米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

小林秀雄のこと

2018-04-04 07:26:26 | アート・文化
小林秀雄のこと・・・すこーしだけ書いてみます


小林秀雄という人を思い出さない日は無いなぁ・・と最近思います。

心の師匠、河合隼雄先生から学ぶことは多く、この何十年どれだけ助けられたか分かりません。
また、多くの人から慕われた河合先生は、本当に多くの方と対談され、その人物から核となるお話、、つまりとても大切なことを引き出してこられました。そういう超一流の方々に触れること(もちろん本の中で…)が出来たのも河合先生のお陰です。


もう一人の師匠小林秀雄は・・(もちろん勝手な一方通行)・・いや小林先生というべきか・・・端的な厳しい言葉で物事の本質を語っていて、今更ながら驚かされます。

本質の本質・・なので、どの様な職業の人も「まさに!」と唸り、指摘の的確さに思いを新たにされているようです。

例えば弁護士、例えば脳科学者、教師、心理学者、、


その小林先生が「芸術を見極める自分の観点は端的である。それは自己と戦っているか、ただ戯れているだけのことなのか、、という違いである」と・・・。


美術展を観るとき、解説を全く読まなかったと。。
その作品と自分を同化させるがごとく、作品の前でたたずむ姿・・・それが小林秀雄という人の姿勢だったようです。

「今、自己と戦っているのは芸術家だけである」と、断言しています。


そして、一切のうわさ話は聞き入れなかった。
「何を‼」と厳しく一括されたと、身近にいた人は語られました。


自ら観て聴いて感じる事。
圧倒的な体験。
これだけ頭脳明晰でありながら、体そのものの体験こそ重んじた人。
この人にウソは通じませんね

「美を求める心」手始めに良いですよ・・・と教えて頂いています。
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樂家一子相伝の芸術…茶碗の中の宇宙

2017-01-07 06:23:30 | アート・文化
年末年始、瀬戸内海の初日の出を拝んだり、京都を散策したりしておりました。
京都国立近代美術館で開催されている“茶碗の中の宇宙”という展覧会を観る事、そしてこれに合わせて開催されている対談を聞くための京都行き。

樂家…ご存知の方もあるかと思いますが、茶の湯の世界。
高いお着物を着て高価な茶碗で…という事には興味は抱けないのですが、利休や織部、近代では川喜多半泥子…その思想には心打たれるものがあります。

対談は、樂家15代当主樂吉左衛門さんと小山薫堂さんという取り合わせ。
その前には、鷲田清一先生(京都芸術大学学長、前大阪大学総長、哲学者)や山極寿一先生(京都大学総長)とも対談されていて、もし知っていたら、、時間が作れたら、、是非拝聴したかったなぁ・・と思う興味深いものです。


小山薫堂さんは放送作家で、多くのヒット作を手掛けていらっしゃいます。
映画「おくりびと」や、“くまモン”の生みの親でもあります。
マイルドな人柄で分かり易い切り口でお話されるので、それに対する15代当主が語られることも大変分かり易く共感しました。

“一子相伝”とは、技術や学問などの秘伝や奥義を、代を継ぐ一人の子に伝えてゆく行為だそうです。
子供の頃から間近に代々(450年!)の歴史を経た茶碗があったり、こういう石がええんや・・などと、日常的に肌身で知らされること…。
しかしまた、釉薬(ゆうやく)は教えられず自らの力で作り出さなくてはならないそうです。


450年の歴史の中で何かがあったのだろう…と…。
何でもかんでも手取り足取り教える訳ではない…。
継承されるもの、受け継がれるものは「土」だけ…。
あとは自ら格闘して作り上げてゆくしかない。
そこに“不連続の連続”があるのだと。

これは目に見える「もの」を受け継ぐのではなく「精神性」が受け継がれてゆくのかな、、と、解釈しています。


このブログでも度々書いてきましたように「習いなきを極意とする」という利休の言葉があります。
「守破離」という言葉もあります。

極意とはたいそう厳しく孤独なもので、誰に頼ることも出来ません。
そうして苦しみ抜いて作り上げられたものの中にこそ本物があるのだと思います。
教えを守り、破り、離れる…なんと過酷な道なのだろうと思いますが、そうしなければ近付けない深い世界がある。
破るとは、教えや決まり事を、、というより、もしかしたら最終的には“己…おのれ”自らの“殻”なのかも知れません。

