おはようございます(^^)
空(カラ)梅雨気味の毎日ですがようやく雨が来そうな空模様です。まぁ私の親戚や友達に
蛙や螻蛄(オケラ)はいませんから、雨が降ろうがどうなろうが 関係ないのですが、この時期は暦の
二十四節気に 穀雨だとか芒種(ぼうしゅ)がありまして、穀雨など読めばわかるのと
芒種は解説がないと見当すらつかないものがあります。この芒種とは、麦や稲
などの穂先を芒(ノギ、ボウ)と呼ぶそうで この場合は稲の苗植えの時期になりまし
たよ と告げている らしいのです。しかし今や日本は一流の工業国であり戦後は経済を第一と
した国是のため一次産業(農林水産業)はとても衰退しました。もともと日本は…日本に限らずどの国や地域でも
自給自作 地産地消が主体でその地域にないものを他所から入れてお互いの補完をしていたのです。
陸続きの大陸ではもちろんですが 日本のような島国でさえ数千年前には既に物々交換で各地の名産品の
取引をしていたのです。翡翠(ヒスイ)は古来より最も貴重な宝石として珍重されていました。
この翡翠は新潟県の南端からしか採れないのですが日本各地の遺跡から出土しています。
年代はまちまちですが、古いものでは縄文時代(5000年~) の青森県の遺跡から出土していまして
新潟から千キロ近く離れたところまで運んでいたのでは…と推測されています。運ぶ…今でいう物流でしょうか、
翡翠を加工する技術や職人もいたでしょうし対価として どのような物を貰っていたのか
物品を運ぶ道は決まっていたのでしょうか 途中食糧はどうしていたのか?夜はどうしていたのか?
戻る道はわかっているのか…などなど 興味は尽きませんね。
そのような各地の特産品が物々交換などの方法で流通していたことに注目が集まるのは仕方がないのですが
翡翠など高価な宝飾品を求めていた現実とそれに応えていたことが5000年前に経済活動として存在をしていたのです。
でも 基本は食糧で、縄文時代の生活は狩猟と魚介類の採取で飢えを凌いでいた のが私たちが学校で習った常識でした。
しかし今では遺跡の年代の推定検証の精度が上がりましたし貴重な遺跡がたくさん発掘されてきました。
その結果少なくとも5000年以前には食糧は計画的な栽培や養殖で採っていたことがわかっています。
さすがにコメはまだ入って来ていなかったようですが、大豆などの豆類は種を採って大きな品種を優先的人工的に栽培をしていた
ことがわかっています。他にはどんぐりや栗も栽培をしていましたし、それらを保存する加工技術も持っていました。
大豆を粉に挽いて練って 焼いたり蒸したりしてパンやピザみたいにして主食にしていた様子で 飽きたら木の実に変えたり干物を焼いたり
食後には 南から来た翡翠を眺めて 結構裕福で気楽な暮らしをしていたようですね。
今では衣食住 も死語になったみたいですが、人間の基本は食べること とは さる偉人のお言葉…
改めて穀雨や芒種の時期を大切にして 指折り数えながら待っていたのはほんの百年前のこと…
…とまぁ これらは某役員さんの車内でのご教授を頂いた折の お話で仕事をしながら教養が身につく
運転士にはこんな 特典があるのです(笑)