びをする女の子たち)。校長先生もうこう話していました。
「"この鉛筆を取り、座ってください"と、幼稚園児に言うのは自然な方法ではありません。幼稚園の教育では、園児が机に座り、文字を書いたりする勉強は、週1日で十分です」

教育委員会のアリヤ先生も、「遊び」は最新のカリキュラムの中でも特に注目するべき項目だと強調しています。
「『遊び』は、子どもたちの学習にとても効果的です。子供たちが"喜び"を感じながら学べる方法として、教育に活用できます」

06.
“喜び”のない学びは
すぐに忘れてしまう



「喜び」という言葉が印象的です。私はアメリカの教育シーンでは、そんな言葉を聞いたことはありませんでした。しかし、同国の学習のコンセプトには遊びの項目がはっきりと書かれています。
さらに、アリヤ先生の話ではフィンランドにはこんな古いことわざもあるそうです。
「"喜び"もなく学んだことは、すぐに忘れてしまう」

07.
「私たちは強要しません」

フィンランドの幼稚園を訪問した日、読み書きをする子どもはいませんでした。が、読み書きの指導がちりばめられているさまざまな言葉を聞きました。たとえば「Morning Circle」で手を叩きながらリズムをとって韻を踏むアクティビティです。

Children singing with their teacher.

私は教育学科の博士課程で学んだことを思い出しました。音韻認識による言語構築です。書かれた文字ではなく、音から言葉を認識する能力で、言語能力発達の基礎として考えられています。

昼食前、幼稚園の先生は、バスケットに子ども用の本をたくさん入れて持ってきます。しかし、5〜6歳の幼稚園児はまるで赤ちゃんのように本へと向かいます。部屋の隅に別々に座って、ページをめくり絵をじっくりと見ます。文字はほとんど認識していません。

オセイ先生の話では、15人いる彼女のクラスの生徒でちゃんと文字を読むことができるのは1人だけだそう。ただし、1年後にはほとんどの子供たちが読めるようになります。
「私たちは強要しません。子どもたちの準備が自然とできて、学べるようになるのを待ちます。もし子どもたちが興味を示すようであれば、助けるようにしています」

08.
読み書きを教えることが
禁止されていた過去も!?



もちろん、子どもたちが興味を示し学びたいと意思表示さえすれば、読み書きを教えることができます。が、過去には許されていない時代もあったのだとか。
読み書きはもともと小学校1年生を担当する先生の仕事でした。しかし、アメリカと同じく教育は変化しています。

フィンランドでは、幼稚園の先生と両親が子どもの興味や読み書きのレベルに合わせた学習計画を立てるミーティングをします。もちろんその目標が「読み書きができること」という場合もあります。

が、早期学習がいい結果を及ぼすという長期的な事例は見つかっていません。ニュージーランド・オタゴ大学のセバスチャン・スゲイト教育心理学博士は、5歳と7歳それぞれの年齢から読み書きを始めた子供たちを調査。11歳時点で行ったテスト結果を比較しましたが、両者にスキルの差は見られなかったそうです。

09.
6歳の誕生日パーティで
気付いたこと



フィンランドの幼稚園訪問も終わりに近づいた金曜日、私は22人の幼稚園児と2人の教師と一緒に、誕生日を祝うイベントに参加しました。

誕生日の子は、同級生と先生の前に座ります。幼稚園児は円になり、ロウソク立てを足元に置きます。ロウソクに火を灯して『ハッピーバースデートゥーユー』の歌が始まるのかと思ったんですが、見当違いでした。

同級生の1人がベレー帽のような帽子をかぶり、手紙を入れるカバンを肩に下げていました。そして誕生日の子どもの手を取り、ダンスを踊りながらフィンランドの子どもの歌『Little Boy Postman』を歌い始めます。

歌が終わると、小さな郵便配達員がカードを取り出し、誕生日の子どもに手渡します。先生はこう語りかけます。
先生「カードを読む手助けをしてほしい?」
子供「助けて!」

彼の読み書きのスキルはまだまだこれから。私は彼の顔をゆっくり見てみましたが、恥ずかしがっている様子はまったくありませんでした。恥ずかしがる必要なんてそもそもないんですよね。

きらめく6本のろうそくの炎を眺めて、改めてこんなことを思いました。この子はまだ”小さな子ども”なんだ。ってね。
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シュタイナー教育