本居宣長も、いかんせんいかんせん(どうしたら良いか)と、弟子に問われるから教えてきたが、このように教えるという事は、本当に良かったのだろうか・・それとも、「思いのほかあしきことならんや(思う以上に悪い事なのではなかろうか)」と、打ち明けています。


こうして樂家の焼き物は長い伝統を有していますが、伝統という言葉では片付けられない不連続の連続であると言える…と語られています。

ものづくりの中に込められた世界の中にその思想を読み取る。
その中に、宇宙の全てが含まれている。
“私”そのものがミクロコスモスで、この中にこそ宇宙が繋がっている。

そのように感じました。

権力に対しても切り込んでゆく鋭さ、全ての装飾や美しい形を捨て、削ぎ落とした造形美…その中に“無限の宇宙”が存在する。

削ぎ落とし削ぎ落とし、、そうして見えた世界が真実なのでしょう。



ちょっと今日のお話はカタかったでしょうか??


最後に、、15代当主と言いますと、きちんとしたお着物を着て、、と思われるかも知れませんが、全然違います。
足首のところでしまっている綿のパンツに黒皮のジャケット、非常な切れ者、、でもユーモアもある、、大変な芸術家だと感じました。

ピアノには関係ない??・・・いいえ殆どそのまま受け取って良いと感じています
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上原ひろみさんのこと

2011-02-20 04:03:03 | アート・文化
数日前、グラミー賞の栄冠に日本人4名が輝いた話題は、大きく取り上げられていました。

中でも、私の大好きなピアニスト、内田光子さんの受賞は、大変嬉しいものでしたが、
上原ひろみさんの受賞も大変嬉しいものでした。

この若さで目覚ましい活躍をしている上原さん。
世界中の大物ジャズマン達から、信頼され、共演されていること、本当に素晴らしいですね。

彼女が子供に頃のクラシックを勉強していた頃のビデオが、うちにあります。

ヴェラ・ゴルノステーエヴァ先生の、ピアノでクラシックの名曲を・・・というNHK教育テレビのシリーズの中で、
受講者として演奏していました。

エヴァ先生と呼ばれ、お弟子さんからも大変慕われいた大物ピアニストです。(ヴェラ・ゴルノスターエヴァ…ロシアの巨匠ネイガウスの最後の弟子。ネイガウスはリヒテル、ギレリスら世界的なピアニストを育てた伝説のピアニスト。ブーニンの祖父に当たる)

多分多くのピアノの先生がこのビデオをお持ちだと思います。

このシリーズの受講者は、某大手楽器メーカーの選抜選手のような逸材がそろっていて、
折に触れて名前を目にしたり、耳にしたりすることも多いのですが、この頃の上原ひろみさんは、
まだ学生で、当時、小学生高学年か中学生になったばかりぐらいの年齢だったように記憶しています。
演奏したのは、シューマンの幻想小品集より、「飛翔」と「なぜに」でした。


ヴェラ先生が、「とても心のこもった演奏でした」と言った彼女の演奏は気迫があり、
大変内面に熱いものがある人だと感じさせるものでした。
この当時、この大手メーカーの教室の全国からの逸材をそろえたクラスがあり(多分今でもあると思いますが)
この頃定期的に指導するため来日していたのが、ヴェラ・ゴルノスターエヴァ先生で、
それを、一般の視聴者に向けて制作された、ピアノのスーパーレッスンのハシリの様な番組でした。


この中には後にチャイコフスキーコンクールで優勝された上原彩子さんも参加していて、他のメンバーも大変優れた才能の持ち主でしたが
多分、後で色々聞いた話から推測するに、上原ひろみさんは、この頃はもうジャズに目覚めていて、
目標を持っていたように思います。


