明治時代の資料を読んでいると、肺病で亡くなる方が、たくさん出てきます。
まだ、隔離するということが行き渡っていない時代なので、家族の者たちにも、移ってしまうのです。
留学中に肺病になって帰国して亡くなった方もいます。
鹿鳴館の華と言われた大山捨松の義理の娘信子も、肺病になり結婚先から返されてきました。
捨松は、医学の学びをしているので、離れを作って看病しました。
それが、継子いじめだと言われたのです。
その話を聞いた徳冨蘆花は、捨松を意地悪な継母にしたてて小説を書きました。
それが、「不如帰(ほととぎす)」です。
大ベストセラーになり、一躍蘆花は有名人になりました。
そのおかげで、捨松は、意地悪な継母というレッテルを貼られてしまうのです。
今だったら、名誉毀損で訴えられていたでしょう。
今は、良いお薬もあるので、そんな悲劇もほとんど無くなっています。
医学の進歩は、重要ですね。
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