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函館出身の秦冬は、聖公会の牧師夫人となったホイットニー家の末っ子アディから、讃美歌を習い「女学雑誌」に出会うきっかけが与えられました。
若松賤子訳の「小公女」の口語文に心をときめかしました。
そして、憧れの明治女学校に入学したのが、明治26年です。
明治女学校は、勝海舟の援助によって、アメリカに留学して牧師になった木村熊二が作ったキリスト教が土台の学校です。
勝海舟が支援していて、武道のための道場も寄付しました。
明治26年は、翻訳家の若松賤子の夫でクリスチャンである巌本善治が二代目校長をしていました。
その頃、勝海舟の三男と結婚したクララがミセスカジとして英語や編み物などを教えていたのです。
秦冬は、その学校で教師をしていた島崎藤村の最初の妻となった方です。
不思議なつながりですね。