風景の話を読んできたけど、これもまた神さまがいま私に与えたミッションみたいな気がする
杉田水脈氏のヒストリーをポリタス出演の山口さんの解説で聞いたんやけど、慰安婦像@アメリカへの政治的アプローチが、一つ大きな出来事で、さらに、日本のメディアが足並み揃えて「決して報道しない」事実。これは、忘れないように風景をつくろうとすることと、逆になかったことにしようもすることとの対決だ。
今年は戦争遺跡のフィールドワークツアーに二度参加したんだけど、そこも、保護されることなく朽ちつつあったり、史実ではないものをあたかも史実のようにみせようという公的な動きがじわじわ、じりじりとあって、とても似ていた。
みたくないひと、うけいれられないひとのほうが、つよいのか?
最初は英語のトピックで、開拓者像を引き倒すムーブメントが起きてるというのを読んだんだった。「ただの銅像なのに、そんなに精神的にくるものなのか」という印象だったけど、いまはちがう。人間をあんまり頭、よくない。ぱっと見上げて入ってくる視覚情報、大きい、変わらないものに、影響されてしまう存在で、無自覚に操作されていて、気づいたら「そんなものだと思っていた」ってなるんだ。
ずっとそこにあり続ける風景というものは、そうしようとするだれかの意志がないとたぶん不可能なんだろうな。
自覚的でありたいし、抵抗したいし、忘れない。
今日一日