小学生のまだ幼い頃から、オスカー・ピーターソンのピアノに憧れ、チック・コリアとも奇跡的な共演をしていた彼女でしたが、基礎になるクラシックは、しっかり勉強して、音楽性、テクニック共に揺るぎないものを身につけようとしていたのかも知れません。


ラーメン屋さんでアルバイトをして、ためた資金で20歳の時渡米し、名門バークレー音楽院で、
作曲等を学び、お食事をするお店で、ジャズを弾くアルバイトをしていたそうです。


その時は、お食事の邪魔にならないようにと、静かなスタンダードナンバーを演奏していたのですが、
ある時、店のご主人が、彼女のアグレッシブな一面を知り、ひろみズタイムを設け、少しの時間、


好きなように弾かせてくれて、お客さんからも大好評だったそうです。

蛇足ですが、ラーメン屋さんでアルバイトと聞くと、マイナーなイメージかも知れませんが、彼女は根っからのラーメン好きらしく、ラーメン作りは、ジャズのようだとも言っていました。


仕上げるのが、ジャズのアドリブに似ているのかもしれません。


今では、海外を中心として活躍する彼女ですが、あのスーパーレッスンの時、ヴェラ先生が、レッスンの最後に「成功を祈ります」とおっしゃっていたのが、とても印象的でした。

クラシックの大物の先生ですが、彼女の希望もご存じだったのかもしれません。
そして、今、ノリに乗っている彼女は、先生の言葉通り、成功をつかんで、その道をまっしぐらに進んでいるように思います。


意志の力は大切だな・・・と、つくずく思います。


ちなみに私は、日本人ジャズピアニストでは、小曽根真ファンです。


また、内田光子さんの演奏は、やはりモーツァルトは素晴らしいですが、シューベルトなど他の作曲家の演奏も素晴らしいです。


クラシックピアニストは、他にも好きな人は何人かいますし、この作品はこの演奏家のものが、
一押し・・・というのが私の中ではありますが、皆さんは如何ですか?

小曽根さんも、テクニック音楽性の為にも、ショパンエチュードを始め、
エチュード類は、クラシックでも練習されているらしいです。

上原ひろみさんの演奏スタイル自体には、好みもあるとは思いますが、彼女の演奏は、クラシックを土台とした、確かな技術と音楽性の裏打ちされたものなのですね。
演奏していたら楽しくて、気づいたら笑っているのだそうです。

