米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

“セーラームーン”になりたい・・・って言う話・・・&「ラスコー壁画」

2014-05-11 06:19:10 | おもうこと

幼い子供たちに、「大きくなったら何になりたい?」・・と聞くと、「アンパンマン」とか「ウルトラマン」とか、ひと昔前なら「セーラームーン」・・・それは現実には存在しないものだからムリよね。。って分かるような可愛らしいことを言うので、年長者は微笑ましく笑います。

・・・が、ちょっとそこで考えるんです。。

じゃあ、「長澤まさみちゃんみたいになりたい」とか「モモクロやAKBみたいに活躍したい」というのと、どれだけ差があるのだろうと。。

おそらくタレントさんの心の内では、世間一般大衆から求められる、タレントとしてのイメージ・・・あえて言えば、“虚像”と、自分の本来持っている本性の様なものの間で揺れ動くものがあって、その差に苦しむこともあるのではないでしょうか?

初めは良いのですが、時間がたつうちに、どんどん現実との“ズレ”に違和感を感じるようになると思います。

求められる虚像をずっと演じ続けるのか、打ち破ってゆくのか・・・上手く打ち破れれば良いのですが、そうでない場合はタレント生命にもかかわるのでしょう。

打ち破っても打ち破っても・・・そう言う現実かも知れません。

“虚像”としての商品になるわけですからね。

また、何十年も女優をやっている人も、若い時は“綺麗で可愛い虚像”を演じられますが、歳には抗えない。

いくらヒアルロン酸やコラーゲンを注射しても、整形を続けても、さすがに20代をキープしたまま50代60代はムリでしょうから、“商品としてのイメージ”の転換に迫られる。

それで、面白キャラを演じたり、汚れや天然キャラや色々転換を迫られる。

最近CMでは、アニメのキャラクターを登場させた洗剤や石鹸などのコマーシャルも登場しますが、製作する側としては、せっかくお金をかけて作ったCMのタレントがもし不祥事やら何やらで“イメージに傷がつく”・・・つまりダメージを受けて、商品のイメージがダウンするというリスクを避けるためには、無難で長期間同じキャラクターを使えるというメリットもありますよね。

テレビや雑誌などの2次元の世界・・・これはいくら3Dだと主張しても、画面はどこまでも2次元で平面なので、そこから受けるイメージの世界は、どこまでも作り上げられた虚像の世界。

私たちが心の中で作りあげた、非現実の世界で、本当の生身の人間に近付くことは難しい。

対面して、じっくり話して、心からの言葉を聞かなければ、本当に分かるものではない・・・いや、それでも本当に分かるなんてことは、なかなか難しいことなんだと思います。

簡単に「分かった分かった」・・・という事は、本当は分かっていないことなんだ、、と言いますが、苦労して得たものでなければ、ほとんど表層的な虚像に近いものなのだと思います。

いくらスクリーンを通して夕陽を見て、「ああ、夕陽ってあんなものね」。と認識したつもりでも、本当に大海原で、或いは高い山で、或いは近所の空き地で見た夕焼けとは、異なるものではないでしょうか?

「体験」こそが、私たちの心の糧となるのであって、バーチャルはどこまで行ってもバーチャルでしかないと思います。

では、ピアノや読書はどうでしょう?

これも、ある意味「イメージ」や「想像」の世界です。

ただ、これは、自分の中で「創造」することでもあるので、一方的に与えられたイメージや虚像ではないのです。

そして、心の中で想像する世界は、2次元・3次元という世界に縛られることなく、広く深く飛翔します。

目覚めている時と眠っている時の中間あたりに、「夢」の世界が出現しますが、このような世界に近いのではないでしょうか?

「神話」や「夢」は「無意識」の思考なのだと思います。

そして、ピアノにを弾くこと(他の楽器を演奏することも)、楽譜をよむことなどは、運動機能まで使わなければならないので、脳のあらゆるところを目覚めさせ、活性化させなければ、演奏という行為は成り立ちません。

右脳的思考と左脳的思考、そして脳の上位部を占めるこうした活動にとどまらず、人間以外の動物たちも素晴らしい機能を持っている、運動や覚醒や意識や呼吸など、生命維持そのものにかかわる脳の機能もフル活動させ、脳の神経シナプスを繋ぎ合わせ、全体を繋ぎ合わせる活動をしているのではないだろうか・・・

そんなことを「芸術活動」を通じてしているように思います。

約10万年程前に今のアフリカに登場した、私たちの直接の祖先であるホモサピエンス・サピエンス(現生人類または新人と呼ばれる)が、長い期間をかけ、地球のいくつかの地域に拡散してゆき、その一つである現在のフランスに位置する場所で発見された、「ラスコーの洞窟」内部の

「ラスコー壁画」

約4万年前ごろこの地域・・・ピレネー山脈の麓から中部フランスの渓谷辺りにかけて生活していたと考えられる「新人」たちの芸術活動。

この洞窟から発見された壁画(およそ紀元前1500年と言われている)は、現代人のそういった活動と何ら変わりない、現代人の思考はそこから殆どと言っていいくらい進化していないそうです。

人類の過渡期だ・・・と叫ばれている現代。

え・・・テレビもインターネットも電話も何もかも生まれた時からあったじゃない・・・昨日が今日になり明日になるだけ。。

一般的にはそう思われるのかも知れませんが、直接手に取ったり体験することなしに「認識」したと「錯覚」することに慣らされてしまいがちな現代社会。

セーラームーンもアンパンマンも長澤まさみも、2次元の世界に在っては、虚像の世界の住人としか認識できていないのだと思います。

モモクロも、AKBも、初音ミクも、大差ないと思えます。

もう一度人間復興・・・ルネッサンスを・・・でしょうか?

