米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

ジャン・ジャック・ルソー

2012-10-13 23:50:04 | 歴史上の人物

ジャン・ジャック・ルソー



だれ?・・・この人??



とか、



ああ、むかし世界史で勉強したわ~~



とか、色々反応はありそうですが・・・



「ピアノの練習ABC」22番「3つの音による歌」の作曲者の名前を見て下さい。



ジャン・ジャック・ルソーとあります。



と言っても、歴史的に見て有名な史実は、「社会契約論」あるいは「エミール」の著者であるという事でしょうか?



中学、高校の世界史の教科書に出てきた、この名著・・・と言っても全く読んだ事はありませんが



フランス革命にも大きく影響を与えたと言われるこの難しそうな本を著したジャン・ジャック・ルソーは、



音楽家だったという事実もあるんです。



みなさんおなじみの「むすんでひらいて」



これも、ジャン・ジャック・ルソー作曲です。



「村の占い師」というオペラの中の曲に、各国で訳詞がつけられ、親しまれているという事です。



「むすんでひらいて」が日本の曲でなく、フランスの曲であるという事も驚きですが、あの「社会契約論」



を書いたルソー作曲だななんて!



30年ほど前、初めて知った時は、あまりの意外さにビックリでした。



1712年にスイスで生まれ、1778年に亡くなったフランスの哲学者、思想家、音楽家・・・



人生についてはあまり知らなかったのですが、すさまじすぎてご紹介しかねる感じで・・・



生後間もなく母親を、若い段階で父親や兄と別れざるを得なくなり、人生のほとんどを放浪生活に費やしたと言える・・・



と、そこまでにしておきましょう。



ただ、紛れもなく3つの音だけで作曲された、ピアノの練習ABC22番は、シンプルで美しい曲。



この曲集の終盤に差し掛かったら、この曲を見つけて、ちょっと作曲家に思いを巡らしてみては如何でしょうか?



大人になれば、彼の生き方も少しずつ理解できるようになるんでしょうね。



でも、この段階で知っていれば、世界史の教科書に出てきた時、ジャン・ジャック・ルソー「社会契約論」



あ~、あの「むすんでひらいて」やABC22番を作曲した人ね!



という認識になるのかな



多彩な人と言えば、レオナルド・ダ・ビンチもですね。



この話は、またの機会にしましょう。



では、今日はこの辺で~~







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ハプスブルグ家って何ですか?

