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彼は、信仰に行き詰まっていました。
そこで、聖書を学ぶ学校を作ると、40人くらいが集まり共同生活をするようになりました。
聖書を学ぶ中で、聖霊のバプテスマ・聖霊の満たし・他国のことば・異言という文字に行き当たりました。
これはどういう意味があるのだろうと、彼らは祈り学び始めました。
12月31日の夕方7時に、「彼らの上に手を置くと」ということばを見つけて、彼らも真似をして祈り出しました。
すると、祈られた方々が、聖霊に満たされ、異言で祈り出したのです。
三日間で、そこにいた全員が、異言で祈り出したのです。
しかし、彼らは、新聞雑誌で批判中傷され、チリジリバラバラになってしまいました。
そこで、パーハムと奥さんは、保養地に行き、病のいやしを求めている方々のために祈りました。
目が悪かった女性がいやされ、その後も、次々といやしが起きたのです。
パーハムは、いろいろな所に招かれましたが、彼は学校を作る事に重荷を持っていました。
1905年、パーハムは、ヒューストンに学校を作りました。
そこに、黒人で、片方の目が見えないシーモアが、学びに来たのです。 つづく
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