『 夏の名残雲 』
高橋 カリンさん 撮影
昔の会社のM氏が20日も前に亡くなり家族葬で済ませましたと
奥さんから葉書が届いた。うちの会社では社長だった人は別にして、
OBの死去は会社としては、きりがないので一切通知はしないと言う
ことになっている。
従って個人的な付き合いや手紙や電話などの遣り取りも段々希薄になると、
OB連がどうしているかの情報が入りにくい。
年賀状の欠礼とか返信がないとかに因ってしか分からない訳だ。
M氏は私より二つ年下で何時も明るく元気で、仕事も良くできるナイスガイ
であった。私と同じで糖尿や心臓にステントを入れている共通の病があった
だけに余計ショックであり残念だった。
4年くらい前に私の水彩画グループ展が駅前であったときに来てくれたのが
最後だった。仕事でも丁々発止とやり合い、怒り喜び、涙を共にしたものだが、
それも今や夢の中で、まことに虚しいものだ。
人の寿命は生まれた時から、既に運命として決まっているのだと言う死生観が
あるが、その運命を知らずに善人も悪人も丈夫な人も弱い人も、一生懸命その
人生を生きて全うするのかも知れない。するとどんな名誉も栄光も金も地位も、
楽しみも苦しみも、好意も悪意も全てのことが消えてしまう。
と思うと何と人生なんて、やりきれない程にはかなく虚しいものであろうか。
だからこそ「今日この一日を精一杯生きなさい!」と先人は教えているのだろうか。