2010-12-12 05:34:57 | 教育







最近はあまり私の中では、登場しなくなっていたのですが、20代後半、



「モモ」という、ドイツの文学者ミヒャエル・エンデの児童文学にふれたことがきっかけで、よくこの関係の本を、



読みふけっていたものでした。



ドイツ文学者子安美知子さんの「ミュンヘンの小学生」「魂の発見」など、とても新鮮で衝撃的でした。



シュタイナー教育というのは、ドイツの思想家、ルドルフ・シュタイナーが提唱した教育法で、



深い思想のもとに出来ている子供の発達にそって行われる教育です。



日本にも僅かに学校はあるようですが、どこまで根付いているのかは分かりません。



知人が、そこの学校の教師をしています。



長いイギリスでの勉強を終えて、帰国後、京都の方でこの学校の教師をしているらしいです。



深い思想があってと言っても、思想を教育する訳ではなく、それに基づいて考え抜かれた教育をするのですが、



たとえば算数の時間にリコーダーを出して、3拍子のリズムを「かっこう」のように素朴なメロディーに合わせて、



1,2,3と拍子にのって演奏してみて、3の掛け算の勉強をしたり、とてもユニークで、芸術的なんです。



芸術の教育ではなく、教育は芸術だというような考えでもあるようです。



知・情・意と言いますが、おおよそ人間は7年周期で生まれ変わっていき、初めの7年は意志の力を、



次の7年は感情を、次の7年で思考の力をつけてゆくように考えられています。



深く語れるほど、私には知識はありませんが、あまり早くから知識ばかり詰め込み過ぎると、



バランスの取れていない人間になるというような考えでもあります。



小さなころから、漢字が書けるとか、難しい算数が解けるとか、そういう事はかえって弊害を起こしてしまい、



意志の弱い子になったり、本当の知識、知恵をもった人に育たない、あるいは充分に感情が育たない、



と考えられています。



私も、どちらかというと、その考えには賛成で、早くから勉強を強要しても、実際の賢さとは、



遠くかけ離れたもののように感じるのです。



日本の素晴らしい知識人と言われる人たちも、子供の頃は野山を駆け巡って遊びまわっていたという話を



よく聞きますが、難しい算数が出来るというのに、なんでこんな簡単なリズムが理解できないんだろうと、



首をかしげる事もよくあるのです。



そんな事をするぐらいだったら、お菓子を用意して、何人いるから、何個ずつ食べましょうとか、



勉強するのでなく、実際必要な事を日常生活から覚えたり、考えてりする方が、少なくとも幼いうちは、



いいように思います。



なかなか今の事情では、野山を駆け巡って・・・というのは難しいかも知れませんが、体を使って、



しっかりと地に足をつけて成長してくれるといいな、と思います。



シュタイナー教育では、子供は感覚の生き物だというようにも言っています。



感覚で覚え、考えて、実行してゆく。



そんな風に言っていた気がします。



ちょっと昔の記憶なので間違ってるところがあるかも知れませんが…幼児のレッスンをしていて、



やはり大切にしたいのは、感覚感性で、覚える事は小学校に上がるまでは、あまり強要しない方が良いと考えています。



曲を暗譜するとかそういったことではなく、理論を強要しないといったことです。



曲を暗譜するのは小さい子にとって、お手のもので、むしろ感性の世界に属すると思います。



中学校から高校生ぐらいになると、これに楽曲分析なるものが伴わないといけなくなりますが、



ほんの小さい頃は、ここはやさしいお花畑のようだとか、嵐のようだとか、ちょっと寂しい感じがするとか、



元気に行進しているとか・・・そういう感覚で、曲をとらえるのが自然なんだと思います。



ここで感じが変わったな・・・と感じられれば、後にそれは転調しているからだとか、調性が変わったからだと分かるでしょう。



major、minorの感じぐらいは、幼くても分かるとは思いますが。。。



シュタイナー教育から話がそれてしまいましたが、この教育は音楽をとても大切にしているのです。



なので、子安美知子さんの本を読んだときは、こんな学校に行けたらよかったな、とか、



子供たちがこんな教育を受けられたら幸せだな、と思ったものでした。



実際問題このとおりにすることは難しいとしても、ちょっとしたことから現場にとりいれることは可能だと思います。



シュタイナーの思想は、あまり深入りすると、訳が分からなくなってしまいますが、教育に関しては、



学ぶべきところも多く、興味のある方は、現行の教育とはかなり違ったこの教育法を



ちょっと垣間見て見られるのも、面白いかと思います。







コメント (4)
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