昨日、「中居正広のミになる図書館」を観ていたら、どんど焼き、お好み焼きのルーツの話をしていた。
それって知っているもんね。
という鼻高々の気持ちで観ていた。
食文化研究家の人が説明していたが、私の知っている通りの事。
ルーツは安土桃山時代にあり。
千利休が、「茶会百会記」という席で供された茶菓子で、「麩の焼き」という小麦粉を水で溶き、薄く延ばして焼き、山椒入り味噌をはさんだ、クレープのようなものが最初と言われている。
その後江戸時代末期から明治にかけて、味噌の替りに餡を巻いてつくる「助惣焼」が生まれ 屋台などで売られていた。
明治にはいってからは、屋台や駄菓子屋の店頭で「洋食焼き」が売られるようになり、それは1枚1銭で売られていたので「一銭焼き」ともいわれ、今のお好み焼きに近いものだった。
お好み焼きがお菓子から主食へと変ったのは、 材料が餡などから野菜が多く使われるようになったから。
関東大震災の際には主食的位置を占めていたともいわれている。
さらに戦後、空腹をいやす食べ物として、子供達の間で人気のあった駄菓子屋の「一銭洋食」、いわゆる小麦粉を水で溶いて焼いたものにねぎなどをのせてソースをかけて食べるものから、小麦粉にキャベツを混ぜて焼いてソースをかけて食べるように変わっていった。
この時は「お好み焼き」を主流に調べたが、どんど焼きがお好み焼きのルーツでもあることは省いてしまった。
なにしろ大阪特集だったので、「お好み焼き」中心の文章にしなくてはならなかったからだ。
毎号コラムとして、各地のいろいろなできごとや、習慣、面白い話を調べているのは、大変だが面白い。
そして雑学が増える。
今度は沖縄について書かなくては。
だいたい構想はできている。
「幸せを呼ぶシーサー」というタイトルで書こうと思っている。
雑誌になるのは7月頃。
どこかで見つけたら、読んでくださいね。
*この「お好み焼き」のコラムはまだ発売されていない雑誌のものです。
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