「うちの子はモノも言わないし、表情にも出さないので分かりにくいと思いますが・・・」
よくお母さんたちに言われますが、全くそんなことはありません。
もの凄くはきはきとモノを言っていたり、大きなリアクションをする子がいたとして、それと何ら変わりないのです。
なぜなら、その「大きなリアクション」や「ハキハキとした発言」そのものの裏にある真意のようなものを聞き取ろうとして、話をしているので、発言してもしなくても、そう大きな違いはありません。
ニュースなどで、死に至るほどの重大な事件を引き起こした加害者や自ら命を絶つ子供(大人も)、周りの人は全く様子は変わらなかったと言いますが、本当にそうなんでしょうか?
せめてご両親などの身内だけでも、何か・・・に気付いてあげられたら・・・そんな風に思ってみたり・・・
もちろん私は出来ます・・・と言っているのではありません。
心の声を聴く努力をしてほしいな・・・と思うのです。
殆ど喋らない子や、心が閉ざされそうになっている子・・・思春期には多かれ少なかれそういうことはあります・・・そんな状態の子も、「何か」を語っています。
その多くは「目」の表情や輝き、微細な表情筋の動き、そして「音」です。
これはものすごく繊細なことなのですが、じっと見つめ聴き入ると、分かるようになります。
むしろハキハキものを言っている子の、心の声を聴く方が難しいかも知れません。
表面的な言葉面(ことばづら)に惑わされてしまうから。。
そして、等の本人も、自分の心の真意や真相が理解できていないこともあります。
何かウソ臭い。
これは「お利口さん」の発言にむしろ多い。
求められるであろう「ムナシイ言葉」を、つい口に出してしまう習性。。
ヒドイ言い方かもしれませんが、私自身も覚えがあるので、分かるんです。
大人はこう言ってほしいんだろうな・・
こういう時はこう言った方がいいんだろうな・・
求められている答えはこういうことかな・・
むろん本人には、そういう意識はないんです。
無意識の心の動きなので・・
ここに、真実の心の声はありません。
こういう「ムナシイ言葉」より、むしろ眉間にシワをよせて首をかしげている子の方が、よほど真実を語っていると思います。
ですから、ハキハキとモノを言ったり、大きなリアクションをしている子の方が「分かりやすい」なんてことは、全くないんです。
テレビに出ている人たちの、判で押したようなリアクションと空しく並んだ空虚な上っ面の言葉を思い出してみて下さい。
この人たちは、どんな悲しみを抱えているんだろうと思わずにはいられません。
クラウン(ジョルジュ・ルオー…ピエロ…これを主題に絵を描き続けた画家がいます)。
ルオーは・・・我々は皆ピエロだ・・・というような内容のことも言っていましたね…。仮面。
そう。。
心と裏腹な言葉を言って、人を笑わせたり、その場を盛り上げたり。。
繰り返し繰り返しこの主題は、絵画や音楽で取り上げられてきました。
「聴く」
というのは、大変な才能なのですが、他人からは全くと言っていいほど、この才能は認知されません。
なぜならそれは、内側で行われているほとんど心の中の・・・あるいは魂の活動だからです。
聴こえている人を理解することができる人も、また、ある意味、それを理解する才能がある人でしょう。
ミヒャエル・エンデの代表作「モモ」
ここに現れる、主人公「モモ」は、聴く才能がある。
そんなことは簡単だ・・と言う人は、本当に「聴く」・・ということを真剣に考え直してみて下さい。
そんなに簡単なことではないですよ。。
モモが真っ直ぐなまなざしで、その人の言葉に、じっと耳を傾かると、ふしぎと「良い考え」が浮かんだり、思わず「真実」を吐露してしまう。
そういう女の子が主人公です。
生きている人なのか、あるいは魂の表現なのか・・・
ドイツ文学者、子安美智子氏は、「モモは人々の心の中にいます」と語っていましたが、魂の声を聴く・・・という行為なのかもしれません。
さて「モモ」は誰なんでしょうね?
じっくりじっくり読んでみてほしい本です。
非常に内容の深いもので、今、大人が読んでも、多層的に読むことができます。
経済のカラクリに警告も促していますし、「時間」そのものが「いのち」だとも言っています。
忙しさの中で、大事なものを見失っているのかも知れないと、気付かされる人も多いでしょう。
さて。
聴くと言えば、河合隼雄先生も「聴く」ことの天才だった・・と言えるでしょう。
以前に書いたことがありますが、離人症という難しい病気の美しい女性が、約5年ほどの治療の後、完治して言われるには、
「最初に先生にお会いした時に、この方なら治ると思いました(以前いくつかの治療を受けてきたものの成果が得られず、河合先生の元に来たという経緯・・)。 先生は私の顔にも服装にも全然注意を払われなかった(大変美しい方だったそうです)。 先生は私の言葉にさえ全く注意を払っておられなかった。」 ここで爆笑。
「ほほう。 私は何をしていましたか?」
と、先生が尋ねられると、
「あえて言うなら、“魂”のようなものを見ておられました」
。。
先生は、この事をいたく気に入っておられた様子で、何度か対談で語っていらっしゃいますし、
「最高の誉め言葉や! と、思いませんか?」
とおっしゃっています。
むろん、天才なので、引き合いに出すのもおこがましいというものですが、言葉面や表層的なことに捕らわれていては、まず「本質」は見えてこないし、聴こえてこないでしょう。
少なくとも、努力はすべき・・・と思います。
空しく並んだ「小奇麗な音」より、「不器用な真実」の方が良いと思われませんか?
言葉。
言霊(ことだま)。
ここに宿っているのは何なのでしょうね?
言葉が多いほど、逆に分からないこと・・も増えてゆくように思います。
ですから、
はきはきとモノを言わないから、心配だ・・・ということもないし、
はきはきとモノを言うから、心配ない・・・とも言えない。
そういうことなんだと思います。
そうそう!
やっと受験も終わり、ピアノの周り、ちょっとずつ片付け中。
髪もちょっとだけ切りました。
金曜日土曜日と相次いで合格発表があり、2人の受験生、志望校に入学することになりました
大学生だね~
社会の経済状況が良くない今の時節、国立系は倍率が高いそうで、Nちゃんが受けた大学は、志願した時点では7倍とか・・・
もう一人のYちゃんも、1次、2次・・と、何とか進んだものの、3次の楽典・聴音・新曲・・・そして学科が~~~と、心配しましたが、合格が決まり、ほっとしています。
まぁムリだったら、もう一年勉強し直せということだから、どっちみち、これからも頑張ろう、と話しておりました。
このA大は、今年新校舎完成だそうで、おそらく試験も新校舎のホールだったのでは?・・と推測しています。
すごく立派でキレイだったらしいですから・・・
2人とも発表会参加可能となり、賑やかになりそうです。
既に大学生の2人も参加してくれるので、楽しみですね
今日、23日と、来週30日の日曜日、午後2:30~4:30
うちのピアノ室で練習会します。
都合がつく方は、ご参加ください~