「 蓼科山を登る 」向こうに槍ヶ岳が見える
森川 由美子さん 撮影
水際検疫の不手際、待機の要請や出歩き禁止が守られず、その監視体制の不備、ホテルでの
一般人との接点等様々な危険要素がぼろぼろ出ている。
これは半分やむを得ないこと、多分国もこれは覚悟の上、想定内なのだろう。
この状態では完璧な対応など出来る筈がない。政府や五輪大臣、組織委員会などは開催後には
その責任を取る覚悟なのかも知れない。
今日は,話は違うがアメリカでの警官による黒人青年殺害を始め世界中で様々な人種差別が起きて
いるのが気になった。これは古くて新しい永遠の課題なのかも知れない。
最近不思議におもったのは、有色人種がアジア人などを差別発言することである。
アンチ中国という風潮もあるだろうが。
例えばこの間はサッカーのフランス代表の2選手が、日本人スタッフを見て
「醜い顔!」「なんて変な言葉だ!」と真似して馬鹿笑いをしている様子が
SNSで拡散し、アジア人差別だと問題化したという。
その2選手が謝罪している映像を見たら、1人は何と黒人だったのだ。
これを奇異に思ってしまうこと自体も差別に繋がるのかも知れないけれど。
先日は、大活躍の大谷選手に対して有名なスポーツ評論家がこんなコメントをしていた。
「アメリカはああした選手は要らない。英語でコメントもしない、何を言っているのか、
何を考えているのかも分からない選手はアメリカの選手ではない、異種なる選手は要らない」
というものだ。これに対して大反撃が起こったそうだ。
謝罪の姿を見たらこの人も何と黒人系の人物だった。
ここで面白いのは二つの例でも、差別や蔑視した本人が日常生活では自分がそれを受けて
居るかも知れないと言うことだ。
弱い人は、より弱い人をいじめ、貧乏人はより貧乏人をさげすみ笑うという。
人間にはこうしたところがあるようだ。
自分が虐められたから自分も人を虐めてやろう(悪いとは知りつつも)という心理なのだろうか。
児童虐待する親は、子供の頃に親に同じことをされたという人が圧倒的に多いという。
人間って、複雑でしかも単純で何とも摩訶不思議な生き物であるようだ。