先日は元福島大学の福田一彦先生がコメント欄で、
金縛りや明晰夢などについて詳しくレクチャーしてくださりました。
こんなブログのコメント欄に載せておくにはもったいないような、貴重なお話でしたね。
皆さんにとってもたいへん参考になったのではないかと思います。
「金縛り」 でブログ内検索するとあのページを読むことができますので、
「福田先生といえば金縛り」 と覚えておきましょう。
ところで、金縛り問題に限らず、このところ夢の問題をちょくちょく取り上げているのですが、
4月に 「Q.見たい夢を見るにはどうしたらいいですか?」 という質問にお答えしたことがありました。
とりわけ、夢に出てきてほしい人に登場してもらうにはどうしたらいいかという問題に関連して、
高校の古文の時間に習った昔の日本人の夢見の捉え方についてご紹介しました。
相手のことを思っていると相手の夢を見ることができるというのではなく、
相手のことを思っていると相手の夢の中に出ることができる、
逆に言うと、誰かの夢を見た場合、その誰かが私のことを思ってくれているのだという考え方です。
この話って、ある短歌を学んだときにたしか緑が丘高校の菊池先生から教わったのだと思うのですが、
その記事を書いて以来、なんの短歌だったかなあというのがものすごく気になっていたのです。
で、ネット検索して、そうだった、そうだった、あの短歌だったというのが判明したので、
そのことをブログに書いたような気がするのですが、ブログ内検索してみても見当たりません。
ブログに書いたと思ったのはただの夢 (明晰夢) だったのかなあ?
それとも誰かとのやりとりの中でコメント欄に書いてしまったのでしょうか?
コメント欄に書き込んだことはブログ内検索ではヒットしないようなのです。
たしかに書いたような気がするのですが、いくら探しても見当たらないのでもう一度書くことにします。
ブログを書いたかどうかがわからないなんて、いよいよ危機的な状況なのかもしれません。
脳ドックが必要なのか?
さて、問題の短歌ですが、『伊勢物語』 に出てくる在原業平が詠んだ歌でした。
たぶん皆さんもどこかで (高校の教科書?) 聞いたことがあるのではないでしょうか。
駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
高校時代に私が菊池先生から習ったのはこの歌だったということは間違いないでしょう。
ただし、この歌に関する信頼に足るようなホームページを見つけることはできませんでした。
私が知りたかったことを直截的に書いてあったのはYAHOO知恵袋でした。
遠くまで来てしまって、現実でも夢でも思っている人に会うことができないことを詠んだ歌で、
夢に出てきてくれない (つまり、もう私のことを思ってくれていない) 相手に対する恨み節です。
「宇津の山辺」 が 「うつつ (現実)」 を導き出す序詞になっているということは、
高校時代にも学んだ気がしますが、言葉の響きがとても楽しく感じられます。
そして、昔の日本人の独特な夢見の捉え方。
もう忘れないように、時々くちずさんでみたいと思います。
それにしても、この話ってどこかで書いていませんでしたっけ?
金縛りや明晰夢などについて詳しくレクチャーしてくださりました。
こんなブログのコメント欄に載せておくにはもったいないような、貴重なお話でしたね。
皆さんにとってもたいへん参考になったのではないかと思います。
「金縛り」 でブログ内検索するとあのページを読むことができますので、
「福田先生といえば金縛り」 と覚えておきましょう。
ところで、金縛り問題に限らず、このところ夢の問題をちょくちょく取り上げているのですが、
4月に 「Q.見たい夢を見るにはどうしたらいいですか?」 という質問にお答えしたことがありました。
とりわけ、夢に出てきてほしい人に登場してもらうにはどうしたらいいかという問題に関連して、
高校の古文の時間に習った昔の日本人の夢見の捉え方についてご紹介しました。
相手のことを思っていると相手の夢を見ることができるというのではなく、
相手のことを思っていると相手の夢の中に出ることができる、
逆に言うと、誰かの夢を見た場合、その誰かが私のことを思ってくれているのだという考え方です。
この話って、ある短歌を学んだときにたしか緑が丘高校の菊池先生から教わったのだと思うのですが、
その記事を書いて以来、なんの短歌だったかなあというのがものすごく気になっていたのです。
で、ネット検索して、そうだった、そうだった、あの短歌だったというのが判明したので、
そのことをブログに書いたような気がするのですが、ブログ内検索してみても見当たりません。
ブログに書いたと思ったのはただの夢 (明晰夢) だったのかなあ?
それとも誰かとのやりとりの中でコメント欄に書いてしまったのでしょうか?
コメント欄に書き込んだことはブログ内検索ではヒットしないようなのです。
たしかに書いたような気がするのですが、いくら探しても見当たらないのでもう一度書くことにします。
ブログを書いたかどうかがわからないなんて、いよいよ危機的な状況なのかもしれません。
脳ドックが必要なのか?
さて、問題の短歌ですが、『伊勢物語』 に出てくる在原業平が詠んだ歌でした。
たぶん皆さんもどこかで (高校の教科書?) 聞いたことがあるのではないでしょうか。
駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
高校時代に私が菊池先生から習ったのはこの歌だったということは間違いないでしょう。
ただし、この歌に関する信頼に足るようなホームページを見つけることはできませんでした。
私が知りたかったことを直截的に書いてあったのはYAHOO知恵袋でした。
遠くまで来てしまって、現実でも夢でも思っている人に会うことができないことを詠んだ歌で、
夢に出てきてくれない (つまり、もう私のことを思ってくれていない) 相手に対する恨み節です。
「宇津の山辺」 が 「うつつ (現実)」 を導き出す序詞になっているということは、
高校時代にも学んだ気がしますが、言葉の響きがとても楽しく感じられます。
そして、昔の日本人の独特な夢見の捉え方。
もう忘れないように、時々くちずさんでみたいと思います。
それにしても、この話ってどこかで書いていませんでしたっけ?