米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

うちの子は表情に出さないので分かりにくいと思いますが・・・

2014-03-23 06:14:42 | おもうこと

「うちの子はモノも言わないし、表情にも出さないので分かりにくいと思いますが・・・」

よくお母さんたちに言われますが、全くそんなことはありません。

もの凄くはきはきとモノを言っていたり、大きなリアクションをする子がいたとして、それと何ら変わりないのです。

なぜなら、その「大きなリアクション」や「ハキハキとした発言」そのものの裏にある真意のようなものを聞き取ろうとして、話をしているので、発言してもしなくても、そう大きな違いはありません。

ニュースなどで、死に至るほどの重大な事件を引き起こした加害者や自ら命を絶つ子供(大人も)、周りの人は全く様子は変わらなかったと言いますが、本当にそうなんでしょうか?

せめてご両親などの身内だけでも、何か・・・に気付いてあげられたら・・・そんな風に思ってみたり・・・

もちろん私は出来ます・・・と言っているのではありません。

心の声を聴く努力をしてほしいな・・・と思うのです。

殆ど喋らない子や、心が閉ざされそうになっている子・・・思春期には多かれ少なかれそういうことはあります・・・そんな状態の子も、「何か」を語っています。

その多くは「目」の表情や輝き、微細な表情筋の動き、そして「音」です。

これはものすごく繊細なことなのですが、じっと見つめ聴き入ると、分かるようになります。

むしろハキハキものを言っている子の、心の声を聴く方が難しいかも知れません。

表面的な言葉面(ことばづら)に惑わされてしまうから。。

そして、等の本人も、自分の心の真意や真相が理解できていないこともあります。

何かウソ臭い。

これは「お利口さん」の発言にむしろ多い。

求められるであろう「ムナシイ言葉」を、つい口に出してしまう習性。。

ヒドイ言い方かもしれませんが、私自身も覚えがあるので、分かるんです。

大人はこう言ってほしいんだろうな・・

こういう時はこう言った方がいいんだろうな・・

求められている答えはこういうことかな・・

むろん本人には、そういう意識はないんです。

無意識の心の動きなので・・

ここに、真実の心の声はありません。

こういう「ムナシイ言葉」より、むしろ眉間にシワをよせて首をかしげている子の方が、よほど真実を語っていると思います。

ですから、ハキハキとモノを言ったり、大きなリアクションをしている子の方が「分かりやすい」なんてことは、全くないんです。

テレビに出ている人たちの、判で押したようなリアクションと空しく並んだ空虚な上っ面の言葉を思い出してみて下さい。

この人たちは、どんな悲しみを抱えているんだろうと思わずにはいられません。

クラウン(ジョルジュ・ルオー…ピエロ…これを主題に絵を描き続けた画家がいます)。

ルオーは・・・我々は皆ピエロだ・・・というような内容のことも言っていましたね…。

仮面。

そう。。

心と裏腹な言葉を言って、人を笑わせたり、その場を盛り上げたり。。

繰り返し繰り返しこの主題は、絵画や音楽で取り上げられてきました。

 

「聴く」

というのは、大変な才能なのですが、他人からは全くと言っていいほど、この才能は認知されません。

なぜならそれは、内側で行われているほとんど心の中の・・・あるいは魂の活動だからです。

聴こえている人を理解することができる人も、また、ある意味、それを理解する才能がある人でしょう。

ミヒャエル・エンデの代表作「モモ」

モモ (岩波少年文庫(127))

ここに現れる、主人公「モモ」は、聴く才能がある。

そんなことは簡単だ・・と言う人は、本当に「聴く」・・ということを真剣に考え直してみて下さい。

そんなに簡単なことではないですよ。。

モモが真っ直ぐなまなざしで、その人の言葉に、じっと耳を傾かると、ふしぎと「良い考え」が浮かんだり、思わず「真実」を吐露してしまう。

そういう女の子が主人公です。

生きている人なのか、あるいは魂の表現なのか・・・

ドイツ文学者、子安美智子氏は、「モモは人々の心の中にいます」と語っていましたが、魂の声を聴く・・・という行為なのかもしれません。

さて「モモ」は誰なんでしょうね?

