米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

笑ってしまってゴメンね(>_<)

2010-02-13 03:33:54 | 教室のあれこれ

このあいだのレッスンの時です。

毎日みんながやっている、ハノンを使ってのかた手ずつの指のトレーニング

最後に少し速めにリズムを変えて弾く時、ちょっと指がうまく動かない事ってありますよね。

Kちゃんも上手く動かなくって、苦戦してました。

右手はまだマシだってけど、左手に至っては、全くと言っていいほど、思うように動かない

「Kちゃん、右手はほろ酔い加減だけど、左手はかなりヨッパラッてない?」

と、冗談で言うと、お母さまが一言

「左手は泥酔状態ですね~」

これはかなり笑えた~~

その時も可笑しかったけど、次の日になってもなぜか時々思い出して、プッと吹き出してしまいました。

今でも、Kちゃんのろれつの回ってない左手の音と共に、泥酔状態・・・の一言を思い出して笑えてしまいます.。

Kちゃん笑ってごめんね♪

本人はいたって真剣なんだけど、もうちょっと練習して次のレッスンでは酔っ払い運転はカンベンして下さい

左手は、右手よりたくさん練習しなくっちゃぁね♪

レッスンの時、つい思い出し笑いを何度もしてしまいました

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フランス国王ルイ14世

2010-02-04 05:37:09 | 歴史上の人物

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画像がはっきりしませんが、当時の楽器に囲まれたルイ14世です。

1638年に生まれ、1715年ベルサイユにて没しました。

ルイ14世と言えば、ベルサイユ宮殿を建てた人であり、太陽王とまで言われた権力者でしたが

芸術に対しても大きな貢献をした人物だったという事をご存知でしたか?

父親であるルイ13世がなくなった事により、1661年王位を継承しました。

早くから音楽を愛し、幼少の頃すでに自分のバイオリン楽団を組織させました。

リュート、弦楽器などを音楽家より学び、ギターの名手であり、特に鍵盤楽器を好んだという事です。

フランソワ・クープランやリュリのような優れた作曲家、演奏家を幾人もそばにおき、さらに古典舞踊の名手でした。

もちろん今では古典舞踊と言いますが、当時は最先端のダンスであり、社交界では欠かせないもの。

政治にまで影響を及ぼしたものと思われます。

彼の日常は、幼少期から死去するまで、常に音楽に囲まれていました。

起床や就寝、ミサ、晩餐、大使や外国君主の来訪、散策や船遊びに至るまで、常に音楽を伴っていました。

それらは多くの音楽の名手によって演奏され、さまざまな種類の音楽の発展を奨励しました。

また、バレーやオペラの発展にも貢献しました。

バロック時代の音楽を練習する時、みなさんも「これはダンスの音楽だよ」と言われた事もあるでしょう。

メヌエット、ジグ、クーラント、アルマンド、サラバンド、ガボット、ルーレ・・・

あげてみたら、もっとたくさんあります。

これらにはそれぞれのステップがあり、当時の貴族のたしなみとして欠かせなかったという事です。

とてもゆっくりとした動きのダンスも、やってみるととても大変で、あくる日筋肉痛になるほどです。

ルイ14世もダンスの名手でしたが、宮殿では王の前で一礼し、順に躍ったという事です。

また小学校の教科書にも載っていた事のある「アマリリス」も、ルイ14世の作曲とされています。

音楽をこよなく愛したルイ14世でしたが、政治の上でも絶対的権力を持っておりフランスの繁栄に貢献しました。

しかしルイ16世の時代1789年フランス革命が起こり、

マリー・アントワネット、ルイ16世らは断頭台の露と消えてゆきました。

これは池田理代子さんの「ベルサイユのばら」で、かなり真実に近く歴史が描かれているので

小学生のみなさんも読んでみるといいかも知れませんね。

ただしオスカルとアンドリューは架空の人物です・・・念のため(笑)

バロック音楽が好きな人も、ちょっとニガテな人もドイツのバッハに代表される音楽ではありますが、

その少し前の時代、フランスでも王の擁護のもとクープラン、リュリ、あるいはラモーなどを代表とする

多くの音楽家が活躍し、ダンス音楽が宮廷で踊られ、発展したことを少し思い起こしてみて下さい。

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