本当にすごい


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佐野洋子さんのこと

2011-01-24 06:48:31 | アート・文化

先週、佐野洋子さんが亡くなった事を知りました。

昨年11月の事だったらしいです。

佐野洋子さんは、私に絵本の凄さを教えて下さった作家です。

皆さんもご存じかと思いますが、「100万回生きたねこ」には本当に感銘を受け、

私の絵本への考えを、全く覆されたと言っても過言ではありません。

「おぼえていろよ大きな木」「おじさんのかさ」・・・うちにもたくさんの本があります。

辛口のエッセイも大好きでした。

鳥取にもいらした事があって、レッスンを休ませていただいて、いそいそとお話の会に行ったものです。

当時結婚していらっしゃった谷川俊太郎氏とご一緒で、著作でも有名な鳥取日赤の医師、徳永進氏との

3人トークは、今でも強く印象に残っています。

若い頃、結婚する友人2人にこの本を送ったことがあります。

10年くらい前に出会った時、子供たちがあの本をずっと読み継いでいる・・・と教えてくれました。

大切に読んでくれて、何よりもの贈り物になった事を知り、とても嬉しかったです。

谷川俊太郎氏が「一人暮らし」というエッセイを出された時、離婚された事を知りました。

結婚された時も、センセーショナルでしたが、離婚も衝撃的でした。

嘘いつわりのない、まっすぐな人。

絵本も、かわいいとか、優しいとか、そういう事を超えて、子供にも、もちろん大人にも、

真実とは何か、人間とは何かを語りかけていたように思います。

改めて、佐野洋子さんの絵本を読み返したいし、皆さんにも広く読んでいただきたいです。

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翼~武満徹ポップ・ソング

2010-12-29 03:52:49 | アート・文化


もう15年以上も昔になるだろうか。



作曲家武満徹さんが、亡くなられてすぐに発売になったこのアルバム。



ほとんどの曲を、武満徹さん自身が詞、曲をかいておられ、時折仲の良かった谷川俊太郎さんらが詞を提供しておられる。



このアルバムの歌を歌っているのが、石川セリ・・・ご存知の方もあるかも知れないが、



井上陽水さんの奥さんだ。



石川セリは、私が中学生の頃、好きな曲を歌っていて、とても印象深い歌手だった。



武満さんは、このアルバムの中でこう書いておられる。



「以前、偶々、石川セリのアルバムを聴いて、自分が少しずつ、機に触れて書きためてきた小さなうたを、



彼女に歌ってもらって、何か楽しいアルバムを作ってみたいな、と空想した事があった。



ポピュラーミュージックとしてはいかにも不器用で面白みに欠ける歌かも知れないが、



編曲者の方々の今日的な感覚が、それぞれの歌の特徴を生かして、面白いものに仕上げて下さった。



きっと多くの方が、なぜクラッシックの、しかも難しい現代曲をかいている作曲家がこんなアルバムを作ったりするのか、



不思議に思われただろう。



『翼』という歌にも書いたように、私にとってこうしたいとなみは、、「自由」への査証を得るためのもので、



精神を固く閉ざされたものにせず、いつも柔軟で開かれたものにしたいという希に他ならない。」



文章は、多少割愛させてもらったが、およそこのようなものだった。



このアルバムには、アコーディオンのコバさん(小林靖宏)、羽田健一郎その他、錚々たるメンバーで、



さすが大物は大物を呼ぶ感じだったが、驚いたことは、コシミハルの名前があった事だ。



この名前を覚えている人は、殆どいないかも知れないが、越美晴は、一瞬芸能界に出て、



1曲だけで姿を消した、私とそう変わらないぐらいの年齢の、顔姿も美しく、才能のある人だった。



多分芸能活動が合わなかったのだろう。



ピアノも上手かったし、歌も大したものだったので、私の中ではかなり鮮明に記憶されていた。



こうやって武満さんからのオファーを受けて、活動する人になっていたのだと思って、感慨ぶかかった。



もちろん、石川セリ独特の歌唱力で、武満徹の世界を素晴らしく表現している。



作曲された時期は様々で、自身の命の限界を悟っていたかのようなタイミングでの録音、



CD発売となった。



その後も、ギターの鈴木大介、渡辺香津美など、ビッグネームアーティストによって、しばしば演奏された。



私の中で、其々に気になっていたアーティストが、このアルバムで、一同に会した感がある。



筑紫哲也のニュース23でも、エンディング曲として流れていた事もある。



今日は、久しぶりに、この古いアルバムを聴いて、感慨にふけりたい気分になった。



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茨木のり子

2010-10-02 03:34:07 | アート・文化
先日NHKのTVニュースを見ていたら、茨木のり子を特集していました。



初めて聞く名前・・・



しかし読まれる詩にはハッとさせられました。



著作権の問題があるかも知れませんが、ちょっと載せておきます。





自分の感受性ぐらい





ぱさぱさに渇いてゆく心を



人のせいにするな



自ら水やりを怠っておいて





気難しくなっってきたのを



友人のせいにするな



しなやかさを失ったのはどちらなのか





苛立つのを



近親のせいにするな



何もかも下手だったのはわたくし





初心消えかかるのを



暮らしのせいにするな



そもそもひよわな志にすぎなかった





駄目な事の一切を



時代のせいにするな



わずかに光る尊厳の放棄





自分の感受性くらい



自分で守れ



ばかものよ





茨木のり子(1926~2006)大阪生まれ、高校時代を愛知で過ごし、上京して薬学を学ぶ



今ひそかなブームで、お墓参りをする人や、彼女の詩で生きる希望を思い起こされた人も多いという。



興味のある方は、検索してみるといいですよ。



何か力になる言葉の数々が見つかるはず・・・





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