2010-03-15 08:19:57 | 歴史上の人物
先日のレッスンの時、6年生のHちゃんが新聞を持ってきてパラリと開き、

「ハプスブルグ家って何ですか?」



と私に質問。



私、受験の時は日本史だったので、その起源から説明するのは、ちょっと難しい・・・



それに「西野家って何ですか?」と聞かれるようなもの・・・


いや、、ちょっとちがう、、「徳川家って何ですか?」みたいな感じで、質問の内容が大きすぎる




その新聞というのが、京都で開催されている、「ハプスブルグ展」



オーストリアの女帝マリア・テレジア、その娘でルイ16世の妻となりフランス革命の時



断頭台の露と消えたマリー・アントワネット、



その美貌で多くの人から愛され続けるオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの妻エリザベート、



ベラスケスの肖像画によって有名なスペインの王女マルガリータ



これらの女性は、みんなハプスブルグ家の人々で、ウィーン美術史美術館に収蔵されているもの。



私も1/31、2/1 の2日間いただいたお休みで、ハプスブルグ展、行って来ました。



お目当ては大好きな画家、ベラスケスの手によるマルガリータ王女の肖像画。



このマルガリータは、幼い頃からウィーンへお嫁入りすることが決まっており、



お見合い写真のように、その成長を肖像画という形でウィーンに送り続けられていたのでした。



しかし14歳で輿入れした彼女は、僅か22歳という若さで亡くなってしまいました。



また、愛称シシィで知られる美貌の王妃エリザベートは、姉の縁談のの時に出会った



フランツ・ヨーゼフに求婚され15歳でウィーンへ輿入れしました。



しかし生まれた子供たちは、自分の手で育てることが許されず、また成長した息子は自殺してしまいました。



この悲しみや宮廷の息苦しい生活から逃れるため、長い旅をする生活が続きました。



そしてその旅先で、無政府主義者の手により刺されて60歳で亡くなりました。



時代はさかのぼりますが、マリア・テレジアはたくさんの子供を産み、政治もこなし、



非常に有能な女帝でしたが、娘の悲劇的な結末を見届けなければならない、辛い立場にあったと思います。



マリー・アントワネットがまだ幼い頃、神童モーツァルトを宮殿に呼び、御前演奏をさせましたが、



この時幼いモーツァルトが転んでしまい、マリー・アントワネットが助け起こしたという逸話が残っています。



この時モーツァルトは「ありがとう。大きくなったらあなたをお嫁さんにしてあげるよ」と言った



と言われています。



またエリザベートは、同じ家系のルードウィッヒ2世と親しかったのですが、このルードウィッヒ2世は



有名な白鳥城・・・ノイシュバンシュタイン城の主で、ワーグナーを非常に擁護し敬愛したことでも知られています。



ハプスブルグ家はヨーロッパの中でも、その勢力をながきにわたって誇り、絶大な権力を持っていましたが、



フランツ・ヨーゼフの甥フェルディナンドが射殺されたことにより、サラエボ事件が起こり、



第一次世界大戦がはじまりました。



その後、王制は崩れ世紀末と共に、ハプスブルグ家も終焉を迎えました。



ハプスブルグ家は、スペイン系とオーストリア系にありますが、その起源はスイスの田舎町にある



お城とされています。



ハプスブルグとは「鷹の城」という意味だということです。



私の僅かな知識と検索で確認したことをまとめてみました。



Hちゃんへの回答になったでしょうかね~?



これは私が絵画が好きだということと、10年以上前によくヨーロッパに旅行に行っていたことから出た



興味での断片的な知識ですので、詳しく知りたい方は自分でまた調べてくださいね。



ウィーンへは2度ばかりちょこっと立ち寄りましたが、美術史美術館へは行っていません。



死ぬまでに行っておきたいものです。



今日の話、つまらなかったですかね・・・



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フランス国王ルイ14世

2010-02-04 05:37:09 | 歴史上の人物

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画像がはっきりしませんが、当時の楽器に囲まれたルイ14世です。

1638年に生まれ、1715年ベルサイユにて没しました。

ルイ14世と言えば、ベルサイユ宮殿を建てた人であり、太陽王とまで言われた権力者でしたが

芸術に対しても大きな貢献をした人物だったという事をご存知でしたか?

父親であるルイ13世がなくなった事により、1661年王位を継承しました。

早くから音楽を愛し、幼少の頃すでに自分のバイオリン楽団を組織させました。

リュート、弦楽器などを音楽家より学び、ギターの名手であり、特に鍵盤楽器を好んだという事です。

フランソワ・クープランやリュリのような優れた作曲家、演奏家を幾人もそばにおき、さらに古典舞踊の名手でした。

もちろん今では古典舞踊と言いますが、当時は最先端のダンスであり、社交界では欠かせないもの。

政治にまで影響を及ぼしたものと思われます。

彼の日常は、幼少期から死去するまで、常に音楽に囲まれていました。

起床や就寝、ミサ、晩餐、大使や外国君主の来訪、散策や船遊びに至るまで、常に音楽を伴っていました。

それらは多くの音楽の名手によって演奏され、さまざまな種類の音楽の発展を奨励しました。

また、バレーやオペラの発展にも貢献しました。

バロック時代の音楽を練習する時、みなさんも「これはダンスの音楽だよ」と言われた事もあるでしょう。

メヌエット、ジグ、クーラント、アルマンド、サラバンド、ガボット、ルーレ・・・

あげてみたら、もっとたくさんあります。

これらにはそれぞれのステップがあり、当時の貴族のたしなみとして欠かせなかったという事です。

とてもゆっくりとした動きのダンスも、やってみるととても大変で、あくる日筋肉痛になるほどです。

ルイ14世もダンスの名手でしたが、宮殿では王の前で一礼し、順に躍ったという事です。

また小学校の教科書にも載っていた事のある「アマリリス」も、ルイ14世の作曲とされています。

音楽をこよなく愛したルイ14世でしたが、政治の上でも絶対的権力を持っておりフランスの繁栄に貢献しました。

しかしルイ16世の時代1789年フランス革命が起こり、

マリー・アントワネット、ルイ16世らは断頭台の露と消えてゆきました。

これは池田理代子さんの「ベルサイユのばら」で、かなり真実に近く歴史が描かれているので

小学生のみなさんも読んでみるといいかも知れませんね。

ただしオスカルとアンドリューは架空の人物です・・・念のため(笑)

バロック音楽が好きな人も、ちょっとニガテな人もドイツのバッハに代表される音楽ではありますが、

その少し前の時代、フランスでも王の擁護のもとクープラン、リュリ、あるいはラモーなどを代表とする

多くの音楽家が活躍し、ダンス音楽が宮廷で踊られ、発展したことを少し思い起こしてみて下さい。

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