じっくりじっくり読んでみてほしい本です。

非常に内容の深いもので、今、大人が読んでも、多層的に読むことができます。

経済のカラクリに警告も促していますし、「時間」そのものが「いのち」だとも言っています。

忙しさの中で、大事なものを見失っているのかも知れないと、気付かされる人も多いでしょう。

さて。

聴くと言えば、河合隼雄先生も「聴く」ことの天才だった・・と言えるでしょう。

以前に書いたことがありますが、離人症という難しい病気の美しい女性が、約5年ほどの治療の後、完治して言われるには、

「最初に先生にお会いした時に、この方なら治ると思いました(以前いくつかの治療を受けてきたものの成果が得られず、河合先生の元に来たという経緯・・)。 先生は私の顔にも服装にも全然注意を払われなかった(大変美しい方だったそうです)。 先生は私の言葉にさえ全く注意を払っておられなかった。」 ここで爆笑。

「ほほう。 私は何をしていましたか?」

と、先生が尋ねられると、

「あえて言うなら、“魂”のようなものを見ておられました」

。。

先生は、この事をいたく気に入っておられた様子で、何度か対談で語っていらっしゃいますし、

「最高の誉め言葉や! と、思いませんか?」

とおっしゃっています。

むろん、天才なので、引き合いに出すのもおこがましいというものですが、言葉面や表層的なことに捕らわれていては、まず「本質」は見えてこないし、聴こえてこないでしょう。

少なくとも、努力はすべき・・・と思います。

空しく並んだ「小奇麗な音」より、「不器用な真実」の方が良いと思われませんか?

言葉。

言霊(ことだま)。

ここに宿っているのは何なのでしょうね?

言葉が多いほど、逆に分からないこと・・も増えてゆくように思います。

ですから、

はきはきとモノを言わないから、心配だ・・・ということもないし、

はきはきとモノを言うから、心配ない・・・とも言えない。

そういうことなんだと思います。

                                  

そうそう!

やっと受験も終わり、ピアノの周り、ちょっとずつ片付け中。

髪もちょっとだけ切りました。

金曜日土曜日と相次いで合格発表があり、2人の受験生、志望校に入学することになりました

大学生だね~

社会の経済状況が良くない今の時節、国立系は倍率が高いそうで、Nちゃんが受けた大学は、志願した時点では7倍とか・・・

もう一人のYちゃんも、1次、2次・・と、何とか進んだものの、3次の楽典・聴音・新曲・・・そして学科が~~~と、心配しましたが、合格が決まり、ほっとしています。

まぁムリだったら、もう一年勉強し直せということだから、どっちみち、これからも頑張ろう、と話しておりました。

このA大は、今年新校舎完成だそうで、おそらく試験も新校舎のホールだったのでは?・・と推測しています。

すごく立派でキレイだったらしいですから・・・

2人とも発表会参加可能となり、賑やかになりそうです。

既に大学生の2人も参加してくれるので、楽しみですね

今日、23日と、来週30日の日曜日、午後2:30~4:30

うちのピアノ室で練習会します。

都合がつく方は、ご参加ください~

コメント (2)
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読書・・そして、ピアノを弾くこと

2014-03-21 07:07:19 | おもうこと

読書とピアノを弾くことは、何か共通点があるのか?

と聞かれたら、

「それは、作者との対話です」

と、答えるでしょう。

絵を見ることも、おそらく演劇などを見ることも、「対話」であり「体験」なのだと思います。

不器用でも、「なにか」がある演奏。

それは、曲から何かしらを感じ取り、音として表現されているということだと思います。

もう少し進めば、曲の構成、転調や和声の移り変わり、リズム、伴奏形の動きや変化、メロディーの動きや装飾される音たち・・・

そういったあらゆることから、作者との対話が始まります。

本当に細やかな、繊細な世界です。

作曲や楽理、歴史観や作曲者の人生観、その時置かれていた状況など、多くのことを学ぶほどに、作曲者との対話は深まります。

では、読書は・・・?

よく、同じ作品も、読む時期や年齢によって、様々な受け止め方の段階があると言われますよね。

前に読んだ時と、少し違う感想を持った。

など。。

やはり、自分が体験し、考え感じていたことが、「読む」・・と言う行為に、力を与えているのではないでしょうか?

