昨年、「バラのための時間」 という記事を書きました。
そのなかで、「実を言うと私は 『星の王子さま』 を読んだことがない」 のだけれど、
それは自分が 「ファンタジーとは無縁の人間だった」 からなんでしょうと書いたところ、
コメント欄である方に、「ハリポタに涙して、ファンタジー嫌いを称するとは?という突っ込みはおいといて…
星の王子様、短い本ですし、一度読んでみたらいかがでしょう?」 と勧められました。
そりゃそうだなあと思い、早速入手しておいたのですが、
案の定なかなか読み進めることができず、この年末年始にやっと読み終えることができました。
やはり私にファンタジーは合わなかったのだなあと深く納得しましたが、
その点についてはまたの機会に書きたいと思います。
今日問題にしたいのは翻訳のことです。
上記ブログでは、ある方に教えていただいた、
王子さまとキツネの会話を取り上げました。
ほんの短い一節ですが、その部分をメールで送ってくださったのです。
それをもう一度引用しておきましょう。
(引用開始)
キツネは言いました。
「じゃ秘密を言うよ。簡単なことなんだ。ものは心で見る。肝心なことは目では見えない。」
「肝心なことは目では見えない」
と、王子様は、忘れないために繰り返しました。
「君がバラのために費やした時間の分だけ、バラは君にとって大事なんだ」
「ボクがバラのために費やした時間の分だけ、バラは…」
と、王子様は、忘れないために繰り返しました。
(引用終わり)
この部分が私の 「愛とは時間である」 という主張と似ているのではないかという話でした。
とても印象的なシーンですね。
ひじょうにスッキリした会話で、たいへん奥深いです。
ここのシーンを期待して私は 『星の王子さま』 を読み進めていたのです。
ところが、翻訳が全然違っていて、一瞬気づかないまま通り過ぎてしまうところでした。
私の読んだ訳書では当該箇所は次のように訳されていました。
(引用開始)
キツネがいいました。
「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ」
「かんじんなことは、目には見えない」 と、
王子さまは、忘れないようにくりかえしました。
「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、
そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」
「ぼくが、ぼくのバラの花を、とてもたいせつに思ってるのは…」
と、王子さまは、忘れないようにいいました。
(引用終わり)
あまりにも違いすぎませんか?
特にキツネのあのセリフ。
「ひまつぶし」 って…。
しかも、限定なのか理由なのか、文全体の論理構造が全然違っているし…。
原文のフランス語や英語がどう書かれているのか知りませんが、
日本語だけで読むかぎり、最初の引用のほうがはるかにわかりやすいですよね。
うーん、翻訳おそるべしっ。
私が買ったのは岩波書店のオリジナル版 『星の王子さま』 という本です。
調べてみると、もともと岩波書店がこの本の翻訳権をもっていて、
私の読んだ内藤濯訳が日本人にとってのルーツの 『星の王子さま』 だったみたいです。
その翻訳出版権が2005年に切れて、その後新訳がザクザク出されたのだそうです。
その数がハンパじゃなくて、今ではこんなにたくさんの 『星の王子さま』 があるみたいです。
いろいろな訳があるということを知っていたとしても、私は意外と権威に弱いところがあるので、
オリジナルの岩波書店版を買ってしまっていたかもしれませんが、
これから買うつもりの方にはぜひ、
XXI 章の最後の部分を読み比べてみてから買うことをお薦めいたします。
そのなかで、「実を言うと私は 『星の王子さま』 を読んだことがない」 のだけれど、
それは自分が 「ファンタジーとは無縁の人間だった」 からなんでしょうと書いたところ、
コメント欄である方に、「ハリポタに涙して、ファンタジー嫌いを称するとは?という突っ込みはおいといて…
星の王子様、短い本ですし、一度読んでみたらいかがでしょう?」 と勧められました。
そりゃそうだなあと思い、早速入手しておいたのですが、
案の定なかなか読み進めることができず、この年末年始にやっと読み終えることができました。
やはり私にファンタジーは合わなかったのだなあと深く納得しましたが、
その点についてはまたの機会に書きたいと思います。
今日問題にしたいのは翻訳のことです。
上記ブログでは、ある方に教えていただいた、
王子さまとキツネの会話を取り上げました。
ほんの短い一節ですが、その部分をメールで送ってくださったのです。
それをもう一度引用しておきましょう。
(引用開始)
キツネは言いました。
「じゃ秘密を言うよ。簡単なことなんだ。ものは心で見る。肝心なことは目では見えない。」
「肝心なことは目では見えない」
と、王子様は、忘れないために繰り返しました。
「君がバラのために費やした時間の分だけ、バラは君にとって大事なんだ」
「ボクがバラのために費やした時間の分だけ、バラは…」
と、王子様は、忘れないために繰り返しました。
(引用終わり)
この部分が私の 「愛とは時間である」 という主張と似ているのではないかという話でした。
とても印象的なシーンですね。
ひじょうにスッキリした会話で、たいへん奥深いです。
ここのシーンを期待して私は 『星の王子さま』 を読み進めていたのです。
ところが、翻訳が全然違っていて、一瞬気づかないまま通り過ぎてしまうところでした。
私の読んだ訳書では当該箇所は次のように訳されていました。
(引用開始)
キツネがいいました。
「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ」
「かんじんなことは、目には見えない」 と、
王子さまは、忘れないようにくりかえしました。
「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、
そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」
「ぼくが、ぼくのバラの花を、とてもたいせつに思ってるのは…」
と、王子さまは、忘れないようにいいました。
(引用終わり)
あまりにも違いすぎませんか?
特にキツネのあのセリフ。
「ひまつぶし」 って…。
しかも、限定なのか理由なのか、文全体の論理構造が全然違っているし…。
原文のフランス語や英語がどう書かれているのか知りませんが、
日本語だけで読むかぎり、最初の引用のほうがはるかにわかりやすいですよね。
うーん、翻訳おそるべしっ。
私が買ったのは岩波書店のオリジナル版 『星の王子さま』 という本です。
調べてみると、もともと岩波書店がこの本の翻訳権をもっていて、
私の読んだ内藤濯訳が日本人にとってのルーツの 『星の王子さま』 だったみたいです。
その翻訳出版権が2005年に切れて、その後新訳がザクザク出されたのだそうです。
その数がハンパじゃなくて、今ではこんなにたくさんの 『星の王子さま』 があるみたいです。
いろいろな訳があるということを知っていたとしても、私は意外と権威に弱いところがあるので、
オリジナルの岩波書店版を買ってしまっていたかもしれませんが、
これから買うつもりの方にはぜひ、
XXI 章の最後の部分を読み比べてみてから買うことをお薦めいたします。