今日は、女性画家シュザンヌ・バラドンについて書いてみようと思います。
新井満さんの小説に、「エッフェル塔の黒猫」という作品があります。
もしかしたら読まれた方もあるかも知れません。
この小説の主人公は、作曲家のエリック・サティです。
シュザンヌ・バラドンに恋をしたサティは、半年間一緒に暮らしたものの、彼女に捨てられてしまいます。
多分、新井満さんは、サティのファンなのかも知れません。
僕にとっては天敵のような女性だったが、色々知るうちにサティが彼女に恋をしたのもうなずけるようになった・・・
と語っています。
バラドンは1865年にフランス南部に生まれ、1870年5歳の時に母親と2人でパリへ移り住みます。
貧しかった母子は、同じような生活をしている人たちが住むモンマルトルで暮しました。
10代になって働くようになった彼女は、お針子、ウェイトレス、サーカスなど色々な仕事をしますが、
サーカスでケガをしたことから、当時卑しい職業とされていた画家のモデルをすることになりました。
バラドンは人気のモデルとなり、特にルノアールのお気に入りでした。
彼女がモデルになった絵は、数多くあります。
また、ロートレックとも親しい仲で、よくモンマルトルのカフェで一緒にいたといわれています。
バラドンの画家としての才能を見出したのは、このロートレックでした。
彼女のスケッチを見たロートレックは、師と仰いでいたドガにそれを紹介しました。
ドガは「我々の仲間だ」と言ってバラドンを認め、その才能を生かすよう勧めました。
このスケッチにはバラドンのひとり息子で、後に有名な画家となったモーリス・ユトリロの姿も描かれていました。
迷いのない強い線で描かれた彼女の絵は、生命への感動からわき上がるものでした。
決して対象物を美化したりするわけでなく、有りのままの赤裸々な絵を描いたのです。
バラドンは49歳の時、息子より3歳年下の画家ユッテルと結婚しました。
ユッテルはバラドンの熱烈な信奉者で、結婚した当時28歳でした。
この時期からますます創作活動は充実し、フランス政府に作品を買い取られるなど、
その地位を不動のものとしました。
バラドンは晩年こう言い残しています。
「私の仕事は終わりました。唯一の満足は、私自身を決して裏切らなかった事です。
もし誰かが私の真価を明らかにしてくれたら、いつの日か私の言う事が本当である事が理解されるでしょう。」
1938年バラドンは73歳でその生涯を終えました。
精神を患い酒におぼれる息子ユトリロに絵を描く事を進めたのはバラドンでした。
エリック・サティもまた彼女に出会う事で、作曲家として影響を受けたのかも知れませんね。
強い意志で人生を生き抜いたシュザンヌ・バラドン。
昨日のナディア・ブーランジェ同様、驚きと共に憧れる女性の一人です。