またまたメンドウな長い話になりそうなので、今日はこの辺で~~

そうそう・・・

時々、うちの主人がblog見てます。。とお聞きします。

こんな些末な文章をありがとうございます。

更に幾人かの方には、同じ本を買って読んでいます。。等々。

しかもご主人が!

おバカな私なので、まだまだ浅はかな思考ではありますが・・・ありがとうございます~

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心を育てる・・・目に見えないもの大切さ

2014-05-03 07:28:40 | おもうこと

子供が勉強しないからさせないと・・・



ピアノ練習しないからさせないと・・・



etc.



etc.



。。。



悩むところですよね。。



先日、うちのスタッフの先生や、お母様方と話していて、「私たち、勉強しろって言われたことそんなにないよね」。。という話になり。。



何が違うんだろう・・・と・・。



これはいつも。



私が小学3年生の頃、常にやる課題が出されていて、それを翌朝教卓に先生に見ていただくページを開けて下向きにふせ、みんなが提出する。。



それが常時出される課題でした。



日記の様なものであったり、計算や漢字だったかもしれません。



夏休みはどっさり“夏の友”以外にも課題が出て、夏休みの終わりになると、ヒーヒー言いながらやってる。。毎日の課題などは、どんなに遅くなってもやらないと気が済まないから遅い時間までやっていると、「子供は寝なさい!」と怒られる。



もちろん外遊びもたくさんしました。



「暗くなったら帰りなさいと言っているでしょう!」



と言われても、徐々に暗くなるのだから、いつを境に暗くなったのか、気付いた時は一番星も二番星も出ていた・・・なんて言うこともよくありました。



これも、けっこうたくさんの生徒さんにも言った話ですが、6年生の時は毎日4時に起きて机に向かっていました。



これ自慢話じゃないんです。



4時に起きて何やってたかって言うと、とにかく調べ物をして発表したかった。



朝4時から7時まで3時間、勉強したと記録したかった・・・きわめて単純な理由です。



テスト勉強じゃないから、当然それでものすごく成績が上がったとか、そういうんじゃない。



ただ、11歳とか12歳の子供が、毎朝起きよう。。とする“意志”だけは大変なものだと思うんです。



これが、ジョギングでもいいし。



それをやらないと気が済まない。



絶対やってやろう、と思う。



そういう心。



この子たちのそういう強い心を育てられたらなぁ・・・って。



子供が悪いわけじゃない。



子供にしてみたら、あ!そうだ!と思ったり、不思議だ~と思ったり、何だろう、、何かしら自分で感じたり考えたりする前に、どんどん与えられるから、じっくり心が育つ間もなく、たまったものじゃない・・・むろんそれに気付く間もない・・・そんな状況でしょうか?



もちろん親御さんだって一生懸命大切に育てている。



社会がどうのかと悪者を探しても無益です。



おそらく今の風潮が、早急な結果を求めすぎていて、何か目立つことがあればマスコミが騒ぎ立てるし、心穏やかでない。



どっしり構えて、目に見えないものを育むことが難しくなってくる。



目に見えて、ここまで課題をこなした、賞やご褒美をもらった、成績が上がった、有名校に入れた。





情報があり過ぎることで、穏やかな気持ちで胆を据えてじっくり見つめることが、大人も子供も難しくなっているのでしょう。



自分自身の考えとして、物事を考え感じ、葛藤を抱え、自分の内面のあらゆること(羨望、焦り、矛盾)を見つめ、ある意味苦しみ戦うことで、大人も子供も成熟するのだと思います。



昨日の奥様向け午前中の情報番組(くだらんヤツですが世の風潮が分かる)では、有名大学を出て一流企業や医師や、そんな仕事を持ちながら、親同士が代理で結婚相手を探すと・・・本人同士のお見合いでさえなく、親同士のお見合い。



それで、幸せになるかもしれないけど、じゃぁその子供は?孫は??そのまた子供は??



ケアのされ方がハンパなく、人として成熟することがあるのだろうかと、そら恐ろしくなります。



宮崎アニメの「千と千尋の神隠し」に登場する“ぼう”・・・大きな大きな赤ちゃんですよね。



仕事がバリバリできるキャリアウーマンの湯ばあばも、自分の子供となるとからっきしダメで、心が成長しないまま大きな赤ちゃんとしてしか成長できていない。



しかし自分の権利だけはしっかりと主張する。



宮崎監督、言いたいことはたくさんあると思います。



私たち大人世代も、生活する中で、大変なこと、矛盾、色々なことを抱えていますよね。



そういうことを長い間抱えて考えているうちに、人生が熟成されてゆくのかもしれません。



子供たちに葛藤を与え、ストレスを感じさせることは、一見かわいそうなのですが、人としての成熟がそれなしには出来ないので、見守るしかない時もあると思います。



たかだか“ピアノ”なのかも知れませんが、色々なことが“音”に如実に表現されてしまいます。



「豪華な造花じゃなくて、道端に咲いている小さな花でいいから、生きているもの、そして自分で摘んできたものを持って来てね」



ここのところ、そんなこと言っています。



そこに芸術の真価が隠されているのだと思います。



大そうなことではないんですよ。



本当に庶民感覚として、実直に愚直に生きるってことかな。。



今日はめちゃくちゃ真面目なモードでした~



連休は、ピアノ弾いて、本読んで、生徒さんと出会って、昼間っから飲む約束なぞ~~



楽しみでございますぅ~





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