『あの日のブルーインパルス』
高橋 裕一さん 撮影 浜松町辺りで写す
21日のソフトボールから始まって、22日の男子サッカーとソフトと見て
23日の開会式はもう少しもう少しとなって、誰が最終ランナーなのかという
興味もあって、とうとう終わりまで見てしまった。
私の片目には疲れて涙が出てかなりの負担でだった。
揚げ句は長時間の座りっぱなしで翌日は腰が辛かった。
開会式は前日までのゴタゴタで果たしてうまくいくのかとという不安で
興味を持った。
前回の開会式の出し物に比べて、もっと解説、説明がないと意味不明、
理解不能の出し物が多く、いささか厭きるケースが多かった。
でも光と色彩と民族衣装や様々なユニフォームと人種とで、オリンピックの
雰囲気は出ていた。
日本独特の出し物というと、歌舞伎、横綱の土俵入り、門踊り、太鼓、山車や御輿、
盆踊りや雅楽、能、提灯の山車位だが、中村勘九郎の出番のみだった。
復興五輪といった面では、大きな箱を重ねたり離したり、大工スタイルで釘を打つ
仕草があったが、果たして世界に通じただろうか。
長島さんの姿が痛々しすぎた。大阪なおみの点火も一寸以外だった。
世界的に有名な人は、今はこの人位なのだろうか。
プロジェクターやドローンを駆使した日本の最高技術が、あまり認識されなかった様で
一寸残念な気もした。
しかし、直前までのゴタゴタ、組織委員会上部の不手際の連続で、どうなるかと
心配されたが、まあまあ大過なく終了して良かった。この辺は真面目な現場の人の成果だろう。
果たして外国には、異国の選手達にはどう写っただろうかと思った。
直ぐ、こう思ってしまうのが日本人の弱い、悪いところなのだろうが。