公衆トイレ問題の次に、公衆浴場問題が出てきました。
ひとつ、事実として言えるのは、女性スペースに対して「人々のコンセンサスが統一していないもの」が入ってくること、だと思う。
そしてどちらにも共通するのが、「女だけの問題」に矮小化されていること、つまり、女が我慢すればすむことにされることです。
悲しいのは、女性とトランス女性の対立になり、女の子の母親と男の子の母親、あるいは夫のいる妻とシングルマザーの対立にさせられることです。
「これは差別だろうか?」考えます、毎日考えています。
これ、
逆は起こらないってのが、ほんと、全ての答えになってる気がするんだよ
男性スペースに、「人々のコンセンサスが統一していないもの」が入ってくること、は、問題として浮上しない。なぜなら、加害が起こらない(100%ではない)から。
共存の道はないのか?
今日一日