本を読みながら、

「うん!そうそう!」

「へ~そうなの?」

「なんでかなぁ~」

「それはないでしょ~」

「なーるほど!」

皆さんも、いろいろ思いますよね。

これって対話の始まりですよね。

「私も同感!」

「いやいや、そうは思わないわ」

から、自分の考え方や感じ方が、はっきりして来たりして、振り返ったり、確認作業が出来たり、

「そういう考え方もあるんだ!」

と、感動したり。。

絵本、童話、児童文学、小説、、

こういったジャンルは、圧倒的に「体験」が主でしょう。

村上春樹の本をお借りして読むと、そこにはシュルレアリズムのような絵画的な世界観の中で、少し戸惑いつつも冷静に感じ思考して、あちらの世界とこちらの世界をすり合わせながら、その中で触れたり感じたりしつつ、調和のような折り合いをつけて、現実世界をよりよく生きる・・・そんな世界観かなぁ・・・と感じていますが、村上ファンの方、そんなとらえ方ではダメでしょうかね~

ついこの間・・・そう、ひと月ぐらい前に知ったのですが、「小説」というのは「小人(しょうじん)の説」という意味らしいですね。

最近ハマっている、小林秀雄が言っていました。

もう、敬称を付ける以上の存在なので、何かの固有名詞化しています~

文学について語っていたのですが、ロマン派以降は「駄作」が増えた・・と・・・

「告白」が始まった。

自分の人生はこうで・・・とか・・云々・・

こういうことは、フランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソーから始まったのだそうです。

「エミール」「社会契約論」などで、中学生でも知っている有名な学者。

もーちろん、読んだことなどありません~

で、このblogでもご紹介したことはありますが、彼は音楽家でもあったんです。

子供の時に練習する、フランスの練習曲集「ピアノの練習ABC」の最後から何番目かに、

「3つの音による歌」

という右手はたった3音、左手はちょっと音が多くてしかも静かに弾かないといけないから、ちとムズカシイ・・・と言う曲やら、

「むすんでひらいて」(オペラの中の曲)

など、私たちにも意外におなじみの作品があったりするのですが。。

この方、壮年期には実に立派なことを書き、立派な仕事をした方なのですが、人生の最後の最後で、道徳的にはどうなんだ???

というようなことをやらかしたり、書き綴ったりしているのです。

これが、「告白」

おそらく彼は、「人間って何なんだ」「よりよく生きるとは、立派なことを並べたてることなのか」「人が生きるとはもっと生々しく壮絶なものなのではないか」

いろいろ自問自答するところがあったのではないかと思います。

ピーカンの晴ればかりの人生なんてあり得ない。

とよく言いますが、そんな絵にかいたような、ご立派な人生なんてあり得ないし、人というものはそんなものじゃないと言いたかったのかも知れませんね。

そして、「告白」が始まると、言い訳したり、自分が自分が・・・という「客観性」を欠いた作品も増えるわけで、それを小林秀雄は「駄作」と言っているのです。

なぜ「客観性」が必要なのか?

それは、読者が自分の心の「鏡」として、自分の体験を映せないから。

全く個人的なことでも、そこに「客観性」があることで、「私も同じ感覚を持っている」と、読者が感じたり思ったりできるのです。

これは「演奏」もしかり。

あまりにも、私が私が、、という演奏、、つまり、ナルシスト、、のようなものに出くわすと、ウンザリしてしまう。

その「告白」は、言い訳だったり、自己中心的になり過ぎて、「鏡」にはなり得ないから。

「自己批判」の目を失うと、もはや「芸術作品」からは遠ざかり、お手軽で安っぽい「駄作」になってしまうのだと。。

では、小さい子たちの演奏はどうなのでしょう。

これはもう、「味わう」「感じる」世界だと言えるでしょう。

ここに、どこかから仕入れた「わざとらしさ」「ものまね」は禁物です

その子が心から感じている世界観が表れているかどうか・・・これがポイントでしょう。

そこから、「感じる」・・にプラスして、「思考する」・・ことが、少しずつ深まってゆきます。

こうして、幼い時に始めたことが、10年(6~7年)もすれば、「客観性」を持ったものになり、1人称から3人称へと変換してゆく・・・それが理想だと思います。

ですから、「型」のようなものにはめて、「方法論」・・・つまりhow-toで、どうやったらいいですか?

・・・の姿勢を続けていても、絶対に音楽的自立は無いし、それは他のあらゆることで言えているはずです。

なので、不器用でいいから、

「自分で感じ考える」

これに尽きると思います。

教師とは道案内人でしょう。

先に生まれた人・・・ですから。

「教えることは寄り添うこと」

本当に、河合先生のおっしゃることが沁みます。

ぁ・・・

で・・・読書とピアノを弾くこと・・・

ご理解いただけたでしょうか??

