まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

愛とは飲食をともにする時間である

2011-09-01 07:55:31 | 性愛の倫理学
先日、「愛とは時間である」 と書きましたが、今回はその応用編です。

「愛とは飲食をともにする時間である」。

この言い方はちょっと言い過ぎであり、不正確であるかもしれません。

正確に言うなら、「愛にとっては飲食をともにする時間が重要である」 くらいかな。

前回は、相手のために割く時間の総和が愛であるという話をしたわけですが、

その場合は、片思いのように一方的に相手のことを考えているだけでもよかったわけです。

今回は、そういう一方通行の愛は排除して、双方向的な愛が成立している場合に話を限定します。

愛し合っている2人が相手のためにともに割き合い共有する時間のなかで、

最も長い時間をかけるのは食事の時間のような気がするのです。

若くて、まだつきあい始めて間もない頃は、デートとかエッチとかに時間を費やすかもしれないけれど、

デートの中でもけっきょく飲んだり食べたりする時間が一番長いだろうし、

エッチの時間はつきあいが長くなってくるとどうしても次第にねぇ…。

というわけで、やはり愛し合う2人にとっては飲食の時間がとても大事だろうと思うのです。

もちろん飲食の時間というのは、飲んだり食べたりしながら2人で話をする時間を含んでいます。

というか、ゆっくり話をしながら食事をするのでなかったとするならば、

食事時間なんてあっという間に終わってしまうでしょう。

一番かわいそうなのは、片方 (たいていは女性) が食事の支度を全部任されて、

時間をかけて一所懸命準備をしたのに、出来上がった頃に食卓にもう1人が現れて、

物も言わずに (あるいはテレビを見ながら) 5分か10分くらいでガーッと食事をかっこんで、

「ごちそうさまあ」 とどこかに (テレビかパソコンかPSP) いなくなってしまうパターンです。

これは相手のために割いている時間がまったく不均衡ですから、

完全なる片思い状態と言っていいでしょう。

女性の側の愛がこんな仕打ちにも耐えられるくらい深くて強いうちはいいですが、

こんな関係が長続きしないのは目に見えています。

私のオススメは、メニューを考えるところから始まって、買い物も料理も全部一緒にして、

お酒でも飲みながらのんびりゆっくりいろいろ話をしつつ食事をするというやり方です。

これだとガーッに比べて、飲食をともにする時間が何十倍にも増えることがわかってもらえるでしょう。

つまり、愛が増えるわけです。

どうです、愛にとって飲食をともにする時間ってとっても大事なような気がしてきたんじゃないですか?

いままでガーッで生きてきた男性諸君、心から女性に感謝するとともに、深く反省し、

これからは 「飲食をともに」 して2人の時間を大切にするよう心がけてみてください。