勝海舟の次女・孝子(こうこ)は、旧大名の子である疋田正善(ひったまさよし)と結婚しています。
勝は、幕府互壊の時、この疋田から2千両借りていて、月々利子を20円づつ返していますが、一家は勝邸内に住んでいました。(単純計算で行くと、二千万円借りて、利子を月々二十万円づつ返していること。)
孝子も、子供たちもワデルから洗礼を受けています。
長男に疋田玄亀(げんき)と言う方がいますが、勝海舟の死後も、勝邸内に住んでいてお父さんと一緒に俳句の本を出しています。
この玄亀の奥さんの御父さん、つまり玄亀の義父である戸川残花は、麹町教会の牧師でしたが、明治30年頃、伝道活動をやめています。
そして、出筆活動をし、日本女子大の創立に参画して、教授になり信徒として弓町教会に属しました。
明治30年から3年間、勝や古老たちの手を借りで「旧幕府」という雑誌を作っています。
この、明治30年というと、徳冨蘆花が1月に勝邸を出ている年ですが、戸川は43才で、勝から、「もっと目を開けて徳川のことを見なければならない。いかにも小さいからね。」と言われています。
一族に大物がいると、なかなかつらいものがありますね。
写真は、現存する勝家の門と銀杏です。
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最近、ふと、思いました。勝さんは、どうして、そんなに
お金をもっていたのだろうと。今日謎がとけてうれしいです。 デボラ