まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

馬蹄ストラップ

2010-01-26 23:56:23 | 幸せの倫理学
私はケータイを使いはじめて5年くらいになります。
けっこう抵抗していたので、現代文明に屈してから、まだそれほど日が経っていないわけです。
ケータイを買おうかどうしようか悩んでいた時期、
もしもケータイを買ったらこれをしようと心に決めていたことがありました。
スワローズ・ケータイに作り上げるという夢です。
ストラップもスワローズもの、
待ち受け画面もスワローズもの、
着信音もスワローズものにしようと思っていました。
けっきょく、その夢はすべて簡単に叶い、
誘惑に負けてケータイを買ってしまった直後に、
私の初号機はみごとなスワローズ・ケータイとして転生を遂げたのでした。

しかし、弐号機に乗り換えるころには古田の解任劇などがあり、
スワローズに対する思い入れが一気にしぼんでしまっていました。
ですので、待ち受け画面や着信音をスワローズのサイトから取り寄せるという
ひと手間をかける気にもなれないまま、
ストラップだけ付け替えて、あとは初期設定のままという、
まったくやる気の感じられないオーナーに成り下がってしまいました。
そして昨年の秋ごろ、私のやる気のなさが伝わってしまったのか、
つば九郎のストラップからつば九郎が取れてしまい、
Swallows と記されたベルトみたいなものだけが残っているという状態になってしまいました。
なんとかしてあげなきゃいけないなあと思いながらも、
わざわざ新しいスワローズ・ストラップを入手するために神宮に行く気にもなれず、
もちろんネットで購入するなんていう甲斐性もなく、
私の弐号機はとても残念な感じになってしまっていたのでした。

ちょうどそんなときにある方から、ケータイ用とは限らないのかもしれませんが、
ストラップ的なものを頂戴してしまいました。
その名も 「イタリアから届いた幸運のお守り」 だそうです。
説明書つきで、こんなふうに書いてありました。

「ヨーロッパで幸運をもたらすと言われている馬蹄に、
 恋愛、健康、仕事、夢を叶える、学問、金運などの
 願いが込められたチャームが更についています。」

「ヨーロッパでは、馬蹄は幸運を運んでくれると言われています。
 馬蹄部分を両手で挟み良いことがありますように!とお願いして下さい。
 そして、いつも一緒に持ち歩いてください。
 一つ一つ職人さんの手作りです。
 皆さまに、幸運が訪れますように祈っています!」

馬蹄はすべてに共通ですが、ラッキーチャームのほうはたくさんの種類があるみたいで、
私がいただいたやつは、「夢を叶える」 という羽根のチャームがついていました。
近代合理主義者の私は、お守りとかまったく信じておらず、
初詣とかもまったく行かないタイプの人間なので、
この手の類のものを 「いつも一緒に持ち歩い」 たり、
「両手で挟んで良いことがありますように!とお願い」 したりはしないのですが、
ちょうどストラップが壊れてしまって次のアテがないときに、
こういうものを頂戴したというのは、何かの縁なんだろうと思い、
(近代合理主義者は 「縁」 なんかも信じてはいけないはずですが…)
試しに付けてみることにいたしました。
それが冒頭の写真です。

誰にも理解も共感もしてもらえないスワローズ・ケータイよりは、
こちらのほうがオシャレな感じかもしれません。
自分が信じているかどうかは別として、
「馬蹄っていうのはね…」 とか、「この羽根は実はね…」 とかって説明してあげると、
ほとんどの女の子が食いついてきてくれることでしょう。
つば九郎ストラップはまったくスワローズの優勝とかを運んできてくれませんでしたが、
馬蹄ストラップのほうはひょっとすると具体的な幸せを本当に運んできてくれるかもしれません。
しばらく、これで様子を見てみようかと思います。

ところでこの馬蹄、お守りとしてどうかということとは別に、
ひとつすでに気に入っていることがあります。
プラスチック製のつば九郎とちがい、この馬蹄は本物の金属でできていますので、
ケータイを持ち上げた瞬間に馬蹄を机の角とかにぶつけると、
音叉みたいにすごくきれいな音が鳴ることがあるのです。
毎回鳴るわけじゃなく、どうぶつければ音がするのかもまだ解明できていませんが、
とにかく何かの拍子に、金属が共鳴しあっているようなきれいな音を奏でることがあるのです。
今、その音を再現してみようとあちこちにぶつけてみていますが、うまく鳴ってくれません。
普通に物と物がぶつかってる音がするだけです。
あの音叉のように美しく響く音は、どういうときに鳴るのでしょうか?
鳴らそうと思って鳴らすことはできないのだけれど、
たまたま偶然に美しい音を奏でてくれることがあるというのは、
なんだかとても有り難い感じがしますね。
その音を聞けるということ自体が幸運なのかもしれません。
なるほど、「イタリアから届いた幸運のお守り」 ですか。
近代合理主義者をも納得させることのできるパワーを秘めているのかもしれませんね。