
19世紀の神の器スポルジョンの本を、今読んでいます。
ジョージ・ミュラーと同じ時代ですが、少し若い方です。
当時は、イギリス国教会(聖公会)の者しか大学に入ることができませんでした。
スポルジョンの家は、代々独立教会の牧師の家系で、神様のことを語ったため牢に入れられた方もいました。
彼は、牧師であるおじいさんに育てられ、聖書に精通していました。
10代後半から田舎の教師をしながら、巡回伝道師をしていたので、お父さんは、神学校に入れようとしましたが、神様がストップされました。
そして、20歳頃、ロンドンの教会の牧師になって欲しいという要請が来ました。
ロンドンには、有名な牧師たちがたくさんいました。
スポルジョンは、大学も神学校も出ていないし、田舎丸出しの丸顔で、小柄で太っていたし、人間的にはなんの魅力も無い方でした。
しかし、それまでの修飾の多い言葉ではなく、普通の言葉でメッセージをしたのです。
そのため、1200人入るところに200人しかいないガラガラだった教会が、数ヶ月でいっぱいになり、建増しをすることになりました。
それでも、ロンドンの牧師たちは、彼をバカにしていました。
彼の後にメッセージをすることになっていた牧師は、怒って帰ってしまったこともありました。
しかし、スポルジョンは、人を恐れず神様との交わりは、心や揺らぐものだと言いました。
そんな、見栄えのしないスポルジョンを神様は用いられたのです。