米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

上原ひろみさんのこと

2011-02-20 04:03:03 | アート・文化
数日前、グラミー賞の栄冠に日本人4名が輝いた話題は、大きく取り上げられていました。

中でも、私の大好きなピアニスト、内田光子さんの受賞は、大変嬉しいものでしたが、
上原ひろみさんの受賞も大変嬉しいものでした。

この若さで目覚ましい活躍をしている上原さん。
世界中の大物ジャズマン達から、信頼され、共演されていること、本当に素晴らしいですね。

彼女が子供に頃のクラシックを勉強していた頃のビデオが、うちにあります。

ヴェラ・ゴルノステーエヴァ先生の、ピアノでクラシックの名曲を・・・というNHK教育テレビのシリーズの中で、
受講者として演奏していました。

エヴァ先生と呼ばれ、お弟子さんからも大変慕われいた大物ピアニストです。(ヴェラ・ゴルノスターエヴァ…ロシアの巨匠ネイガウスの最後の弟子。ネイガウスはリヒテル、ギレリスら世界的なピアニストを育てた伝説のピアニスト。ブーニンの祖父に当たる)

多分多くのピアノの先生がこのビデオをお持ちだと思います。

このシリーズの受講者は、某大手楽器メーカーの選抜選手のような逸材がそろっていて、
折に触れて名前を目にしたり、耳にしたりすることも多いのですが、この頃の上原ひろみさんは、
まだ学生で、当時、小学生高学年か中学生になったばかりぐらいの年齢だったように記憶しています。
演奏したのは、シューマンの幻想小品集より、「飛翔」と「なぜに」でした。


ヴェラ先生が、「とても心のこもった演奏でした」と言った彼女の演奏は気迫があり、
大変内面に熱いものがある人だと感じさせるものでした。
この当時、この大手メーカーの教室の全国からの逸材をそろえたクラスがあり(多分今でもあると思いますが)
この頃定期的に指導するため来日していたのが、ヴェラ・ゴルノスターエヴァ先生で、
それを、一般の視聴者に向けて制作された、ピアノのスーパーレッスンのハシリの様な番組でした。


この中には後にチャイコフスキーコンクールで優勝された上原彩子さんも参加していて、他のメンバーも大変優れた才能の持ち主でしたが
多分、後で色々聞いた話から推測するに、上原ひろみさんは、この頃はもうジャズに目覚めていて、
目標を持っていたように思います。


小学生のまだ幼い頃から、オスカー・ピーターソンのピアノに憧れ、チック・コリアとも奇跡的な共演をしていた彼女でしたが、基礎になるクラシックは、しっかり勉強して、音楽性、テクニック共に揺るぎないものを身につけようとしていたのかも知れません。


ラーメン屋さんでアルバイトをして、ためた資金で20歳の時渡米し、名門バークレー音楽院で、
作曲等を学び、お食事をするお店で、ジャズを弾くアルバイトをしていたそうです。


その時は、お食事の邪魔にならないようにと、静かなスタンダードナンバーを演奏していたのですが、
ある時、店のご主人が、彼女のアグレッシブな一面を知り、ひろみズタイムを設け、少しの時間、


好きなように弾かせてくれて、お客さんからも大好評だったそうです。

蛇足ですが、ラーメン屋さんでアルバイトと聞くと、マイナーなイメージかも知れませんが、彼女は根っからのラーメン好きらしく、ラーメン作りは、ジャズのようだとも言っていました。


仕上げるのが、ジャズのアドリブに似ているのかもしれません。


今では、海外を中心として活躍する彼女ですが、あのスーパーレッスンの時、ヴェラ先生が、レッスンの最後に「成功を祈ります」とおっしゃっていたのが、とても印象的でした。

クラシックの大物の先生ですが、彼女の希望もご存じだったのかもしれません。
そして、今、ノリに乗っている彼女は、先生の言葉通り、成功をつかんで、その道をまっしぐらに進んでいるように思います。


意志の力は大切だな・・・と、つくずく思います。


ちなみに私は、日本人ジャズピアニストでは、小曽根真ファンです。


また、内田光子さんの演奏は、やはりモーツァルトは素晴らしいですが、シューベルトなど他の作曲家の演奏も素晴らしいです。


クラシックピアニストは、他にも好きな人は何人かいますし、この作品はこの演奏家のものが、
一押し・・・というのが私の中ではありますが、皆さんは如何ですか?

