
ところで、シーボルトや勝海舟が長崎で宿にしていたのが聖林山本蓮寺の塔頭大乗院ですが、その寺は、長崎三大寺の一つです。
西坂の丘の向かって右手の坂を駅に並行して下りて行くとあります。
私もよく前を通りましたが、ここはもともとハンセン病院と小さな教会がありました。
現在サン・ラザロ病院サン・ジョアン・バプチスタ教会跡の石碑が立っています。
1591年ポルトガル船の司令官がここに病院を建て、そこに26聖人の一人バプチスタ神父が滞在してサン・ジョアン・バプチスタ教会が建てられました。
ところで、神父と言うのは明治になって方使われたそうです。
現在は、南蛮の井戸が残っていますが、この周りがサン・ジョアンの町と言われていたところです。
1569年に建立されたトードス・オス・サントス教会(最初の教会で現・春徳寺)と1594年に建立された山のサンタ・マリア教会(現・長崎歴史文化博物館)が長崎の三大教会と呼ばれたそうです。幕末に上野彦馬が撮った聖林山本蓮寺の写真が残っています。
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