本日もご来店いただき有難うございます。
今日一日、胃腸症状とそれ以上の恐怖やら不安やらと
つきあって、あれこれ書いたり、
本を読んだりして、
ちょっとわかったのは、
「こだわっているのは何よりも自分だ」
「恐怖心をつくり出しているのは自分の脳だ」
ということです。
今日一日の投稿の流れをみていて、
それが自分でよ~くわかり、興味深かったです。
要するに恐怖心、不安感、不信感にかられた人の言葉を
額面どおりうけとってしまっただけです。
こういうことはよくあることですから、
これは「流すべき」場面です。
しかし私は過去恐怖感がよみがえってしまって、
「ここは流すべき」という判断を
下すことができませんでした。
私はふだん、比較的不安感や恐怖感からは
無縁の生活をおくっています。
これはおそらく、不安や恐怖心に関係する
「パニック障害」
という病気と長年つきあったため、
人間の不安や恐怖は実は実体のないものがほとんどであり、
生き方や考え方ひとつでほとんどはどうにでもなると
学習したからだと思います。
しかし、それがわかっていても、
幻滅し、恐怖感、不安感に、
まけそうになってしまうところが、
やはり人間というものなんですね。
そして、やはり一方で、これらの感情は
人間が本来もっている本能ですから、
この警告を無視してしまわず、
警告として受け止めるべきだと私は思います。
しかし過度の恐怖、不安は人間の心を蝕み、生産性を落とし、
不信感はチームワークを乱し、大きな失敗を誘発します。
今日の私にみられるように、
こだわりのある心は判断力を狂わせます。
実は昨日から今日にかけ、
私がみのがしていた大切なことがひとつあります。
ふだんならば、金曜日の時点で気づいて
手を打っているところが気づいたのは今日の午後です。
「こだわり」がいかに人の判断力を
狂わせるかという見本です。
逆にこだわりのない目で常に物事をみて、
こだわりのない頭で判断していけば、
比較的、公平でバランスがよい判断、行動ができるのだなと
思いました。
野球が延長になったので、
「監査法人」が遅れているみたいですね。
それでは、みなさま、良い休日を。
来週はこだわりのない心で、無心に仕事にとりくみたいです。
そのためにも休日はゆっくり休みましょう。
今日一日、胃腸症状とそれ以上の恐怖やら不安やらと
つきあって、あれこれ書いたり、
本を読んだりして、
ちょっとわかったのは、
「こだわっているのは何よりも自分だ」
「恐怖心をつくり出しているのは自分の脳だ」
ということです。
今日一日の投稿の流れをみていて、
それが自分でよ~くわかり、興味深かったです。
要するに恐怖心、不安感、不信感にかられた人の言葉を
額面どおりうけとってしまっただけです。
こういうことはよくあることですから、
これは「流すべき」場面です。
しかし私は過去恐怖感がよみがえってしまって、
「ここは流すべき」という判断を
下すことができませんでした。
私はふだん、比較的不安感や恐怖感からは
無縁の生活をおくっています。
これはおそらく、不安や恐怖心に関係する
「パニック障害」
という病気と長年つきあったため、
人間の不安や恐怖は実は実体のないものがほとんどであり、
生き方や考え方ひとつでほとんどはどうにでもなると
学習したからだと思います。
しかし、それがわかっていても、
幻滅し、恐怖感、不安感に、
まけそうになってしまうところが、
やはり人間というものなんですね。
そして、やはり一方で、これらの感情は
人間が本来もっている本能ですから、
この警告を無視してしまわず、
警告として受け止めるべきだと私は思います。
しかし過度の恐怖、不安は人間の心を蝕み、生産性を落とし、
不信感はチームワークを乱し、大きな失敗を誘発します。
今日の私にみられるように、
こだわりのある心は判断力を狂わせます。
実は昨日から今日にかけ、
私がみのがしていた大切なことがひとつあります。
ふだんならば、金曜日の時点で気づいて
手を打っているところが気づいたのは今日の午後です。
「こだわり」がいかに人の判断力を
狂わせるかという見本です。
逆にこだわりのない目で常に物事をみて、
こだわりのない頭で判断していけば、
比較的、公平でバランスがよい判断、行動ができるのだなと
思いました。
野球が延長になったので、
「監査法人」が遅れているみたいですね。
それでは、みなさま、良い休日を。
来週はこだわりのない心で、無心に仕事にとりくみたいです。
そのためにも休日はゆっくり休みましょう。