このblogに時々出てくる、ミヒャエル・エンデ
ドイツの児童文学者ですが、私にとても大切なことを教えてくれた(もちろん本を通して)一人です。
宮沢賢治は生涯、少年のような純粋な心と理想を心に秘めて生きた人・・・賢治も大好きな人ですが、エンデは深く深く物事も思考し、まるで哲学者のようでした。。
エンデの書いた児童文学の中でも、特に「モモ」は代表作で、多くの子供たちばかりか、文化人知識人にも深く読み込まれ、「モモを読む」のような本も何冊か出ているぐらいです。
エンデの父は、シュルレアリズムの画家で、ナチスが台頭していた時代、退廃画家の烙印を押され生活が困窮します。
ヒトラーは画家を目指していた人物で、現代的な手法や作風に対してそうとうな嫌悪感を持っていたようです。。自分がそれを理解する能力がなかったからでしょう。
退廃芸術家の中にはゴッホなど多くの芸術家が含まれ、たくさんの素晴らしい芸術作品が焼かれてしまいました。
この当時、まだ10代の多感な少年であったエンデは、反ナチスのレジスタンス運動にも参加していたようです。
その後、シュタイナー学校を経て、演劇学校でしばらく勉強したのち俳優業もしていましたが、この事は作家としてのエンデの、ある意味、素地となったと言えるのではないかと思います。
さて、このエンデの代表作「モモ」
この内容は、是非お読みいただければと思います。
私も何度も何度も読み返した本ですが、また近いうちに読みたいなと思っています。
この中で、多くの人が印象に残ったという、モモの友達の一人、掃除夫のベッポの言葉。。。
早く、仕事や勉強などを終わらせてしまおうと、焦ってがむしゃらにやってもやっても片付かない・・そんな時に、思い出してみてください。
ベッポの言葉
・・・(略)・・・
「なあ、モモ」と彼はたとえばこんな風に始めます。「とても長い道路を受け持つことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃあとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
彼はしばらく口をつぐんで、じっと前の方を見ていますが、やがてまたつづけます。
「そこでせかせかと働き出す。どんどんスピードを上げてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はへっていない。だからもっとすごい勢いで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやり方はいかんのだ。」
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、次のひと呼吸(ひといき)のことだけ、つぎのひとはきのことだけ考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
・・・(略)・・・
ひょっと気が付いたときには、一歩一歩進んできた道路が、全部終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。」彼は一人うなずいて、こうむすびます。
「これがだいじなんだ」
そうして、目の前の一歩ずつをやっていると、楽しくなってくる。
この事が大事だと、エンデはベッポに語らせています。
登場人物の「モモ」「ベッポ」「ジジ」「灰色の男たち」・・・皆、象徴的に描かれていると考えられます。
時間泥棒である「灰色の男たち」・・今の世の中は、もう彼らに支配されているのかも知れませんが。。
では、今日はこの辺で~~