寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

お肉は大好きですか・・

2019年06月17日 04時40分17秒 | 笑い

  おはようございます^^

先日、空梅雨などと申しましたが ラジオを聴いていましたら(金曜)天気予報で近畿地方はまだ梅雨入りをしていません、

とアナウンサーが説明をしていました。 へへっ……このへへ とは嗤(わらった)わけではなくて 思わず出た感嘆符だと

ご了承下さい。人の思い違いと言いますか勘違いだったのでしょうか、先週の週間天気予報を聴いていたら、この雨で

(この雨とは金土あたり)梅雨入りをするでしょう…とのお告げでした。そうなんだ、この時期なら梅雨入りもあるよな、

と納得をしていましたから そのあとの 予報が外れて雨は降らなかって…それはわかっていましたが、

先入観が頭の中にぎっしり詰め込まれていたので、すっかり梅雨入りだと思ってしまった次第でした。

まぁ お年寄りですから言い訳がましいことを くどくど喋ってしまいました、お許し下さいませ。

 さて 本題に入りましょうか…先週金曜日のお昼ごろ 三谷役員さんが伊丹空港から帰京されました。

週末必ずご自宅(千葉県)に帰られるのが こちらに赴任されてからの慣習です。三谷役員さんのお生まれは九州で

大学は東京、現在のお住まいが千葉であります。 🎵私はねぇ 九州の田舎の育ちだから東京や京都みたいな都会は

どうしても馴染めないんだ、と 普段部下には見せたことのない一面をさらけ出されると こっちも つい同情を

してしまうのです。でも あちらは 天下のT大卒…たかが一介の運転士に本心を明かされるのか と思うと

果たしてどうなのかなぁと思いますが… 人によっては 考えすぎだよ…と笑らわれてしまうのです。

ちよっと横道に逸れてしまいましたので 軌道を修正します(笑)

三谷役員を伊丹空港でお見送りを済ませますと 一仕事を終えた解放感を感じます。そして やれやれとなって

時計をみると12時半を回っています。そうかぁ昼時か…急に食欲が湧いてきました。

以前紹介をしました 豊中にある白馬童子というラーメン屋さんがありましたよね。空腹を覚えてラーメンにするか

…と思って何気なく 空を見上げたら はれ…?オレンジ色のでっかい看板が前に堂々のお出ましです。

看板にはステーキのドン と記されています。ステーキかぁ…何か忘れていたものを ふと思い出した気分です…

ステーキ…今では庶民的な食べ物になってしまいましたが 昭和の時代のステーキとは この様に気軽に食べることが

出来なかった気がします。ところでお肉についての認識と言いますか料理の仕方がこの十数年で変わって来てるように思います。

日本人がお肉を食べるようになったのは、歴史の本を紐解いてみますと 明治維新以降だったことがわかります。

明治維新は1868年でしたから、約150年前からお肉を食べ始めたんだな、と思うでしょうが一般の人が肉食を

習慣的にしたのは昭和50年くらいからでしょうか。私は田舎で育ちましたが…お肉を食べられたのは、昭和40年代

では微(かす)かな記憶をたどってみますと年に数回だったと思います。

この昭和40年代は都会を除いた農村ではまだ自給自足が中心の食生活でした。私が子供のころ食卓の想い出は ほうれん草の

お浸し、みそ汁に沢庵、夏でしたら胡瓜や茄子の漬物に寒蘭(キャベツの和名)冷奴、里芋、大根、蕪(かぶら)人参、玉葱、長葱、菊菜

小松菜、ひじき、 薩摩芋、牛蒡(ごぼう)、長芋、じゃが芋、筍、芹、茗荷(みょうが)、蕗(ふき)、白菜、大豆、白豆、小豆、黒豆

、そら豆、玉蜀黍、トマト、唐辛子、胡麻などで 蛋白質でしたら竹輪に蒲鉾、鶏卵、川魚、

年に十回の鶏肉、年に数回の牛肉…

上記の野菜類は、生食はなくて 炊くか湯煎してお浸しにして食べていました。調味料なんかも 醤油とソース…それも

ウスターソースにマヨネーズ、ケチャップがあっただけでした。私は幼少の頃よく近所の川で魚釣りをしていまして 釣果と言えるほどでもなっかたのですが

小さな鮎や小鮒が獲れると祖母にねだって炊いてもらいました。料理法は醤油と砂糖で甘辛く炊いてちょっと参照の葉を入れたごく素朴なものでしたが

 小腹も空いていた所為か出来立てはあったかくておいしかった記憶が今でも残っています。

また横道に逸れてしまいましたが(笑) 昭和の40年代から高度経済成長に入って生活が年々良くなっていきました。

お肉…関西でお肉といえば それはもう 牛肉でした。当時牛肉の料理方法は、すき焼き !…ただしこれは私の先入観が入りすぎているかもしれませんから

ご容赦くださいな。 昭和40年代は経済の発展のおかげで収入が年々増えて今まで買えなかったものや 或いは無かったもの テレビや洗濯機が出てきた時代で

それ以前とは比較にならない暮らしになっていきました。それでもすき焼きは かなりの贅沢な食べ物でした。それがちょっとずつ身近になってきたのはやっぱり

高度経済成長のおかげだったようで、年に数回のすき焼きから 普段のカレーにお肉が入るようになりました。

これも説明をしないとご理解頂けないと思いますが、このカレーが一般家庭で出されるようになった時代でもありました。

確か野球の野村氏が京都の田舎の高校を卒業し大阪の南海(今のオリックス)に入団したころ 生まれて初めてカレーを食べて こんな旨いものがあるんか 

さすが大阪やな と驚いたそうです。まぁそれぐらい都会と田舎の格差があったようですね。

ところで お肉については最初すき焼きという料理がほとんどで これは明治維新からず~と続いていたようでおよそ百年間は料理方法のトップでした。

それからカレーやシチュー牛丼なんかが出て来ましてそれらはお肉は使っていましたけれど主材料は カレーであったりしてお肉がメインでは

なかって すき焼きと双肩を誇っていたのが ステーキ…当時はビーフステーキ 略してビフテキと呼んでいて高度経済成長でもさすがに手の出しにくい

それくらい高価な食べ物でした。お肉を炊くとすき焼き、焼くとビフテキ…この二枚看板が平成まで続きましたが、お肉の安い部位を使いだしたのが焼肉で

専門店が始めると あっという間に拡がってしまい今では お肉といえば 焼肉 !となってしまい すき焼きやビフテキは希少価値的な料理になって

しまいました。…お肉の歴史を語るつもりはなかったのですが つい横道に入ってしまって 雑然としたお話になってしまいました…

 

コメント
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