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米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
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音楽は心の対話ですね。

ハプスブルグ家って何ですか?

2010-03-15 08:19:57 | 歴史上の人物
先日のレッスンの時、6年生のHちゃんが新聞を持ってきてパラリと開き、

「ハプスブルグ家って何ですか?」



と私に質問。



私、受験の時は日本史だったので、その起源から説明するのは、ちょっと難しい・・・



それに「西野家って何ですか?」と聞かれるようなもの・・・


いや、、ちょっとちがう、、「徳川家って何ですか?」みたいな感じで、質問の内容が大きすぎる




その新聞というのが、京都で開催されている、「ハプスブルグ展」



オーストリアの女帝マリア・テレジア、その娘でルイ16世の妻となりフランス革命の時



断頭台の露と消えたマリー・アントワネット、



その美貌で多くの人から愛され続けるオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの妻エリザベート、



ベラスケスの肖像画によって有名なスペインの王女マルガリータ



これらの女性は、みんなハプスブルグ家の人々で、ウィーン美術史美術館に収蔵されているもの。



私も1/31、2/1 の2日間いただいたお休みで、ハプスブルグ展、行って来ました。



お目当ては大好きな画家、ベラスケスの手によるマルガリータ王女の肖像画。



このマルガリータは、幼い頃からウィーンへお嫁入りすることが決まっており、



お見合い写真のように、その成長を肖像画という形でウィーンに送り続けられていたのでした。



しかし14歳で輿入れした彼女は、僅か22歳という若さで亡くなってしまいました。



また、愛称シシィで知られる美貌の王妃エリザベートは、姉の縁談のの時に出会った



フランツ・ヨーゼフに求婚され15歳でウィーンへ輿入れしました。



しかし生まれた子供たちは、自分の手で育てることが許されず、また成長した息子は自殺してしまいました。



この悲しみや宮廷の息苦しい生活から逃れるため、長い旅をする生活が続きました。



そしてその旅先で、無政府主義者の手により刺されて60歳で亡くなりました。



時代はさかのぼりますが、マリア・テレジアはたくさんの子供を産み、政治もこなし、



非常に有能な女帝でしたが、娘の悲劇的な結末を見届けなければならない、辛い立場にあったと思います。



マリー・アントワネットがまだ幼い頃、神童モーツァルトを宮殿に呼び、御前演奏をさせましたが、



この時幼いモーツァルトが転んでしまい、マリー・アントワネットが助け起こしたという逸話が残っています。



この時モーツァルトは「ありがとう。大きくなったらあなたをお嫁さんにしてあげるよ」と言った



と言われています。



またエリザベートは、同じ家系のルードウィッヒ2世と親しかったのですが、このルードウィッヒ2世は



有名な白鳥城・・・ノイシュバンシュタイン城の主で、ワーグナーを非常に擁護し敬愛したことでも知られています。



ハプスブルグ家はヨーロッパの中でも、その勢力をながきにわたって誇り、絶大な権力を持っていましたが、



フランツ・ヨーゼフの甥フェルディナンドが射殺されたことにより、サラエボ事件が起こり、



第一次世界大戦がはじまりました。



その後、王制は崩れ世紀末と共に、ハプスブルグ家も終焉を迎えました。



ハプスブルグ家は、スペイン系とオーストリア系にありますが、その起源はスイスの田舎町にある



お城とされています。



ハプスブルグとは「鷹の城」という意味だということです。



私の僅かな知識と検索で確認したことをまとめてみました。



Hちゃんへの回答になったでしょうかね~?



これは私が絵画が好きだということと、10年以上前によくヨーロッパに旅行に行っていたことから出た



興味での断片的な知識ですので、詳しく知りたい方は自分でまた調べてくださいね。



ウィーンへは2度ばかりちょこっと立ち寄りましたが、美術史美術館へは行っていません。



死ぬまでに行っておきたいものです。



今日の話、つまらなかったですかね・・・



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