前回のblogで読書について書きました。
何人かの子に聞くと、低学年では「エルマーの冒険」「ニルスの不思議な旅」等も出てきて、懐かしいなぁ、と思いました。
私の知らないものも当然出てきますよね。
それも楽しそうでした。
「ないたあかおに」「てぶくろをかいに」「ごんぎつね」・・・そのほか、宮沢賢治も素晴らしいものを多く残しています。
アンデルセンも美しいものを残していますね。
今どきは、ディズニー映画で見てしまうんでしょうか?
ディズニーも悪くはないけど、是非自分の手に取って本を読んでほしいなと思います。
中1ぐらいになると「あんまり読まないけど、“博士の愛した数式”とか読んでみました」
「おーいいじゃない。小川洋子さんね」
読書という行為は、圧倒的に「体験」なんです。
悲しくて涙を流したり、はらはらしたり、ほっとしたり。。
何十冊読む・・・というより、この「体験」こそが大事なポイントで、「心を動かす」ことが非常に重要になってきます。
もちろん映画でもこういう体験は出来るのですが、自分の心の中に思い描いている質や量がはるかに上回っています。
同じ作品をゆっくり時間をかけて何度も読むことも、悪くないかもしれませんね。
複雑なものばかりではなく、本質的なものをついた絵本にも大変な力があると思います。
実際、高学年の子にもこういう読み聞かせもなされているとのことで、いいことだなぁと思いました。
なかなか本を手に取って読む時間がない年齢の子や大人も、こういう本は非常にいいのです。
本質が書かれていますもんね。
さて、お手伝い。
これも体験だと思います。
ある8歳の女の子。
お風呂掃除とお料理のお手伝いを、やっているそうです。
お掃除が楽しいのか辛いのかは聞いていません。
工夫して楽しい・・と思う時もあれば、面倒な時もあるでしょう。
ただ、こういう体験をしていれば、どこかでいつもピカピカ磨かれた玄関や台所、あるいは公共の施設を見て、自然にそうなっているのではなく、陰で誰かの手がかかっていることを想像できるでしょうね。
ハッと気付くこともあるかもしれません。
ニンジンやジャガイモを切るのを手伝って、小さな兄弟が美味しそうに食べていたら、うれしかったり、残したり文句を言ったりすれば、あぁ・・と思ったり、そこには何かしらの感情が生まれます。
こういう体験は、非常に重要なのだと思います。
特に手をかけられている現代の子には。。
いつも言いますが、いい子になれって言っているのではありません。
やはり「体験する」ということが、とても尊い事なのです。
文句を言いながらでもいいと思います。
明治時代に「educationエデュケーション」という言葉が入ってきたとき、福沢諭吉が「教育」と訳したのが、よかったのかどうなのか・・・という議論もあるようですね。
「educationエデュケーション」は、本来「引き出す」という意味で、「教え込む」事ではないんです。
ご存知の方も多いとは思いますが・・・
発表会などで、みんなが素晴らしい演奏をしてくれたとして、それは先生が「教え込んだ」のではなく、まぎれもなく子供の中から「引き出した」ものが、そういう演奏につながっているのです。
本来、人は素晴らしい能力を持っています。
先日もご父兄の方とお話しいていて、ご主人が「もう自分の口出しが出来る範疇ではなくなった。環境を整えてやり、自分の力でやってもらうしかない」と。
色々な理由もあったでしょうが、ピアノのことも考え、引っ越ししたんですよ。。とお聞きしてビックリしました。
本当に良い御両親に恵まれ、その子も幸せですよね。
小学校高学年になったその子(10歳か11歳)は、私が良く歴史の話をするので、図書館でしょっちゅう歴史について調べたり勉強したりするようで、「私の子なのに、もうそういいう意味では私を超えています」というような内容のことを、お母さんが言ってらっしゃいました。
先生が厳しく言ってくれているうちが花で、言われなくなったらダメなんだ・・・という私の言葉もしっかり心に留めてくれているようで、真っ直ぐな心で感じてくれていて、嬉しいなぁ・・と思っています。
きっと、しっかりした「目」と「耳」を持った、素晴らしい大人になってゆくんでしょうね。
まぎれもなく「自分の心」や「思考」で、素晴らしい演奏をしてくれる子供たちを目の当たりにすると、本当に感動します。
こういう演奏を聴くと・・・泣ける・・・あれ??トシなのかしら??
では~