この本のお話がしたくて、ひさーしぶりに本の中をチラチラと読み返してみました。
『サンタクロースの部屋』を読んだ20年前以上に、私の実感に訴えてくるもので、非常に非常に共感して、うなってしまっているところです。
もちろん20年前に読んだ時も、とても共感して読んではいましたが、さらに・・と言う感覚を持ちました。。
サンタクロースの部屋・・・とは、見えないものを信じる心の空間、あるいは能力・・・を示すもので、この能力には、「キャパシティー」という言葉が使われているそうです。
心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中にサンタクロースを収容する空間を作り上げている。
それがサンタクロースでなくても、魔法使いでも、妖精でも、打ち出の小槌でも、鬼でも仙人でも、おまじないでもよい。これらの不思議の住める空間をたっぷりととってやりたい。。この空間、この収容能力、つまり目に見えないものを信じるという心の働きが、人間の精神生活のあらゆる面で、どんなに重要かは言うまでもない。。近ごろの子供は、こざかしく、小さい時から科学的な知識をふりかざして、容易に不思議を信じないという。。子供は本来不思議を信じたがっているのだと思う。。。と、作者の松岡享子さんはおっしゃっています。
松岡享子さんは、神戸女学院や慶應義塾大学で、英文学や図書館に関することについて学んだ後、渡米しウェスタンミシガン大学大学院で児童図書館学を学び、ボルティモア市の公共図書館に勤めた後、帰国し、図書館に勤務されたり、児童文学の研究や翻訳、そして現在は財団法人東京子ども図書館理事長をなさっている方です。
文字を覚えることについても、早期に教え覚えさせることに対して、警鐘を鳴らしていらっしゃいます。
絵本を大人が読んであげることで・・しかも心を込めて・・幼い子供たちは、文字を拾う作業から解放された分だけ、読書という行為のより本質的な部分、すなわち与えられた言葉を使って、自分の中にあるイメージを作り上げて、心の中で一つの経験をすることに入ることができます。
これは文字・・・を、音符・・に置き換えることもできると思います。
リトミックをしていて、本当に思うのですが、心の体験が、どれほど大切かを痛感します。
心からの体験をし、満足すると、子供の顔、しぐさ、目の輝きが、本当に素晴らしく語るのです。
文字や音符は、記号での約束事なので、心の中の体験がまだ未成熟な時に、こういった抽象的な世界に子供の心をさらしてしまうと、心の中の空間の広がりを実現することが難しくなります。
つまり、内面の世界の非常に乏しい人になってしまう・・のだと、思います。
この本の中で、松岡享子さんが、E君のことを書かれていたことが印象に強く残っていました。
E君は、歩く豆百科事典のような子で、この小さい男の子の口から、触覚だの光年だの、ヒョイヒョイ飛び出すので、初めのうちはびっくりして聞いていたのだそうです。
「ゆきがふってきました」というと、すかさず、「日本で一番降雪量の多い市は新潟だよ。気温の一番低いのは十勝市だけど」。。
「おこったつき」という本を読んで。。と、自分で持ってきたにもかかわらず、読み進めるあいだじゅう、E君は、月と地球の距離だの、月の表面の状態だの、成分だの、月に関する彼の知識を次から次へと披露し続けたそうです。
一方では物語に心ひかれつつも、ありすぎる知識と、それを誇示したいという要求に足を引っ張られ、すっぽりと物語に入り込めないでいるという状況。。。物語を物語として素直に楽しむには彼の博識(?)が邪魔をするというわけで、こんなE君の状態を「不幸」だと思わずにはいられなかった。。。と、ありました。。
これは、私の目の前にいる子供たちにも言えることで、知っている知識や世界観の浅さ、知らないことに対する「恐れ」をあまり感じていない。。
そんなことは知っている。。という風に、すぐに考え、発言してしまう。。
やはり、テレビを代表とする「電子機器」から発せられる、力や魂のない音、知識、に対して、よほど気を配らなければ、ますますこの状況は進んでゆくのだと思います。
知っているつもりの、浅知恵、非常に表層的なものの考え方。。これはもはや幼い子供だけの問題ではないように感じているのは、私だけなのでしょうか?
ただ「知っている」だけでは、子供の心を動かすことはできない。。想像の世界の中で、心を解き放つことができない。。物を知っていることで、心の働きが弱くなっている子は、むしろ成長への道が閉ざされてしまう。。物を知りたいという意欲、知ることの驚きや喜び、知らないものに対する畏れこそが、人として成長するための、大きな力の中心になるのだと。。語られています。
この本の中に引用されていた本の内容を、またまた引用しておきます。
。。。
子供が音の性質や意味の関連を体験できるようになるまでには、ある年数の内的成長が必要である。その成熟を待たずに文字というものを教え込むと、その読み書き能力はただのテクニックになってしまう恐れがある。その種の早期教育でなされている「学習」というプロセスは、単に記号と音を反射的に組み合わせているだけでしかない。子供は、しだいに、内的な理解なしにこの組み合わせ作業を習得することになる。そういう習性は子供の思考・情操面での成長を妨げるから、決して近視眼的な早期教育を行ってはいけない。
。。。
全く音楽にも言えていることで、町のピアノ教師である私たちは、肝に銘じて、このことを伝えなければならないのだと思います。
社会の様々な動きが作用して、子供の心から、子供が本来持っているはずの、生き生きした生命力を失わせようとしているのではないか。。。みなさんのお子さんは、生き生きしているでしょうか。驚いたり、不思議がったりしているでしょうか。自分で動き、さわり、遊び、つくり、じっと見、じっと聞くことをしているでしょうか。心はテレビに預けっぱなしの、ただの物知りになっていないでしょうか。。
このように、語りかけていらっしゃいます。
じっと音に耳を傾け、表層的ではない、その本質を掴みとれる人になってほしい。
そして、人の話を、じっと心を傾けて聴ける(本質まで)人になってほしい。
もちろん、リトミックなどでピアノを弾く時、魂を込めて弾きます。
上手下手とかいうことではないのです。
でも、細心の注意は払いますよ。
そしておおらかに。。
今日は、マジメになりすぎちゃいましたかね~
ブルーナーの絵本の翻訳なども多く手掛けていらっしゃるようですね。
きっと皆さまのお手元の本にも、松岡享子さんのお名前が、知らず知らずのうちにあるかもしれません。
ちなみに最近読んでいる本は、吉田秀和さんの「モーツァルト」「モーツァルトの手紙」…それに加えて、オペラオタクAさんおすすめの「ロシアは今日も荒れ模様」を読みかけていて、ロシア人の混沌とした分厚い底力・・・のようなものを感じ、ロシア人の音楽は、だからこうなんだなと、改めて思っているところです。。ロシア人ピアニストのゴルノスターエヴァ先生が、「ロシア人はカオスを好む」と言ってたけど…でも、似たものを中国人からも感じるときがあるな~などと思っているところです。。。っていう私って、やっぱりオタク??
では~