小曽根さんも、テクニック音楽性の為にも、ショパンエチュードを始め、
エチュード類は、クラシックでも練習されているらしいです。

上原ひろみさんの演奏スタイル自体には、好みもあるとは思いますが、彼女の演奏は、クラシックを土台とした、確かな技術と音楽性の裏打ちされたものなのですね。
演奏していたら楽しくて、気づいたら笑っているのだそうです。

本当にすごい


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安野光雅さんの本

2011-02-10 04:48:14 | 本の話

うちの書棚には、気に入った絵本がたくさんありますが、その中に安野光雅さんの作品もあります。



昨日は、ちょっと用事があって、本の学校あたりまで出かけました。



気になる本をちょっと見て、ラ・バールでカフェラテをいただきました。



2月後半から、島根県立美術館で、安野光雅展をする関係か、安野さんの本がたくさん並べられており、



欲しいけどまだ購入してないものから、うちにあるものまでたくさんありました。



津和野町出身の安野さんは、少しの間教員をされた後、上京して画家になられたように記憶しています。



司馬遼太郎さんの「街道を行く」のシリーズでは、1971年1月から1990年2月までが須田剋太、須田の没後は1990年9月から1991年7月までは画家桑野博利(1913-2008)、1991年8月から1996年3月までが安野光雅が担当した。



となっていますが、安野さんは、教育テレビで絵をかくシリーズの時に、興味深いことをおっしゃっていました。



スケッチをかく時、同じ風景をみても、個人差がもちろん出てくる訳ですが、



その時に骨格の違いも上げておられました。



なるほど、スケッチをかく時の筆圧とか、線の描写など、その人の感性ばかりでなく、



体によっても違いが出てくるんだと、妙に納得したものです。



ピアノもそうですから・・・



骨格や筋肉、精神的なもの、その人が求める音の質によって違いが出て来て、



同じピアノから出てくる音かと思うぐらい、人によって音色は違いますよね。



画家も同じなんだと思って、ちょっとした驚きでした。



もうひとつその番組で興味深かったことは、ある風景をその場で見て感じて描いたものと、



それを全く同じようにトレースして描いたものは全く違うという事でした。



その時に、トレースした・・・もちろん素敵な作品ではあるのですが・・・作品は、



「魂が入ってない」



とおっしゃっていたように記憶しています。



なるほど、確かに誰かのマネをして、一見上手く弾いているように見えても、うわべのこと。



その人の感性や考え、持っている教養や、背景・・・言いだしたらきりがありませんが、



演奏も、マネしているうちは、本物ではないということです。



学ぶということは、まねぶということですが、小さいうちはそうだとしても、次第に成長して来たら、



自分の考えをしっかり持って弾くことが必要なんだと思います。



安野さんの作品の話に戻りますが、



「10人のひっこし」「大きなものがすきなおおさま」「旅の絵本」「さかさま」「ふしぎなサーカス」



たくさんありますが、私のお気に入りは、



「あいうえおのほん」「ABCのほん」「安野光雅の画集」などです。



まだまだお元気で描き続けてほしいと思います。



うちの本棚はいっぱいの状態で、なかなか新しい本を増やせないのが残念ですが、



よかったら、安野光雅さんの本を手にとってご覧ください。



素敵で不思議な世界が広がりますよ。





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元気でいてくれさえすれば・・・

2011-02-03 04:56:55 | ブログ

今日は節分ですね。

昨日のレッスンで、Kちゃんが「あしたは豆まき!」

と教えてくれて、気づきました。

この頃になると、毎年必ず思い出すこと。。。もちろんこの時期だけではないのですが、

ちょっと重い話をします。

今から20年以上前の話になるでしょうか。

当時6年生になったばかりの、女の子がいました。

とても元気が良く、スポーツも出来、頭も良い子で、友達からも一目置かれる存在でした。

その頃はエレクトーンも教えていたのですが、恒例のEFに参加するため、新しい曲を渡していました。

そろそろ練習を始めるという頃に、その子は体調不良のためお休みし、やがて入院しました。

夏ごろに一時退院し、少しだけレッスンに通ってきましたが、また検査入院になるとのこと・・・

治るまでに時間のかかる病気だという事でした。

健康的に焼けていた肌が、透きとおる様な白い色になっていました

何を食べてもいいということだったので、お見舞いに、画集とケーキを渡しました。

入院生活も長くなると、きっと退屈だったことでしょう。

渡した画集を見て楽しんでいたことを手紙に書いて送ってくれました。

レッスン時間は空けたままでしたが、お母様から「元気になったらまた報告しますので」

ということで、レッスン時間は他の生徒さんに変わりました。

やがて冬になり、年が明け、雪が降る頃でした。

レッスン時間に電話が鳴り、とってみると、女の子の同級生のお母様が、震えた声で

「○○ちゃんが、亡くなりました。」

言葉がありませんでした。

まさか、思ってもみなかった事でした。

連絡があった時間は、ちょうど女の子がいつもレッスンしている時間でした。

中学生になるのを前に、友達と何部に入るか楽しみにしていたと、お家の方から聞きました。

女の子の棺は小さく、それを送る音楽は、その子が小さい時に作曲たオリジナル曲でした。

あどけないその曲が、よけいに悲しさをかき立てました。

後で聞いた話では、症例の少ない難しい肝臓の病気だったそうです。

生きていれば、今頃キャリアウーマンか、またはやさしいお母さんか・・・30歳を超える歳です。

しばしば、その子のことを思い出しては、元気で生きてさえくれれば・・・

と思うのです。

元気なら元気で、つい、いろいろ要求する事も増えてしまいますが、先立たれるほど悲しい事はありません。

生きてゆくのも、簡単な事ではないかも知れないけど、元気で笑顔を見せてくれること。

この事が、どんなにかけがえのない事かを、あらためて思うのです。

コメント (2)
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