幼い子供たちに、「大きくなったら何になりたい?」・・と聞くと、「アンパンマン」とか「ウルトラマン」とか、ひと昔前なら「セーラームーン」・・・それは現実には存在しないものだからムリよね。。って分かるような可愛らしいことを言うので、年長者は微笑ましく笑います。
・・・が、ちょっとそこで考えるんです。。
じゃあ、「長澤まさみちゃんみたいになりたい」とか「モモクロやAKBみたいに活躍したい」というのと、どれだけ差があるのだろうと。。
おそらくタレントさんの心の内では、世間一般大衆から求められる、タレントとしてのイメージ・・・あえて言えば、“虚像”と、自分の本来持っている本性の様なものの間で揺れ動くものがあって、その差に苦しむこともあるのではないでしょうか?
初めは良いのですが、時間がたつうちに、どんどん現実との“ズレ”に違和感を感じるようになると思います。
求められる虚像をずっと演じ続けるのか、打ち破ってゆくのか・・・上手く打ち破れれば良いのですが、そうでない場合はタレント生命にもかかわるのでしょう。
打ち破っても打ち破っても・・・そう言う現実かも知れません。
“虚像”としての商品になるわけですからね。
また、何十年も女優をやっている人も、若い時は“綺麗で可愛い虚像”を演じられますが、歳には抗えない。
いくらヒアルロン酸やコラーゲンを注射しても、整形を続けても、さすがに20代をキープしたまま50代60代はムリでしょうから、“商品としてのイメージ”の転換に迫られる。
それで、面白キャラを演じたり、汚れや天然キャラや色々転換を迫られる。
最近CMでは、アニメのキャラクターを登場させた洗剤や石鹸などのコマーシャルも登場しますが、製作する側としては、せっかくお金をかけて作ったCMのタレントがもし不祥事やら何やらで“イメージに傷がつく”・・・つまりダメージを受けて、商品のイメージがダウンするというリスクを避けるためには、無難で長期間同じキャラクターを使えるというメリットもありますよね。
テレビや雑誌などの2次元の世界・・・これはいくら3Dだと主張しても、画面はどこまでも2次元で平面なので、そこから受けるイメージの世界は、どこまでも作り上げられた虚像の世界。
私たちが心の中で作りあげた、非現実の世界で、本当の生身の人間に近付くことは難しい。
対面して、じっくり話して、心からの言葉を聞かなければ、本当に分かるものではない・・・いや、それでも本当に分かるなんてことは、なかなか難しいことなんだと思います。
簡単に「分かった分かった」・・・という事は、本当は分かっていないことなんだ、、と言いますが、苦労して得たものでなければ、ほとんど表層的な虚像に近いものなのだと思います。
いくらスクリーンを通して夕陽を見て、「ああ、夕陽ってあんなものね」。と認識したつもりでも、本当に大海原で、或いは高い山で、或いは近所の空き地で見た夕焼けとは、異なるものではないでしょうか?
「体験」こそが、私たちの心の糧となるのであって、バーチャルはどこまで行ってもバーチャルでしかないと思います。
では、ピアノや読書はどうでしょう?
これも、ある意味「イメージ」や「想像」の世界です。
ただ、これは、自分の中で「創造」することでもあるので、一方的に与えられたイメージや虚像ではないのです。
そして、心の中で想像する世界は、2次元・3次元という世界に縛られることなく、広く深く飛翔します。
目覚めている時と眠っている時の中間あたりに、「夢」の世界が出現しますが、このような世界に近いのではないでしょうか?
「神話」や「夢」は「無意識」の思考なのだと思います。
そして、ピアノにを弾くこと(他の楽器を演奏することも)、楽譜をよむことなどは、運動機能まで使わなければならないので、脳のあらゆるところを目覚めさせ、活性化させなければ、演奏という行為は成り立ちません。
右脳的思考と左脳的思考、そして脳の上位部を占めるこうした活動にとどまらず、人間以外の動物たちも素晴らしい機能を持っている、運動や覚醒や意識や呼吸など、生命維持そのものにかかわる脳の機能もフル活動させ、脳の神経シナプスを繋ぎ合わせ、全体を繋ぎ合わせる活動をしているのではないだろうか・・・
そんなことを「芸術活動」を通じてしているように思います。
約10万年程前に今のアフリカに登場した、私たちの直接の祖先であるホモサピエンス・サピエンス(現生人類または新人と呼ばれる)が、長い期間をかけ、地球のいくつかの地域に拡散してゆき、その一つである現在のフランスに位置する場所で発見された、「ラスコーの洞窟」内部の
「ラスコー壁画」
約4万年前ごろこの地域・・・ピレネー山脈の麓から中部フランスの渓谷辺りにかけて生活していたと考えられる「新人」たちの芸術活動。
この洞窟から発見された壁画(およそ紀元前1500年と言われている)は、現代人のそういった活動と何ら変わりない、現代人の思考はそこから殆どと言っていいくらい進化していないそうです。
人類の過渡期だ・・・と叫ばれている現代。
え・・・テレビもインターネットも電話も何もかも生まれた時からあったじゃない・・・昨日が今日になり明日になるだけ。。
一般的にはそう思われるのかも知れませんが、直接手に取ったり体験することなしに「認識」したと「錯覚」することに慣らされてしまいがちな現代社会。
セーラームーンもアンパンマンも長澤まさみも、2次元の世界に在っては、虚像の世界の住人としか認識できていないのだと思います。
モモクロも、AKBも、初音ミクも、大差ないと思えます。
もう一度人間復興・・・ルネッサンスを・・・でしょうか?
またまたメンドウな長い話になりそうなので、今日はこの辺で~~
そうそう・・・
時々、うちの主人がblog見てます。。とお聞きします。
こんな些末な文章をありがとうございます。
更に幾人かの方には、同じ本を買って読んでいます。。等々。
しかもご主人が!
おバカな私なので、まだまだ浅はかな思考ではありますが・・・ありがとうございます~