米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

ショパン国際コンクールin アジア

2010-11-22 06:34:45 | イベント、コンクールetc.


  

21日、28日と2週続けて、ショパン国際コンクールinアジアが岡山、広島、大阪であります。



全国各地、色々なところで催されるのですが、うちからのエントリーはこれらの地区でした。



先週ステップがあったので、それから1回、もしくは0回のレッスンで受けにいった子もいて、



ちょっとドタバタな感じでしたが、みんな頑張ってくれました。



今回全国大会への切符を手にしたのは、Yくん、Sちゃん、Aちゃんです。



ステップの後、レッスン出来なかった子は、ちょっと心残り・・・



やはり舞台で聴いてみると、色々分かるものですね。



また全国大会に向かって、違う曲を練習します。



もちろん少しづつ練習はしてきたので、大丈夫ですが、このコンクール、全国大会と、アジア大会が、



立て続けにお正月そうそうあるので、これを受けていると、ほぼお正月がなくなってしまいます。



今度のお正月は、ピアノ一色だね。



またがんばってレッスンしましょう!



今日は、とっても良く眠れて、珍しく起きたのが5:45。



お国入りのNHKの気象情報が終わってしまっていました。。。



アップしたのが遅くて、朝一チェックの方ごめんなさい~~

























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シュルレアリスムの画家 ルネ・マグリット

2010-11-06 05:38:27 | 画家の話

 マグリット

今日は、画家の話をかいてみました。
先日、妹と写真を見に行った帰りに、マグリットの話がでたので、久しぶりに画家の話をします。

ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット (René François Ghislain Magritte, 1898年11月21日 -1967年8月15日) はベルギーシュルレアリスム画家

Lothar Wollehによるルネ・マグリットのポートレート

概論

マグリットは、20世紀美術のもっとも重要な運動の一つであるシュルレアリスムを代表する画家である。マグリットの作品においては事物の形象はきわめて明確に表現され、筆触をほとんど残さない古典的ともいえる描法で丁寧な仕上げがほどこされている。しかし、その画面に表現されているのは、空中に浮かぶ岩、鳥の形に切り抜かれた空、指の生えた靴といった不可思議なイメージであり、それらの絵に付けられた不可思議な題名ともども、絵の前に立つ者を戸惑わせ、考え込ませずにはいられない。

マグリットの絵画は、画家自身の言葉によれば、「目に見える思考」であり、世界が本来持っている神秘(不思議)を描かれたイメージとして提示したものである(デペイズマン)。この点は、夢や無意識の世界を描き出そうとした他のシュルレアリストとは異なっている。

「言葉とイメージ」の問題を追求したマグリットの作品は、ミシェル・フーコーのような思想家にも発想源を与え、広告やグラフィックアートの分野にもその影響が見られるなど、20世紀の文化に与えた影響は大きい。日本においても1971年の回顧展をはじめとしていままで5回開催され、宇都宮美術館横浜美術館豊田市美術館などに作品が収蔵されている。

生涯

マグリットは1898年、ベルギー西部のレシーヌに生まれた。一家はマグリットの生まれた翌年にはジリという町に移り、1904年シャルルロワ近郊のシャトレに移る。マグリットは1913年の一時期シャルルロワに住んだこともあるが、1904年から1916年まで、少年時代の大部分をシャトレで過ごした。1912年に母が原因不明の入水自殺をとげるという事件があり、これは少年マグリットにとっては当然のことながら大きな衝撃を与えた。

1916年ブリュッセルの美術学校に入学。1910年代後半から1920年代前半はマグリットが画家として自分の様式を模索していた時期である。この時期にキュビスム未来派ダダデ・ステイルなどの運動を知り、また、ピエール・ブルジョワ(詩人)、E.L.T.メセンス(詩人、画家、音楽家)らの前衛的な芸術家と交際するようになった。マグリットは生活費を得るためにグラフィックデザインや広告ポスターなどの仕事をしつつ、抽象画や、キュビスムの影響を感じさせる作品を描いていた。1922年には幼なじみのジョルジェット・ベルジェと結婚。彼女は多くのマグリット作品に登場する女性像のモデルとなる。1923年(1925年とする説もある)ジョルジョ・デ・キリコの作品『愛の歌』の複製を見たマグリットは「涙を抑えることができない」ほどの感銘を受け、これがきっかけでシュルレアリスムの方向へ進む。

ブリュッセルのマグリット美術館

1926年の『迷える騎手』が最初のシュルレアリスム的作品とされている。1927年ブリュッセルのル・サントール画廊で初個展を行う。以後3年間パリに滞在し、フランスのシュルレアリストたちと交流する。しかし、マグリットはシュルレアリスム運動の理論的指導者であったアンドレ・ブルトンとはうまが合わなかったらしく、1930年ブリュッセルへ戻り、以降ベルギーを離れることはほとんどなかった。

マグリットの絵を、載せたかったんですが、上手くいきませんでした。

興味ある方は、検索してみて下さい。

シュールな世界観を、不思議な感覚と、何か心に伝わるものを感じながら観ていただけたらいいですね。

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