「ハプスブルグ家って何ですか?」
と私に質問。
私、受験の時は日本史だったので、その起源から説明するのは、ちょっと難しい・・・
それに「西野家って何ですか?」と聞かれるようなもの・・・
いや、、ちょっとちがう、、「徳川家って何ですか?」みたいな感じで、質問の内容が大きすぎる
その新聞というのが、京都で開催されている、「ハプスブルグ展」
オーストリアの女帝マリア・テレジア、その娘でルイ16世の妻となりフランス革命の時
断頭台の露と消えたマリー・アントワネット、
その美貌で多くの人から愛され続けるオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの妻エリザベート、
ベラスケスの肖像画によって有名なスペインの王女マルガリータ
これらの女性は、みんなハプスブルグ家の人々で、ウィーン美術史美術館に収蔵されているもの。
私も1/31、2/1 の2日間いただいたお休みで、ハプスブルグ展、行って来ました。
お目当ては大好きな画家、ベラスケスの手によるマルガリータ王女の肖像画。
このマルガリータは、幼い頃からウィーンへお嫁入りすることが決まっており、
お見合い写真のように、その成長を肖像画という形でウィーンに送り続けられていたのでした。
しかし14歳で輿入れした彼女は、僅か22歳という若さで亡くなってしまいました。
また、愛称シシィで知られる美貌の王妃エリザベートは、姉の縁談のの時に出会った
フランツ・ヨーゼフに求婚され15歳でウィーンへ輿入れしました。
しかし生まれた子供たちは、自分の手で育てることが許されず、また成長した息子は自殺してしまいました。
この悲しみや宮廷の息苦しい生活から逃れるため、長い旅をする生活が続きました。
そしてその旅先で、無政府主義者の手により刺されて60歳で亡くなりました。
時代はさかのぼりますが、マリア・テレジアはたくさんの子供を産み、政治もこなし、
非常に有能な女帝でしたが、娘の悲劇的な結末を見届けなければならない、辛い立場にあったと思います。
マリー・アントワネットがまだ幼い頃、神童モーツァルトを宮殿に呼び、御前演奏をさせましたが、
この時幼いモーツァルトが転んでしまい、マリー・アントワネットが助け起こしたという逸話が残っています。
この時モーツァルトは「ありがとう。大きくなったらあなたをお嫁さんにしてあげるよ」と言った
と言われています。
またエリザベートは、同じ家系のルードウィッヒ2世と親しかったのですが、このルードウィッヒ2世は
有名な白鳥城・・・ノイシュバンシュタイン城の主で、ワーグナーを非常に擁護し敬愛したことでも知られています。
ハプスブルグ家はヨーロッパの中でも、その勢力をながきにわたって誇り、絶大な権力を持っていましたが、
フランツ・ヨーゼフの甥フェルディナンドが射殺されたことにより、サラエボ事件が起こり、
第一次世界大戦がはじまりました。
その後、王制は崩れ世紀末と共に、ハプスブルグ家も終焉を迎えました。
ハプスブルグ家は、スペイン系とオーストリア系にありますが、その起源はスイスの田舎町にある
お城とされています。
ハプスブルグとは「鷹の城」という意味だということです。
私の僅かな知識と検索で確認したことをまとめてみました。
Hちゃんへの回答になったでしょうかね~?
これは私が絵画が好きだということと、10年以上前によくヨーロッパに旅行に行っていたことから出た
興味での断片的な知識ですので、詳しく知りたい方は自分でまた調べてくださいね。
ウィーンへは2度ばかりちょこっと立ち寄りましたが、美術史美術館へは行っていません。
死ぬまでに行っておきたいものです。
今日の話、つまらなかったですかね・・・