「対話」であり「体験」であること。

独りよがりなナルシストにならず、自己批判の目と耳を持ち、「客観性」を忘れないこと。

「一人称」だった幼い時の感覚から「三人称」にまで、育てること。

これ学術論文でも、同じだと思います。

でも、人まねをしていると、「一人称」にすらなりません。

ここが大事なところかな??

あちゃ~

名文ならぬ「迷文」・・・迷惑のメイ、迷うのメイ・・・ですなぁ・・

では~~

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書店と図書館に行ってみたら・・・♪

2014-03-01 08:22:42 | おもうこと

先日今井書店に行ってみたら、WEEKLY BEST 1 に岩宮恵子さんの「好きなものにはワケがある」

NO.1

になっていました!

好きなのにはワケがある: 宮崎アニメと思春期のこころ (ちくまプリマー新書)

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山崎豊子さんの最期の著作で話題の「約束の海」を抑えて、No.1 !

とても分かり易く書かれていますから、是非お読みください!

中高生に向けて、みなさんもそんなことありませんか?・・・のような文体で書かれていますが、大人が読んでも良いのですよ。

どれだけ分かり易く書くのか・・・が、書く人にとって最大の課題。

専門用語を並べたてた方が簡単なのですが、理解していただくためには、分かり易い言葉で、分かり易く書く・・・そういうことだと思います。

ぜひぜひ~~

さて、米子美術館横の「ハタノ」さんで、美味しいフルーツたっぷりのモーニングを食べ、米子図書館に行くのも、最近の楽しみ。。

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今井書店錦町店に行って本を見たり注文したりして、ラ・バールで美味しいカフェラテ飲みながら本を読むのと、ちょっと似たお楽しみ。。

そして、米子図書館で、初めて本を借りてみました。

池田晶子さん

初めて知りました。

分かり易い言葉で哲学する・・・哲学エッセイ

そんなことをしていらっしゃいました。

1960年生まれの、私と同じ世代。

おお~

と思ったら。

2007年没

若くして亡くなられたんですね。

「私とは 何か さて死んだのは誰なのか」

「魂とは 何か さて死んだのは誰なのか」

「死とは 何か さて死んだのは誰なのか」

ご自身の生死をもって、哲学された方のようです。

「知るより 考えること」

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読みました。

私と同じことで、怒ってる(笑)

非常に共感しました。

図書館に行かなければ分からなかったなぁ~

いい本、いい著者に出会えてよかった。

池田さんの魂とお話ししてみたいと思っています。

もちろん本を通じて。。

「14歳からの哲学」・・・考えるための教科書

「人生のほんとうのこと」

書店で注文してみました。

もう一つ借りたのは。

小林秀雄講演集のCD

もちろん以前から言っている、昭和の3賢人「3人の秀ちゃん」のお一人。

茂木さんも、岩宮さんも、池田さんも・・・

おそらく多くの知識人が、この方の語る言葉に共感しています。

茂木さんなど「親友だ!」

ぐらいの勢い・・・もちろんもう亡くなっていらっしゃいますから、魂の次元でのお話です。

4×2枚

計8枚のCD

もう繰り返し10回ぐらい聞いています。

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今借りている中で、本居宣長について多く語っていますが、1730年生まれの本居宣長

ハイドンと同じくらいです。

方法論・・・つまりhow-toばかりやっていることの愚かしさを、もうこの時代から語っている。

これは本居宣長 言。

コンピューターは、細かくはなっているが、詳しくはなっていない、と、氏は語っています。

もう30年以上前に。

本当に怒っている。。

非常に共感。

「どうやったらいいんですか?」と、何も考えないで、how-toばかり聞くことの愚かしさ。

子供たちに伝えたい。

そして、やはり大人自身が、自分は大丈夫かと、自分の胸に手を当てて考えてみるべきだと思うのです。

もちろんまず自分自身。

自分は大丈夫と思うこと自体が、怖いことなんです。

ぁぁ・・・

もう、レッスンの準備しなくちゃ!

そそくさと、終わります。

お口直しに、スーラの絵葉書

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ただ綺麗なだけじゃないんです。

でもこのお話は、またの機会に。。

ついでに佐野洋子さんも~

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そうそう、小林秀雄の言葉の一つ。

「分かる」ということは「苦労する」と、同じ意味なんです。

非常に納得。

そういうことなんだなぁ~

人生は意味深い~

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