「青年よ、大志をいだけ」と言ったクラークは、森有礼の係わりで日本にやってきました。
札幌農学校にいたのは、約半年でしたが、そこから多くの器やキリスト者が生まれました。
新渡戸稲造、宮部金吾、内村鑑三などです。
もともとが、教会につながっていなかったので、学生たちが自発的に説教などを行っていました。
ですから、そこから内村鑑三のような無教会派が生まれました。
これを、札幌バンドといいます。
バンドとは帯などの意味がありますが、集団のことです。
また、静岡では、旧幕府の侍たちが幕府崩壊後移住しており、そこに宣教師が行って教会ができ静岡バンドと呼ばれました。
ここには、坂本龍馬を斬った今井信郎もいました。
龍馬の甥の坂本直もクリスチャンになり、家督を継いでいましたが、龍馬の法要に今井信郎を読んでいます。
龍馬の従弟・沢辺琢磨は、ロシア正教の最初の日本人司祭です。
横浜では、ヘボンやバラを通して、最初のプロテスタントの活動が始まり横浜バンドと呼ばれました。
東京の築地では、生まれたのが築地バンドです。
熊本では、ジェーンズの影響よって熊本洋学校の学生たちが、花岡山で信仰告白したのが原因で学校が閉鎖されてしまいます。
これを、熊本バンドと言いますが、多くの学生が迫害をさけて京都の同志社に入りました。
彼らの中では、自由主義の影響を受けった方が多く、政治家になった人もいました。
明治の初め、いろんなバンドが、各地で生まれましたが、クラークもジェーンズも、その後は失意の人生を送ったと言われています。
クラークは、「札幌時代が、我が人生の最良の日々であった。」と、側近に漏らしています。
人生には、紆余曲折がありますが、神さまの働きをしている時が最良の日々なのですね。
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